〜 アンジェリーク 〜
4:午前2
光の守護聖の執務室。
部屋の主であるジュリアスは厳めしい顔つきで鋼と緑の守護聖を見据えていた。
その紺碧の双眸に宿る光は怒りを秘めているようで、マルセルは真っ直ぐ見返すことができなかった。
首座の守護聖の傍らには、その右腕と称される炎の守護聖オスカーの姿がある。
マルセルの隣に佇んでいるゼフェルは最初からジュリアスの顔を見ようとはせず、明後日の方向へ視線を流していた。
「そなたたち、何故、私の執務室に呼び出されたか、理由は解っていよう?」
凛とした強い声音でジュリアスは切り出した。
途端にゼフェルは口許を思いきり歪め、
「ああ〜、ああ〜、俺が悪かったってっんだろ?」
やはり視線を逸らしたまま挑発的な口調で告げる。
ジュリアスは眉間にシワを寄せてゼフェルを見据える。
「ゼフェル、そなたのその様な態度は感心せぬな」
静かにそう告げるジュリアスの声は冷ややかで、聞く者の背筋を寒くさせるだけの響きを孕んでいた。
「守護聖は外界と勝手に関わりを持つことは許されておらぬこと、そなたも知っていよう?」
淡々と、だが相手を威圧せずにはおかない鋭さを持って、ジュリアスはそう言を継いだ。
いつもいつも似たような内容の小言ばかり言われ続けてきたゼフェルには、ジュリアスの言わんとしていること総てがすでに『耳にタコ』状態であり、まともに聞く気など最初から持ち合わせていなかった。だから、挑発的にけっと声を出した。
その下品な仕草に、ジュリアスの眉間にさらにシワが寄る。
光の守護聖の声音のあまりの冷たさに、マルセルは恐怖に顔を引きつらせて俯いてしまう。
今日は何故だか朝からあまりジュリアスの機嫌が良くないことを知っていたオスカーは慌てて、
「お子さまの夜遊びはあんまり歓迎しないな。ましてやあんな所にいくのは百年早いぜ」
早口にそうまくしたてる。
ジュリアスが不機嫌な時の怒り様はそれはそれは恐ろしく、長らく片腕として行動をともにしてきたオスカーもそうそうお目にかかりたいものではなかったのだ。
(お声に出されて叱責されるのならばまだしも、黙ったまま満面に笑みを浮かべられるお姿を拝見するのは、イヤだ。目がお笑いになられていないだけに、背筋が・・・凍る)
それを恐れるあまり、自分の言動がフォローをしたつもりで墓穴を掘ってしまったことに気づかない。
オスカーの言葉に、ジュリアスはほんの少し目を細めた。
「ゼフェル、そなたがそう反省しないようであれば、そなたの教育係を務めているルヴァを呼び出さなければならぬ」
ジュリアスが言葉にした『ルヴァ』という単語にゼフェルは敏感に反応した。
「ルヴァには関係ね〜ことだろ!」
執務机に歩み寄りその表面に思いきり拳を打ち付ける。
「俺はよー、ここも、あんたも、だいっ嫌いなんだ。それを忘れんじゃね〜」
ジュリアスは無言のまま、ゼフェルの動きを見守る。
「ゼフェル〜、そんな態度よくないよ〜」
威圧的な雰囲気を放っている首座の顔色を窺いながら、マルセルはやっとそれだけの言葉を口にした。しかしその声はとてもか細く、ゼフェルを抑制するものとはなり得なかった。
「うるせ〜、マルセルは黙ってろ!」
紅玉の瞳を、感情の一切窺えない紺碧の瞳に据えたまま、
「いつか、絶対、俺は、ここから、出てって、やるからな!!」
相手によく解るようセンテンスを区切ってそう宣告すると、くるっとその場に背を向け、出口へと向かいだした。
「ゼフェル!!」
マルセルの悲鳴じみた呼びかけにも振り返らず、扉へと近づいていく。
「話はまだ終わっておらぬぞ」
冷酷な響きを秘めた声で告げるジュリアスの声すら完全に無視し、ゼフェルは執務室を後にした。
オスカーはやれやれと言いたげに軽く肩を竦め、ジュリアスの横顔を見つめた。
大きな音をたてて閉じられた扉を、ジュリアスは静かに見つめていた。
「どうして、人の話を聞こうとはせぬのだろうか。まるで・・・あれのようではないか」
誰にともなく呟かれた言葉は、半ば諦念が込められていた。そして軽く吐息を就いた後、
「オスカー」
扉に視線を注いだまま、隣に佇んでいる人物へと声をかけた。
「はっ、何でしょうか?」
すぐさま返される返事に、ジュリアスはほんの少しだけ表情を緩める。
「あとで私の執務室に来るよう、ルヴァに伝えてはもらえぬか?」
直ちにと短く答え、地の守護聖の元へ向かおうとした背中へ、ジュリアスは低く告げた。
「それと、そなたもあとで私の所へくるように。何処でゼフェルを見かけたのか、詳しく教えて貰おう」
この時になって初めて、オスカーは自分の失言に気づき表情を強ばらせた。そして背後を返り見る勇気のないまま、わかりましたと告げ、執務室を後にした。
「さて、マルセル」
一人取り残される形となったマルセルは、ジュリアスのそんな呼びかけにびくりと全身を震わせた。
「そなたに言っておきたいことがある」
「な、なんでしょう?ジュリアス様」
「我ら守護聖は無闇に外界と関わってはならぬこと、それは無論知っていよう」
ジュリアスは言いながら衣擦れの音をさせて立ち上がると、マルセルの傍らへと歩を進めた。
流れるようなその優雅な姿に、マルセルは一瞬見惚れてしまう。
「だが、ゼフェル、あの者はそれを知りながら態度を改めようとはせぬ」
心の底まで射抜くような鋭い光を宿した紺碧の双眸が、柔らかい光を孕んだスミレ色の瞳を捉える。
「マルセル、そなたまでそれに同調せぬように」
凛として告げるその声は己の意見が常に正しいことを強烈に主張しているようで、そのあまりの強さに、瞬間目眩を覚えるマルセルだった。
「我らは守護聖としてこの地に召喚された時より外界とは籍を異にする。外界とは私的な関わりを持ってはならぬのだ」
厳しい表情を浮かべる完璧なその美貌に、マルセルは寒気を覚えずにいられなかった。
「そなたは年若いゆえ、特にそれを申しつけておく」
ジュリアスがくるりと背中を向けた途端、マルセルは大きく息を吐きだした。
強すぎる視線を受け止めていた間中、自分が息をするのも忘れていたことに、この時になってはじめてマルセルは気がついた。
「私の言いたいことはそれだけだ。もう、退出してもよい」
ジュリアスは執務机に戻ると、つい先刻まで己が手がけていた書類へと意識を戻してしまった。
マルセルは暗い表情になると、首座の守護聖へ軽く頭を下げてから執務室を退室していった。
5:昼2
光の守護聖ジュリアスは、あまりにも厳格すぎて常日頃から自分の主張とはかけ離れた場所にいる人間であり、あまりお近づきになりたくない人種ではあったが、守護聖を束ねる位置にある首座として、口にせずに済むことも口にしなければならない時があることを、オリヴィエは理解していた。そしてジュリアスの言葉が決定的に足りないことも十分承知していた。
(ほんっと、そんな役回りだよね〜、首座ってのは・・・さ。でも、もう少しきちんと説明してやんないと、お子さまたちも訳分かんないと思うんだけど・・・)
ふと落とした視線の先で、マルセルが軽く唇を噛みしめていた。
その様子を見たオリヴィエはやれやれとため息をつき、腰に手を軽くあてて身を屈めてマルセルと目線を同じ高さにあわせた。
「ねえ、マルセル。何でジュリアスが口うるさくそう言うのか、判るかい?」
いつもの軽めの口調ではなく、生真面目な響きを宿したその声音に、マルセルは軽く目を瞠り、そして慌てて首を左右に振る。
「やっぱり、知らないんだね〜」
一転して軽い口調で呟くと、丁寧に整えられた指先で緑の守護聖の額を小突いた。
途端に頬をぷくっと膨らませてしまうマルセルの顔から先刻までの翳りは微塵もなかった。
「何するんですか〜」
からかわれたのだと思い、マルセルはくるりと踵を返してその場を立ち去ろうとしかけたが、その手をオリヴィエにがしっと掴まれて、それは叶わなかった。
「ちょっと、待ちなよ。話はこれからだよ」
いつになく強引な相手の態度に面食らったマルセルはおとなしく相手の方へ視線を戻す。
夢の守護聖は華やかな笑みを浮かべてスミレ色の瞳を見つめた。
「私たち守護聖が、何でここにいなくちゃいけないか、あんた、判る?」
質問の意図がわからず、マルセルは小首を傾げたが、
「それは・・・、女王様がそのように定められたからですよね?」
あまり深く考えたことがない事柄だけに、返す声は自信なさげだった。
守護聖がここ『聖地』にいるのは実に当たり前のことであり、そうしなければならないという意味など考えようとすらしたことがなかった。
オリヴィエはふっと苦笑を浮かべ、温かい眼差しを困惑げな表情の未だ年若い守護聖へと注いだ。
「勿論、守護聖の居る場所を定められたのは女王陛下だよ。でもね、マルセル。どうして守護聖の居る場所をわざわざ決めなければならなかったのか、その訳を考えたこと、あるかい?」
マルセルは夢中で首を左右に振った。こうしてオリヴィエに指摘されなければ考えようとすらしたことがない事柄だったから、表情は真剣そのものだ。
オリヴィエは少々寂しげな笑みを口許に浮かべ、
「人にはない力があるからさ」
さらりと口にする。
「?」
あまりにも言わずもがなな事を口にされ、マルセルは当惑した。
人にはない力があるからこそ、自分たちは守護聖として認められ、この地にいる。そんな当たり前のことをどうして改めて言われなければならないのか。
マルセルのそんな心の動きを見通していたオリヴィエは苦笑いを浮かべた。そして言を継ぐ。
「この力はね、多かれ少なかれ、周囲へ影響を及ぼすものなんだよ。そしてね、いくら私たちが力を制御していても、それは防ぎきれないんだ」
だから私たちは外界とあまり交わってはならないんだよと囁くように告げた。
感じやすいスミレ色の瞳を大きく見開き、マルセルはじっと夢の守護聖を見つめ、そして問う。
「でも、それ以外にも何か理由がありますよね?」
言葉の端々に躊躇いにも似た不思議な響きが宿っていることに気がついたのだ。
問われたことに、瞬間、オリヴィエは目を丸くした。
「あんたってば、どうしてそう聡いんだか・・・」
肩を竦め、額を軽くおさえ、失敗したわと口中で小さく呟いた。
「理由、知りたい?」
マルセルは視線を逸らすことなく首肯する。 本当に知りたいんだねと再度念を押してから、オリヴィエは口を開いた。
「ここと外界じゃあ、時間の流れにかなり差が生じている。それはもう判っているよね」
ほんの少しだけ声音に寂しさにも似た恐れが滲んでいるのだが、マルセルはそれに気づかない。
「そのことが、私たちにもたらすだろう『残酷さ』から目を背けていられるように、ここはあるんだ。つまり、ここは、『避難所』・・・さ」
暗青色の双眸がすっと眇められた。
(そしてね、私たちっていう異端な存在を閉じこめておくために作られた綺麗な『籠』でもあるんだよ。ここは・・・)
瞳に宿る思いを目前の少年に知られたくないかのように、オリヴィエは少しだけ視線を逸らす。
「ゼフェルがああしてしょっちゅうここから脱走するのはさ、心がとても強いから。私には決してまねできやしない」
夢の守護聖の言いたいことが今一つ理解できず、少女めいた容貌がきょとんとした表情を宿す。
苦笑いを浮かべたオリヴィエは、
「あんたには、まだ実感湧かないかもね。でもね、そのうち判るよ。私たちがどうしてここに居なくちゃいけないのか」
守護聖にとってとても重要な『必要措置』なんだと、珍しく寂しげな笑みを浮かべるオリヴィエだった。
語る声音に含まれるなんともやるせない響きに、マルセルはそれ以上尋ねることができず、深々と一礼すると自分の執務室へと戻っていった。
一番年若い守護聖のそんな後ろ姿を見送ったオリヴィエは、自嘲的な笑みを浮かべ、
「ほんとはね、あんまり判って欲しくないんだ。こんな思い、あんたには似合わないよ」
遠ざかる背中へ向けてそっと囁いた。
6:午後
緑の守護聖マルセルはひととおり執務を片づけ終えると、足早に風の守護聖ランディの執務室を尋ねた。
風の守護聖ランディは真っ直ぐな気質の青年で、マルセルは彼を兄のように、また友達のように思っており、事あるごとに色々と相談を持ちかけていた。だから今回も彼なりの意見が聞くために足を運んできたのだった。
ランディもすでに本日の執務は終えているらしく、部屋の一隅でストレッチに取り組んでいるところだった。
「やあ、マルセル。どうしたんだい?」
執務が滞りなく終了して気分が良いランディは爽やかな笑みを浮かべて緑の守護聖の訪問を歓迎した。
「ねえ、ランディ。どうして僕たちは聖地にいなくちゃいけないんだろうね」
開口一番そんな質問をされ、ランディは目を丸くした。何の脈絡もない問いかけに思考が一瞬硬直してしまったが、すぐに立ち直ってざっとここ数日の記憶を浚ってみたがマルセルがそんな質問を口にするきっかけを見いだせなかった。
マルセルは先刻夢の守護聖が言わんとしていたことにどこか釈然としないものを感じ、それを風の守護聖に尋ねてみることにしたのだったが、前後の事情を知らないランディにとってはそれはあまりにも唐突すぎる質問だった。
マルセルにそう問われ、ランディは困ったなという顔つきでしきりに頭をかいた。守護聖の誰もが一度は通る関門とはいえ、言葉で説明するのが苦手な自分にとってこれは手に余る質問だった。
「そうだな〜、何て言えばいいのかな〜」
微妙な問題だけに自分が感覚で感じ取ったことを言葉に置き換えるのは非常に難しく、風の守護聖は腕組みをして考え込んでしまった。
「ねえ、そんなに考え込んじゃうようなことなの?」
小首を軽く傾げた途端、蜂蜜色の髪が肩からさらりと落ちる。それをマルセルは無意識の仕草で払うと、改めてランディに問いを重ねた。
「ねえ、教えてってば〜」
それでも答えようとはしない相手にしびれを切らしたマルセルはランディの片腕をがっしり掴むと思い切りゆさゆさと揺さぶってみたが、風の守護聖はそれ以上言葉を重ねることはできなかった。
![]() |
![]() |