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そう言い残すと、リドル様はクルリと後を向いて、スタスタ歩き出した。私は慌てて、その後ろを付いて行く。 足取りの速さに首を傾げると、リドル様がブツブツ呟いている言葉が聞こえた。 「もう、私としたことが……」 「……リドルさま、何か怒っていらっしゃる…とか?」 私が声を掛けると、リドル様は真っ赤になって立ち止まった。 「もう少しであの子にお礼を言われるところだったわ。魔族たるものが…なんて不覚!」 この私に絶対ありがとうなんて言わせないわよ、とリドル様は拳を握る。 「……あのぅ、リドルさま…」 私は言いかけて、口を噤む。リドル様も、同じ気配を感じたようで、微かに眉を顰めた。 ふいに、足を強い力で引かれて、リドル様の小さな体が空中に跳ね上がった。 「ケティ!」 慌てもせずにリドル様が私を呼ぶ。軽く地面を蹴り、前足の爪を長く伸ばして一閃。 易々と、リドル様の足に絡み付いていた物が断ち切れる。思いの他脆い音に、リドル様は軽く眉を上げた。 「樹の根…ね」 ふんわりと羽を広げたリドル様が地上に降り立つと、先ほどまでと違い、木々の間に隠そうともしない殺気が溢れる。 「ふふふ、私に遊んで欲しいの?」 リドル様は先ほどの反動か、いっそ妖艶な程の笑みを浮べて、小首を傾げて見せた。私は爪を伸ばしたままその前に立ち塞がる。 「ケティの爪をく見ない方がいいわよ? 姿は子猫でも、この子は生粋の魔獣ですもの」 歌うようにそう言ったリドル様の周りに、木の枝が、根が、ゆっくり伸ばされる。カサカサと葉が擦れ合う音が、無気味に響いた。 「umbrella(アンブレラ)!」 小さく笑いながら広げたリドル様の小さな掌に、黒いフリルで飾られた傘が現われた。 「I'm singing in the rain♪ just singin' in the rain What a glorious feeling! I'm happy again♪」 ポン!と傘を開き、飛んできた枝を弾く。 まるで遊んでいるような仕草で、クルクルと傘を回し、 尖った木の根を払いのけて軽くステップを踏む。 私の尖らせた爪を樹の幹に深く突き刺すと、耐え切れないかのようにハラハラと葉が舞い落ちた。 「ねぇ、ケティ、このまま切り裂いてあげたら?」 と、どこか楽しげなリドル様の声が響く。 「枝を切り、根を腐らせてもまだ動けるのかしら?」 リドル様が傘を差し掛けると、周りの木々が激しくざわめいた。 「まって!!」 小鳥が飛び立つような、高い声が響き、ほっそりした少女の姿が、私たちと木々の間に割り込んだ。 「この人は違うわ。……傷付けないで」 ”……birch(樺)?” ”姫” 微かなざわめきが、木々の間で起こる。 少女は淡い金髪に、木の葉で編んだ花冠を被っている。 一目で、格の高い木の精霊(ドリアード)だということが解った。 「ご無礼を、謝ります。貴女は”アリス”ではないのに」 ウスバカゲロウの羽のようなスカートを持ち上げると、私たちにお辞儀してみせる。 「アリス?」 リドル様は、構えていた傘を下ろして問う。 「アリスは……私たちを脅かす存在。この世界を作り変える……白の女王」 ”しかし、年格好といい、猫型の魔物を連れているところといい、まるで彼女ではないか” 大きなブナの木が、枝を振り上げて言う。 先ほど私が根を断ち切った樹だ。 「私はアリスではないわ。黒のポーンですもの。まだ女王にもなっていないわよ」 リドル様がそういうと、戸惑ったような安堵したような声が漏れる。 「さっきはありがとう。あんな優しい歌が歌えるのですもの、私たちの敵ではないわ」 そう言って微笑んだ少女からは、風になびく樺の樹の香りがした。 「………結局、お礼を言われちゃったじゃないの」 彼女が教えてくれた道を歩きながら、リドル様がボソリと言う。 「子守唄が、リドルさまを助けて下さったのですから、良いのではありません?」 内心、囲まれた木々の多さに冷や冷やしていた私が、そう答える。 あの森全てが私たちに襲い掛かってきたとしたら、リドル様を守りきれたかどうか、心もとない。 鬼火を呼び戻せば、あるいは木々を焼き払えたかもしれないけれど、何故かリドル様はそうしようとはしなかった。 ”なにより私には、大切な主、リドルさまの身がご無事なことが一番重要ですもの…” 「ケティ。お前、何か嬉しそうね?」 リドル様は、そんな私の考えを知ってか知らずか、薄紅色の唇をツンとさせた。 ――…眠れ 愛しき星の子供たち 遥かなる時の河に 耳を澄まし 優しき闇の帳に 身を委ねて 眠れ 愛しき風の子供たち 安らかな夢の中に 心溶かし 夜薔薇の香りと 月の雫が 健やかな身体を 癒しゆくまで…―― |