〜 アンジェリーク 〜
賢者である若者が連なる一族は占いをよくし、その才能をいかして日々の糧を得ている一族である。
彼らが占いをすればほぼ確実に言葉どおりの結果となり、その秀でた占いの才によって他の占術を生業とする人々とは一線を画した一族であった。
時を遡ること数代前、一族のうちでも特に秀でた才能を有する者がある日、何処からともなくある小さい石を一族の元へと運んできた。
その石は手のうちに簡単に収まってしまうほどの小さい黒い石で、一見黒曜石とも見紛う輝きを持っていた。しかしその石がただの石でないことは一族の誰の目にも明らかだった。
その黒い石はただならぬ毒気を周囲に放っていたのである。
抵抗力のない人間がその石とともに時を過ごせば、必ず病を得、ほぼ確実に死への旅路へと辿ってしまうほどにその毒気は強く、人々に害を及ぼすこどが必死であるその石の存在を若者は見過ごすことができなかったのである。そしてその石をどうにかして封印または破壊できないものだろうかと一族の元へと持ち帰ってきたのだった。
若者の話を聞いた時の賢者は一族の同意の元、その石をある場所に封印する道を選んだ。それは様々な方法を試したにもかかわらず、その石にひび一つ入れることができなかったゆえの苦渋に満ちた選択だった。そして封印の要として一族で最も能力のある若者の命を利用したのだった。
それは一族にとり生身を引き裂かれるほどにつらい選択だった。若者の有する格別に強い特殊な能力とその生命力すべてを使用しなければ封印しきれないほど、石の放つ毒気は強すぎたのだ。
そしてそれから一族は代々この石の封印を見守り続け、いつの頃からかその石のことを『黒の忌石』と呼ぶようになっていた。
しかし数代を経た今、若者のすべてをかけた封印も空しく効力を失い、封印されていた長い間に毒気はより濃密に変成して最早防ぎようがないくらい強くなっていた。再び封印を施そうにも一族の手におえるものでもなく、漏れいでた毒気は世の理に大きな歪みを生じさせ、目に見えない形で世界を蝕みつつあった。
歪みは、『光』と『闇』のサクリアの均衡を崩すという形で現れたのである。
世界崩壊の危機を知り、絶望にくれる人々の元にひとつの予言がもたらされた。一族のなかでも優秀だと認められている者すべての占具によって同じ予言が語られたのである。
『天空より舞い降りし二柱の輝きあり。
その御手に慈悲と断罪の剣持て、我らが元へと降り来たりぬ。
そは光。生命の息吹を世界へもたらししもの。
金と青を抱きし曙光なり。
そは闇。永遠の安息を世界へもたらししもの。
黒と紫を抱きし月輝なり。
全き光と闇の御手により、すべては正しき理のうちに戻されん』
そしてこの予言は今、現実のものとなったのである。
賢者の称号をその身に受けた若者は、畏敬と憧憬の入り交じった視線を至高の輝きを纏う二つの存在に注いでいた。
若者の話を一通り聞き終えた闇の守護聖は自分の傍らで眠りに就いている寝顔を見つめた。
ジュリアスは安らかな表情で眠りについているのだが、やはり疲労の翳りが色濃い。そしてその身から感じられる『光』の波動が驚くほど薄れていた。いくら護符として与えた紫水晶のピアスの加護があるとはいえ、予想以上に『光』がジュリアスから強引に奪われているようだ。
ほんの少しの間にやつれてしまったように感じられる顔を、クラヴィスは痛ましげに見つめた。
守護聖の身内から当人の意志に関係なくサクリアを引きだすということは、無理矢理肉を引き裂いて内臓を取り出すも同じことであり、通常であればそのあまりの苦しさ、つらさに早々に意識を失ってしまうほどなのである。
それを表情にだすことなく耐えてみせる光の守護聖の誇りの高さは他に類を見ないほどであった。
(それゆえ、負わなくてもよい傷を負ってしまうのだ、これはいつも・・・)
やるせなさの込められたため息をひとつつき、クラヴィスは若者へと視線を戻した。
「その忌石とやらのある場所までは、ここから遠いのか?」
問いかける声音は冷ややかなもので、ぬくもりの欠片さえ感じられない。それがジュリアスのことを慮るあまりの余裕のなさからくるものだと判らない若者は慌てて二人から視線を逸らす。
「馬車にて二日ほどの距離でございます」
今にもひれ伏さんばかりの低姿勢で答える若者の声が隠しようのないほどに震えている。
闇の守護聖はそれに気づきはしたが敢えて何も言わず、若者に下がるよう命じた。これからどうするのか、どうしたらよいのか、考える時間が欲しかったのだ。それには若者の存在は邪魔になるものだった。
そんな突然来訪した素性の知れない人間の横柄な態度に気を悪くした風もなく、それどころかかえって何か悪いことを己がしたような態度で、若者はその場を辞そうとした。その背中へ、
「真新しい占具用のカードと護身用の小剣を用意して貰いたい」
独り言のような小さい声音がかけられた。若者はぱっと顔を輝かせると、大急ぎで闇の守護聖の所望した品々を家の者に用意させた。
睡眠の邪魔にならないよう極度に抑えられた照明を苦にした風もなく、クラヴィスは届けられたばかりのカードの封を無造作に解くと手慣れた仕草でカードを繰りだした。
今手にしているカードは常日頃自分が愛用しているものとは絵柄が異なるものだったが、クラヴィスはそれを特に意識するでなくいつもの手法を用いて淡々とカードを並べていく。
カードが告げるものを正確に読みとれか否かは結局のところ占者の力量であり、カードの質に左右されるものではない。占い用のカードはあくまでも占者の能力を効率よく発揮するための手段でしかないのである。
最後の一枚をめくり終えた途端、クラヴィスは重々しいため息をつき、手早くカードを崩してしまった。
「これから先の命運は、我らの行動次第ということか」
忌々しいことだと物憂げに呟き、傍らで未だ眠りについている光の守護聖の顔を見つめる。
占者は自分自身のことを占うことはできない。
優れた占いの才を有する闇の守護聖であろうともこの則を覆すことはできず、ゆえにクラヴィスは現在自分の傍らに在る光の守護聖の命運を読みとろうとカードを繰ったのだが、すでに自分たちの未来は分かちがたく結びあわされてしまっているらしく、はかばかしい結果は得られなかった。
「結局のところ、未来はおまえの手のなかにあるのだな」
ジュリアスの司る『光』は、あらゆるものを未来へと導く希望の『光』でもある。その彼の手にこれからの行く末が握られていたとしても何ら驚くべき事ではないのかもしれない。
再度重いため息をついた闇の守護聖は目前に散らばっているカードを一つ処に集めだした。
静かすぎる室内に響く微かな音。
眠りが浅くなってきていたのか、ジュリアスの唇から覚醒の兆しを見せる吐息が漏れる。
「う・・・ん」
もう少し寝ていればよいものをと内心思いながら、クラヴィスは天空の高処を思わせる蒼い瞳が開かれるのを見つめていた。睫毛が微かに震え、やがて蒼穹の眼差しが自分に注がれるのを黙然と見守っていた。
「ここ・・・は・・・?」
未だ覚醒がしっくりしていない眠気を多大に含んだ声音でジュリアスは呟き、二、三度瞬きを繰り返す。
「目が覚めたか」
突然すぐ近くで他人の声がしたことにジュリアスは驚き、身体をびくりと竦ませる。それを見たクラヴィスは小さく笑い声をたてた。それが聞き覚えのある声であることを理解したジュリアスは声のした方へ視線をやった。すると、いつになく柔らかい光を湛えた黒水晶の双眸と視線があった。
「私は、一体どうしたというのだ?」
見慣れない表情の相手に戸惑いを感じながら、ジュリアスはその身を起こそうとしたが、自分の身体が鉛の様に重く、また非常に怠く感じられ、愕然とした。全身から力という力が抜け去ってしまっており、上手く身体を起こすことができなかった。
蒼い瞳が、不安げに揺れる。
「覚えておらぬのか?」
常に自信に満ち溢れているような相手の不安げな様子から殊更に意識を逸らそうと、闇の守護聖はなるべくいつものような揶揄をこめてそんなことを呟く。内心、どうかいつものように食ってかかってきてくれと思いながら、しかしその顔はあくまでも表情に乏しかった。
「・・・・・・・・・・・・」
口を開いて何か言いかけた光の守護聖はしかし何も口にせず、無言のままどうにか身体をその場で起こすと、そのまま視線を落とし俯いてしまった。いつもとは色を異にする黒髪が重力に従いさらさらとその顔を覆い隠す。自分が気弱になっていることに気づいていたが、それをどうすることもできない自分に歯がゆさを感じ、ジュリアスは唇をそっと噛みしめた。
「部屋に入るなり眠り込んでしまったのだ」
闇の守護聖もまた相手と視線を合わせぬよう己の手の中に収まっているカードに目をやり、囁く。
「私が・・・か?」
信じられないと、そう呟く声音は微かに震えていた。常に己を厳しく律してきた自分がそんな醜態をさらすとは思っていなかったのだ。
「ああ」
低く応じるクラヴィスの声に含まれる憐憫の念に気づかず、ジュリアスは表情を強張らせた。
「私としたことが、とんだ醜態を・・・」
他人にも厳しい態度をとってしまいがちな首座の守護聖は、しかしそれ以上に自分に対して厳しかった。今が一刻を争う時であるにも関わらず、安穏と眠り込んでしまった己が許せなかった。その心情を如実に表し、蒼い瞳が強い光を宿して煌めく。
長いつきあいである闇の守護聖はそんな心の葛藤を正確に見抜いていた。
「仕方あるまい。滅びへの道を辿りつつある宇宙を少しでも長らえさせようとしているおまえのことだ。相当疲れがたまっているはず。そこへこれほど安らぎに満ちた部屋へと案内されては、幾らおまえでも一溜まりもなかろう」
苦笑混じりに労いとも言い切れない言葉を口にする。そして漆黒に染め抜かれた髪に半ば以上覆い隠されている横顔を見つめた。
クラヴィスの視線を感じながらも、ジュリアスはしばらくの間俯いたままだった。しかしやがて昂然と顔を上げると、鋭い睨みつけるような視線で闇の守護聖の顔を見つめ、きっぱり告げる。
「このような失態、二度とせぬ」
紺碧の双眸がますます冴えを見せ、黒水晶の瞳を射抜く。どれほど体調が悪かろうと己の矜持を忘れないその姿はまさに『誇り』を与える『光』の守護聖そのままで、クラヴィスは半ば呆れ、半ば賛嘆のため息をついた。
やせ我慢をしているのが見え見えなのだが、この強情さこそがジュリアスであり、またそれを止める術を持たないのが自分なのである。そして自然、口元に苦笑が浮かぶ。
「何が可笑しい?」
それを見咎めたジュリアスは低く抑えた声音で問う。
「別に・・・」
クラヴィスは素早く笑みを消していつもの如く感情の籠もらぬ調子で吐息とともに囁く。
そんな相手の反応に片眉を引き上げて見せたがそれ以上追求はせず、ジュリアスは身支度を整えて真っ正面から闇の守護聖を見据えた。炯々と輝く蒼い眼差しに気後れすることなく、黒水晶の瞳が見返す。地の守護聖ですら受け止めきれかねないそんな視線を、クラヴィスは平然と見つめ返す。
「それで、何か手がかりはあったのか?」
淡々と尋ねられた事柄にクラヴィスは深々と頷き、先刻、若者が語った話を手短に説明した。
![]() |
![]() |