〜 アンジェリーク 〜
太陽が昇りきらない時刻、初めて惑星に降り立った小高い丘に二人は佇んでいた。
丘からは二人がつい先程まで逗留していた町並みが一望できた。今はまだ町はひっそりと静まりかえっているが、あと数刻もしないうちに町は目覚め、いつもと変わらぬ活気に満ち溢れるのだろう。それを証明するかのように徐々に町には生気が満ち始めている。
無言のままにそんな光景を見つめ続けていた二人の背後に、やがて一切の音も気配もなく、突如として大きな扉が現出した。
ごくゆっくりとした動作で背後を顧みた蒼い瞳が扉の先に広がる聖地の風景をとらえる。瞬間、紺碧の双眸に切なげな光が浮かんだ。聖地を後にしてそれほど時間は経っていないというのに胸にこみ上げる温かい想いにジュリアスは知らず睫毛を伏せた。
それを横目で見ながらもクラヴィスは何も言わず、そっとジュリアスの傍らをすり抜けると扉の向こうへその身を投じた。
視界の片隅をすり抜けていった漆黒の髪にはっと我に返ったジュリアスは、抱いてた想いを振り払うと昂然と顔をあげて次元回廊へと足を踏み入れた。
二人の姿を飲み込んだ扉が音もなく閉じ、丘の上には静寂が戻っていた。
慣れ親しんだ聖地の風が頬に触れたと思った瞬間、再び感傷的な心地になったジュリアスだったが、それに浸れるほどの時間はなかった。
「ジュリアス様!」
「クラヴィス様!」
血相を変えた炎と水の守護聖の悲鳴にも似た呼び声が耳朶を打ったのである。
闇の守護聖はその大声が煩わしかったのか、ほんの少し不機嫌そうに駆け寄ってくる二人を見つめた。その背後には夢と地の守護聖の姿がある。
「どうしたのだ?両名ともそのように慌てて。それにそなたたちが揃って出迎えとは・・・留守の間に何かあったのか?」
炎の守護聖はともかくとして水の守護聖までもが狼狽を隠せず自分たちを迎えにここまで足を運んできたことに、光の守護聖は何か非常事態でも起こっているのかと思考を巡らす。
そんな台詞に、闇の守護聖はふっと口元を歪める。どうして彼らがそんな風に慌てた様子を見せているのか、その原因に気づいているらしかった。どうやら知らぬは当人ばかりなりという状態のようだ。
「なあにぼけたこといってんのさ、ジュリアスってば」
びしっと光の守護聖にマニキュアのばっちりきまった指をつきつける夢の守護聖の表情はやや呆れ気味だった。
「あんたのサクリアの気配がとっても弱ってるのを感じて、心配して飛んできたにきまってるじゃない」
との言葉にジュリアスは珍しく驚きも露わに目を見開いた。
「サクリアが・・・弱い?私自身は何も感じぬが・・・・・・」
呟きつつ自身の内に向けて神経を研ぎ澄ませれば、いつもと何ら変わることのない力強く満ち溢れるサクリアの気配が感じられる。
傍らで成り行きを見つめていたクラヴィスがやれやれと言いたげな表情で眉間に皺を寄せてしまった光の守護聖を見遣り、その名を呼ぶ。
「ジュリアス」
少々揶揄の籠もったその声音に通常であればジュリアスは敏感に反応してついつい声高になりがちだったが、今回はどうやら勝手が違うらしく、素直に黒水晶の瞳を見返した。
「ん?クラヴィス、そなた、何か心当たりがあるのか?」
クラヴィスはすぐに答えようとはせず、すっとその手を伸ばしてジュリアスの耳朶にその指を滑らせ、そこを飾る紫水晶のピアスに軽く触れた。
「忘れたのか?これのことを・・・」
そんな二人の様子を見てしまった炎と水と夢の守護聖は瞬間その場で凍りついてしまう。ただ一人、地の守護聖だけがおやおやという顔つきで微笑ましそうにその光景を見守っていた。
周囲のそんな反応も何のその、二人はごく自然な感じで会話を続けていた。
「あ、そうであった。そなたにこれを借りたままであったな。お陰で助かった。礼を言う」
いつもより幾分柔らかい声音でそう言ったジュリアスは穏やかに微笑んだ。
その極上の笑みに誘われたのか、クラヴィスも実に優しい表情を浮かべ蒼い瞳を見つめ返す。
思い切り周囲を無視してこのまま二人の世界へ突入してしまうのかと思いきや、それを妨害する勇気のある人物がいた。それが地の守護聖ルヴァであることは言うまでもないだろう。
「あの〜ご歓談中恐れ入りますが・・・」
二人の仲睦まじげな光景に臆することなく、ルヴァはいつものおっとりとした口調でここに足を運ぶ前に預かってきた伝言を口にする。
「お二人ともお疲れのことと思いますが、女王陛下の元へ行って頂けないでしょうか?」
「女王陛下の身に何かあったのか?」
蒼い瞳がつよく煌めき地の守護聖を捉える。
「いえいえ、そういうことではないんですが・・・。ジュリアス、貴方のサクリアの波動が視察中に不安定になったでしょう?」
それを案じてのことだと思いますと至極穏やかに女王補佐官の言葉を取り次いだ。
「そうか、判った。それではこれから陛下に謁見を願いでるとしよう。いくぞ、クラヴィス」
数瞬前までのどこか甘い雰囲気など微塵も感じさせぬ首座らしい態度で隣に佇む闇の守護聖を伴い、宮殿目指して足を運んでいった。
光と闇の守護聖の姿が完全に見えなくなった頃、目前で繰り広げられていた信じられない光景から立ち直った夢の守護聖が、未だ硬直したままの二人の同僚に声をかけた。
「ねえねえ、オスカー、リュミエール。二人ともな〜んか変だったよね〜。妙に仲良くなかった?」
“妙に仲良くなかった?”どころの話ではないのだが、ついたった今目撃した光景をオリヴィエは素直に信じられずにいた。
「言うな!俺は自分の目が信じられん。お二人が仲良くされるなど、ありえんことだ!」
片頬を引きつらせてこう炎の守護聖オスカーが応じれば、
「わたくしも、信じられません。お二人のあんな光景を拝見する日がこようなんて・・・・・・。これは、夢なのでしょうか?」
どこかおろおろとした様子で水の守護聖リュミエールはそう答える。
あまりといえばあまりな言葉だったが、そう言わしめてしまうくらい日頃の筆頭守護聖たちは大変に仲が悪いのであった。四六時中筆頭守護聖の傍らについている二人の言葉だけにその反応は当然といえるかもしれない。しかしこれに異を唱える人物が一人いた。勿論、地の守護聖ルヴァその人である。筆頭守護聖たちとともに聖地で過ごした時間が一番長い人物であるだけに、彼らの知らない二人を知っている人物であった。
「そんなことないんですよ〜。昔はああして結構仲良くしてましたからね〜。何と言っても二人は幼なじみですし・・・」
とここまでのんびり告げたルヴァの表情が突然硬くなった。自分を見つめる三人の視線が妙に鋭い。
「あの・・・、どうしたんですか?三人ともそんなに私を見つめて・・・。や、やめて下さいね〜、照れてしまいますから・・・」
そして三人の視線の強さに堪えられなくなった地の守護聖がその場から逃げたのは言うまでもなかった。
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