〜 アンジェリーク 〜

【歪み・7】

 

 ミュールに案内されるまま、光と闇の守護聖はすれ違う人々の視線を集めながらもそれを気にかける風もなく、賢者と呼ばれる人物の元へと向かっていた。共に人並みはずれて秀麗な顔立ちをしているのだが、当人たちはそれに無頓着であり、また、立場上視線を浴びることに慣れているため、周囲の人々の熱い視線を意識することなく歩んでいるのだが、一人ミュールだけが居心地悪そうにうつむき加減に足を進めていた。
 三人が現在歩んでいるのはこの都市でも有数の市がたつ界隈で、実に多くの人々で賑わっており、聖地という限られた人間しかいない地で暮らしている二人にとってとても珍しい光景であり、活気だった。
 日差しよけの幕で上部を簡単に覆った露台に雑多に並べられている種々の品々。野菜や果物などの食品は勿論のこと、宝飾品や衣料品などを売っている露店も見受けられる。
 行き交う人々の間を器用にすり抜けながら道を急ぐ少年の背中を、守護聖たちは普段とあまり変わらない歩調でついていく。二人の放つ一種独特の雰囲気に気圧されるのか、人々は自然と二人に道を譲るのだった。そして二人はそれを当然のように受け止め、顔色一つ変えることなく歩んでいくのであった。
 間違いなく上流階級の出身であるあの二人がこの人混みのなかをちゃんとついて来ているのか不安に感じたミュールは心配げに振り返る。人混みに紛れてしまってはぐれていないか、そんな不安のまま振り返った視線の先で、悠然と歩んでくる二人を見つけ、唖然としてしまった。確かに何だか風変わりな二人連れだったが、それほど特殊な雰囲気の持ち主だとは感じていないミュールにとって、さっと顔を緊張させて二人に道を譲ってしまう人々の行動は理解できないことであり、呆れるしかないのである。
 立ち止まってしまったミュールの許までたどり着いたジュリアスは微かに眉を寄せ、
「どうしたのだ?」
賢者の住まいに到着したようには思えず、問う。その傍らで、闇の守護聖は二人のやりとりに興味がないらしく、ふっと立ち並ぶ露店の方へと視線を投げていた。
「ううん、別に・・・。何でもないよ」
声をかけられた瞬間、周囲の人々の視線が自分に集中したのを感じ、ミュールは居心地悪げに身を縮め、ぶっきら棒に返答する。それより早く行こうかと踵を返したその背中へ、
「ミュール」
ともすれば風にさらわれてしまいそうな低く囁きかけるような声がかけられた。
「何だい?」
「あそこで売られている、あの青い石の指輪。あれを買ってきては貰えぬか?」
そんな言葉とともにすっと差しのべられた指が指し示したのは、彼らのすぐ目の前で店を構えている露店だった。そして懐から財布を取りだし、金に糸目はつけぬなどと言いながらそれを気軽に少年に預ける。
 闇の守護聖が求めた指輪をじっと見つめたミュールは少々あきれ顔になり、
「いいけど・・・・・・、あれ、女物だよ?」
躊躇いがちに呟く。
「ふっ、構わぬ。どうせするのは、これ、だ」
意味ありげな笑みを湛えたまま、クラヴィスはジュリアスの顔を見遣った。
「なっ!」
ミュールは何か言いたげにジュリアスの顔を見つめたが、すぐに露店の方へ視線を戻す。
「ふう〜ん。ま、いっか。あれだよね、あの青いやつ。じゃちょっと待っててよ」
そして小走りに指輪を購入しにいってしまった。
 苦虫を噛みつぶしたかのように渋い顔つきでジュリアスは闇の守護聖にずいっと近づくと、
「クラヴィス!」
きつい口調でその名を呼んだが、このような調子で名前を呼ばれることなど当たり前によくあることで、呼ばれた本人は至極涼しい顔で何だと尋ねる。
「これは新手の嫌がらせか?私は女物をする趣味など断じてない!」
怒りを秘めた紺碧の双眸は強い輝きを宿し、柳眉を逆立てて詰め寄る表情には疲労の翳りなど一片も見受けられなかった。それを認めたクラヴィスは内心この調子であれば意外に持つかもしれないと思いつつも、口の端に登らせたのはまったく別のことだった。
「私とて男に女物を贈る趣味など持ちあわせてはおらぬ」
「では、何故?」
小気味よい調子で返される言葉に含み笑いを漏らしつつ、
「仕方なかろう。あれしか適当なものが見当たらぬのだ」
おまえには不本意だろうがしてくれねば困るのだと少々からかう響きを宿した声音でそう告げられ、ジュリアスは困惑した。曖昧な物言いをする癖のあるクラヴィスの言葉は謎めいていることが多く、その内容を理解するのにいつも一苦労させられるのだ。
「何だ、それは・・・」
返されたそんな言葉に、今度はクラヴィスが柳眉をあげる番だった。
「おまえともあろう者が、判らぬのか?」
さも呆れたと言わんばかりのその口調に、ジュリアスはさらに渋い顔つきになったが、特に反論を試みる気はないらしい。いくら見かけ上いつもと同じように見えていたとしても、どうやら光の守護聖の不調は如何ともし難いものらしく、クラヴィスは重いため息をつくしかなかった。
「あの青い石の放つ特殊な波動。あれは『光』に溢れている。あれを所持しておれば、少しはおまえの手助けになろうかと思ったのだ」
ともすれば喧噪にかき消されてしまいそうな囁きを、ジュリアスはしっかり聞き取り、なるほどと頷く。言われてみれば確かに、露店に置かれている青い石の指輪からは自分と同じ『光』が感じられる。指輪を購入する意図が掴めたジュリアスは何度も頭を振った。
 それを見つめていた濃紫の双眸にいたずらを思いついた子供めいた何処か楽しげな光が宿ったが、ジュリアスは気づかなかった。
 クラヴィスは口元を微かに歪め、
「それに、あの青い石。おまえの瞳の色に似ている。よく似合うことだろう」
含み笑いを漏らす。
「クラヴィス!!」
さっと頬に朱を走らせ光の守護聖はいつもの調子で叱りつけるようにその名を呼ぶ。が、勿論、闇の守護聖はそれをあっさり受け流してしまう。そんな相手の態度にさらに何か言い募ろうと口を開きかけた途端、
「お待たせ!」
明るい声音とともにミュールが二人の元へと戻ってきた。
「はい、これ。女物だから、多分指にはまんないと思ったんで金鎖も一緒に買ってきちゃった。それと、これも・・・」
そんな言葉とともに差し出された手のひらに、指輪がふたつ、そして金鎖がひとつ載せられていた。
 それを目にとめた黒水晶の双眸が驚きに軽く瞠られる。
 ミュールが新たに見つけた指輪。
 それはクラヴィスの瞳の色によく似た色合いの石の指輪だった。そしてその内側に恐ろしく濃厚な『闇』を抱いているもので、驚くべきことにその『闇』は、闇の守護聖の支配下にある、正しきものだった。
 そのことにジュリアスも気づいたらしく、恐ろしく真剣な顔つきでミュールを見つめる。
 長身の迫力満点の二人に見つめられたミュールは及び腰になり、相手の顔を窺うように自分よりもかなり高い位置にある顔を見上げる。
「クラヴィスに似合うと思って買ったんだけど、俺、余計なことしちゃった?」
小さく呟かれた声は微かに震えており、それに気づいた二人ははっと我に返った。
「いや、ありがたく受け取っておこう」
クラヴィスは早口にそう言い、指輪と金鎖を小さな手のひらからさらうと、少年の提案したとおりふたつともに鎖へ通してジュリアスに差しだしたが、クラヴィスにという少年の言葉がひっかかっているのだろうジュリアスは素直にそれを受け取ろうとはしない。そんな相手の態度にじれたクラヴィスは、
「これはおまえが持っていてくれ」
どちらもおまえにとって良き守りになるだろうと言いながら、強引にその首へかけてしまう。
 ふたつの指輪が肌に触れた途端、身体がより軽くなったのをジュリアスは感じた。無意識のうちに指輪へと滑らせた指先に正しい理のうちにある『光』と『闇』が反発することなく見事に調和した暖かい波動を放っているのが感じられ、すっと心地よさそうに紺碧の双眸が細められた。
「ミュール、指輪はこれに預けておくが、構わぬな?」
とても柔らかい顔つきになったジュリアスを目にしたミュールに否やがあろうはずはなかった。
「さあ、それじゃ行こうか」
元気なかけ声とともに、今度は二人に並んで歩きだした。

 

 

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