≪きまぐれ月記:2005年3月≫
前回の日記は中途半端な終わり方になり、通算2度目の「続く」という展開になったのですが、以前にあった「続く」はオチとして使ったものであり、後編は同時に掲載しました。でも今回の「続く」は一味違います。
・・・ああ、前編が2月で後編が3月か。どうしよう・・・
で、で、でも、前後編っていいですね。前回書き忘れたことを、「初めからこんな予定だったんだよ!」というフリをして後編で書くことができますから! 今回も書き忘れたらどうしようもないけれど!
・・・えーっと、話をそらすために本題に入る前に、前回のあらすじを簡単に書いておきます。
学校を卒業しても、勉強しなくてよくなるわけじゃないんだよ。
勉強することって、自分の幸せに繋がるんだよ。
前編で書いた文章のうち、肝心なのはたったこれだけだったみたいです。今回はかなりの長文でありながら、要約すればやっぱりこれだけなんですが、それでも読んでいただける方は続きをどうぞ。
人に何かを教えることは、教師やインストラクター以外の人でもよくあることです。学生なら友人と勉強を教えあったりすることがあるでしょうし、就職しても後輩に仕事を教えるようなことは珍しくありません。
でも教えるというのは簡単なことではありません。自分が熟知していることを、学び方を知っている人に教える場合を除けば、順調にはいかないのが普通ではないでしょうか。
少し前に、会社で新人1人に仕事を教えていました。私は単純作業を行う平社員、それも就職して1ヶ月も経っていない新人だったのですが、同じ仕事をしている人が他にいないということもあり、教えられる人が他にいなかったからです。ムチャなことをさせる会社だとは思いますが、幸い私はこんなサイトの管理人。教えることは苦手ではありませんし、ド素人でもありません。学生の時には友人に勉強を教えることはよくありましたし、得意だった数学の授業では、副担任をしているようなものでしたから。
教える時の基本は、失敗したときには注意して、良い部分があれば誉めること。これは正しい知識や技術を身に付けさせることと、相手にやる気を持ってもらうことを、同時に行わなければならないからです。
もちろんこれは、相手によって多少変化します。例えば1つ前の会社で仕事を教えた人は、気が弱いせいで自分にまったく自信を持てず、それが原因で仕事が進まないという状態でした。そこで私がやったことは、とにかく誉めまくって自信をつけさせること。そしてミスをしても、「慣れてないから仕方がないですよ。」くらいしか言わないようにしていました。まあ仕事でミスをすることなんて初めのうちは誰でもあることですから、ウソは言っていないわけですが。こんなことを書いている私だって、転職するたびに新人離れした仕事振りが絶賛されていました。
註:上記の文章の一部に改ざんの疑いがかかっていますが、私は無実です。
その気弱な人に仕事を教える前に、上司からは「時間がかかってもいいから」と言われていたのですが、一週間くらいで一人前になりました。単純作業だからというのもあるのでしょうが、なによりも本人が真面目だったからというのが大きいと思います。
またこの人、仕事が上達するにつれて表情まで変わってきました。作業者として一人前になるだけでなく、社会人としても一人前になってきたのかな、なんて考えると凄く嬉しく思うのです。まさに、これが教育というものだと思います。辞書を引いたら、なぜか洗脳って書かれていましたが。
それはともかくとして、教えることを仕事にしている人を除けば、私は「教える」という経験が豊富なほうだと思いますが、社会人になってからは、なぜか仕事を教えるだけではダメな人にばかり教えているような気がします。今書いた人のほかにも、目盛りを読み取ることができず、それが理由でデジタルの腕時計を使っているような人に、測定が中心の仕事を教えたこともありました。
その時には苦労しましたが、それなりの結果は出せたと思っています。そして私自身、「教える」ということをより深く学べたように思います。
しかし今度の会社で教えることになった人は、これまでで間違いなく最強の相手です。パッと見た感じではとても真面目そうな人なんですが、その真面目さの理由はというと、どうやら自分の評価を損ねないためのよう。卑屈な人や打算まみれの人が優しい人と思われることがよくありますが、そういった得な誤解をされていそうな人です。
でもこれではダメなわけです。態度は真面目であっても、仕事を真面目にする気はないのですから。なのに本人は自分が本当に真面目だと思っているから、今のやり方を変えようとはしてくれません。ですから私が何かを言うたびに、色々と反論してくるわけです。ヘリクツを並べて。
これまでにも単純作業の仕事をやっていたそうなのですが、ずっとこの調子だったのでしょうね。これからもこの調子でやっていくつもりだったのでしょうね。
しかーし! 私と出会ったのが運の尽き。ヘリクツで私に勝てると思ったら大間違い。
・・・じゃなくて、ヘリクツで私をごまかせると思ったら大間違い。基本通りの教え方ではダメなことが分かったから、方針を大幅に変更。まずは「自分は正しい」という妙な自信を崩して、「これまでの自分は間違っていた」ということを知ってもらうことから始めるとしましょうか。これはその人の人生を否定するようなことなので、本人にとってはかなり厳しいことなんですけどね。でも仕事をする以上は、度の過ぎたわがままは許されないわけです。
私「こんなのは不良になります。」
新人「不器用ですいません。」
私「やり方が違うから不良が出るんですよ。器用さは関係ないです。」
私「またやりかたが違ってますよ。こんな風にやってください。」
新人「今までのやり方の方がやりやすいんです。そのやりかたでは時間がかかります。」
私「そのやり方でずっとやっていたのに、全然できていないんですよ。いいと思っているやり方ではなく、本当にいいやりかたでやってください。」
私「また不良品が出てますよ。」
新人「自分はきちんとやってます。」
私「きちんとやればきちんと出来ます。不良品が大量に発生しているという事実を認めてください。」
・・・ああ、なんだか自分が嫌な人間に思えてくる。でもこの新人さんを甘やかしたり、肯定したりするわけにはいかないのです。なにせ不良が何十パーセントも出ているのに、「そろそろ一人前になったと思っているんですが。」なんて言う人ですし、ちょっとでも誉めれば、慢心して不良率が70%を超えますので。(涙)
よく「誉めて育てる」とか、「その方法もいいけど、こんな方法もあるんだよ」という指導の仕方がいいなんて話も聞きますが、それらはもちろん状況と相手次第。なので厳しい言葉はまだまだ続きます。例え近くで仕事をしている女の子たちが私の熱弁を耳にして、チラチラとこちらを見始めようとも。
ああ、絶対あの女の子たちは、「けっ、偉そうな親父が!」とか思っているに違いないよー! 本当は、仕事熱心で責任感の強いお兄さんなのに!
【テキストサイト川柳】
お兄さん 太字で書く人 もうおじさん
でもこんなことで挫けるわけにはいかないので、2人の熱い議論は続きます。
私「また不良品が出てますよ。」
新人「一生懸命にやっていることは認めてください。」
私「手を動かすことにではなく、きちんとした作業を身に付けることに一生懸命になってください。」
私「また不良品が出てますよ。」
新人「もっと速く作れと言われているんです。」
私「それは良い品を速く作れという意味です。数さえあればいいのなら、作業せずに流せばいいじゃないですか。わざわざ作業しているのは、きちんとやらなければ大変なことになるからですよ。数よりも品質のほうが大事です。」
私「また不良品が出てますよ。」
新人「頑張って作っています。それは認めてください。」
私「『頑張って作っていますが、時々不良品が混ざっています。』なんて商品、誰が買ってくれるんですか。お客さんのことを考えてください。」
私が嫌な奴だと思われそうなので、言い訳を少し書いておきますが、私の場合は部品の持ち方すら分からない状態からスタートして(←何か間違っていると思う)、3日目で800台作りました。不良は0。でもこの新人さんは、細かく教えて、しかもすぐ隣で私が作業している(いつでも見て勉強できる)状態なのに、8日目で250台ほどしか作れず、そのうち50台くらいが不良品。これでは困るのに、それに気付こうとしないから、きついことばかり言っているわけです。教えるのと見直しとに時間を取られているせいで、私が休憩時間を半分つぶし(タダ働き)、さらにしょっちゅう残業をして生産数を確保しているってこと、その新人さんも知っているはずなんですが。
こんなことが起こるからこそ、学校を卒業しても考えること、勉強することを忘れないでいてほしいと思うのです。
「自分は正しい」
そう思ったら、その人の成長はそこで終わりですし、仕事というのは自分1人だけの問題ではないのですから。それにもし新人さんが、このサイトの常連さんだったりしたら、私が余計な残業をしたせいで更新に支障が出るという、「自覚できない自分の損」にも繋がるわけですからね。
さて、3週間目の月曜日。新人さんは会社に来ませんでした。翌日も来ませんでした。話を聞いたところ、会社を辞めたんだそうです。・・・へ?
こ、これでは私が悪いみたいじゃないか。苦労したのは私の方なのにさ!
で、で、でも、新人さんだって言っていたじゃないか。「一生懸命にやっていることは認めてください。」って! 私は一生懸命教えたんだから、結果がこうなっても文句はないよな!? あの時に私があんなことを言った意味、一生懸命理解しようとしてくれたよな!?
新人「真面目にやっています!」
私「真面目にやっていれば十分という、甘い考え方は捨ててください。」
・・・はっ!
まさかこのサイトの掲示板が冷えきっているのは、私がこんな性格だからなのか!? 書き込みがあったら、文章を3倍にして迎撃するような人間だと思われているのか!?
み、みなさ〜ん。本来の私はとってもフレンドリーな人間ですよー。とーってもフレンドリーだから、いつだって挑戦者をお待ちしてまーす♪
・・・こういうのがいけないんだろうか。
編集後記:「教える」「学ぶ」「学んでもらう」どれも本当に難しいです。このサイトは禁煙推進などを行う教育サイトでもあるため、真面目な話を書くときには特に気を使います。例えば禁煙に大きなメリットがあることは事実でも、苦労して禁煙に成功した人がそれを実感できなければ、私は他人を不幸にしているのと大差ないわけですから。「教える」「情報を発信する」ということには、そんな責任が付きまとうわけです。だからこそ、せめて「このサイトに気持ちよくアクセスできるから、タバコを止めてよかった(吸わなくてよかった)」と思ってもらえるようなサイトにできればなーと思うのですが。
このサイトはあちこちの検索サイトに登録しているのですが、その時に悩むのがサイト紹介のコメントです。ゲーム系の検索サイトであれば、扱っているコンテンツの種類を書いておけばそれで十分なのですが、テキスト系の検索サイトであればそうもいきません。
テキストサイトって、アクセスしてもらうこと自体が難しいんですよね。そこで少しでもアクセスを増やすために面白いコメントを書こうとは思うのですが、だからといってウソは書けないわけで、悩み続けたあげく、何度もコメントを書きかえたりしていたのです。
ところが先日、やっと「これだ!」というコメントが書けました。
「あなたは神を信じますか?」「貧乏神と疫病神なら信じます」そんな管理人の日常です。
これは以前の日記でオチに使った文章を元にしているのですが、この日記を的確に表現していると思うし、これ自体に面白さもあり、まさに「これだ!」というコメントだと思うのです。
それなのにこのコメントにしてから、そのサイトから2人くらいしか来ていません。
私は貧乏神も疫病神も嫌いです。
“鶴の恩返し” という有名な昔話があります。罠にかかっていた鶴が助けてくれた人に恩返しをするため、人間の女性に化けてその人の妻になり、自分の羽根を使って反物をおり、最後には正体がばれて去ってゆくというこの話って、昔の人が考えたとは思えないほどよくできていると思うのです。昔話なので文章そのものは分かりませんが、物語の面白さだけなら、ファンタジー文学の最高傑作の1つではないかと思います。恩を返すのが鶴っていうのも美しいですよね。これがサギの恩返しだったら、なんだか違う話になりそうです。
でもこれほど良くできた物語にも、やっぱり元ネタがあるのかな? と考えると、色々と楽しめるわけです。例えば小さな子供か孫をつれて罠を見にいった猟師が、かかっていた獲物をうっかり逃がしてしまい、言い訳のために「助けてあげたんだよ」と言ったのが始まりだったとかね。
2月27日の更新分にも書いたのですが、私も同じような体験をしています。ということは、それを元ネタにすれば素晴らしい物語が生み出せるかもしれません。もっとも助けてしまったのは、ゴキブリの子供だったのですが。
ゴキブリの恩返し
この時点で先が思いやられますが、これは単なるアイデアメモ。ここからが腕の見せ所です。しかも私には、更なる幸運が待っていました。なんと本当に恩返しに来てくれたのです。・・・ゴキブリが。もっとも助けたゴキブリではなく、別の、それも大人のゴキブリだったのですが。
私がゴキブリに気付いたのは、会社から帰ってきたとき。玄関で潰れていたので、出勤時に私が踏みつけてしまったのでしょう。ああ、子供の恩返しにやってきたゴキブリを、よりにもよって返り討ちにしてしまうとは。
こんな元ネタから生まれる話は、どう考えても恩返しではなく敵討ち。かなり工夫しなければ、鶴の恩返しをしのぐ美しい物語にはできません。
・・・物語を考えるよりも先に、ゴキブリを別の生き物に置き換えたほうがいいのかな。
気のせいではないと思います。「文系の人=知的」、「理系の人=特殊」というイメージを持っている人が多いのは。でもこれっておかしいと思いませんか?
私は「理系? 文系?」と聞かれたら、迷わず「理屈系!」と答えるような人間ですので、こういった偏見は気になってしまいます。この「理系=特殊」というのは、単に理系が苦手(深く考えることが苦手)な人が多いためではないかと思うのですが。大抵の人は「自分=普通」、「自分には理解の出来ない人=特殊」と考えたくなるものですし、深く考えるのが苦手な人は、そういった感情を事実として捉えてしまいがちでしょうし。
でも理屈系人間である私の目から見ると、文系と理系の違いってそれほど大きなものではないように思うのです。言葉を深く理解しようと思えば、理系科目にも劣らないほど論理的に考える必要があるでしょうし、物理法則というのは公式にすると複雑でも、それが表しているのは極々身近な現象なのですから。ですから理系人間というのは、自分に非のないことで損をしているのではないかと思うのです。そこで今回の日記では、物理法則が決して特殊な存在ではないということを書き、それに関心を持っている人が決して特殊ではないことを説明したいと思います。
・・・え、展開が強引? ふっ、いつものことさ。
理系らしい事柄の1つである物理法則ですが、それ自体は身近なものです。普通に暮らしていても、高校までに習うような有名な法則に出会うことは珍しくありません。
10日ほど前の話です。私は小さ目の部品を扱う仕事をしているのですが、その時に変形している部品を見つけました。部品に力を加えた感触はなかったため、初めから変形していたはずなのですが、その時に頭に浮かんだのが「てこの原理」。状況次第では、僅かな力でも大きな影響を与えることがありますからね。丈夫な部品を扱うときでも、油断するのは禁物です。
同じ日に、うっかりピンセットで手を突き刺しました。突き刺したと言っても「痛っ!」と感じる程度で、出血などはしていないのですが。ここで頭に浮かんだのが「パスカルの原理」・・・だったかな? 辞書を引いたらなんか違うような気もするのですが、ようは面積が小さいほど単位面積あたりの・・・って、やめ、やめ。
分かりやすく書くと、同じ人に足を踏まれる場合でも、靴で踏まれるのとハイヒールで踏まれるのとでは、痛みが全然違うという奴です。これにもちゃんとした法則があるんですよね。
終業が近付いてきた頃、土曜日の休みが決定したという話を聞きました。
週休2日っていいですよね。やっぱりこれくらいは休めないと、人生はつまらないものになってしまいます。
・・・なのにその日から、強制残業がどっさり増えました(自主残業は前からしていた)。翌日には風邪を引いて、くしゃみと鼻水と寒気に苦しみました。
連休が近付くと嫌なことが増えるのもよくあることです。これを物理学では「マーフィーの法則」といって・・・って、これはちがーう!
オチがついたところで、今回のテキストは終了です。
・・・ところで、理系人間以上に変な目で見られているのが理屈系人間だと思うのですが、どこかに弁護してくれる人はいませんか?
私は学生のころ、ほとんどの人からあだ名で呼ばれていました。あだ名は幾つもあり、中には愛称といった方がいいものもあったのですが、名字そのままで呼ぶ友人はいなかったと思います。
あだ名とは言えませんが、初めて本名以外で呼ばれたのが、多分「メガネザル」というもの。私は幼稚園に入った頃からメガネをかけており(今はコンタクト)、当時はそれが珍しかったからでしょう。子供は無邪気さゆえに残酷と言われますが、これもその1つといっていいと思います。
他には「タコ」なんて言われたこともありました。あ、いえ、これは「このタコ!」という意味ではなく、私の体が柔らかかったため、ビックリした友人が冗談で言っていただけなんですが。似たようなものに「軟体動物」なんてのもありました。
しかし社会に出てからはあだ名で呼ばれることがなくなり、名字そのままで呼ばれることが多くなりました。たまたま同年代の人が少なく、年の離れた人と話すことが多くなったというのが理由なんでしょうけど。もっとも私は以前から、同い年の人よりも、年上や年下の人に好かれるタイプのようでしたが。学生時代には後輩から、あだ名の後に先輩をつけるという、敬語なのかどうかよく分からない呼ばれ方をされていたくらいでしたし。
「タコ先輩!」
いや、これは単なる例ですが。
でも今の会社では、久しぶりにあだ名で呼ぶ人が現れました。でも、あだ名が「師匠」ってのはねぇ。いえ、私も俗な男ですから、同い年くらいの女の人(Bさんと呼ぶことにします)から「師匠!」って呼ばれるのは悪い気はしないですよ。でも工場なので周囲に人は大勢おり、すごく恥かしいわけです。いつもいつも「師匠」と呼ばれ、すでにこの言葉が単なる記号となっていてもね。しかもそのBさんは、私の上司のような立場(実際には上司じゃないけれど)であるうえ、いつも口が動いているような人なので、私と一緒に仕事をしていた、そして私が仕事を教えた3人のうちの2人までが、私を師匠と呼ぶようになってしまいました(残る1人は退職)。私は新人で平社員なんですが。
そして現在、私は別の仕事をするようになったのですが、新しい職場もBさんがまとめ役をやっているところなので、毎日毎日「師匠!」と呼ばれています。いい迷惑ですが、先日そのバチが当たったのを目にしました。本当の上司と話をしているとき、Bさんが私の名前を出そうとして言葉に詰まったのです。どうやらBさん、私の本名を忘れていたようです。「師匠」と言いかけただけでなく、その後しばらく会話が止まりましたから。
・・・ねえBさん、私をあだ名で呼ぶのは、本名を覚える気がないからですよね?
さて現在の仕事は相変わらずの単純作業なんですが、それだけにノルマがかなり厳しく設定されています。私のすぐ後ろで全く同じ仕事をしているCさんは、長くやっているにもかかわらずノルマを達成できず、上司からかなり厳しいことを言われています。そんな状態で、すぐ近くに移動してきた私が、上の人から「師匠!」と呼ばれているのを耳にしたとしたら・・・。
先日Cさんが、私のところにやってきました。自分の作業を見て、欠点を教えてほしいというのです。
人に仕事を教えてもらうというのは、決して恥かしいことではありませんし、むしろ大切なことです。しかし誰にだってプライドというのはあります。年下の後輩に教えを請うというのは、かなり辛いことだと思います。いえ、どっちが年上かは分かりませんが、なにせ私はつい最近、高卒新人2人に同い年だと思われたくらいの若作りですので、きっと年下と思われていたはずです。それだけCさんは、現状に苦しんでいたということでしょう。
・・・でもねぇ、Cさん。いくら困っていても、あだ名で人物を判断するのは止めたほうがいいと思いますよ。
とはいえCさんの立場を知っているだけに、そんなことを口に出せるはずがありません。それに私は作業の合理化という理屈っぽいことは得意なほうですし、実際にそういった仕事をしていたこともあります。僅かな時間ではありますが、Cさんの作業を見ていくつかのアドバイスをしました。
それからCさんの生産数は、順調に伸びているようです。ノルマ達成までもう少しというところまできています。それが私のアドバイスのおかげだったのか、それとも私の正体を知り、こんなのに頭を下げた悔しさをバネにしたのかは分かりませんが。
でもまあ、結果よければ全て良し。私だってね、いつもいつも教えた人に、止めを刺しているわけではないんですよ!
でも今になって思うのです。
私が教えた手の動かし方は、タコじゃない人でもできるんだろうかって。
編集後記:最後のほうに書いてある「結果よければ全て良し」という言葉、書いているときに「変だなぁ」とは思っていたのですが、そのまま掲載してしまいました。これ、正しくは「終わりよければ全て良し」ですよね。でも話の流れを考えると今のままの方が良さそうなので、そのままにしておきます。(笑)
上の日記の編集後記のつもりで書いていた文章が、異様に長くなってしまいました。そこで更に加筆して、1つの日記として独立させてみました。お笑い抜きの真面目な話なんですが、スポーツを本格的にやっている人は必見かもしれません。
なんにでも「基本」というものがあります。特にスポーツでは初めに基本のフォームを教わることが多いのですが、これには裏(?)があります。この基本というもの、実は理想ではないのです。バドミントンを例にして、うまくなるための考え方を大雑把に書いてみます。
1.シャトル(羽根)がどんな動きをすれば相手が取り難いのか。
2.そのためには、ラケットをどんな風に動かせばいいのか。
3.そのためには、どんなフォームを身に付ければいいのか。
4.そのためには、どんな練習をすればいいのか。
つまり「1」が最も重要なのであり、基本のフォームという「3」は、そのための手段でしかないことになります。しかも人間の筋力や関節の動きには限界があり、理想的なフォームというのは、人間には不可能なフォームであることもあるはずです。そこで大抵の人なら可能なフォームのうち、もっとも結果が出やすいフォームというのを基本としているのにすぎないのです。ですから並外れた筋力や柔軟性を持っている人ならば、基本とはかけ離れた、より良いフォームを身に付けることも可能かもしれません。逆に何らかの欠点があり基本通りでは無理な人は、自分に可能なフォームを探したり、体を鍛えたりする必要があるわけです。
分からない人も多そうな話になりますが、「オレ流」という言葉で表現されることが多い落合博満さん(プロ野球)は、現役時代、タブーとされている打ち方で素晴らしい成績を残しました。でも落合さんのフォームは「基本」とはかけ離れていても、「理想」とかけ離れてはいませんでした。解説者をされていた時にも「一般論」とはかけ離れた意見が目立ちましたが、それは「常識」よりも「真実」を重視しているからだと私は感じました。「オレ流」という表現は、そういった本質を見極められない人が言い出したんじゃないかと思うのです。落合さんは他の人とは違う考え方をしているのではなく、他の人よりも上の考え方をしている。でもそれが分からない人にとっては、わがままを通して大成した特殊な人にしか思えないのだろうってね。
ついでなので自分のことも書いておきます。
野球をしている人の中には、右でも左でも打てるスイッチヒッターという有利な人が存在します。しかし私は右目の視野が狭く、右から来るボールを普通に見ることができません。ですからスイッチヒッターを目指して左利きの人と同じように打とうとしたら、かなりのハンデを背負うことになります。私は左でもボールを投げられるくらいの器用さを持っていますが、それよりも簡単なはずの左打ちを練習することは、私にとっては時間の無駄になるわけです。モノにならないことを練習をするくらいなら、普通に右で打つ練習をしていた方が有利なのは明白ですから。
高校時代にやっていた軟式テニスでは、いくつか特殊なことをやっていました。その1つが、普通の人が普通に打つ膝の高さくらいのボールを、腰を無理やりおとすことで上から叩くように打ち、ずっと力強い打球を放つというものです。友人は呆れていましたが、これは私の柔軟性と手首の強さがあって初めて可能になる、「より良いフォーム」だったわけです。
「基本が理想とは限らない。本当に大切なのは基本の裏に隠された真実を知り、自分にとっての理想を探すことである。」
スポーツに限らず、これを知ることが大切なのではないかと思います。優れた指導者というのは、こういったことを知っている、あるいは感覚的に理解しているのかもしれないですね。
今日はとても重要なお知らせがあります。もしかしたら・・・これがこのサイトの最後の更新になるかもしれません。
以前にもそんなことがありました。でもその時には2ヶ月ほどの中断はしたものの、幸い再開することができ今に至っています。
でも、今度は事情が違います。私は・・・無実の罪で投獄されるかもしれません。相手は警察であり、法であり、社会です。私一人の努力で、どうにかできる相手ではありません。万が一の場合には・・・御覚悟をお願いいたします。
私はこれから外出します。誰にも知られてはならず、誰にも気付かれてはならない、極秘の仕事をやらなければならないからです。極秘の仕事といっても、法に触れるとか、人道に反するとかいうものではありません。それでも私は、この仕事を誰にも知られるわけにはいかないのです。
私が暮らしているのは会社の寮。知人も何人か暮らしています。もし彼らに出会ったりしたら、私は社会的に抹殺されるでしょう。もし警察に見つかったりしたら、私は法的に抹殺されるでしょう。それほど危険な仕事であり、それでもやらなければならない重要な仕事なのです。
だから私は、これから行うわずか1分程の仕事に、自分の人生を賭けなければならないのです。
私はまだ、自分の人生を終わらせたくはありません。
私には家族がいます。
私には友人がいます。
私にはこのサイトがあり、このサイトのおかげで出会えた友人と読者がいます。
私には、彼らと築く未来があります。
私には、まだまだやりたいことが沢山あります。
私は普通に暮らしたい。
私はこれからも生きていきたい。
私はより良い社会を築き、そこで幸せな人生を送りたい。
私は自分の幸せをつかむためにも、こんなところで挫折するわけにはいかないのです。それなのに、こんなことになるなんて・・・。
・・・すいません、暗い話になってしまいました。でもきっと大丈夫です。私はこれまでにも何度も危機を乗り越えてきたのですから。私は疫病神に取り付かれているとしか思えない人生を送ってきましたが、ここぞの時には幸運の女神に祝福されてきたのですから。
ですから今度も、きっと大丈夫なはずですよ。私のために、読者のために、そしてまだ見ぬ未来のために、今度もきっと、女神様は私に微笑みかけてくれますよ。
だから笑ってください。笑顔は何気ない人生を幸せで包んでくれますから。
だから笑ってください。私は笑顔が大好きですから。その笑顔をもう一度見るために、私は必ず帰ってきますから。
だから笑いましょう。いつの日かここでもう一度、みんなで笑いたいと思えるように。
それでは、これから仕事に行ってきます。すぐ近くのゴミ捨て場に。たまりにたまった栄養ドリンクのビン31本を捨てるために。
こんな恥かしいものは、日が沈んでからしか捨てに行けません。こんな物が入ったゴミ袋なんて、知人に見つかったらお終いです。
しかもゴミ捨てに行く私の姿は、「マスク」「メガネ」「パジャマ」「はんてん」「怪しいゴミ袋」・・・夜中にこんな姿を警察に見られたら、間違いなく職務質問されます。ヘリクツ大王の私とて、この状態で言い逃れする自信などありません。それでも私は、3週間ほど風邪を引きっぱなしだったため放置していた家事を、今日中に終わらせなければならないのです。
読者の皆さんにお願いがあります。私がゴミを捨てに行く途中、誰にも出会わないことをお祈りください。そしてもし、このサイトが来週も更新されていたとしたら・・・
私の帰還を、笑って迎えてくださいね。ただし、指差しては笑わないように。
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