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≪喫煙のデメリット≫

 「百害あって一利なし」
 これはタバコを評するときによく使われる言葉だ。しかしこの言葉が事実でないことは、前回のコラムを読んでいただければお分かりだと思う。タバコには、わずかながら「利」が存在する。前回書いたこと以外にも、極一部の病気に対して予防効果を持つという説もある。しかし重要なのは、その「利」にどれだけの価値があるかだ。いかなる状況においても「害>利」となるのならば、その「利」に価値はない。タバコの利害を考えてもらうため、今回は喫煙の害について書いていきたい。

【健康被害】
 タバコの煙に含まれる有害物質は、分かっているだけで400種類以上。その中にはニコチン、タール、一酸化炭素など、単独でも重大な悪影響をもたらす物質も存在する。
 喫煙が大きな影響を与える病気には、依存症、ガン、心疾患、脳血管疾患、肺気腫、歯周病などがある。そして世界中でのタバコによる死者は、2002年で300万人以上(日本では約10万人)。対策が遅れれば、やがて年間1千万人の時代が来るとも言われている。病気で苦しんでいる人の数は、これをはるかに凌ぐだろう。タバコの害は時間がたってから、病気という形で現われるため実感しにくいが、イメージを事実よりも優先させてはいけない。

*さらに・・・
 周囲に漂う煙(副流煙)に含まれている有害物質の量は、喫煙者が吸う煙(主流煙)よりも多い傾向にある。つまり煙が充満している部屋にいる人は、喫煙者と同じかそれ以上の被害を受けることになる。また妊婦の場合、母親の体内に入った有害物質の中には、胎児にまで届く物も存在する。有害物質への耐性は体重にほぼ比例するため、体が小さく、しかも未発達の胎児に与える影響は大きい。

【環境】
 タバコの臭いは悪臭にほかならない。しかも人が集まる場所で発生するため、公害(悪臭、大気汚染)とまったく変わらない。
 ポイ捨てによる吸殻の散乱は誰もが知っているはず。

*さらに・・・
 ヘビースモーカーには強い口臭があり、吸っていない時でも周囲を不快にさせる(それに気付かないのは喫煙者だけ)。
 タバコの吸殻は見た目、臭いともに不快なもので、灰皿に捨てられたタバコでさえ、周囲に不快感を与えることがある。

【事故】
 吸殻の不始末による火事や山火事、乳児の誤飲。いずれも被害の大きさの割に珍しいものではない。また歩行中などに接触して、火傷につながる危険もある。

【経済損失】
 表面上の損失は前回を参照のこと。
 ストレスや血流低下などがもたらす集中力と体力の低下は、職種によっては大きな影響を与える。
 喫煙が一般的という現状で普通の働きぶりならば、実際には1人分の仕事をこなせていない場合もある。

【社会】
 タバコが嗜好品という扱いを受けている以上、タバコと大差ない麻薬や覚せい剤の害を、子供たちに正しく理解させることはできない。麻薬の害を5とするならば、タバコは4。しかし多くの人が公然と吸っている以上、子供たちにとっては2にしか映らない。はじめから4や5を行うのはしり込みするものだが、2ならば抵抗は少なく、しかも実際には1の差しかない麻薬の害を3と錯覚する。
 結果として喫煙は、薬物(タバコを含む)や善悪に関する誤った価値観を持たせるという害ももたらしている。

 喫煙による重症患者や死者には、一家の大黒柱が多く含まれる。そのため喫煙は、喫煙者の家族にも、経済的、精神的に大きな苦痛をもたらす。

 喫煙が重大な健康被害をもたらすと言うことは、医療従事者の負担を大きく増やしていると言うことでもある。

【まとめ】
 「タバコは嗜好品だから」
 「違法ではないから」
 こんな言い訳が、理屈になっていないことがお分かりいただけたのではないだろうか。喫煙のマナーを守ったところで、喫煙自体が集団生活のマナーに反しているのだから、喫煙者の自己満足にしかならないのだ。

 タバコの最大の害は、周囲に与える影響だろう。それゆえ喫煙は健康問題ではない。人権問題だ。ならば喫煙者にとって「害<利」となる状況があったとしても、総合的に考えると常に「害>利」となるだろう。タバコに「利」を求めるのならば、喫煙という形ではなく、特定の成分のみを生かした医薬品としてでなければならない。タバコに利点があったとしても、喫煙にはない。

 そもそも「タバコが体に悪い」ということは、誰もが耳にしたことがあるはずだ。そして大人ならば、自分の行動に責任を持つべきだ。ならば喫煙者は、喫煙という自分がしている行為に、もっと感心を持つべきではないだろうか。今の日本で、喫煙の害がマスコミで扱われることは多くない。しかし関心を持っていても気が付かないほど少なくはない。喫煙の害とは、子供でも理解できるほど分かりやすく、また恐ろしいものなのだから、それに関心を持つきっかけさえあれば、タバコを辞めたくなるのではないだろうか。

 禁煙するのに遅すぎることはない。これから初めても十分に意味がある。そして禁煙すれば本人だけでなく、その人に関わる多くの人達がその恩恵を受けるだろう。
 だからこそ禁煙しよう。
 禁煙に挑む人に協力しよう。
 そして喫煙者になることを、断固として拒否しよう。

 喫煙者にとってタバコを吸うことは、幸せの1つなのかもしれない。しかしタバコを辞めたなら、もっと幸せに暮らせるはずだ。なぜなら喫煙による幸せは、薬物の影響による幻覚のようなものなのだから。だからタバコを辞め、タバコに頼らずに生きていけるようになったなら、それまで感じていた幸せが、本当はとてもつまらないものだったことに気付くだろう。


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