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弱ってまだ動けない未来流は、東吾に毛布にくるまれ抱き上げられた。その時、ベッドの下に、
未来流を殺そうとやってきた中年男が倒れている事に気がついた。
「あ、あ! 」
未来流が声を出すと、東吾は優しく言った。
「安心しなさい。死んではいないよ。うるさいので、少し眠ってもらっただけさ。」
ほっとする未来流に、「お前は本当に優しい子だ」と囁くと、東吾は強く抱き締めた。
それから、彼は、病院の窓辺へ進み、窓を大きく開けると、「行くぞ」と未来流へ笑顔で声を
かけた。 そのまま、真っ暗に広がる夜の闇の中へと、飛び出した。
そこは、病院の五階だった。
未来流を抱いたまま、東吾は空中を舞っていた。
驚きのあまり見開かれた未来流の瞳には、辺り一面に広がる大きな星空と、ネオンに輝く
街の灯りが小さく見えた。
男はコートをなびかせ、軽やかに地面に着地すると、まっすぐに走りだした。
街の灯りがどんどん後ろへ流れているのを、未来流は不思議な気持ちで眺めていた。
東吾は、驚くほどのスピードで駆け抜けていた。
走っている自動車よりも、東吾はずっと速かったのだ。
けれど、東吾の身体は安定し、少しも未来流の弱った身体に負担をかけなかった。
東吾は人間では無い。
しかし、その不思議な男に対して、未来流は恐怖を全く感じなかった。それよりも、
男の身体から立ち上る体臭が、未来流を安心させてくれた。
小さい頃、路地裏に隠れていた未来流の友達は、野良犬や野良猫だった。その彼らと良く
似た匂いがする。
いや、それよりもずっと良い香がした。
その香を嗅いでいるうちに、未来流は、自然に涙がこぼれてしまった。
胸元ですすり泣いている子供に、東吾は優しく語りかけた。
「お前は一人ぼっちでは無いんだよ。未来流。 同じような者は世界中にたくさんいる。
お前は世界をあまりに知らないのだ。
見てみなさい、空を。 今夜は、素晴らしい満月だ! 」
未来流は、東吾に言われた通りに空を見上げた。
大きな満月が夜空に浮かんでいた。
金色の輪のように光を放ち、神々しいまでに美しい。
未来流はずっと小さい頃から、この月を眺めていた。
路地裏で寒さに震えながら、飢えで道端にうずくまりながら、男達に追われて逃げ回りながら、
息を潜めてずっと見ていた。
けれど、こんなに月を美しく感じたのは、生まれて初めてだった。
「未来流。月は、決して恐ろしい物では無い。 私達に力を与えてくれる素晴らしい物だ。
その与えられた力を、どう使うかは、全てお前の心にかかっているのだよ。」
未来流は、父・東吾の胸に抱かれながら見た、その月の美しい輝きを一生忘れないだろう。
未来流は、その日を最後に、自分の過去を封印した。
もう、思い出したくも無かった。
心と言うものは不思議なもので、嫌な事を記憶から全て排除してしまう。
それから、未来流は、東吾と一年だけ生活を共にした。
その中で、社会で生活できるように多くの事を学んだ。人間以外の亜人の存在についてもだ。
自分が、人狼である事も。
未来流は、東吾が驚くほど知能は高かった。そして、努力家であった。
生きるための基本的な事を、たった一年で身につけてしまった未来流は、今度は人狼として
集団生活を行うために、京一郎と麗二のいる東京の家へ連れて行かれた。
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