1785年1月14日、ヴィーンで作曲された。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)に献呈された6曲の弦楽四重奏曲のうちの一曲である。
モーツァルトは宮廷音楽家であったが、常に一般聴衆を念頭に作曲していた。一方、ハイドンはハンガリーのエステルハージ侯爵家に仕えていたため、大半の曲をエステルハージ家の行事のために作曲した。当初弦楽四重奏曲はディヴェルティメントのようなものであり、ハイドンはそのような環境で、食卓の音楽である弦楽四重奏曲を創りはじめた。しかし、ハイドンは、その後、自らの創作意欲に忠実に従い、弦楽四重奏曲のスタイルを確立していき、そして、内容も芸術的なレベルに引き上げていった。モーツァルトは、ハイドンが1781年に作曲した”ロシア四重奏曲”6曲に感動したのである。
ハイドンとモーツァルトの楽曲のスタイルのベクトルの方向は同じである。個性的な作品が評価される音楽の世界において、お互いに協調しあって、それぞれの曲を完成していったことは音楽史上稀なことである。これは、ハイドンの優れた人間性による結果と思われる。
6曲のうちこの曲のみ序奏部を持っており、その序奏部に異常な不協和音が鳴り響くので、 ”不協和音”と呼ばれている。ハイドン自身、この不協和音については、「モーツァルトはこのハーモニーに対して充分な根拠を持っている。」と語ったという。しかしながら、その根拠とはどのようなことを指しているのかは不明である。一般的にはあとに続く楽章の明快さを際だたせていると説明している文献が多いが、具体的に踏み込んで、納得の出来る解釈には出会っていない。冒頭の不協和音は、料理の隠し味といった程度ではなく、音痴な人でもすぐに分かり、精神の異常をきたしそうな強烈な響きである。
モーツァルトが意識的に不協和音を用いたことは間違いないが、ことさら用いなくても美しい曲は完成できたようにも思う。音楽の冗談 ヘ長調 K.522 のような風刺作品もあるが、モーツァルトが調性音楽の限界に臨んだ作品は他にも存在する。最初に思い浮かぶのは、交響曲 第41番 ハ長調 K.551 である。最終楽章は現代音楽のような演奏の仕方も可能である。他の作曲家でも同様の心理的傾向をみる場合があるが、どうも ハ長調 の調性のときに輝きを崩したくなるようである。現代の音楽を耳にしている我々からすると、逆に不完全な和音ばかりに神経が集中してしまうが、当時の聴衆には斬新的な響きであったかもしれない。モーツァルトは短期間で作曲したことで有名であるが、一連の弦楽四重奏曲群は熟考の末完成している。
演奏・録音
モーツァルテウム カルテット ザルツブルク を挙げる。このCDは駅や路上で安く売っているものである。私が持っているのは、黄色のジャケットで ZYX CLASSIC と書いてある。ベルンハルト ミクルスキ シャプラッテン の記載、 (C)は MEDIAPHON とクレジットされている。録音年月日は不明であるが、デジタル録音である。幾つかの不協和音の録音を改めて聴きなおした結果、序奏部の違和感がなく、素晴らしいと感じた。ヴァイオリンが控えめに演奏されイライラすることがない。果たしてこの名称の弦楽四重奏団が実在するのか確認できないが、内容的には優れているので推薦したい。(私が持っているCDは、HAYDNのタイトルであるが、どういう訳か、この不協和音が含まれている。)
String Quartet No19 in C major "Dissonance" K.465
Music was written in Vienna on January 14,1785.It is one music in the six string quartets presented to Franz Joseph Haydn (1732-1809).Mozart was impressed by the six "Russian quartets" which Haydn composed in 1781.Only this music has a overture part among six string quartets and unusual dissonance sound in the overture.Haydn said "Mozart has sufficient basis to this harmony." These quartets were completed after deliberation.
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