宍戸さんには、お金が無い!第2話 その1 〜宍戸亮、帰宅する〜 の巻 鳳長太郎から、《 召使いの解雇処分 》を言い渡された俺は、懐かしい我が家へ 帰宅する事となった。連れて行かれた時と同じく、真っ黒なベンツに乗せられていたが、 《 誘拐もどき 》だった往路とは異なり、すべて自分の意思で選択した結果だったので、 気分は少しだけ良くなっていた。 俺の身体は、思うように手足を動かせないくらい疲れ切っていたので、後部座席に深く座り、 頭を背もたれに預けたまま、ぼんやりと窓の外に流れてゆく快晴の空と町並みを見つめていた。 そして、つい数時間前に、鳳邸で起こった出来事を思い出しては、複雑な気持ちになっていた。 俺=宍戸亮は、親同志の取り決めにより。 鳳家の時期当主=鳳長太郎の性欲処理係に任命されてしまった。 何度、考えてみても、理不尽な話である。 それどころか、薬を盛られたあげく、前後不覚のまま男に犯されてしまったのだ。 この俺が・・・、あの鳳長太郎にだ。 そんな馬鹿な話を受け入れられるはずがない。逃げ出して当たり前。断って、当然だと思う。 たとえ、それで無一文になり、飢え死にしても、俺は、きっと後悔はしない。 ただ、鳳家から解雇され無職になるだろう父と、明日から家計のやりくりが大変になるだろう母。 そして、海外で途方にくれるだろう兄の人生は、一体どうなるのか? (・・・やめよう。考えても、どうしようも無い事だ。) 俺は、瞼を閉じると、自分の明日からの不安定な生活を心配する事は止めて、ここ数時間の 出来事を自分なりに考えていた。 とにかく、めまぐるしい二日間だった。 俺が帰宅するにあたり、鳳邸に用意されていた多くの衣服や装飾品も持って行くようにと、 執事の黒沼から勧められたが、自分の持ち物では無いと断固として断り、自前の洋服を 返してもらった。驚いた事に、一晩で上着もシャツも綺麗に洗濯され、しっかりアイロンが かけられていた。なんと、ジーンズまで皺ひとつ無くなっており、俺が好きで開けていた無数の 穴まで、わざわざ塞がれ修復されてしまっていた。 それを大事そうに部屋へ持ってきたメイドの初音は、俺が着替えをしている最中、隣でずっと すすり泣いていた。 泥で汚れていた俺の顔や手足を、初音が暖めたタオルで拭いてくれた。そして、乱れた髪に 櫛を丁寧に通し、綺麗に結わえてくれた。その時も、彼女の瞳は零れそうなくらい涙でいっぱい になっていた。 俺は、彼女の顔をなるべく見ないようにした。鳳邸で何か心残りがあるとすると、生まれて 初めて、女を騙して泣かせた事だろうか? 「・・・嘘をついて、悪かったな。」 初音には、一言だけ、そう言葉をかけたが、彼女はうな垂れたままで返事をしてはくれなかった。 支度の出来た俺が、館を出発する時に同行したのは、運転手の岩槻だけで、見送りは誰もおらず、 当主の鳳長太郎がどこにいるのか、一切わからなかった。 別に、俺は、あの男に会いたかったわけでは無い。 ただ、胸の中に硬いシコリのような物が出来ている気がしていた。それが、喉の奥で 詰っているようで、何となく苦しい。 俺は、何か、納得がいかないのだ。 (きっちり、あの男をぶちのめして無いからかもしれねぇ。) 結局、最後まで、鳳からは謝罪も聞いていなかったし、細かな説明も一切無かった。 おまけに、俺は、あれだけ心に決めていたと言うのに・・・。 鳳長太郎の顔面に、一撃入れていないのだ。 とにかくだ。 鳳の最後の言葉によると、俺は、氷帝学園に、そのまま在籍するらしい。ならば、部活で彼と 再び顔を合わせる事になるだろう。もし、俺が、鳳長太郎に、もう一度出会ったならば・・・。 その時は、きっと・・・。 (あの大馬鹿野郎の気取っている顔面を、ボコボコになるまで殴り倒す! ) 俺は、人にこれほど酷い仕打ちを受けた事も、騙された事も無かった。 今さら、何も無かった事には、できるはずがない。 (解雇だ。はい、わかりました。なんて、連中に都合良く終わらせてたまるかッ! ) 鳳に対する怒りを頭の中で反芻していると、運転手から声をかけられた。懐かしい我が家へ 到着したのだった。 ベンツの扉を岩槻が開くのを待ちきれず、自分で押し開けて、外へと飛び降りた。 玄関のドアを勢い良く開け、中へと駆け込んだ。たった、一晩不在にしていただけなのに、 もう何年も離れて生活していたような不思議な感覚にひたっていた。 ドアの蝶番が開く音で気がついたのか、母が台所から走ってきてくれた。母は事情をすでに 知っているらしく、驚いた顔もせずに、俺を強く抱き締めると、また頬を涙で濡らしていた。 そして、母は、「おかえりなさい。」と言ってくれた。 俺の帰宅は、歓迎されているらしい。もし、両親に拒否されていたら、途方に暮れていたように思う。 それだけで安心した俺は、笑顔で「ただいま」とだけ答えた。少しだけ声が震えてしまったので、 気恥ずかしい。母からゆっくりと身体を離すと、「少し休む。」と言い、二階にある自分の部屋へ行き、 そのままベッドへ倒れ込んだ。 母の出迎えで、俺の心はとても温かになっていたが、それとともに、大きな不安でいっぱいに 膨らんだのも事実だった。自分だけの問題ならば、こんなに悩む事も無い。しかし、今回の件は、 家族を巻き込んでいるのだ。 俺は、父親が仕事から帰宅したら、今後の事を話合う事にしていた。父がどんな返答をくれるのか 不明だったが、俺は、中学を卒業したら進学せずに、すぐに働くつもりだった。そうすれば、 父の負担も軽くなるだろうし、俺自身の気持ちも整理がつくような気がしていた。 鳳家の連中の言いなりになるくらいなら、中学を辞めて働く方がマシだと言ったのは、 偽りの無い本心だった。 (結論が出たら、何て事はねぇな。逆にすっきりした。) 俺は、笑顔を浮かべると、ベッドの上で寝返りを打った。疲労した身体の気だるげな状態も、 深い眠りに入る前の心地よい感覚にすりかわってゆく。 そうして、少しずつ眠気が強くなり、俺が小さな寝息を立て始めた時だった。突然、けたたましい 音量の管弦楽器の曲が鳴り始めた。それも、自分の懐から高らかに鳴り響いている。 (げッ! この馬鹿みたいにノリの良い曲は・・・。) 慌てて飛び起き、上着をまさぐってみた。カツンと指先に硬い金属が当たったので、右側の ポケットに手を突っ込んで、騒音の元凶を取り出してみる。 俺の右手に握られた物体は、見覚えのある携帯電話であり、《 俺に捧げる曲 》が軽快な リズムで鳴り響いている。俺は、驚きのあまり、即座に電源ボタンをオフにした。 一体、誰が、これを俺の上着に入れたのだろうか? そして、電話をかけてきた人間は、一体、誰なのだろうか? まさか、鳳長太郎本人なんだろうか? この携帯電話は、俺には不要なシロモノなので、黒沼にちゃんと返却していたのだ。 俺は、疑惑を感じながら、再度、携帯電話の電源をオンにした。着信履歴を見ると、確かに 鳳邸の電話番号が出ているが、それが、誰からの送信かは不明だった。数コールで切れて しまったらしく、何の伝言も留守録も残されていなかった。 これは、きっと、俺に携帯電話の存在を知らせたいだけのコールに違い無かった。 さらに、携帯電話の出てきたポケット以外にも、上着がこんもりと膨らんでいる。他にも何か 入っている様子だ。 俺が反対側の左ポケットを探してみると、鳳が俺に渡した謎の小さな包みが出てきた。 それも出発間際に、「俺が受け取る理由が無い。」と黒沼に突っ返して来たはずだった。鳳から、 何かもらう事が、俺には苦痛にしかならないからだ。 さらに、上着をベッドの上で力いっぱいふると、胸の裏ポケットからは、写真が一枚ひらりと 出てきたのだ。それを摘み上げ、じっくりと眺めて、俺はうなり声を上げてしまった。 薄茶色に色褪せた昔の写真で、噴水のある広い庭で、子供が二人遊んでいる写真だった。 初音が見せると俺に言っていた例の写真だった。 (あの女・・・。一体、いつの間に、俺の上着にこんなモンを仕込みやがったんだ。 ) 女のやる事は、全くあなどれない。先ほど電話をかけてよこした相手も、きっと彼女に違いない。 俺は、初音の早業とも言える所業に驚きながら、写真を注意深く調べていた。 植えられている庭木は今よりも少なく疎らで、感じは少し違うが、この写真の背景は間違い無く、 先ほどまで眺めていた鳳邸の中庭のように思えた。 真っ白な石を敷き詰めた小道の脇に花が咲き乱れ、そこを進んでゆくと、途中に川があり、同じく 白い石のアーチがかけてある。その先には、楕円系の広場があり、噴水と子供向けの遊具が 置いてあったのだ。 俺は、昔の事を少しずつ思い出していた。 噴水の中へ足を突っ込んで、仁王立ちになって笑っている半ズボの少年は、間違い無く俺だ。 その当時、長い髪は縛っておらず、そのまま自然に流していた。クラスでも一番、身長が低く、 体躯も細く、色も白かったので、確かに、こうしてみると女児に見えない事もない。 その俺が、噴水の水を手で掬って、ぶっかけている相手が、鳳長太郎に違いなかった。 彼は、幼いながら、きちんとスーツを着込んでいる。まるで、七五三へ行く子供と言う風情だった。 髪は、丁寧に撫で付けられているので、感じが変わっているが、その風貌は鳳本人としか思えない。 そして、必死に水の攻撃を避けながら、庭の潅木に隠れようとしている。顔は半分泣き顔で、 どう見ても、俺と仲良しという様子では無かった。 (俺が・・・。鳳を追いかけて虐めているようにしか見えねぇ。) どうりで、成長した鳳長太郎を見ても、思い出せないはずだ。 俺は、小さい頃、《 仲良く遊んだ友達 》なんて、一人もいなかったからだ。当然、鳳とも遊んだ 覚えなんて全く無かった。 しかし、喧嘩相手なら山のようにいたのだ。 幼稚舎の体格の良いガキ大将に、初等部の先輩面した二年生。テニススクールのコーチの 息子に、近所に住む金持ちが飼っていたブルドック。それは、全て喧嘩相手に過ぎなかった。 性格的な問題かもしれないが、俺の幼少期は乱暴で過激だった。生傷の無かった日は、 一日も存在しない。確かに、俺は、六歳の時に鳳邸へ行き、鳳長太郎に会っていると思う。 しかし、その時、俺は・・・・。 生意気なガキを、一人、懲らしめた記憶しか無かった。 (あれが、鳳長太郎だったのか・・・。) 幼少期の記憶が蘇ってゆく中で、今回の件は、俺に虐められた鳳長太郎が、復讐したかった だけなのかもしれない。そんな疑惑まで持ってしまった。 俺と鳳長太郎の関係は、考えれば、考えるほど、謎が深まるばかりだった。 その2〜子供時代のアイツと俺〜の巻へ続く→ 行ってみる ![]() 小説マップへ戻る |