〜 アンジェリーク 〜
いきなり現れたその人に少女は驚き、ぽかんと口を開けてその動きを見つめていた。
左手を小鳥のうえに差しのべ、その人は低く囁いた。
「未だ小さきこの魂に闇の安らぎを・・・。いすれの時代にか、再び目覚めるその時まで安息に包まれんことを・・・」
するとその手から紫色の光がたちのぼり、小鳥の身体へと降り注ぐ。
途端に小鳥は暴れるのを止め、そのまま静かな眠りに就いたのだった。
つい今まで狂ったように暴れていた小さな命が静かに失われていったことに少女は悲しみと安らぎを感じていた。
「ルリ、お空に飛んでいっちゃった」
不思議と涙は出なかった。
小鳥がいなくなってしまったら、自分は絶対泣いて泣いて涙の海に溺れてしまうだろうと思っていたのに、涙はでなかった。
少女は思う。
それはきっと目の前にいるこの人のせい。
そう、この人の放つ優しくて温かい雰囲気のせい。
その人は、幼い少女が思いきり仰け反らないと顔が見えないくらいに背が高く、とてもとても長い髪をしていた。そして少女が見たことのない異国風の衣装をまとっていた。
「あなた、だあれ?」
少女は物怖じすることなく、見知らぬその人に話しかけた。すると、その人はちょっと驚いたようで、軽く目を瞠ったのだ。
夜空を写し取ったかのような衣装をまとったその人は、それでも少女に『死』のイメージを与えることはなく、少女は無邪気に尋ねる。
「ねえ、あなた、桜の木の精霊さんなの?」
少女の目に映るその人はまるで桜に溶けこんでいるようにごく自然にそこに佇んでおり、だからこそ少女は心に思ったことをそのまま口にした。
「精霊さんなの?」
小首を傾げて一生懸命そう尋ねる姿は実に愛らしく、それを認めたその人は苦笑するしかなかった。
「いや」
言葉少なにそうその人は答えるとすっとその身を屈めて、少女と同じ高さに目線を合わせる。
「じゃあ、何?」
少女はそう問いかけるつもりだったが、その人と視線を真っ直ぐ合わせた途端、言葉が口のなかで凍りついてしまい、何も言えずにその人を見つめ返すしかなかった。
その人の瞳は、少女が見たことのない不思議なものだった。
静かな夜を思わせる深い深い瞳。
漆黒にも見紛う濃紫の瞳。
苦しみも悲しみもすべて受け入れて優しく包みこんでくれるような瞳。
そんな瞳の色を、少女はとても綺麗だと感じた。
「その者を土に返してやるがよかろう」
その人がそう低く囁いた瞬間、少女ははっと我に返り、慌てて自分の手のなかでいつ果てるともしれない永い眠りに就いた小鳥を『桜翁』の根元に埋葬した。
その人は少女が小鳥を埋葬している間中、手伝うわけでなく、ただそっと傍らに在り続けるのみだった。
それでも少女は嬉しかった。
悲しみで心が一杯になりそうになっても、その人がそこにいると在ると思うだけで安らかな気持ちになれたから。
大事な大事な小鳥に最後のお別れをすませた少女は、傍らに佇むその人をそっと見上げた。するとその人は、どうした、と言いたげに少女を見つめ返す。
自分に向けられた眼差しの優しさに、少女は知らず、微かに笑った。
その人に見つめられると、何故だか哀しみに震えている心が温かく包まれる気がして、少女は自然と微笑んでいた。
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