〜 アンジェリーク 〜
「では、その『黒の忌石』とやらを我らが封印もしくは破壊すればよいと、そなたは思うのだな?」
薄暗がりのなか、現状を打破すべく光と闇の守護聖は言葉を交わしていた。
「まあな。しかしそれで事が済むとは、よもやおまえも思うまい?」
感情の一切籠もっていない淡々とした口調でクラヴィスがそう呟く。
「無論。『黒の忌石』とやらを封印した後、それこそが問題であろう。過剰に存在するこの歪んだ『闇』をどうにかせねばならぬ」
だがどうすればこの地に災厄をもたらさずにそれを成し得るのか方法が判らぬと、ジュリアスは苦悩の色を見せた。
「いや、策がないわけでもない。それを試せばよいだけのことだ」
そんな言葉が深刻な顔つきで考えこもうとしていた光の守護聖の耳朶を打った。
「だが、この方法だとおまえに多大な負担がかかるうえ、命を落とす危険すらある」
それでもよいのかと敢えて問いかけるクラヴィスであったが、すでにその心は決まっていた。最終的な決断を下すのは首座を務めるジュリアスに課せられた義務であり、今までもそうしてきたように今回も自分はその判断に身を委ねるのみだった。そしてこれからジュリアスが下すであろう結論はすでにクラヴィスには判っていた。
「宇宙を正しき理のもとに導くのが我らの使命。それが叶うというのであれば、私一人の命など問題にならぬ」
確固たる信念のもときっぱりと告げる。それゆえクラヴィスは苦笑するしかなかった。
「おまえときたら・・・・・・。本当に、昔から変わらぬ。その意志の強さ、頑固さ。どうにかならぬものか」
これではオスカーもさぞや苦労していることだろうとさらに苦笑を深める。それをどう受け止めたのか、ジュリアスは渋面になると軽く咳払いをした。
「そんなことより、クラヴィス。その方法とは何だ?」
声に宿る真摯な思いに、闇の守護聖は一瞬、痛ましげな表情を浮かべた。
「何、実に簡単なことだ。私がこの星より歪んだ『闇』を一旦引き上げ、それを正しきものへと修正した後、再び与えればよい」
殊更に冷たい事務的な口調で告げられた内容に、光の守護聖は愕然とした顔つきになった。
「そなたはそういうが・・・。それは容易いことではないぞ。異質なものをその身に取り込んでそなたが無事でいられる保証はどこにもないのだ。そしてそのように一気にサクリアを引き上げられたこの星もただでは済むまい」
そこまで言い募ってから、ジュリアスは考え込んでしまった。今の話では自分が関与する余地はまるでないのだが、先刻、闇の守護聖は自分の命に関わると明言していたのだ。どこに自分が関わるのだろうかと考え、やがて気づいた。
「・・・・・・・・・・・・。そうか、そういうことか。判った」
納得顔で一人頷くジュリアスをじっと見つめる黒水晶の双眸にはすでに何の感情も浮かんではいなかった。
「では、私もできる限りバランスを維持できるよう力を送るとしよう。弱ったこの身で何処までできるか判らぬが、最善を尽くそう」
闇の守護聖は手にしていたカードをそっと傍らに置くと、懐に忍ばせておいたものを取りだし、それをすっと差しだした。
それは、瀟洒な飾りがさりげなく施された小剣だった。
それを見咎めたジュリアスは方眉を軽く引き上げてみせる。どういうつもりでクラヴィスがそれを自分に与えようというのか判断がつきかねたのだ。
「剣のたぐいは扱えたな?」
静寂に包まれた薄暗い部屋に相応しい低い声がそう囁いた。
紺碧の双眸を軽く瞠り、劣らず低い声音が問い返す。
「嗜む程度だが・・・。それが、何か?」
どうしてそのようなことを聞くのだとさらに目線で問いを重ねる。それに気づかないはずはないのだが、クラヴィスは敢えてそれを黙殺した。
「これはおまえが持っていてくれ」
ぼそりと呟き、光の守護聖の手に小剣を押しつける。黒水晶の瞳に宿る真剣な光にはっとしたジュリアスは黙然と受け取った。どうしてこのようなものを相手が用意したのか。その深意がどうにも掴みがたかったが、意味のないことをするような相手ではないことは十分知っていた。だからジュリアスは小剣をそっと身につけた。
「目的の地まで馬車で二日ほどだと、言ったな?」
剣の意味を深く追求したかったが、それに触れることに躊躇いを覚え別の事を口にした。
「それが、どうかしたのか?」
唐突な話題転換にらしくなさを感じた闇の守護聖は片眉を引き上げてみせる。
「そなた、馬には乗れたのであったか?」
さらに紡がれたそんな言葉にクラヴィスは訝しい顔つきになり、紺碧の瞳を見返した。ジュリアスが言わんとしていることが今ひとつ理解できず、目線で説明を求めた。
「我らに残された時は少ないのではないか?少ない時を浪費するわけにはいかぬ」
そう言う蒼い瞳に特にこれといった感情は浮かんでおらず、ただ淡々と現状を述べているだけのようだった。
「場合によっては我らは馬で移動しなければならぬだろう」
ここまで聞いて相手の言いたいことの察しがついた闇の守護聖はやれやれという風にあからさまなため息をついた。そして苦笑を浮かべると、
「ふっ。心配はいらぬ。昔、嫌がる私に乗馬を強いた輩がいたお陰で、落ちぬ程度には乗っていられる」
実に意味ありげな視線を首座として振る舞おうとしている相手に注いだ。その途端、見事なくらいにジュリアスの頬が紅潮し一気に冷静な表情が崩れた。
「クラヴィス!」
怒鳴り声が静けさに包まれていた空気を震わす。しかしクラヴィスにはそれが利くはずもなく、笑いをすっと収めて無表情に囁く声音は真剣そのもので、ジュリアスはそれ以上言葉を重ねられずそれに耳を傾けるしかなかった。
「しかし、おまえの期待するほど長くは乗っていられぬ。おまえのように折りにつけ遠駆けをしている訳ではないのだからな」
尤もなその言い分に睫毛を伏せるジュリアスだった。自分だとて日々乗馬をしている訳ではなく、忙しい執務の合間をぬって気分転換程度に馬を走らせるのが精一杯なのだ。そんな自分がそう長い間馬を飛ばせるはずがなく、ましてや滅多なことでは乗馬の機会に恵まれないであろう闇の守護聖にそれを強いるのは酷なことだといえた。
「おとなしく馬車で移動するのが我らの身のためだ。おまえとて体調が万全とは言い難いのだからな」
闇の守護聖はそう言うとすっとジュリアスから視線を逸らした。蒼い瞳も同じ方向へ素早く転じられた。
扉をたたく、控えめなノック音が聞こえたのだ。
二人は一旦会話を止め、ノックの主を部屋へと招じ入れた。
「夕餉の支度が整いました。いかがされますか?」
そんな言葉とともに入ってきたのは、賢者の称号を有する若者だった。
言われてはじめて二人はこの星に訪れて以来まともに食事をしていないことに気づき、苦笑した。そして若者の好意に甘えることにした。
食事の合間に、翌朝一番で『黒の忌石』の封印されていたという地への案内を若者に依頼したのである。
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