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≪RPGコラム、その5:世界に勇者は1人だけ?≫

 コンピュータRPGという娯楽には、おかしいと感じる部分が多々あります。その中の1つに、「どうしてスタート地点周辺の敵は弱く、ボスに近づくにつれて強くなるのか」というものがあります。ネットサーフィンをしている時に、そんな疑問を持った人、あるいはそれを現代RPGの欠点であると批判している人のサイトを見たことがあります。
 考えてみると確かにおかしな話です。実は私も同じ疑問を持ったことがあります。でももっと考えてみてはどうでしょうか。こう考えてみてはどうでしょうか。

 ・・・と、その前に、まずはモンスターという存在がどういうものかを知ることから始めましょう。
 これはゲームによって様々です。危険な生物や存在をゲーム世界の住人がモンスターと呼んでいる場合もあれば、魔王のような強大な存在の手下をそう呼ぶ場合もあります。

 まずは前者、危険生物の場合。これは実世界の生物と同じように考えることができます。実世界での生物は、強い生物が良好な環境で暮らし、弱い生物は厳しい環境に追いやられているのが一般的です。つまりそのゲーム世界が、人間の集落に近いほどモンスターにとって厳しい環境であるならば、ゲームのスタート地点周辺のモンスターが弱くても不思議ではなくなります。
 例えばファンタジーでは一般的な4大元素(火、水、土、風)。精霊力とかエレメントなどと呼ばれるものですが、これは秘境ほど強くなる傾向にあるでしょう。と言うよりも、精霊力が強すぎる場所は人の入ることを許さぬ秘境となるがゆえに、そうでない場所で暮らすことを人間は望むものです。ですから強大な存在ほど4大元素の影響(加護、恩恵)を強く受け、それゆえ強大な存在ほど精霊力の強いところを好むのであれば、人間の集落、つまりゲームのスタート地点周辺のモンスターは弱いものが中心ということになります。この場合、人間は弱い存在だからこそ、精霊力がさほど強くなくモンスターが弱い場所に、集落を作っていると考えることもできます。
 逆に人間という存在がその世界で強い勢力を持っているならば、強いモンスターは人間を避けて秘境に移り住み、弱いモンスターは人間の集落の近くで繁殖力や逃走力(?)を武器にして暮らしているのかもしれません。いずれにせよ、それなりの解釈は可能であると考えます。

 次に後者、魔王等の配下である場合です。
 これは人間の組織と似たようなもの、ただしモンスター的な修正を要する、と考えることができます。現代社会では故郷で働くことを望む人が少なくありませんが、モンスターの故郷はボスの本拠地周辺でしょうから、弱い者が地方へ飛ばされ、その子孫がそのまま地方に配属される(子孫にとってはそこが故郷)と考えることができます。モンスターにとっての地方、それは敵勢力の筆頭かも知れない人間の集落近くとなるでしょう。なお地方のモンスターを統率する存在として、中間管理職である中ボスが存在します。

 ところで、もしスタート地点周辺のモンスターが高レベルの存在ばかりならばどうなるでしょうか。それは当然ながら、冒険に出た途端に全滅、つまりはゲームオーバーということになります。これは何度再スタートしても変えることのできない欠陥です。ですからそんな町が存在し、そこから旅立った冒険者や勇者候補は、そのゲームの主人公になることができません。
 一方、敵が少しずつ強くなっていくルートが存在する場所で生まれ育った冒険者や勇者候補は、運と実力次第で最後まで戦い続けることができます。当然ながらRPGの主人公となれる存在です。

 ・・・気付かれたでしょうか。RPGの世界に冒険者や勇者候補は一人ではないのです。その中で最後まで戦い続けられる環境で生まれ育った者のみが、RPGの主人公になれるのです。さらに言えば、主人公となりえる者が存在する世界、そして時代のみが、RPGの舞台となることができるのです。つまり無限に存在する空想世界と、そこで生きる人間達を考慮し、ゲームとして成立する舞台が整っているもののみが、RPGの舞台として採用されていると考えればいいわけです。

 なお終盤にたどり着くような強敵が闊歩する場所で、人間が生きていけるのかどうかですが、集団になった人間が技術力と魔法力を駆使して築いた集落で防衛に徹した時には決して侮れる存在ではなく、モンスターから攻めてくることは滅多に無いと考えれば、多少の無理はあるかもしれませんが受け入れることは可能だと思います。

 RPGは空想世界で生きることを楽しむ娯楽です。でも普通の生活をするだけならば現実世界で生きることと変わらないのですから、常に波乱万丈かつ楽しい舞台が簡素化された形で用意されています。簡素化、それはプレイして楽しい部分のみを強調し、そうでない部分はバッサリと削除するということです。
 今回書いた世界観の解釈は、そのバッサリと削除された部分です。RPGの開発者が考えたこともない事柄かもしれませんが、まともな開発者がプレイヤーを楽しませようとして制作すれば、結果としてそうなるのです。

 正直、今回の内容は、理屈としては無理のある部分があります。でも完璧な娯楽以外は認めないというのであれば、おそらくはすべての娯楽を否定しなければならないことになり、それはとてもつまらない人生につながるのではないかと思うのです。
 完璧ではないことに自分が気付いた娯楽のみを否定する。そして気付かなかったもののみを受け入れる。それは果たして、まともな価値観と言えるでしょうか。RPGを否定することよりも、はるかに無理のある考え方ではないでしょうか。
 ですから現在のRPGを批判するばかりではなく、好意的に解釈して積極的に楽しもうとするのは、プレイヤーに求められる姿勢ではないかと思います。それができない部分が少なくない低レベルなRPGが大半だからと言って、RPGというジャンルそのものを否定すべきではありません。それはRPGというジャンルの可能性に、気付いていないだけだと言えるのですから。


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