≪きまぐれ月記:2013年8月≫
安全運転を心がけており、このサイトで何度か交通マナーについてテキストを書いてきた私ですが、1度だけ居眠り運転をしたことがあります。それも無免許で。
・・・今あなたがどう思ったのかは分かりませんが、私がやらかしたのは「自転車」での居眠り運転です。あれは小学生の中学年くらいの時だったでしょうか。
夏休みのラジオ体操、それは朝が非常に弱かった当時の私にとって、とても苦痛でした。運動が好きでラジオ体操自体は嫌いではなかった私ですが、ラジオ体操なんて無くなればいいのにといつも思っていたのです。そして私の家は坂の途中にあり、自転車をこがなくても30キロくらいの速度を出せました。そのためウトウトしていた私は、いつしかグースカピー。当然のように縁石にぶつかって派手に転倒。幸い大した怪我は無く、車も走っていなかったため、大事には至りませんでした。
現在、夏休みのラジオ体操はどうなっているのでしょうか。私が子供のころは半ば強制参加だったのですが、その後そうでもなくなったというような話を聞いたことがあるような気がしなくもないとは否定しきれないのですが。(?)
でもこんな経験をしているからこそ思うのです。もし今でも強制参加だったとしたら、そんなことは即刻中止してほしいと。早起きの習慣を身につけるというのも目的の1つなのかもしれませんが、不眠症等の理由で早起きが負担になる人もいるのです。そして私のような事故を起こす人がいるかもしれないのです。
小学生がラジオ体操へ行く途中で、自転車の居眠り運転をして事故死。
もしそんな事態が発生したら、関係者は責任をとれるでしょうか。遺族の前で、マスコミの前で、早朝強制参加のラジオ体操は正しいと言い切れるでしょうか。
関係者はラジオ体操が子供のためになると思っているのでしょうが、そんなものはさせる側の主観でしかありません。本当に子供のためになるのかどうかは、ラジオ体操による死亡者数などの調査も必要になるはずです。でも私は、そんな調査が行われたという話を聞いたことがありません。
・・・まあ、そんなくだらない調査が行われるわけもないので、私が聞いたことが無いのは当たり前なんですが。それ以前に今回の話はどうでもいいことを何とかネタにしようとしてイチャモンをつけているだけなんですが。ただ1つだけ、早朝のラジオ体操って本当にいいの? ということだけは気になります。
プラセボ(プラシーボ、偽薬効果)という言葉を聞いたことがある人ならば想像しやすいと思うのですが、思い込みの影響というのはバカにできません。早朝のラジオ体操が好きな人や前向きに参加できる人にとっては良い効果があっても、それ以外の人にとっては本当に悪影響があるかもしれないのです。ラジオ体操を勧めている人って、当事者である子供たちのことをどれだけ知っているんでしょうね。
しかし自転車での居眠り運転なんて、やらかしたのは私くらいじゃないかなぁ。それともみんな、やっている? 常習犯がいたりする?
暑くて眠れないうえにお腹が減ってますます眠れないため、夜食を食べながら夜中にパソコンを立ち上げました。だからといって特にすることもないので、このサイトの掲示板の内容を見直していたのですが、「過疎だ過疎だ」「ピンチピンチ」と言っているこの掲示板にも、大勢の読者が書きこんでくれていたんですね。私は思っていた以上に幸せ者だったようです。今さらながらそれを実感しました。
かつては一見さんのアクセスが中心だったこのサイトが、このところなぜか常連さんのアクセスが中心になりかけているのですが、その常連さんの中には、かつて書き込んでくださった方もいるのでしょうか。
掲示板を見ていて思ったことがあと2つ。
1つはゲームレビューに関する読者への宿題企画を、その後全然していないなぁということ。これはレビュー自体をほとんど書いていないから仕方がない部分もあるのですが、すっかり忘れていたというのが一番の理由です。
もう1つは、「夜明け前の月明かり盛り上げ推進員」である “さくら” のサクラさんが、すっかり忘れられているということ。話題を選ばない彼女(?)の存在は便利なのに、サッパリ使っていませんでした。
この忘れられていた2つの存在、復活することはあるのかな? って、なんだか人ごとみたいだなぁ。半年後に予定されている、3度目の掲示板ピンチ時には、サクラさんに頑張ってもらおうかな。・・・忘れてなければね。
シリアで化学兵器が使われたのではないか、そんなニュースが流れています。化学兵器と言えば、核兵器や生物兵器とともに使用を禁止されている凶悪な平気です。
・・・真面目な話を書こうと思っていたのに、なにこの誤変換。空気読めよ。
ごほん。
ともかく化学兵器はけしからん。軍事介入してでも粛清せねば。みたいな空気になっているようです。でも私は、この手の話に違和感を覚えます。
前述のABC兵器(っていうんだったよね?)が一般の兵器よりも凶悪であることは分かります。戦争とは無関係な人や物にも損害を与えるため、規制するのは分からなくもありません。
でもそれじゃあ、一般の兵器はかまわないの? 軍人ならいくら殺してもかまわないの?
兵器の扱いに差をつける。それはいってみれば「軍人精神にのっとって、正々堂々と殺し合いをしましょう」と言っているようなものではないか、私にはそう思えてならないのです。
悲しい話ですが、軍隊レベルの武力でしか解決できない状況というのはあると思います。ですから今の世の中に軍隊というものの存在があってもかまわないと思っています。
でもそんな社会ではいつまでたっても「戦争でしか解決できない問題」は無くならないのではないかとも思います。何とか警察レベルの武力ですべてが解決できる社会にならないものか。そう思うと、1つだけ希望があるように思うのです。
軍隊を持たない国、日本。戦争や軍隊に関する憲法の解釈には色々あるようですが、他の先進国とは明らかに異なった国であることは間違いありません。そしてそのことが国の幸せに明らかにつながっていると誰もが感じるようになれば、マネしたくなる国や組織が増えるのではないでしょうか。
軍隊を持つ国にお金を払って日本を守ってもらったのでもいい。それでも日本は軍隊を持つよりも経済的に余裕ができるはずだから。その余裕があれば、今以上に幸せな社会を作れるかもしれないのだから。
軍隊を持つのは損だ。日本のように軍隊を放棄したほうが得だ。そうすれば自分の国も、日本のような国になる。
そんな考えが主流になれば・・・日本だけでなく、世界的にも今よりもずっと平和で幸せな社会を作り出せるのではないかと思うのです。
ようするに、誰でもできる平和への貢献は、自分が幸せになることです。そして周りの人を幸せにすることです。誰もが幸せな国でなければ、他国の人がうらやましがったりはしないのですから。そしてそのために必要なことは、1人1人の努力で出来ることが多いはずなのです。
結論:タバコは吸うな、飲酒はマナーを守れ(マナーを知ろう)、交通ルールを守るべし
あれ? なんか違う(汗)。
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