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≪きまぐれ月記:2013年9月≫

11日

≪9月11日掲載分≫


 すこし前の話ですが、コンビニや餃子屋でアホなことをしている写真を撮り、それをネット上に掲載するという、とってもアホな人がニュースになっていました。これらは常識に欠ける人が目立ちたくてしていたというのが一般的な認識ではないかと思うのですが、私はもう1つ大きな理由があると考えています。それは真面目な生き方を否定する価値観の存在です。ほら、ちょいワル親父なんて言葉がはやったことがありましたよね。あれも似たようなものではないかと感じています。
 これが正しいとすれば、アホ写真事件を問題だと感じている “普通の人” も、その大半が大差ない価値観を持っているということになります。そして例の事件を異常なことだと感じるのは、自分の価値観とは違うからではなく、自分の常識を超えた(価値観の方向性は同じ)事件だからではないかと考えられるのです。

 ちなみにちょいワル親父、その言葉がどんな人のことを指すのか、正確なことは知りません。でも言葉どおりに解釈するのであれば、真面目でいい人なんだけど、ちょっとだけ悪い部分がある、という人のことになります。おそらくはハメを外せる人、という意味なんでしょうけどね。
 で、思うんですよ。この「ちょい悪」って言う部分、これってそんな人の方が人生を楽しんでいるという認識が一般的なんじゃないだろうかと。逆に言えば真面目一辺倒な人は、つまらない人生を送っていると思われているんじゃないだろうかと。「悪い」はダメだけど、「ちょい悪」は「良いよりももっと良い」と感じている人が少なくないのではないだろうかと。

 どう思いますか? 真面目な生き方ってそんなに悪いことですか? いい人に何の不満があるんですか? バカなことをするのとユーモアがあるというのを、同じものだと勘違いしていませんか?
 豊かで楽しい社会というのは、人の真面目な部分(きちんとした仕事など)が作りだし、支えているものであり、信頼というのは人の良い部分に対して生み出されるものです。ですから真面目で良い人を肯定しきれないということは、自分たちが今感じている幸せの源を分かっていないということであり、つまりは社会というものを正しく理解できていないということではないでしょうか。
 だから言わせてください。

 世の中を楽しくするために真面目に生きる。そんな生き方ってかっこいいですよね? 人間、真面目なのが一番ですよね? 私を見れば分かりますよね?
 ・・・ネットなので見えませんね。見せられないのが残念です。いやー、ホント残念だなー。

【後日追記】
 バカなことができなければ、つまらない人間だと思われるのではないか。ユーモアに欠けることを気にしていて、それをごまかすためにバカなことをした方がいいのではないか。そう危惧しているとしか思えない真面目な人を私は知っています。もしかしたらそんな人が、結構いるのかもしれません。例の事件を起こした人たちに関しては、単にバカなだけだったと思いますが(良く知らないけど)、そんなおバカな人を生み出しやすい土壌が今の日本にあるのではないか、そう思えてならないのです。


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