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門から一歩足を踏み出すと、そこは暗闇だった。
後を振り返っても何も見えず、足には地面を踏んでいるという間隔もない。
隣にいる筈のリドル様はおろか、自分のヒゲの先すらも見えなくて、私は思わず声を上げる。
「リドル様?」

………。

応えの代わりに、遠くに明かりが見えた。




                  



「……ケティ?」
リドルはどこかでにゃあ、というケティの声が聞こえた気がしたが、それがあまりに遠いので、眉を顰めた。

「ケティ、ちゃんと返事しなさい。ケティ!」

しかし、自分の声すらも、闇に吸い込まれて行く。

リドルは夜の一族の血を引いている。けして暗闇など恐れないし、真の闇でもある程度の目が利いた。
しかし、ここでは…まるで目隠しでもされたかのように、何一つ捉えることが出来ない。

”まるで、造られたお化け屋敷だわ”
呟いて、そのまま歩き続ける。
闇は、ひたひたと心の中に染み込み、幼い少女を物思いに誘った。

リドルは、自分を取り巻く世界を思い浮かべた。天界と魔界の確執、地上の荒廃、そしてどこにも属さぬ場所。
ケティ、お父さま、お母さま、厳格な家庭教師、影のような従僕、優しいけれど、余計な口を利かぬメイドたち、そして、数知れぬ屋敷の人々が、今のリドルの 全てだった。

そして、時折、隙間風のように漏れ聞こえてくる言葉―――
何故…あの女に子供など……汚らわしい……なんて軽率…下等な…卑しい混血…媒体に……所為で…忌む力…を…………

”ああ、もう、嫌、嫌、嫌っ! 私は私だわ。いつか、色々なの世界を自由に飛び回るんだから。そうよ、誰にも邪魔させない”

その想いに反応するように、ぽぅっと蝋燭のような光が灯った。




近くに人影を認めて、リドルは声を掛ける。

「あなたは誰?」
『あなたは誰?』

相手は、細い少女の声で応えを返す。
敵意はなさそうだと吐息をついて、リドルは腰に手を当てる。

「質問しているのは私の方だけど?」
『エイダ?それともメイベル? そうよ、私を探しに来たのね?』
「違うわ。私の名前はリドル。あなたは誰なの?」

『リデル?そんな筈はないわ』

少女は、始めてはっきりした声で言った。

『アリスは私だもの』

「だから、私はリデルじゃなくて…。アリス?」
リドルはふっと、目を細める。

『ああ、解った。あなた、メアリ・アンね? ウサギさんの召使の』
「違うわよ。私はメアリ・アンじゃないし、誰の召使でもないわ」
『それじゃあ…どうして? 私、あなたなんて知らないわ。どうしてここにいるの?』
少女の声には、次第に苛立ちが表れていった。人の言うことも聞かず、質問ばかりしてくる少女に、リドルも些か不機嫌に返す。
「私だって知らないわよ」


『こんな子、知らないから……いらない』

リドルの体に、突き飛ばされたような、衝撃が走った。








「…リドルさま?」

暗闇から抜けて、僅かだが光を感じ、ホッとしながら声を掛けると、 リドル様は驚いたようにこちらを見た。

「随分長いトンネルでしたわね。まるで、ウサギの穴のようでしたわ」
「…ケティ? あなた、ずっと私の隣にいた?」
「はい、おりましたわ、リドルさま。外に出るまでは、見えませんでしたけど」

私が振り返った方には、大きな木の虚があった。
「あそこから、出て来たの? 私たち」
「そうですわ……?」
何か考え込んでいる様子の主の姿に、私は首を傾げる。

周囲は薄暗い森。大きな木の後には無数の木が立っており、さっきまで私たちがいた明るい丘は、どこにも見えない。
「ああ、ここはもう4マス目なのですね。このまま真っ直ぐ8マス目まで行けば、女王になれますわ」
「…なるほど、そういうゲームなのね」
リドル様は頷いてから、片手を伸ばし「ウィリー!」と囁いた。




                  




リドル様の呼びかけに応じて、小さな光が現われる。

「鬼火など召還して、どうなるんですの?」
辺りに生えている木の間隔は広く、道に困るほど視界が悪いわけではない。

「鬼火に幻覚は効かないわ。…ウィリー、何かおかしなものがあったら、教えてちょうだい」

小さな炎はふわふわ漂っていたが、その言葉に従って森の中を進み始めた。








リデル
不思議の国のアリスの姓。
アリス・プレザンス・リデル。

ウィリー
一般的に、ウィル・オー・ウィスプと呼ばれるもの。
本来は精霊というより死霊。
日本の鬼火や火の玉に近い。
人を迷わせ、沼地などに誘い込むことから、
迷わせ火とも呼ばれています。




戻ルノ?