左腕に少し意識をとられながら、クラウドは今のところ仮の宿として利用している教会の前に、愛車フェンリルを横付けにした。ティファを通して依頼される荷物の配達を一通り済ませ、この場所へと戻ってきたのだ。
すでに時刻は夕方を過ぎており、日没までもうあまり時間がない。
何時になく時間がかかった原因を思い出し、クラウドは厭わしげに顔を歪めた。
エンジンを切ってバイクから降りると、教会の脇に突き出ているパイプの所まで押していき、そこに絡めてある鎖をバイクへとかけた。
好きこのんでこんな重いバイクを盗もうなどと思いたつ輩がいるとは思えないが、それでも万が一ということもある。あまり物に執着を覚えないクラウドだったが、このバイクに対する思い入れだけは特別で、簡単に外されないよう重い鎖でバイクとパイプを何重にも繋いだ。
ティファに無理を言ってまで入手したバイク。手に入れてからも人の知恵と手を借りて様々な改造を施してきたそれは、最早自分の分身とでも言うべき大切な存在だった。
今日の配達先はかなり遠く、バイクにも結構無理をさせたことが判っていたクラウドは、自分が身体を休めるよりも先にバイクのメンテナンスを行うことを優先させた。
いつもよりもやや重く感じられる身体を引きずり、一旦教会の扉を開けて入ってすぐの所に置いてあるメンテナンス用の工具箱を持ってくると、まずはオイルの具合を見た。つい最近オイル交換はしたばかりだったから、それを交換しなければならないくらい汚れているとは思えなかったが、それでもとりあえずオイルの具合を見る。
昔、バイクの大好きだった友人がよくそうしているのを傍らで見ているうちに、自分にもそういう癖がいつの間にかついてしまったのだ。
ずきっと左腕が痛んだ気がし、クラウドは思わず右手で二の腕を掴んでいた。
それが気のせいだったとすぐに気づいたクラウドの眉間にしわが寄り、唇がきりっと噛みしめられた。しばらくその姿勢のまま佇んでいたが、やがて頭を左右に振って気分を一新すると、再びバイクへと意識を引き戻した。
一通り点検が済み、バイクの状態に何ら問題がないことを確認したクラウドは、今度はバイクのボディへと視線をやった。
常人とは何処か違う不思議な光彩を帯びた蒼い瞳に、薄汚れてしまった愛車が映る。
クラウドの口から大きなため息がひとつ洩れた。
黒い車体は埃や砂にまみれてしまっていて元の面影を思い出しにくいくらい汚れてしまっている。
洗車でもしようと、必要な道具を取りに行こうと踵を返した途端、激痛が走った。
クラウドは苦鳴を漏らしながら、その場にどおっと倒れ込んだ。
無意識のうちに左腕を庇うように抱え込み、その場で身体を丸める。
痛みが遠のくまで、クラウドはその姿勢のままただひたすら堪えていた。
何の前触れもなくクラウドを苛み始めたその痛み。
それは時と場所を選ばず気紛れにクラウドに牙を剥き、明日という名の希望を容赦なく奪い去っていく。
発作が起こる度、クラウドの命は確実に削られていくのだ。
星痕症候群(せいこんしょうこうぐん)。
今や世界規模で蔓延している奇病だが、未だに治療法は発見されていない。
不治の病がクラウドの命を蝕んでいた。
どうにか痛みを乗り切ったクラウドは疲れきった身体をその場に起こし、左腕に目を遣った。
手袋を伝い落ちて黒い膿のようなものが滴り落ちている。
自分に死のカウントダウンを強いるそれに、クラウドは舌打ちしたい気分になった。
バイクの洗車をとりあえず諦め、クラウドは教会へと入っていった。
廃屋と化してから時間の経過した内部は一見すると人が暮らせそうになかったが、クラウドはそこへ毛布や何やら、野宿するのに必要な装備を持ち込むことでねぐらとしていた。
すっかり日の暮れた現在、教会の中は真っ暗だったが、クラウドはそれをものともせずに祭壇の方へ歩んでいく。クラウドの持つ蒼い瞳は僅かな光さえあれば、夜でも昼のように周囲を見渡せることができるのだった。崩れ落ちた屋根から差し込む月の光だけで十分内部を見渡すことができた。
躊躇うことなく自分の寝床として敷いている毛布まで辿り着くと、其処に置いてある荷物の中からカンテラをとった。幾ら夜目が利くからといって、真っ暗な中で時間を過ごすことにはどうしても抵抗を覚えるのだ。
たとえ後は寝るだけだとしても、クラウドは必ずカンテラに灯りを点けた。一人暗闇の中にいると碌でもないことばかり思い出してしまい、かえって眠れなくなってしまうことを、クラウドは思い知らされていた。
ぽうっと灯った明かりは心許なく揺れているけれども、それがもたらす安堵感にクラウドは表情をほんの少し和ませた。
弱い光が届く範囲に置かれている荷物。
そのなかから真新しい包帯を取り出し、左腕のそれと交換する。
交換が終了した今、手の中にあるのは真っ黒に染まってしまった包帯。
クラウドは顔を顰めると、真っ黒に染まったそれを忌々しげに手近の木箱の上に放り出した。
発作の間隔が短くなってきている。発作の時の痛みもそれにあわせて段々強くなってきている。
もうあまり時間が残されていないことを、クラウドは苦い思いと共に感じていた。
配達を優先するあまり昼食を摂っていなかったことを思い出し、クラウドは仕方ないという感じに荷物の中から携帯食を取り出す。こんな身体でも維持していくためにはそれなりに栄養を補給する必要があるのだ。
栄養価は高いが味気のないそれを噛み砕き、飲み込む。それを数度繰り返して食事は終わりだった。
ふと、ティファたちと過ごしていたセブンスヘブンの店が懐かしく感じられた。
こんなご時世だから、たいした食材は手に入れられなかったが、それでもティファの努力の甲斐あって、毎日饗される食事は素晴らしかった。ティファやマリン、そしてデンゼルと囲む食卓はとても心地よかった。あそこでの生活はとても平和で暖かく、自分が恋い焦がれていたものが見事に体現されていた。
一瞬、帰りたいと、クラウドは思った。しかしそれはすぐに自嘲にとってかわられる。何を今さら・・・、という気分がこみ上げてくる。
クラウドは自分の意思であそこでの生活を捨てて、暖かい彼らの存在を振り切って此処にいるのだ。
だから・・・本当に今更だった。
膝にこぼれ落ちた携帯食の欠片を払い落とす。
ふと流した視線の先、淡い光にぼんやりと照らされた箱が目に入った。
それは、以前ユフィから託されたマテリアが入っている箱だった。
2年前のあの旅のなか、仲間たちが手に入れたマテリアが其処にあった。
北の大空洞での闘いが終わった後、一旦ユフィに総てを預けたのだが、ある事情から巡り巡って今はクラウドがこうして預かっているのだった。
箱に気を惹かれたクラウドはそれに歩み寄り、箱のふたを開けた。
中には様々な効果を持つマテリアが無数に入っている。
伸ばした指先が触れたのは、偶然にも赤い、高位の精神生命体である幻獣を召喚するためのマテリアだった。
ユフィからマテリアを託されることになったのは、この赤いマテリアが原因だった。
意思を籠めてマテリアをじっと見つめれば、それに応じるように中心部分にぽおっと光輝が宿る。
それを認めた蒼い瞳が翳りを帯び、暗く沈んだ。
クラウドの意識はそのまま、ユフィからマテリアを託されたその時へと戻っていった。
![]() |
![]() |