トップページに戻る 読み物色々に戻る 6月の日記へ 8月の日記へ

≪きまぐれ月記:2005年7月≫

  3日 10日 17日 24日 31日  

≪7月3日掲載分≫

 私は子供のころ朝が非常に弱く、服を着替える途中で寝てしまうことが珍しくありませんでした。そんなときに決まって見ていたのが、服を着替える夢。やっと着替え終わったかと思ったら目を覚まし、「ああ、夢だったか・・・」と損した気分になる日が、週に4日はあったように思います。1日に何度も見る日さえありました。
 今では生活習慣を改善したおかげで朝が(人並みに)強くなり、着替えの途中で寝てしまうようなことはなくなったのですが、久しぶりに似たような夢を見ました。

 その夢とは、寝付けなくて苦労している夢。ただでさえよく眠れなかったのに、夢のせいで目覚めは最悪です。しかも目を覚ました理由というのが、夢の中で目覚し時計が鳴り出したから。しかも時計を見たら、起床予定の5分前でした。

 朝から損した気分です。


 「細かいことを気にするな。」

 なんていう人はよくいますし、私も冗談で、そういった文章をサイトに載せることはあります。でも実際には、細かいけれど重要ということは少なくないのですから、「気にするな。」なんて平気でいう人は、大きな問題があるのではないでしょうか。

 ちなみに気にしなくていいのは、細かいことではなく些細なこと。言葉にすると似ているのでややこしいのですが、イメージ的には分かっていただけると思います。ようは物事の重要性を、自分のイメージだけで判断してはいけないということです。

 ・・・なんだか矛盾するような文章ですが、細かいことは気にしないでください。


 非常に忙しい時に「猫の手も借りたい」なんて言いますが、仕事で組立作業をしていると、本当にそんなときがあります。もちろん猫なんていても役に立たないので、実際に思うのは、「ああ、この時に手がもう1つあれば、次の作業に移れるのに・・・」とか、「ああ、この時に目がもう1つあれば、作業しながらあの部分を検査できるのに・・・」なんてことなんですが。

 でも個人的には、手や目よりももっとほしいものがあります。特に人と話すときにはこう思います。

 「もう1つ舌があればなー。」


≪7月10日掲載分≫

 この日記は週刊なので、行事がらみの話は書きにくいのですが、今回は3日遅れで七夕のことを書こうと思います。もっともこれまで行事のことを滅多に書かなかったのは、単に私がそういったことに無頓着だからなんですが。

 ・・・仕事に関係ないから、カレンダーなんて滅多に見ないんだよなー。今見てみたら、いまだに5月のままだしなー。
 ・・・おかしいな。週に2回はナベ敷きやランチョンマットの代わりに使っているから、気付いても良さそうなものなんだが。

 さて七夕というと、短冊に願い事を書くとかなうと言われています。このサイトの読者はおそらくみんな中学生以上なので、今年書いた人はいないと思うのですが・・・あ、もしかしたら子供と一緒に、何か書いた人はいるかもしれませんね。
 ちょっと疑問に思ったのですが、願いをかなえてくれるのって織姫と彦星なんですかね。だとすると、絶対にかなえてもらえない願いというのもありそうなんですが。

【例】
 もっと恋人と会えますように。(by 遠距離恋愛中)

 年に1度しか出会えない2人にこんなことをお願いしたら、間違いなく呪われます。でも私の願いだったら、ちゃんとかなえてくれそうな気もします。

【私の願い】
 恋人ができますように。「年に1度の再会」以前の問題なんです!

 そういえば、7月7日というのは晴れの日が少ないらしいですね。「七夕って雨の日が多いよなー」なんて思っている人は多いと思いますが、これはイメージではなく実際にそうらしいです。でも今年は晴れたようなので、きっと2人は幸せな1日を過ごせたことでしょう。

 ・・・ああ、そうか。七夕の日に雨が降りやすいのは、私のように恋人のいない人が、一斉に呪いをかけていたからなんだ。

【短冊に書かれる、最も多い願いごと(妄想)】
 7月7日に雨が降りますように。

 もっとも2人の再会は空の上の出来事なので、地球の天気なんて関係ないんですけどね。だから来年からはこう書きましょう。

 「天の川が氾濫(はんらん)しますように。」

 地球から見ると、きっと奇麗な星空になりますよ。ロマンチックですね。


≪7月17日掲載分≫

 花壇にツワブキが生えている私の勤め先ですが、今度はキノコを見つけました。しかもなんと、これは天然物です!
 ・・・別の言い方をすれば雑草なんですが、キノコ狩りができそうなくらい生えています。そこで一緒に通勤している人とバカ話。

 「社員食堂でキノコ料理が出ないかなー。」

 品揃えが乏しい社員食堂に、自前の食材を使った新メニューが登場すれば、きっと大人気になるのではないかと思うのです。

 ・・・えーっと、地方のとある企業で集団食中毒発生というニュースが流れても、そこから私の住所を割り出すようなことはしないでください。
 もちろん、私は無実です!


 仕事がヒマだったので名簿を扱う雑用をやっていたのですが、その時に見つけたのが “楳木” という名字。“木” が3つも含まれているって珍しいですよね。こういうのって、雑学ネタに使えないものですかね。

 その5行下で見つけた森村さん、逆恨みしてごめんなさい。


 雨が降る日の通勤というのは憂鬱になるものです。これが台風並になれば憂鬱どころではないですし、雪が珍しい地方で積もることがあれば、同様に危険でありながら、お祭りのような不思議な気持ちになれるものなのですが。

 しとしとと雨が降り、憂鬱な通勤をしなければならない日。私は寮の駐車場で面白い場面に遭遇しました。それは猫の雨宿り。それも私の車の下で。
 近所で子猫が生まれたのを知っていたので、親子連れかな? と一瞬期待したのですが、残念ながら別の猫が1匹だけ。でもポツンと停められた車の下で猫が雨宿りなんて、なんだかとっても可愛いです。
 といっても私には仕事がありますので、いつまでも眺めているわけにはいかなかったのですが、このちょっとした出来事のおかげで、憂鬱な気分はどこかへ飛んでゆきました。

 ちょっとしたことで気持ちが晴れる経験。ずっと前にもそんなことがありました。
 それは私が鬱病を抱えて地元で働いていた時のこと。やはり車で通勤していたのですが、信号のない横断歩道に歩行者がいたので止まったら、渡り終えた中学生が深々と頭を下げて、「ありがとうございました!」と大きな声でお礼を言ってくれたのです。生きていることが苦痛だったその頃の私でしたが、その日だけは心の霧が晴れたような気がしました。
 ・・・え、私が単純だって? ほっとけよ。
 ・・・え、その中学生が可愛い女の子だったんだろうって? ほっとけよ。

 まあ、その中学生のようなことまでしなくても、ちょっと頭を下げるだけでドライバーは嬉しくなるものです。逆に歩行者は、横断歩道が歩行者優先だということを知っていても、実際に止まってもらえたら嬉しくなるものです。

 車に乗っていると、「道路は車のためのもの」と勘違いしがちなもの。でも実際には全ての人のためのもの。道路そのものが車優先の構造になっているところも多いのですが、それならばもっと歩行者のことを気遣うべきではないでしょうか。歩行者に道を譲ったところで、大したロスにはならないのですから。
 逆にドライバーにとっては、横断歩道以外の場所を横断する人や、自転車の右側通行は非常に恐ろしいもので、している本人が思っている以上に危険で迷惑な行為です。
 ・・・ま、どっちもどっちというやつですね。ほとんどの人が自分優先(自分の基準)で行動しているから、交通手段が変われば迷惑のかけ方が変わるというだけなんでしょう。一体どうすれば、まともな世の中になるのやら。

 本来、生きていく上で特別なことをする必要なんてないはずです。みんなが当たり前の事をすれば、それでみんなが楽しく暮らせるはずなのですから。でもそれができていないのが現実。特に交通に関しては、1人の人間が様々な立場(歩行者、自転車など)を経験しているはずなのに、その時の都合でしか行動できません。これは “人間” というものに興味を持っている私にとってはとても面白い現象なのですが、同時にとても悲しい現象でもあります。
 そこで、こういった現象を何とかできないものか。と、ずっと考えてきましたが、やっぱり「知ること、知ってもらうこと」が最良の手段ではないのかな、と思うのです。

 世の中にはどんな不満を持っている人がいるのか。それを知ることはとても大事なことです。自分の身勝手な行動が否定されなければ、自分の行動がわがままだと気付くことは困難なのですから。そして他の人が自分と同じ不満を持っているのに気付かなければ、自分の不満を、我慢しなければならないわがままだと思い込んでしまうのですから。

 でも「不満を言う=わがまま」と思われがちな世の中ですから、自分の意見を主張するのは容易なことではありません。それに頑張ってテキストを書いてホームページなどで一般公開しても、結果にはほとんど繋がらないという明確な理由が存在します。つまりはっきり言ってしまうと、現状では努力するだけ無駄ということです。

 そこでちょっとした計画を思いつきました。詳しいことは次かその次の更新で書くことにしますが(予告!)、それは「サイトの目立つところに、短い文章で、社会に対する望みや不満(こうなってほしい、こんなの嫌だ)を書く」だけという、他のどんな手段よりも簡単で、その割には効果が期待できるのでは? と考えられる活動です。

 名称は「1行でできるボランティア(仮)」、略して「1ボラ(仮)」。
 ・・・もうちょっといい略し方はないものでしょうか?

 まあ、「思いついた計画」とか「簡単な割には」とかいうのが自分でも引っかかっているのですが、できることから始めようというのは1つの考え方でもありますので、ダメ元でやってみようかと思っています。
 ちなみに “ダメ元” と考えてしまう理由は、このサイトのアクセスが、この計画の出発に必要だと考える数の100分の1にも満たないからなんですが、それは仕方がないということで(笑)。

 閑話休題。

 しっかしこの日記、猫の雨宿りの話だけのつもりだったのに、長くなったなぁ(笑)。まあこんな理屈っぽい文章が書きたくて、このサイトを運営しているわけですが。
 でも私は理屈っぽいけれど、その理屈の元になっているのは人の感情。人間というのは単純なもので、今の世の中はそれが裏目に出ているわけですが、逆にそれを利用する・・・もとい、良い方向に向けることだってできるんじゃないのかな? なんて悪いことを考えていたりするわけです。

 ほんと、私を例に出すまでもなく、人間って単純です。
 どしゃぶりの日だって、ちょっとしたことで心は晴れるもの。
 晴天の日だって、ちょっとしたことで心は曇るもの。
 毎日通る道ならば、毎日気持ちよく通りたいですよね。動物や幸運に頼って心を癒さなくても、人は人と生きていけるはず。現在の日本であれば、毎日をもっと楽しくできるはずだと、私は今でも思うのです。


≪7月24日掲載分≫

 今週は夜勤だったのに、土曜の休日が急につぶれて出勤になりました。そのせいで今日(24日,日曜日)は昼まで寝ていたのですが、来週は早番になるので夕方には寝ないといけません。しかも土曜日にした仕事というのが、20分おきの休憩が義務付けられているほどハードなことでして、健康のことも考えて、今日はゴロゴロダラダラと過ごそうと思っています。更新どころではないので、今週はこれだけで終わらせていただきます。

 あ、でもサイトをほったらかしにしているわけではないんですよ。ゲームレビューを1日でも早く更新するために、こんな日は頑張ってゲームをしますからね!
 いやー、ゲームレビューサイトの管理人って大変だなー。

 ちなみに炊事なんてする気になれないので、今日の食事は、仕事帰りに24時間営業のスーパーで買ってきた弁当です。「一番売れています!」というシールが張られたちらし寿司、売れ残って100円引きになっていてうれしかったー。


≪7月31日掲載分≫

 真面目で損していませんか?

 というキャッチコピーを考えただけなのに、すでに一歩前進したような気がしている、「1行でできるボランティア」計画の2回目です。

 1回目の更新で、今回は計画の詳細を書くことを予告しておいたのですが、仕事が急に忙しくなって、更新にあまり時間を費やせなくなってしまいました。そこで何回かに分けて、不定期でのんびりじっくり書いていこうと思います。今回は、「真面目な文章をいくら書いても、世の中は大して変わらんぜよ」という内容の、長ったらしい真面目テキストです。
 まあ、これを読まなくても、いずれ結果だけをまとめてどこかに掲載しますので、「興味はあるんだけど・・・」という人もご安心を(笑)。

 「今の世の中はおかしい」
 程度の差はあれど、こう感じている人は少なくないと思います。
 でも「世のため人のために、自分にできることをやっていこう」と考えて、ほんの少しであっても行動している人の割合は、ごく僅かだと思います。
 しかし日本だけでも人口は1億を軽く超えるのですから、例え行動している人が1%に満たなくても、人数としては膨大なものになります。その中には作家のようなプロもいますから、「こうしよう」「こんなことは止めよう」と世の中に訴える試みは、ずっと昔から一般人の目にふれる形で行われてきました。現在ではインターネットを利用することで、プロでなくても同じ事を簡単に行えるようになっています。読み物サイトのリンク集を利用するとすぐに分かるのですが、そういった活動を(ほんの少しでも)している人はかなり多いようです。

 しかし現在でもそういった活動が目に付くということは、今の世の中に不満を持っている人が大勢いるということであり、十分な結果に繋がっていないことを意味します。
 なぜでしょうか。
 原因として考えられることはいくつもありますが、私は次の4つが大きいのではないかと思っています。


【原因1:きちんとしたテキストを書くことが難しい】

 「世の中をもっと良くしたい」という気持ちがあっても、「そのためにはどうすれば良いのか」の答えを見つけることは非常に困難です。というのも、1つの問題は他の様々な事柄と密接に関わっているため、たった1つの問題を改善しようとするだけでも、世の中のことを広く深く正確に知る必要があるからです。
 もし最善と考えられる思想を持つことができたとしても、それをきちんと理解できているのは本人だけ。それを不特定多数の人に正確に伝えて理解してもらうためには、高度な表現力さえも必要になります。


【原因2:内容の良し悪しはほとんど評価されない】

 文章のプロが、思想のプロであるとは限りません。そのためプロ、アマを問わず、真面目テキストというのは玉石混合であり、中には明らかに間違っているものもあります。しかしそれを見抜くためにはある程度の知識や読解力などが必要になるため、読者が間違いに気付かないことも珍しくありません。また優れた内容であっても、読者の常識から外れた内容であれば信じてもらうことはできません。

 実際のところ読者に与える影響は、内容の確かさよりも書き手の表現力や肩書きの方がずっと強いと考えられます。つまり内容が優れているかどうかは、ほとんどの読者にとって意味を持たないということです。


【原因3:読者は読みたいテキストしか読まない】

 どの本を読むか、どのサイトにアクセスするかは読者の勝手であり、それを強制することはできません。基本的に人は自由であり、自由が許されている時間に何をするのかを決めることは、その人に与えられた権利だからです。

 しかし自由な時間を自分の楽しみのためだけに使うか、それとも自分を磨くためにも使えるかが、ここでの大きな問題になってきます。人の行動範囲というのはある程度限られているため、自分を磨こうとしない人が真面目テキストを目にする機会は、ほとんどないと考えられるからです。

 真面目テキストを面白く書く。という手段もありますが、誰だって自分に都合の悪いことは嫌なものです。自分の行動を否定するような文章は、どんなに面白くても楽しめず、読み続けることはほとんどないでしょう。
 なんにせよ、どんなに優れたテキストを書いても、本当に読んでほしい人には読んでもらうこと自体が難しいのです。


【原因4:読者への影響は一時的なもの】

 「素晴らしいテキストに出会えた」と感じた人は、普通「記憶する」という形で学習するものだと思います(文章を暗記という意味ではなく、考え方を・・・ね)。しかし記憶という形で学んだことは、それが以後の人生において中心になるほどの影響を及ぼさない限り、やがて忘れ去られていくものです。
 また「いい事が書かれているな」と思う程度の内容であれば、何度も繰り返し読むことはまずありません。これも忘却を早め、学んだことがその時だけのものになってしまう原因だと考えられます。
 これを防ぐには、読者が学習の方法を変えるしかありません。

 テキストを初めて読んだときに「なるほど!」と思ったことを、「そんなの当たり前じゃないか」と思えるように、「自分自身の考え方を修正していく」という形で学習していくことが重要です。こうすれば物事を考える時の基準が、(良い意味で)固定されていきます。そして少しずつ、「当たり前だと思うこと=正しい」「納得できないこと=間違い」という理想に近付いていくでしょう。

 しかし先ほど書いたとおり、学習は通常、記憶という形で行われるのですから、この学習法そのものが「記憶する」という形でしか学習されることはありません。人がどんな風に物事を学んでいくのかは癖のようなものであり、ちょっとした努力や工夫で変えられるものではないからです。

 素晴らしいテキストと出会えても、人間はそれを生かせるようにはできていない。
 これが私にとっての「当たり前だと思うこと=???」なのです。


【それでも私は、真面目テキストを書き続ける】

 という理由については、「1行でできるボランティア、その3」で書こうと思います。

 さて、いまこの文章を読んでくださっている方は、おそらく「真面目テキスト肯定派」だと思います。そしてこのページに書かれている私の仮説を納得できないまま読み進め、【それでも私は・・・】を読んでホッとしたのではないでしょうか。

 そう、ご安心ください。これまで真面目なテキストを書いてきた大勢の管理人さん、真面目テキスト大好きな読者さん、あなたのこれまでの行為は無駄ではない!
 ・・・はず。


トップページに戻る 読み物色々に戻る 6月の日記へ 8月の日記へ