〜 アンジェリーク 〜
どうにか宿まで戻ってきた光と闇の守護聖は事の顛末を語り合っていた。
「それではそなたを支配しようとしたのは、この石に宿っていた悪しき思念だったと?」
体力を使い果たしてしまったジュリアスは寝台のなかで上半身を起こした状態で、クラヴィスの説明を聞いていた。
「そうだ」
小袋から取り出された石は一見するとただの黒曜石にしか見えず、ジュリアスの声音には疑念が微かに含まれている。
「そのような力、この石からは感じられぬが・・・」
「おまえがこの石を浄化してしまったからな」
やや呆れ気味にクラヴィスはそう応じると、石を袋へと戻す。
「その石はどうするのだ?」
無造作に懐へしまい込んだ様子に、光の守護聖は不審げに問いかける。
闇の守護聖は方眉をあげて相手を見つめ返すと、
「聖地へ持ち帰る」
何を聞くのだと言わんばかりに大きくため息をつきつつ低く囁く。
すでに一度『光』のサクリアに触れたこの石はすでにさしたる危険を感じさせるものではなくなっていたが、それでも完全な浄化は望めず、未だに微かながらも毒気を発していた。そのようなものをこのままの状態で放置できるはずはなく、それならばいっそのこと自分たちの目の届く場所に置いておいた方がよいと、クラヴィスは判断していた。
蒼い瞳が強い光を発し、濃紫の瞳を見返す。
「そなたがそう言うのならば、そうしよう」
余程疲れているのだろうどこか投げやりな口調で呟いたジュリアスは気怠げに前髪を掻きあげた。その途端、紫水晶のピアスが灯りを受けて柔らかく輝く。
「約束の刻限までまだ多少ある。今しばらく休んでいるといい」
クラヴィスはそう言い置き、寝室を後にした。
去りゆく背中を見送ったジュリアスは相手の言葉に素直に従うべく、寝台に横たわった。
居間へと足を運んだ闇の守護聖は幾度か使用したことのある長椅子へ腰を下ろすと、懐から石の入っている袋とはさらに別の袋を取り出し、その中身を己の手のひらにあけた。
そこに入れられていたのは、この惑星で買い求めた二つの指輪。
しかしこの二つの指輪にはすでに『光』も『闇』も感じられなかった。ジュリアスが『光』のサクリアを解放したあの瞬間、それに共鳴するかのように指輪からサクリアが迸り、その身の内に内包していた力すべてを使い果たしたのだった。
クラヴィスの手のひらにある指輪はただの装飾用の指輪でしかなく、装身具に興味のまるでないクラヴィスにとっては無用の長物と化していた。さてこれをどうしたものかと思案しているところへ、控えめに扉をたたく音がした。
「鍵は開いている。入るがいい」
ノックの主が誰であるのかさして興味がある風でなく、闇の守護聖はそう応じた。
「あの・・・」
そんな声とともに顔を出したのは、賢者の元まで道案内を頼んだミュールだった。
「ジュリアス、倒れたって聞いて。それで、俺・・・」
ミュールはおずおずと背後に持っていた果物かごを闇の守護聖へと差し出した。かごに盛られているのは、みずみずしさに溢れた色とりどりな果実。少年の精一杯の気遣いに、クラヴィスは思わず口許を緩める。
「有り難く受け取っておこう」
穏やかな微笑みとその優しい眼差しに、照れを隠せずついつい頭を掻いてしまうミュールだった。
そんな様子を何とはなしに見つめていたクラヴィスは少年を手招く。
「何?」
小首を傾げつつ傍らに佇んだミュールに手を出すよう言うと、クラヴィスは自分が手にしていた指輪を二つとも落とし込む。
「おまえにこれをやろう」
「え?」
戸惑う少年に微かに苦笑を浮かべてみせた闇の守護聖は言を継ぐ。
「最早我らには無用の長物ゆえ、おまえに持っていて欲しいのだ」
おまえは我らを恐れずにいてくれたからなと小さく呟く濃紫の瞳が微かに光を宿して揺らいでいた。
「うん?」
ミュールには相手の言いたいことがまるで判らず、思わず問い返していたが、それに答えを与えるようなクラヴィスでもなかった。
「あれも、おまえに感謝していた。大変助かったと。あれの代わりに礼を言っておく。それとあの時の言葉はあれの本意ではない」
そう言われ、ミュールの顔が一瞬つらそうに歪む。あの時受けた衝撃が甦ってきたのだろう。
それに気づかぬクラヴィスでもなかったがそんな少年を気遣うでもなく、さらに言葉を継いだ。
「まあ、あれは生真面目な性分ゆえ、おまえの態度が感心できなかったのであろうな」
私もあれのそんな反応にはほとほと手を焼いているのだと、軽く眉間に皺を寄せ呟く。
宇宙の心理について語っているかのような重々しい口調で後半紡がれた言葉の内容に、ミュールは瞬間目を丸くしていた。その容姿や態度とからはおよそ想像のつかない子供っぽい言いぐさに度肝を抜かれたのだ。
それを気にした風でなく、クラヴィスは長椅子にその背中を預ける。そしてそっと睫毛を伏せた。
「俺、帰るね」
少し疲れているようなその様子にミュールはそれだけ言うと部屋を出ていこうとした。その背中へ、
「我らは明日早朝にここを引き払う。色々と世話になった」
低い低い呟きが投げかけられた。それを耳にした途端、少年は脱兎の如く駆けだしていた。
十分に睡眠を取ったお陰か、まだ少し身体は怠かったが、それでも惑星を訪れた当初に比べれば異様な圧迫感がない分楽になっており、ジュリアスは大きく開け放たれた窓辺に佇み、夜空を見上げていた。
「これで、この星は救われたのだな」
誰にともなく呟かれた言葉が夜気のなかを漂う。
「さて・・・・・・。それはこの星の人々次第であろう」
不意に返った言葉に驚きを隠せず軽く瞠った蒼い瞳の先に、いつの間にか闇の守護聖が佇んでいた。隣室で微睡んでいるとばかり思っていた相手が気配を感じさせず自分のすぐ近くにいたことにジュリアスは珍しく動揺を露わにしたが、それもほんの僅かの間でしかなく、すぐに気を取り直し苦笑を浮かべた。
「そうだな。我らにできることはここまでだ」
そして再び視線を星々に彩られた高処へと戻す。
「これ以上の介入は、この星の民にとって毒にしかならぬ」
そう告げる声音にやるせない響きが籠められていると感じるのは、クラヴィスの気のせいだったのだろうか。
「クラヴィス、我らが聖地へ帰ろう」
夜空から視線を外すことなく、ジュリアスは低く低く囁いた。
「・・・・・・ああ」
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