〜 アンジェリーク 〜
少女は『桜翁』の、小鳥が眠っているそのすぐ隣に腰をおろすと、その人に自分の傍らへ座るよう促した。
「あなた、だあれ?」
少女は再び無邪気に問いかけるが、その人は薄く微笑むだけで答えようとはしなかった。
「あなた、桜の木の精霊さん?」
そんな反応に傷ついた様子を見せず、少女は再度問いかける。
「さて・・・」
その人は短くそう応じたが、それ以上言葉を重ねることはなかった。
しばらくそんな問答を繰り返したが、その人が何も言う気がないことを少女はやがて理解し、問うことを止めた。そしてそのまま二人は桜の花を眺め続けたのだった。
その人が傍らにいることが、いつしか少女にとってはごく当たり前のことのように感じられつつあった。
ちらり、少女はその人を見遣る。
すると、その人は穏やかな眼差しを少女に返す。
自分を包み込んでくれるような優しい雰囲気に、少女は微笑みを浮かべる。
そんなことを繰り返す内にいつしか時間は過ぎていき、気がつけば空は黄昏に染まっていた。
それに気づいたその人は、穏やかに告げたのだ。
「もう、帰るがよい」
濃紫の瞳に柔らかい光を浮かべ、その人は少女を見つめてそう告げた。
一緒にいるのが当たり前だと思いこんでいた少女はそんな言葉に驚き、目を瞠る。
どうしてそんなことをこの人が言っているのか理解できなかった。
「ねえ、一緒にいてくれる?」
少女は思わずそう尋ねる。
その人が与えてくれる温かい空気を手放すことなどできなかったから。
その人の優しい瞳の色をいつまでも見つめていたと思っていたから。
だから、少女は尋ねていた。
「ねえ、一緒にいてくれる?」
少女のそんな言葉に、その人自身気がついてはいなかったけれど、浮かべた表情は寂しげな微笑みだった。
その人は、そんな少女の心が理解できた。何故ならば、少女が抱えている寂しさは自分のなかにも確かにあるものだから。
しかしその人には此処に留まることは許されていなかった。だから、その人は告げるしかなかった。
「一緒にいてやることはできぬ」
そう言葉を綴ったときのその人の表情、声音、そしてその眼差し。
それらは言葉以上の力をもって少女の心に届けられた。
その人が言っていることは紛れもない、動かしがたい事実だということを、少女に理解させるのに十分だった。
それでも、それでも少女はその人の温もりを手放すことができず・・・。
泣きだした。
有無を言わせず泣きだした。
少しでも自分の元へその人を留めておきたくて。
でも、その方法が判らず、少女はただ泣いた。
恥も外聞もなく、幼いという特権をいかして、少女はひらすらに泣き続けた。
声が枯れ果てようとも、その人がこの場に留まってくれるならば後悔しないくらい、ただ、泣き続けた。
やがて、その人は諦めの籠もったため息をひとつつき・・・。
そして泣きやむ気配のない少女の頭に軽く触れ、そっと囁いた。
「おまえと一緒にいてやることはできぬ」
優しく、優しく、泣き続ける少女の頭を撫でながら、その人は約束を口にした。
「だが、この山がこの花で染まる刻、私はここにいよう」
手のひらから伝わってくる優しい思い。
少女はぴたり泣き止むと、涙でぐずぐずになった顔を気にする風でなく、にっこり極上の微笑みをその人に見せたのだった。
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