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≪きまぐれ月記:2006年6月≫

4日 11日

≪6月4日掲載分≫

 迷うことなく、未来を信じて生きる純粋さ。
 振り返ることなく、まっすぐ前だけを見て生きるひたむきさ。
 こんな生き方が美しく描かれ、そして実を結ぶことは、フィクションでは珍しくありません。また現実の世界でも、こんな生き方をしている人がいたら、それを素晴らしいと感じる人は少なくないでしょう。

 でも私はこう思うのです。
 未来を盲目的に信じて生きていたら、過去に幾度となく繰り返されてきた失敗の歴史が、また繰り返されるだけなのではないだろうかと。
 だから時には立ち止まり、そして振り返り、自分のしてきたこと、しようとしていることを見つめなおすことも大切なのではないだろうかと。

 だって、そうでしょう!?
 未来を信じてギャンブルをやり続けたら、ほとんどの人は破産しちゃいますよ!
 まっすぐ前だけを見て横断歩道を渡ったら、車にひかれちゃいますよ!
 ですからね、一ヶ月前の出来事を振り返り、ゴールデンウィークの日記を今ごろ書いたとしても、だれも私を責めることはできないんですよ!
 例えそれが、5月に更新をサボりまくっていたつけが回ったからだとしてもね!

 ・・・。(反省中)(←本当に反省していたら、こんなことは書けない)

 さて、今年のゴールデンウィークは散々でした。仕事の疲れがたまっていたというのに5連休しかなく、しかも直前に職場が異動になり、新しい職場での恒例イベント「タバコの臭いでダウン(注:私はタバコノイローゼ)」までありまして、せっかくの連休をすべて休養にあてなければなりませんでした。
 これだけならまだしも、「や、やっと休める・・・」と気が緩んだのか、風邪をひいて熱を出しまして、休養どころか寝込むことになりました。
 そのため5日間の休みをほとんど寝てすごし、時々テレビをつけて眺めるという生活をしていたのですが、風邪が治らないままで休みが終わってしまいました。
 「ああ、明日から仕事か・・・」
 そう思いながら就寝。・・・すらさせてもらえなかったのが、今年のゴールデンウィークでした。その夜、ムカデに噛まれたのです。それも2度。

 初めに噛まれたのは、床についてから少したった時でした。
 足の指に妙な痛みを感じて目を覚ましたのですが、その時に思ったのは「・・・夢?」ということでした。目を覚ましたといっても、もともと熟睡できておらず、半ばうなされていた時でしたし、その痛みというのが、仕事で使うピンセットが突き刺さったような感触だったからです。仕事中に大失敗した夢を見たのだと思っても、仕方がない状況だったと思います。

 でもしばらくしてから、今度は腕に痛みを感じて目を覚ましました。
 「夢?」と思った1度目の痛み。そして再び感じた妙な痛み。これで私は確信しました。

 「・・・なんだ、夢の続きか。」

 ああ、そのまま眠ろうとした私って・・・
 しかし今度は眠れませんでした。痛みを感じた腕をなかば無意識に触り、そこが妙に膨れていることに気付き、「いったい何事だ!?」と、ようやく夢ではないことに気付いたからです。

 電気をつけて部屋の捜索。布団のすぐ側で10cmほどもあるムカデを発見したときには、さすがに驚きました。すぐに退治して、ようやく眠りにつくことができたのですが・・・

 ・・・こんな奴に2度も噛まれて、夢だと思った私って・・・


≪6月11日掲載分≫

 前回、つまり6月4日の日記では、5月7日にムカデにかまれた話を書きました。それから一週間たった今回は、更にさかのぼって、5月6日に見たテレビ番組の話を書こうと思います。
 この調子だと来週は4月の話を、再来週は去年の話を、そして来年の今日あたりは「私の前世は聖徳太子だったんです」という話をすることになるかもしれませんが、その時には「ヨシヒトさん、熱があるんですか?」と、お見舞いのメールを送っていただければ幸いです。

 閑話休題。真面目な話にレッツゴー!

 5月31日(水)に発作的に掲載した日記が、それなりに好評(?)だったようです。それは社会現象を起こすほど人気があるデタラメ生活情報番組、“発掘あるある大辞典(フジテレビ系列)” を批判する内容でした。
 でも5月の初めには、もっと問題な番組が放送されたのをご存知の方もいると思います。

 体調不良のために、寝てばかりいたゴールデンウィーク(5月6日)。その時に眠り疲れて何気なくテレビをつけたとき、放送されていたのが “ぴーかんバディ(TBS系列)” という番組でした。内容はダイエット。
 民放の生活情報番組がデタラメなことを知っていた私ですら、びっくりするほどお粗末な内容で、「これは現実なのか? 私は寝ボケているのか?」と思ったほど酷いものでした。なにせ見始めたときから最後まで、何から何までがメチャクチャだったからです。
 特に酷かったのが、「ダイエットに効果的な成分が熱に弱い」という理由で、「生で食べてはいけない豆を、半生になる可能性が高い調理法で食べることを勧めていた」ということ。
 これは1つのことだけに注目し、総合的に考えることを忘れてしまうという、あまりにも子供じみた発想です。身近な食品の中にも、調理の仕方次第では健康を害するものがいくらでもあるという、料理や栄養学の初歩の初歩すら知らない人が考えたとしか思えない内容です。

 「自分のサイトで、読者に注意を呼びかけたほうがいいんじゃないのか?」
 そう思って番組の名前をメモし、それなのに実行しなかったのは、私の体調が悪かったからなのか、それとも危険性を甘く見ていたからなのか・・・
 それから数日後、ニュースで「TBS系列の生活情報番組が原因で、体調不良者が続出」という話を知り、「・・・ああ、あの番組か」と思っても時すでに遅し。
 1日のアクセスが数十件というこのサイトで、何の肩書きも権威も持たない私が行動しても、意味があったのかどうかは分かりません。でも何のために娯楽系のこのサイトで、頻繁に真面目な文章を書いているのかと思うと、悔しくてなりません。

 ところでその食中毒事件、一般の視聴者や番組製作者は、どんな風に感じたのでしょうか。私には、「あの時の番組内容がたまたま問題だった」と思っている人が、ほとんどのような気がしてなりません。
 確かにその手の番組は毎週何本も放送されており、それが問題になることは滅多にありません。でも、

 「内容が正しいかどうか」
 「一般の視聴者が、きちんと実行できるような内容になっているか」

 という、重要な2つの事柄に関しては、他の番組だって同じくらい問題があると思うのです。違うのは、

 「問題のある情報が流れたとき、どの程度の危険があるか」

 という結果だけであり、例の食中毒事件は、「1度試しただけで健康を害する可能性があった」から発覚しただけだと思うのです。

【デタラメ生活情報が問題にならない理由】
 例えば、「炭水化物を避ければやせられる」というダイエット方法があります。これは明らかに問題のある情報であり、実行すると体調を崩すどころか、命にかかわる危険すらあります。しかし問題にならない(発覚しない)のには、とある理由があるからです。

 炭水化物というのは非常に重要な栄養素なので、意識的に避けることは勧められません。しかしどんな食品にどれくらい含まれているかをきちんと知っている人は少なく、本人が避けようとしても実際にはそれなりに摂取しているものです。
 また炭水化物はあまりにも一般的な栄養素であるために、きちんとした知識を持っていても徹底的に避けることは非常に困難です。
 きちんと実行できたとしても、そんな極端な食生活はすぐに挫折するため、「このダイエット方法を試したせいで体調を崩した」と自覚できるほどの影響が出ることは、まずありません。

 つまり “炭水化物ダイエット” は、痩せるかどうかという以前に「きちんと実行できない」という問題があるため、結果に繋がらないダイエット方法だといえます。そして「きちんと実行できない」という理由で、問題になりにくいダイエット方法だともいえます。

 このようにデタラメ生活情報の大半は、あまりにもデタラメであるがゆえに無害なのです。そして正確に実行することは困難で、結果が出なくても、視聴者が「自分の意志が弱いから挫折した」「自分には合わない方法だった」などと勝手に思い込むからこそ、問題が発覚することが少ないだけなのです。
 そして次々に登場する “新理論” に飛びつき、古い情報が忘れ去られるからこそ、問題のある生活を続けて体調を崩すことも少ないのです。

【まとめ】
 さて、このような「無害なデタラメ生活情報」の存在をどう思いますか?
 自分が実行していたことが、実は結果に繋がらないことが明らかだったとしたら、どう思いますか? それどころか危険ととなり合わせの方法だったとしたら、どう思いますか?
 実感できる害がなかったとしても、労力は使っているはずです。同じ労力を使って正しい方法を実行していれば、少しは効果があったかもしれません。時間とお金を、もっと楽しいことに使えたかもしれません。

 さてこれは、騙されるほうが悪いのでしょうか。
 専門知識を持っていないのが悪いのでしょうか。

 私は、一般の人が専門知識を身に付ける必要なんてないと思います。簡単に身に付けられるようなものではないからこそ、そして中途半端な知識や理解では問題が発生する危険があるからこそ、免許というものが存在し、それを持つ人が専門家として重宝されるわけですから。

 ただし専門知識は不要でも、騙されない程度の常識と判断力は必要だと思います。
 ・・・が、現実にはこれすらも難しい問題です。なにせ「常識が軽視されている社会だからこそ、常識が身につかない」という悪循環を起こしているわけですから、この状態から抜け出すことは困難です。

 ただし世の中とは面白いもので、そういった負の部分が凝縮されたような存在もあり、それを反面教師にして学ぶことだってできるかもしれません。
 内容だけでなく、存在そのものにも怪しさを感じる非常識の塊。その1つが今回ネタにした、民放の生活情報番組です。こういった番組は見ないのが一番ですが、それでも見るのであれば、ぜひアラ探しもしてみてください。そうすれば、「一般の人に専門的な情報を発信する」という困難なことを、いかにお気楽な気持ちでしているかがよく分かります。これはNHKの生活情報番組(ためしてガッテンなど)と何度か見比べてみると、さらに分かりやすいと思います。
 これだけでは物足りないという人は、ちょっと困難かもしれませんが、内容そのものの矛盾やヘリクツを探すことも可能です。専門知識がなくても、たった1回の放送を見ただけでも気付くような、明らかなことだって珍しくありません。

 情報も生活も大切なもの。だからこそ生活情報はとても大切なもの。
 これらは多くの人が求めるもの。しかしとても難しいもの。楽しく正確に伝えることが困難なもの。
 だからこそ娯楽番組で、素人が軽軽しく扱うべきではなく、また視聴者も、それが娯楽番組のネタでしかないことを忘れてはならないと思います。

 (記:ヨシヒト@無免許栄養士)

【おまけ】
 生活情報番組がこれまでに放送してきた内容をすべて実行しようとしたら、一体どうなるでしょうか。「○○という食品を、1日に○g食べると体に良い」という内容をすべて実行しようとしたら、1日にどれだけの量を食べなければならないのでしょうか。間違いなく肥満になりますし、それ以前に食べきれないはずです。
 ・・・ああ、そうか。だから頑張って実行してもらうために、ダイエット情報にも熱心なのか。


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