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リドル様は、お屋敷の広い廊下を足早に進む。その後に付いて歩きながら、わたしはにゃあ、と鳴いた。 「……リドルさま、どうやって旦那様をお探しになりますの?」 「あら、勿論、魔法を使うのよ。 私はこれでも優秀な魔術師(ウィザード)なのよ?知ってるでしょ」 優秀、と一言呟き、わたしはリドル様を見上げる。 「…それなら、ウサギさんを連れて行かれた方が…」 「解ってるわ」 リドル様は階段を上って、扉の一つで立ち止まり、ノブを回した。 すんなりと開いたドアの先は、リドル様の寝室だった。 ベッドにはピンクのシフォンのドレープと、クリーム色に淡い薔薇模様のカバー。天井近くまである大きな窓には、たっぷりとひだが寄せられた同じ柄のカーテン。 続きの部屋には、綺麗な洗面台と陶器の浴槽があって、真鍮の猫足がピカピカ光っている。 お気に入りの柔らかな敷物の上は、今日も華やかに散らかっていた。 「…リドルさま、もう少し片づけをなさって下さいまし…」 「もう、ケティったら」 リドル様は、ぷぅっと膨れて見せる。 「ほんと、ケティは口喧しいわよね。使い魔というより、ばあやって感じだわ」 そうブツブツ言いながら、大きなベッドの一角をゴソゴソ探り、ウサギのぬいぐるみを引っ張り出した。 「ウサギさん、今日も宜しくね」 リドル様は、ぬいぐるみの濃緑のベストをポンポンと叩くと、ベッドの前の青いビロードの椅子に座らせる。 「これでよし、と。後は鏡ね」 サイドテーブルの引出しを開けると、小さな手鏡を取り出す。裏に、青い薔薇の透かしが入っている、銀色の鏡。 「そんなに小さなものでも大丈夫ですの?」 「あら、平気よ。それにこれは、お父さまがくれたものなの。お父さまを捜すには丁度いいでしょ?」 そう言いながらリドル様は、同じ引出しから金属製の香炉を取り出してインセンスを入れ、手際よく火を付けると小さく揺らす。 サンダルウッドの甘い香が、部屋に広がった。 「本当は薔薇の方が、お父さまとの相性はいいと思うのだけど…… 儀式用の香って、大体フランキンセンス(乳香)かサンダルウッド(白檀)なのよね」 「浄化の香だからですわ。どんな優秀な魔術師といえど、儀式に集注すると守りが薄くなりますもの。 そういう時に低位の魔物が手出しして来ないように」 「自分の邪気で部屋を包んでしまえばいいのだけど、私の魔力は、まだそこまで強くないし」 リドル様は肩をすくめ、香炉を置く。 「少し静かにしててね。ケティ」 力が弱い訳ではないと思うのですけど…わたしはそう言い掛けたが、大人しく口を噤んだ。 難しい魔術に挑戦するリドル様の邪魔にならないよう、そうっとベットの横に移動する。 見上げれば、静かに瞳を閉じた頬に長い睫毛が影を落とし。柔らかな前髪がふわりと風を孕んだ。 やがて、次第にリドル様の魔力が高まるにつれて、周囲に星のように瞬く光が広がって行く。 淡い輝きはまだ色が定まっておらず、天に揺れるオーロラのようだ。成長途中で未知数である、リドル様の力を表しているのだろうか…。 「Atoh,Malkuth,ve-Gedulah,ve-Geburah…」 呪文を唱え、印を切るとリドル様が瞳を開く。左右の目は眩い程の 金色と銀色に輝いていた。 強い魔力を使う時だけに現われる、リドル様の瞳の色。 「le-Olam Amem!」 その声に答えるように、手鏡も光を放ち始める。部屋の床に黒い魔法陣が現われ、ぼうっと青白い炎を上げた。 「我は汝ら精霊を呼び起こさん。汝、永遠に定められし法と汝の霊質をもって、我が意を助けよ。 蒼き血を代償として、我の求める者を示せ」 |
円陣の中に収まりきらない魔力が溢れて、大きな風を作る。リドル様を中心にして、竜巻のように星が舞い散る。 しかし、ベットの横にいる私のヒゲは、そよりとも動かない。 『ウサギさん』に込められている結界が、作動しているのだ。 大天使の羽と、悪魔の翼で作られた結界の網は、術者とその周囲にいる者の両方を守っていた。 すっとリドル様は手を上げた。鋭く伸ばした小指の爪で、片方の手首を傷付ける。紅いルビーの雫が、鏡の上に滴り落ちて行く。 「血は力。幾重に絡まる縁(えにし)の糸を千世に紡ぐ……」 鏡から広がる光の色が蒼く変わり、大きな水面の波紋がリドル様の前に広がる。 金と銀の瞳に恍惚とするような表情を浮べ、そっと手を伸ばす。 …白い指先が、鏡に触れようとしたその時、鏡から黒い腕がにゅうっと伸びた。 「いけません、リドルさま!!」 私の叫びに、はっと手を引こうとするが、その黒い手がぐいっと細い手首を掴んだ。 「きゃあ!!」 叫び声を残して、リドル様の姿が鏡面に消えた。私は夢中でその後を追い、光の渦の中に飛び込んだ。 |