―7―
森の外れに、二本の枳殻の木が門のように立っていた。 「ここを潜れば、次のコマね」 リドル様は素早い足取りで、門を越えていく。私もその後に続いた。 +++ 気が付くと、私たちは当たり前のように汽車の中にいた。 何人もいる乗客の殆どが、頭に分厚い布を被り、一言も声を発さずに俯いて座っている。 その座席がすべて、様々な形状で、サイズもバラバラなのも奇妙だった。 滑らかなビロードを張った長椅子のようなものもあれば、剥き出しの木、あるいは石のものまである。 リドル様は素早く席の間を歩いていって、やがて白いクッションを敷き詰めた象牙の椅子に腰掛けた。 私はその向かいの、柔らかな籐椅子に飛び乗る。 「……これは、死のイメージね」 リドル様は、窓に頬杖を付き景色を眺めながら、ポツンと呟いた。 「儚い生き物たちは、それぞれ自分の信じる天上を追い求めて、還って行く……」 いつもと少し違うリドル様の表情は、とても気高くて、少しだけ寂しげだった。 私は、ふいにいつかこの大切な主を置いていくことがあるのだろうかと考えた。 魔獣の寿命は永遠ではない。対して、リドル様は悠久の時間を持っていらっしゃる。 いつか訪れるであろう、その時を、私は少し悲しい気持ちで思った。 「ケティ」 私の想いを見透かしたように、リドル様は優しく、微笑んだ。 「魂は、いつか役目が終わると一つの混沌(うみ)に辿り着くの。 そこは光も闇も、天使も悪魔も人間も虫さえも関係ない……生命の根源の海。 沢山の命が生まれ、そして戻って行く大切な場所。 大樹から落ちた葉の一枚一枚のように、魂たちが溶け合ってさざめいているんだもの、きっと賑やかなところよ。 私はそこで、必ずお前を見つけ出す。 だから、もし、はぐれてしまったとしても、また会えるわ」 大丈夫。 大丈夫よ……。 心地よい旋律のような声に、私はいつしか眠っていたようだった。 目を開くと、綺麗に刈り込んだ芝の上に、私とリドル様は横たわっていた。 「リドルさま、起きて下さいませ」 つんつん、と前足で突付く。リドル様の前髪がふわふわして気持ちがいい。 「……う…ん…、もうちょっと…」 横から手が伸びてきて、私の体を持ち上げる。 「ケティも一緒にお昼寝しましょ。外はまだ明るいわ…」 ぎゅっと抱きしめられて、私もそのまま目を閉じそうになり、思わず自分を叱咤する。 「リドルさま、ここはお屋敷ではありませんのよ! どんな危険が潜んでいるか…」 「ん……判った、起きるわよ」 私を抱き締めたまま、リドル様は身を起こした。 「今度はどこなの…?」 膝の上からそっと飛び降りると、綺麗に模様を描いたツゲの潅木が目に入った。 大ぶりのオールドローズが零れんばかりに花を付け、クレマチスやスイセンが可憐に咲き誇っている。 「見事なノットガーデンね。よく手入れされているわ」 リドル様は欠伸をしながら、日の光に弱い鬼火を送還した。 「…けれど、この世界は、誰が、何の目的で作ったのでしょうか……」 私は今更ながらの疑問を口にする。 「さぁね。それが判れば、このゲームの目的も判るのだけれど…」 まぁ、折角だからじっくり見物しましょ。リドル様は少女らしい笑みを見せて、トコトコと庭を歩き出した。 「それにしても、本当に綺麗ね、ケティ」 リドル様が足取りを弾ませると、ペティコートの裾のレースがふわふわ揺れるのが見える。 「ふふふ、お天気もいいし、こんなお庭を散歩するのは、普通の道よりずっと楽しいわ」 迷路状になった茂みと、あちこちに咲き乱れる色とりどりの花々を楽しげに見ているリドル様。しかし、ふっと足が止まった。 「……おかしいわね…」 「何かありましたか?」 私が見上げると、リドル様は眉を顰めたまま黙っている。緊張したまま辺りを伺ってみても、物音一つ聞こえない。 リドル様はゆっくりと手を開き、現れたフリルの黒い傘を持ち上げた。 「きゃあっ」 リドル様が自分の影を傘の先で軽く叩いた途端、影はふわっと膨れ上がり、無数の黒いアゲハ蝶になって飛び散った。 驚いた私を尻目に、花園の上を舞う蝶を見て、リドル様は満足げに頷く。 「やっぱり、お花にはチョウチョがいないと」 「………。それだけですの、リドルさま?」 クスクス笑いながら、リドル様が私の鼻を突付く。 「どうしたの、ケティ」 「…なんでもありませんっ」 一人で慌ててたのが馬鹿みたいじゃないですか、と拗ねると、おかしいのね、とリドル様が笑う。 沢山の蝶に囲まれながら、私たちはノットガーデンの迷路を抜けて行く。 やがて、庭は様々な低木を不思議な形に刈り込んだ、トゥピアリィガーデンになる。 「あら、あそこに人がいるわ」 ダイヤやハートやスペードを王冠に乗せた形の低木のむこう、小さな木の梯子に上って、一心に枝を刈る人影があった。 後姿から、すっかり白髪になった老人のように思える。 近づくと、ややくたびれた濃紺の吊りズボンを履き、白い頭に薄い帽子を載せた男性だということが判った。 「ごきげんよう。ねぇ、ここのお庭は貴方が造ったの?」 リドル様は、梯子に向かって背伸びをするようにして挨拶した。 森の中とは違い、随分とご機嫌の良さそうな様子に、私の方がびっくりしてしまう。 老人は首だけ振り返ったが、リドル様の方を見ても不機嫌そうに顔をしかめ、何も言わない。しかし、リドル様は気にすることなく、にっこりと笑いかける。 「本当に綺麗だわ。花も木もとても芳しくて」 リドル様の素直な賞賛を聞いて、老人はようやく手を止めて、汗を肩に掛けた手ぬぐいで拭った。 「私はただのガードナー(庭師)だよ。女王様の言いつけで庭を手入れしているだけだ」 「……女王?」 「ああ、クイーン・アリスだ。この庭は……いや、この世界の全ては彼女の望み通りに出来ている」 「クイーン・アリス…」 リドル様はゆっくりと眉を顰めた。 「それは白の女王ね? この世界を作り変えるという……」 老人は肩を竦めて、また鋏を持ち上げて枝を切る作業に戻る。 「彼女が望まないから、森は危機に瀕している。この世界には彼女の望まないものは必要ないの?」 リドル様は、老人の背中に問いかける。 「……だから…この庭には虫がいないのね?」 私ははっとしてリドル様を見た。 そういえば、虫の羽音も鳥の鳴き声もしない……? リドル様の影から作られた蝶だけが、ひらひらと周囲を舞う。 「蝶も、蜂も、蜘蛛も、土を肥やすミミズも、羽虫を食べる小鳥さえいないのね。 どんなに綺麗でも、この庭は生きていないわ……」 「……私は、女王様の命令通りに働いているだけだ」 老人は呟くように言う。 「でも、木々も花も、心を込めて手入れして貰っているから、こんなに綺麗なんだわ。みんな、貴方の気持ちに応えているのよ」 リドル様は、くるっと後ろを向くと、すたすたと歩いて少し離れた芝生の上に腰を下ろす。 「ねぇ、お腹すいちゃったわ、ケティ」 リドル様は悪戯っぽく笑う。 「おやつにしましょ?」 |