やりたいこと、やらなければならないことがいくつもあるのですが、面倒なことばかりで困っています。焦るばかりで何も手につかないという悪循環を起こしていまして、サイトの更新も滞っています。
私がやりたいこと。それはサイトがらみでもいくつかあるのですが、その1つがエセコラム(別窓)の更新です。次回は恋愛、その次は結婚の話を書く予定なのですが、深く考えたことが無かった事柄だけに、どう書けばいいのか迷っています。
これはもしかして、恋の悩みというやつでしょうか。
・・・色々とスランプみたいです。本当にピンチです。でも避けるわけにはいかないので、ヒマさえあれば恋愛に関することを考えているのですが、それがつい行動に出てしまうこともあります。
先日、手書きで文章を書いていたときのことです。“受” という漢字を書いたつもりが
“愛” になっていました。こんな状態が続くと、どこか変になってしまいそうです。
いえ、もう手遅れなのかもしれません。その証拠にメモ帳を見ると、“恋人”
が “変人” になっていましたから。
これはもしかして、変な悩みというやつでしょうか。
・・・やっぱりスランプみたいです。色々と。
会社では組立作業をしている私ですが、先週から違う作業をすることになりました。それまでの仕事がどう考えても不可能な作業だったので、初めは喜んでいました。
それなのに、今度のほうが大変なのはなぜでしょうか!?
タバコ恐怖症の私は人込みに入れないので、独立した作業を離れたところで1人でしているのですが、どんなに速く作っても作った物(他の人が使う部品)をどんどん持っていかれてしまい、ほとんどゆとりができないのです。私が所属していた班がそのまま別の仕事に異動したので、みんなが初心者。条件は同じはずなのにです。目標台数も、他の人たちと同じなのにです。
・・・おかしい。
日曜日を利用して予習を行い、作業のイメージトレーニングまでやり(注:妄想にあらず)、その結果として普通じゃない数を作っている私が、なんでこんなに忙しいんだろう。
そこでまとめてみたのが次の表です。
|
目標台数 |
私の生産数 |
貯金 |
初日 |
0 |
50 |
50 |
2日目 |
50 |
240 |
240 |
3日目 |
100 |
300 |
440 |
4日目 |
150 |
350 |
640 |
5日目 |
200 |
370 |
810 |
・・・やっぱりおかしい。5日目が終わった時点で貯金は800台程度、いや他の人は目標を達成できていないのだから、実際には900台程度あるはずなのに、手元には200台もないのです。別の場所にもいくらか置いているとはいえ、どう考えても全然足りません。
5日目の仕事が終わったとき、その原因がやっと判明しました。
同様に初心者によって作られた隣の班に、私と同じ作業をする人がおらず、私が作った物を2つの班で使用していたのです。
・・・えーと。
つまり・・・
私が目標の2倍を達成できていなかったら、隣の班はどうなっていたのですか!?
私はいったい、何人分働けばいいのですか!?
4日目に作業を見にきた上司が、「この速さでこの数だったら・・・この仕事の最終目標台数、本当にあってるの?」と怪しんだくらい時間がかかる仕事なんですが、つまり私に3人分働けっていうことですか!?
もっともその上司が毎日応援にきてくれたら、3人分だって作れちゃうかもしれないけどね! ところで上司のおねーさん、なんで指輪をはめてるの?(涙)
しかし大丈夫なんだろうか、今度の仕事・・・
【要約】
そんなわけで、今週も手抜き更新になりました。ごめんなさい。
「失敗は悪いことではない。反省して次につなげればいい」
なんてことがよく言われますが、これだって非常に難しいことです。失敗を生かすことも1つの行動であり、それを失敗することなく行うなど、不可能といってもいいのですから。
人間というのは、それほど賢い生き物ではありません。政治関連のニュースを見ればすぐに分かるように、専門家の肩書きを持つ偉い人が専門分野の仕事をするときでさえ、完璧にこなせたりはしないのです。
ですから重要な行動というものは、「人は失敗することがある(分野によっては失敗するのが当たり前)」ということを前提に行うべきでして、きちんとした組織はそうなっているものです。政治の場合なら、選挙に負けたはずの野党が政治に口を出していたり、ほとんど何の権限もない参議院が存在したりするようなものです。これらにも、ちゃんと意味があるわけですね。・・・ちゃんと機能しているかどうかは知りませんが。
この失敗を前提とした考え方、日常生活にだって生かせるのではないでしょうか。
例えば日常会話。これは人が生きていくうえで非常に重要でありながら、非常に難しい行動です。本心ではない、あるいは誤解を与えるようなことを言ってしまい後悔した経験は、多くの人が持っているのではないかと思います。逆に後悔したことがないという人は、無責任な人かもしれません。ここまで書いてきたように人は失敗するものであり、数え切れないほどの失敗を必ずしているはずなのですから。
「あの時の言葉で友達を傷つけてしまったかもしれない。でもあれは私の本心じゃない。それを分かってくれていたらいいのに。」
「あの人の言葉で私は傷ついた。でもあれは弾みで口にしてしまった言葉であり、あの人の本心ではないと信じたい。」
こんな経験、そして願望。思い当たることはありませんか?
自分に当てはまることは、他の人にも当てはまることが多いものです。ならばみんなが
“他人も失敗をすること” を理解して行動できれば、なんの問題もないのでは?
「口から出た言葉は正確とは限らないもの。だからあなたを傷つけるようなことを言ったとしても、それが私の本心ではないと信じてほしい。」
「あなたは優しい人だと信じている。だから辛いことを言われても、それは私のために言った言葉、あるいは弾みで言ってしまった失言だと理解してあげられる。」
・・・実際に書いてみると、わがままなうえに無理がありますね。あはは・・・
でもこれが、理想的な人との接し方のように思います。もちろん人を信じるというのはとても難しいことですし、それ以前にその人を信じて良いかどうかという問題もあるわけですが。
それでも “私のことを信じてくれていると、心から信じることができる人”
が身近に1人いるだけで、生きていく上での大きな心の支えになると思います。
・・・都合のいい考え方だとは思いますけれど。でも信頼できる友達や恋人を望む人って、かなり多いのではないでしょうか。
ではどうすれば信頼できる人を見極められるのでしょうか。どうすればその人を心から信じることができるのでしょうか。失敗するのが当たり前、誤解されるのが当たり前、誤解するのが当たり前という私たち人間が、どうすれば
“騙されることなく”、“少なくとも自分にとっては信頼できる人” と出会うことができるのでしょうか。
一番良い方法・・・といっても100%には程遠い方法ですが、それは自分を見つめ、自分を理解し、そのうえで自分を磨くことだと思います。自分は人間、他人も人間。同じ人間である以上は共通点がいくらでもあるわけで、自分の存在は他人を理解するための一番の教材となるのですから。手間いらずで人の心の美しさと醜さを両方学べて、しかもタダ!
人の醜い心の中にも、認めるべき醜さと否定しなければならない(表に出してはならない)醜さがあり、自分のどんな部分は認めてほしいのか、どんな部分は否定しなければならないのかを考えるだけで、他人を見る目は大きく変わってくると思うのです。
自分や他人のことを本当に理解できるかどうかはともかくとして、自分を磨くことに価値を感じられるかどうかだけでも、嬉しい出会いに繋がる可能性は大きく変わってくると思います。類は友を呼ぶって言葉もありますしね(笑)。
結局は、何事も真実を見抜くことが重要なのであり、それを困難にしているのが
“失敗” という存在なのかもしれません。しかも失敗には偶然的な失敗と必然的な失敗があり、ますます話をややこしくしています。
このやっかいな “失敗” と、いったいどう付き合っていけばよいのでしょうか。失敗するのは当たり前ということを理解するだけで、はたして十分と言えるのでしょうか。
「どんな失敗も受け入れてくれる」
「どんな失敗も受け入れてあげられる」
そう信じることができる人の前でなら、あまり気にしなくて済む問題なんでしょうけどね。(振り出しに戻る)