―5―
鬼火の後を歩いているうちに、辺りは次第に暗くなっていった。 空気も粘つくような重苦しい物に変わり、灰色の霧のようなものに、しばしば視界を遮られる。 山登りでもしているかのように、リドル様の息が少し上がっているのを感じて、顔を見上げる。 「お体、辛くはございません?」 私は、リドル様にそう言って、様子を伺う。高貴な魔の血筋でも、空気の良い結界内で暮らして来た ゆえに、魔界の瘴気に免疫がないのではないのだろうか。 「まだ平気よ」 リドル様は、強がっている風もなくそう言うと、私を見つめた。 「お前はかえって元気そうね?」 「……私が育った『森』は、ずっとこうでしたもの」 「ああ、そうだったわね。あの時も暗い夜だったわ。でも、あそこみたいに月は出ていないのね」 私は空を見上げた。幾重にも重なった枝の葉が、分厚いカーテンのように天を覆っている。 「ウィリー、出口はどこ? まだこの森を歩かなければならないのかしら?」 リドル様が呼びかけると、光の尾を引いてゆらゆらと鬼火が戻って来る。 「……全然解らない? 惑わせ火が迷子になるなんて、笑われてしまうわよ?」 リドル様がくすくす笑うと、光はピョンピョン跳ねて、ぽぉーっと紅く染まる。 「うふふ、冗談よ。怒らないで、いい子だから。……ちょっとその辺を見てきて頂戴」 鬼火がクルクルの回るようにその場を離れていくと、リドル様は傍の小さな石に腰掛ける。 私は横に飛んでいって、にぃーっと鳴いた。 「大丈夫、心配しないで、ケティ。ちょっと休むだけ」 そう言って、そっと瞳を閉じる。私は口で言っているよりも、 リドル様が疲れているのではないかと思った。 「……ねぇ、ケティ、お前変な声出してる?」 「いいえ、私は何も申しておりませんわ」 リドル様は瞳を開いた。 「誰か……泣いているみたい」 軽く眉が顰められる。 「私は、何も聞こえないのですけれど……」 恐る恐る私がそう言うと、リドル様は 「そう? おかしいわね」 と、呟き立ち上がると、フラフラと森の奥に歩みを進めた。私も慌てて付いて行く。 リドル様は迷いもなく足を進める。それを見失わないように一生懸命歩いていたので、 急にリドル様が立ち止まった時は、鼻の頭をぶつける所だった。 顔を上げると、視界が開けていて、目の前にはほっそりとした樺の木が立っていた。 「お前なの? さっきから泣いていたのは。煩くて仕方ないわ」 リドル様は、つかつかと木に近付くと、はっきり解るほど、幹が小刻みに揺れる。 『いやぁ、悪魔! 触らないで!!』 今度は、私の耳にもはっきりそんな風に聞こえた。 「……アクマ…」 リドル様の眉がピクリと跳ね上がる。 「そうよ、私は悪魔。それが何? どうしてビィビィ喚いていたのか、とっととおっしゃい」 『こ、怖い……』 樺の木は竦みあがって、 『あのね…腕が……』 と葉を小さく震わせた。 「腕……?」 リドル様は顔を巡らす。梢に程近い細い小枝が、痛々しく裂けて折れ曲がっていた。 「だらしないわね、こんな傷ぐらいで泣くなんて」 『だって、痛い、痛い…』 樺の木はクスンクスンとすすり泣く。小さな葉を触れ合わせるたびに、涙のような露をポタポタ零した。 「ああ、もう、仕方ないわね。泣くんじゃないの」 リドル様は怒ったようにそう呟くと、よいしょ、と近くの枝に足を掛けた。 『きゃ!』 「リ、リドルさま?!」 慌てて声を掛けたが、リドル様は木にするすると登っていってしまう。 ――お屋敷中の木を制覇してしまうような方ですもの、木登りはお手の物だけど……。 幹の又の所に立ち上がると、枝の裂け目にそっと両手を当てた。びくん、と枝が震える。 けれど、リドル様は優しく枝に触れたまま、小さくハミングを始めた。 |
――この唄は…… 私は瞳をぱちぱちさせて、リドル様を見つめる。そう、この曲は聞き覚えがある。 ”眠れ愛しき 星の子供たち……” いつも、甘い優しい声で、リドル様のお母さまが、眠る前に歌って下さる子守り歌だから。 静かに柔らかく…リドル様の手の中で、空気が動いた。ふんわり枝を包み込み、葉を伸ばし、ゆっくり ゆっくりと……。 やがてリドル様が手を離すと、折れ曲がっていた枝はすんなりと伸びて、裂けていた傷も消えていた。 「これで少しは痛くないでしょ」 そのまま木から飛び降りて、そんなことを仰る。樺の木といえば、驚きにフルフル震えていた。 『どうして? 信じられない。悪魔が治癒魔法を使うなんて……』 「そう?」 リドル様は肩をすくめて、微笑む。 「でも、それは治癒魔法じゃないわ。私は悪魔だから、神聖魔法なんか使えないの。 お母さまに教えて頂いたように、見えない包帯みたいに星気体(アストラル)で、お前の枝を包み込んだだけ。 あとは、お前の中の力で、傷を治すことができるわ。きっとね」 |