3ページ目/全5ページ フェンスの向こうで、ひときわ背丈の小さな少年が、細い身体に 似つかわしくない大きなラケットを振り回しながら、力強くコート内を 走っている。 後頭部で束ねてある長い黒髪が、身体のひねりに合わせて左右へと なびいている。飛び散っている額の汗が、春の日差しに光り輝き、 とても美しく見えた。 そして、彼は、他の部員達と楽しそうに、大きな笑い声をあげている。 今、この時を楽しんで生きているのがわかる。 (昔と、何も変わっていない。) 俺は、二年前の出来事を反芻しながら、初恋の人との再会に 感動していると、日吉が、予想もしていなかった言葉をかけてきた。 「ふ〜ん。あれが、次期当主の『 未来の妻 』になる相手ねぇ。 今まで、そういう前例は無いと聞いたけれど。相性が良ければ、 女じゃ無くても大丈夫なの? 」 「つ、つまッ? 未来の妻ッ? 」 その不可解な発言で、すっかり驚いてしまっている俺に対して、 日吉は、怪訝な表情をした。 「確か、彼は、許婚って話ですよね? 御大が、彼を養子にして、 この学園にわざわざ入学させたと聞いているんだけど……。 まあ、男同志の婚姻は、養子縁組するしか無いからね。」 理解できずに押し黙っている俺の態度を、日吉は、どう解釈したのか 知らないが、一人で納得したような顔をして、さらにこのように言った。 「御大の財産と言ったら、どこかの国の国家予算並だ。それなのに、 遠縁の子供を養子にして、相続権が動いたと知られたら大騒ぎだろうな。 そういう事情は、俺も親父も良くわかってますから。 任せておいてください。秘密は守ります。」 自分の知らない場所で、どうやら、おかしな話が進行している事に、 俺は、やっと気がついた。 「養子縁組? 俺との婚姻? それは、全て本当の話なのか? 一体、いつから、そんな事になっているんだ? 宍戸さんは……。その事をきちんと知っているのか? ちゃんと納得して、この学園に通っているのか? 」 目の前にいる日吉に、掴みかからんばかりの剣幕で捲くし立てる俺に、 彼は、冷静な態度を崩さずに答えた。 「次期当主になる鳳長太郎が知らない事を、俺に、聞かれても 困るんだけどな。俺も、詳しい事情は知りませんよ。 宍戸先輩本人は、どうかわからないけれど、彼の両親は知っていると 思いますよ。どうせなら、本人に直接、事情を聞いたら、どうですか? ここで言い争っても意味は無いしね。」 日吉は、そう言うと、コートの中へ声をかけた。 「練習中にすみませんッ! 二年生の宍戸亮先輩に話があります。 少しの間で済むので、お願いしますッ! 」 入学式のために、綺麗な三つ揃いのスーツを着た少年二人組へ、 テニス部員達の視線が集まった。 その中で、名前を呼ばれた当事者の宍戸亮が、何事かと驚いた顔を したまま、足早にやってくる。 持っているタオルで顔に浮かんだ汗を拭きつつ、接近してくる彼の姿に、 俺は、心臓が飛び出してしまいそうになった。 「……何なんだ? お前ら。一年坊主だろ? 俺に何か用なのか? 」 宍戸亮は、とても不機嫌な顔をしており、ぶっきらぼうな口調で そう言った。熱心にテニスの練習をしている最中に、見知らぬ子供に 呼ばれ、中断させられたのだから、それは当然の事だろう。 俺は、あんなに会いたかった少年と対面する事になったのだが、何を 話して良いのかわからず、頭の中が真っ白になっていた。 「……おいおい、何を押し黙っているんだよッ! 用が無いなら行くぞッ! ったく、ふざけんなよッ! 」 宍戸亮は、馬鹿にされたと思ったのか、イラついた様子で踵を返すと、 コートの中央へ向かって走り出した。 俺は、みるみるうちに遠ざかってゆく彼の後ろ姿に、必死で声を かけたのだった。 「宍戸さんっ! 俺の事を覚えていませんか? 」 宍戸亮は、その声に立ち止まると振り返った。そして、俺の顔を ちらりと見たが、首をかしげると、こんな悲しい台詞を投げて よこしたのだった。 「お前みたいなヤツ、知らねぇ〜よッ! ここは、テニス部の練習場所だぞッ! 部外者が入ってくるんじゃねぇッ! 今度、お前らを見かけたら、問答無用でたたき出すからなっ! 」 せっかく会えた初恋の相手に、そんな厳しい言葉を投げかけられて、 俺は、歯を食いしばると、その場から離れた。 ![]() ![]() 2ページ目へ戻る 4ページ目へ進む 小説マップへ戻る |