*2011年3月のワタクシ。*
もう三月!?
昨日の夜、いつものバレエスクールでバーレッスンをしてる最中に「あ〜!家賃!」と思い出した。
2月って28日しかなかったんだっけ…すみません、月末振り込みの約束なのに、遅れてしまった。
近頃の「敷金・礼金ゼロ」のマンションとかって、たった一日家賃の払いが遅れてもドアのカギを付け替えて住人を入れなくしてしまうとか。家具も荷物もそのままで。
居住権というモノがあるでしょう、と思えば、そういったタイプの物件の契約は『カギの使用権』であって『居住権』ではないんだと。
恐ろしい世の中になったモンです。
って言うか、そんな商売ほっといていいのか?
…あ、振り込み遅れた事を反省してないワケではないんですよ、あしからず。
確定申告もしなくっちゃ。
1月末の東伊豆以来、また間が空いてしまっているダイビング。
久々に葉山へ行く予定だったのに、前夜イントラY氏から「強風で朝ジャッジ、8割方中止」の連絡。
一緒に行くはずだった二人もキャンセルしたと言うし、朝まで待って潜れたとしても、あまりコンディションには期待できそうにないと判断して夜のうちに中止に決めた。
あ〜〜〜〜〜〜残念!
前日は水温15度、透明度20mだったって!
そんな葉山見た事無いんですけどぉ〜。残念でたまらない。
金銭的に困窮して来たのと、このところ行くたびポカが目立って自分で少しイヤになって来ちゃった部分もあり、あまり積極的でなくなってるんだけど。
やっぱり行きたい、海の中。はあ。
実は前夜、もう一つ連絡があって、実家のリフォーム相談を業者を交えてやると言う。
葉山の約束があったので一旦は断ったものの、海が中止になったので参加する事にして、朝から実家へ向かう。
築40年、何度か少しずつ修理しながら40年。あちこち傷んでるのは分かってたけど、いよいよマズイらしい。
業者の人が3人と、姉も来てカタログを見ながら、あーでもない、こーでもないと話し合った。
主にキッチンと浴室の機能や色使い。特にキッチン台は帯に短し…で、なかなか決まらず、次回に持ち越しになってしまった。
でも、カラー写真を見ながらアレコレ考えるのは、なかなか楽しかった。
工事はもうすぐ始め、ちょっとずつやっていくとの事で、一時移転とかは必要無いみたい。
お風呂、かなりいい感じです。
ちょっと楽しみ。
また扁桃腺から膿が出るようになってしまって、耳鼻咽喉科に抗生剤を処方してもらいに行った。
医者も薬剤師も「またですか…」と眉をしかめる。この前は去年の12月、その前は10月だった。頻繁すぎる、って言うか全然治っちゃいないんだろうね。
根本的解決は無いものか………。
落ち込むなぁ。
この時期、花粉真っ盛りなので、耳鼻科は大変な混雑。
そして通年、子供の患者が多く、奴らはここでは特に泣く。
あ〜うるさかった!あまりの泣き叫びぶりに、もう笑ってしまうんだけどね。
でもそう言えば、今年は花粉が多いと聞いた割には私の症状はそんなでもなく、ちょっと嬉しい。
一頃より明らかに症状は弱くなってるような。
マスクをシッカリして歩くようになったせいかな?
※後日耳にした話では、アレルギー症状が弱くなって来るのは加齢による免疫力低下の表れで、決して良くない兆候なのだとか。
そうだったのか……(泣)。
地震!!!
日本の記録上最悪のマグニチュード9.0だとか。
第二金曜日は、恒例の『シナリオ教室』のOB有志の集会があって、飯田橋まで行く予定だった。
そろそろ神楽坂のアクセサリーも、新しいのを入れてもらおうと思っていたところ。先に神楽坂のお店に寄って、すぐ近くの飯田橋に直接歩いて行こう、と計画を立て、お店に電話を入れた。
夜のシナリオの時間から逆算して夕方出掛けようと思っていたら、お店が今日は早仕舞いだと言うので、遅い昼食後早々に支度を始める。
神楽坂は元々、和裁教室のあった場所。教室を辞めて、着物を着る事が少なくなってしまったので、今日こそは着物で出掛けるぞ!と意気込んでいた。
最初の揺れは14:45頃。
化粧も済ませ、足袋も履き、バッグも用意して、着付けの仕上げ、帯を縛って、後はお太鼓作るだけ、というタイミングで、グラリと来た。
始めはたいした揺れではなく、控えめな横揺れだったので、「あら地震」程度に思ったんだが、いつまでも揺れが治まらない。
むしろだんだんと揺れ幅が大きくなっていく。
木造モルタルの二階の部屋の、あちこちがミシミシ言ってるし、本棚の上段に並べたCDが降って来た。
今気付いた。本棚が倒れると、Macが潰れる!まずい。
揺れてる本棚を手で押さえる。ついでに起動中のMacに「地震だ〜!」と書き込みをしてみる。
幸い、何とか歩けたし、押さえた本棚から本が飛び出す程の揺れではなかった。
以前消防署の『地震体験』のワゴン車で揺られた時は、『震度6』で立っていられなくなったのを思い出す。では今日のは震度5くらい?
あまりにも長く激しい揺れなので、「ひょっとしたらこのまま…」と、不吉な思いが頭を過ぎる。まずい、避難するにしても、この(着物を着かけた)服装では。
長い長い揺れが治まり、ホッと本棚から手を放して、ガスの元栓締めて、さてどうしたものか。
この時点ではまだ、甘く見ていて、予定道理出掛けられるかも…と、そういう方向で考えていた。
が、お太鼓を造り終わったあたりで、再びグラリ!
ここに来てやっと、これは本当にタダゴトではないと認識した。
ラジオを点け、せっかく着たばかりの着物を大急ぎで脱いで、動きやすい服装に着替える。
さっき電話した神楽坂に電話して、今日は中止にしてもらう。
ガスの元栓を閉め、浴槽に水を入れる。ベランダのサッシと玄関のドアを開けてみる。本棚とMacの距離を引き離す。…あと何をしたらいいの?
シナリオの会の方は、と主催者に電話をしたら、もう通じなくなっていた。
ラジオでは、最初震度3と言っていて「うっそ〜」と思ったら、情報が入るたびに数字が上がり、結局予想通りの震度5になったようだ。
母にも電話をしてみたら、回線が満杯のアナウンス。何度目かに呼び出し音が鳴ったのに出ない。不安になる。
後は何をやっていいのか分からず、ラジオとMacを点けっ放しでウロウロしていたら、シナリオの会の人からメールが入って、安否確認と今日は中止の知らせ。
災害時には電話よりメールが通じやすいというのは本当だったみたい。
でも母にメールを送っても返信は無し。
ラジオでは関東地方の多くが停電してると伝えている。もしやとネットで調べると、実家のあたりも停電してるようで、それで電話が使えないのかもと少し安心した。留守番機能付きというのも考え物だ、と初めて気付いた。
幸い、私のいる辺りは停電も無く(すぐ近所は停電してたそうだ)明るい夜を迎えられたが、余震が続く中ガスを使う気にはなれず、かと言って就寝する度胸も無くて、うすら寒い中布団を身体に巻き付けてラジオを聞いて過ごした。
TVは寝室にしているロフトに置いてあって、揺れたらハシゴを降りて逃げられないかも、と思うと見に行く気になれず。
10時過ぎにもう一度母に電話を入れたら、やっと通じた。停電が回復したのが9時過ぎだったそうだ。携帯に送ったメールの存在には気付いていなかった(笑)。
薄明るくなってから少しソファでうつらうつらした。
明けてみると、ニュースはさらに悲惨を極めていた。
神戸の時も最初の情報は「死者2名」だったのを覚えていたので、当初の報道を見ながら「これでは済むまい」と覚悟はしていたけれど、どうやらそれでも予想を遙かに超えているようだ。
TVでは悲惨な津波の様子等が流されているらしい、とネットで知ったが、見る気にはなれず、相変わらずラジオを聞いて過ごす。
しつこい余震が続く。こんな酷いのは初めて体験する。
知り合いの書き込みで、都内で電車が止まってしまい、飯田橋の避難所で夜明かしした、というのを読んで、もし私も着付けが15分も早かったら、着物姿でそういう目に会っていたのだと思い至ってゾッとした。
余震も心配だが、今日は何とか電車は動いているようなので、少し悩んだ末実家へ向かう事にする。
毎年確定申告は実家から提出に行くので、この日(12日)に行って書類を作る予定だったし、実は15日から家族で旅行の予定も入っていた。
混雑時を避けて午後の早めの時間に出たせいもあり、土曜日だったせいもあるのか、この日は特に混雑も混乱も無かったと思う。昨日は止まった電車も、今日は動いていた。
実家に到着して、遅ればせながらTVで津波の映像を見た。口を開けて見てしまった。
それでもまだ、この時点では事を甘く見ていたと、後になって思う。情報社会なんぞと言ったところで、天災に遭えばこんなモンなんだと、つくづく思い知る事になった。
※記載日は21日。最初の揺れから10日経って、首都近郊のスーパーから米やトイレットペーパーが消え、ガソリンスタンドは長蛇の列。原発事故の先行きも不安だ。
買い占めに腹は立つし、政府の対応にも言いたい事はあるものの、被災者のために何かできないか?という気分も盛り上がりを見せつつある。
これからが本当に大変だ、とも思う。
どうなってしまうのか、この国は。
このところ少し間遠になっている地震が、せめて落ち着いてくれるといいのだけれど。
恥ずかしながら、沖縄行って参りました。
世の中がこんな事になってるというのに、なんとまあ、脳天気な。
しかし、言い訳がましいけれど、当初はここまで長引くとは予想だにしなかった。
大地震の翌12日、実家へ向かった。15日から家族(姉一家と母、私)旅行の予定だし、14日は確定申告の締め切り日。
なんだか世の中は凄い事になってる、どうすんじゃと思いつつ、申告書類を作っていたら、出発前日になって、旅行の企画者の姉が電話して来て「電車が止まって羽田まで行けないかも、旅行社と連絡が取れない、仕事が忙しくて手が離せない」。マズイ事に、出発時刻は羽田発朝7時台。
電話にネット、本社の予約センターでやっと人を捕まえると、キャンセル料は通常通り、羽田空港へは「モノレールは動いてます」。おいっJ○B!
地図に路線図に時刻表、運行状況ニュース。電車運行は予定が立たず、タクシーは予約を受け付けない。もう申告どころじゃない、諦めた。
当日、とにかくバカみたいに早起きして、何とか羽田空港へ。
甥っこ2号には1年半ぶり、1号には3年半ぶりくらいで会った。
もう母は荷造りもイヤそうにしていたが、姉一家は忙しく、母は高齢で、こんな機会はもう無いかも、と思うと、ゴリ押しでも決行する気になった。
無事乗った飛行機は、ガラガラ。多分地震発生と同時にキャンセルした人が多かったんだろう、本当にボンヤリな私たち。
それでもまだ、この時は、帰る頃には(少なくとも首都圏近郊は)騒ぎも収まっているかも、程度に思っていた。
沖縄は曇り空。北風が吹いて、寒い!一昨年の12月の極寒ダイブ旅行を思い出した。
那覇空港からレンタカーを借りて、義兄の運転で高速を北上。
昼食は、ガイドブックでカニ汁の写真が魅力的だった『石川漁業婦人直売店』。石川港にあるシブ〜イ食堂で、カニ汁。他にもグルクンとか色々メニューはあったのに、6人全員が迷わずカニ汁(笑)。
ワタリガニ3匹分山盛りで、美味しいけど食べるのが一苦労。甥達の悪戦苦闘ぶりに、母が食べ方を指南、ちょっと嬉しそうだった。
すっかり手がカニ臭くなって、店内にはちゃんと手洗い場と石鹸が設置されていたけど、そんなモンじゃ取れないくらい臭い(笑)。
なるべく顔に手を近付けないようにしながら、すぐ近くの『ビオスの丘』へ。
沖縄版子供の国みたいな感じかな?広大な敷地内に、数々の植物、川、遊具。
入り口から蘭の花が咲き乱れていて、花好きの母は感激していた。あんないい香りの蘭もあるのね。
竜の形に刈り込まれた木(コイツが時間で目玉が光り、蒸気を吐く!)の間を抜けて広場に出ると、山羊や鶏のいる『ふれあい広場』。山羊がやたら人なつこいと思ったら、100円で売ってる餌を期待しているだけだった(笑)。
気候が良ければノンビリまったり、一日でも過ごせそうな所だけど、いかんせん寒い!気温は18〜24℃と聞いて、いらないかな?と思いつつフリースの上着を着て来たが、ダウンの方が良かった。
川では湖水鑑賞舟というのがあって、なんか天然の『ジャングルクルーズ』みたいだった。ガイドのお兄さんもノリノリで笑えたし、マングローブ茂る水辺には宝石みたいなカワセミも(多摩川にもいるけどさ)。
貸しカヌーや平舟もあって、若者がけっこう集まっていた。楽しそう、だけど今日は寒い、カヌーは。
アスレチックや巨大ブランコ、水牛車。ちょいと寂れた昆虫標本館。迷路もあったらしいが、寒いし疲れたのでパスして出口へ向かう。
お天気のいい暖かい日に、お弁当持って来るのに良さそうな所で、今日の寒さは残念だった。
出口前の土産物屋の一角に、『フィッシュセラピー』コーナーを発見!
お魚が足の角質を食べてくれる、というもので、一度やってみたかった。姉と私で参戦、男子組はアイスを食べてる、この寒いのに。
水槽に足を入れると、黒い小魚がワッと寄って来てつつき回すので、最初はくすぐったいし鳥肌が立ったが、すぐ慣れてしまい、魚の方も慣れたのか、だんだんあまりつついてくれなくなって、なんとなく地味な10分間だった(笑)。
でもいいや、一度やってみたかったし、歩き回った足がとてもスッキリして楽になった。角質は………うーん???
さらに北上して、甥っこ2号が修学旅行だかで来て気に入ったという万座毛へ。
駐車場からヤバい位に強風で、帽子は飛ばされそうなのでお留守番、って事は頭が寒い!やっぱりフード付きのダウンジャケットにするんだった。
お天気もイマイチで、空はドンヨリ灰色。途中ちょっと、小雨もパラパラ。でも、南国の海はそれでも碧い、浅瀬はエメラルド。そして、さすがは名所のダイナミックな景観に、しばし見とれる。並んで記念撮影なんぞもしてみる。
薄暗くなって、宿泊ホテルへ。
でかいホテルで迷子になりそう。でも大浴場が二つ、どちらにも入れて露天風呂もあり、温水プールもあるというので嬉しい。
外庭には広い野外プールがあり、その向こうは白砂の海辺だけど、この季節では眺めるだけだ。(でも4月には海開きなんだよね…ブルルッ!)
ホテルは綺麗なんだが、あちこちにミョーにおちゃらけたシーサーが置いてあって、ちょっと下品。センス疑われまっせ。
途中もラジオ等で薄々分かっていたが、まだ地震は続いているらしい。
観光してても、なんだか気が晴れる事がなかったけれど、ホテルでTVを見たらますます恐ろしくなった。
今日の震源地は静岡だという。ダイヤは乱れ、ガソリンは不足、電池も米も店頭から消えた……「電池買って行こうかな?」沖縄にはいっぱい、並んでる。
なんだか申し訳ない気持ちになるが、帰ってどうなるかとそれも心配。ってか、帰れるのか!?
ホテルの周囲にソバ屋や居酒屋くらいあるだろうと思ってたら、何も無い。ホテル内のレストランは高いし昼食が豪華版だったので、夕食はコンビニ食(これがまた大騒ぎだったんだけど…)。
室内プールに泳ぎに行ったら甥っ子達が先に来ていた。
ここもジャグジーが野外に設えてあったりして、気候が良ければ気持ち良さそうなんだけど。
普通に競泳用25m プールで、ほぼ貸し切り状態だったので、いつもの通りにタラタラ1時間泳いで、そのまま隣接する大浴場1へ。
温泉ではないけど、広いお風呂でノンビリできて嬉しい。
半日間苦しめられたカニ臭い指が、やっと無臭になった(笑)。やっぱりお風呂な偉大だ。
…でも、ビックリしたのは、露天風呂にも洗い場がある!さすが南国、でも誰も洗ってなかったけど、さすがに。
大浴場2で朝風呂に入り、朝食はホテルのバイキング。
和食と洋食に分かれてるというので、今朝は和食を選んだら、とっても美味しかったんだけど、コーヒーが無いので母は不満顔。すごいマニアックなお茶が数種取り揃えてあったのに。
姉は携帯で仕事が大変な事になってると気を揉んで、一人で先に帰ると言い出したが、食事が終わる頃には腹を括ったようで何も言わなくなった。
本当に皆、どうしているんだろう。
午前中、甥'sは体験ダイビング。真栄田岬の『青の洞窟』の予定が高波で変更になって、もっと北のビーチに行ったようだ。
感想は「楽しかった、寒かった、たいした魚はいなかった」(笑)。
真栄田は去年の春行ってとても良かったので、体験させてあげたかったなぁ。ツバメちゃんも可愛いし、でかいし。残念でした。
で、大人4人は近場で観光。
本当は私もダイビングに行きたかったけど、まあ今回は、家族旅行という事で。1本潜るのに器材送るのもナンだし、レンタルも高いし。
と、自分に言い聞かせた。
とは言え、甥達と落ち合うまでの短い時間に行ける所は限られてしまう。
パイナップルパークもフルーツらんどもイマイチな気がして、なんか暖かそうなので『やんばる亜熱帯園』へ。
…しょぼ。
まず考え違いは、"亜熱帯"というのはここでは普通の気候なので、イメージしたようなビニールハウスとかそういった施設ではない、変わらず吹きっさらしの野外である。そして、良く考えたら昨日さんざ歩き回った『ビオスの丘』も、言ってみれば亜熱帯植物園だったワケだ。
それでも、ここはアンスリウムの大群生等、昨日無かった植物もあったので、母は楽しんでたようなので、良かった。
順路表示も適当なので、ちょっと調子に乗って草深い辺りへ踏み込んでみたら、草の種だらけになってしまった。
さて、たいして時間は無いし、まったりお茶でも、という事で、古民家を改造したというカフェへ。
山の中へ一本道を上って行くと、なるほど古そうな『やむちん喫茶 シーサー園』。
外観は普通にボロ屋だが(失礼)、中へ入ると囲炉裏が切ってあり、二階は見晴らしの良い座敷で、目の前の屋根にはシーサーがいっぱい。
二階が絶対いいんだけど、吹きさらしで寒い。見学だけさせてもらって、年寄りは階下で囲炉裏を囲み、熱い飲み物をすする。
沖縄風の焼き菓子やぜんざいなんかもあったけど、すぐ昼食なので我慢した、残念。
山の中の一軒家でノンビリ営業してる風だけど、若いお嬢さん達がけっこう何組も出入りして、なかなか賑わっているようだ。古民家の力?
店を出てから見学自由の庭も拝見。居心地良さそうな離れの座敷もあって、ここもまた、ああ、夏だったら素敵。
ボーイズを迎えに行って、午後の予定の水族館へ向かう途中、昼食は沖縄そば。
『夢舎(ゆめのや)』は、これまた古民家、そしてさっき以上に山の中。
カーナビが役に立たず、さんざん迷って電話で聞いたりして、やっと辿り着くと、人の良さそうなご主人と奥さんは揃ってお出迎え、「ウチは迷路ですからね〜」。
ここも夏ならどんなに居心地がいいか、という趣ある造り。縁側が吹きさらしで風がピューピュー。沖縄の人達って、実は寒さに強いんじゃなかろうか。
でも、さすがに座敷には膝掛けが用意されていて、有り難くお借りした。
沖縄そばの前に軽い突き出しが出て、島豆腐、おから、豆乳、漬け物と、うん?塩味のカリントウ?と思ったら、沖縄そばの揚げたのだった。美味しい!
そして、出て来た沖縄そば。う、うんまあぁ〜〜〜い!!!
今まで食べた沖縄そばで最高かも。本当に美味しいし暖まって、道に迷ってちょっと雰囲気悪くなってたのも忘れ、皆すっかりゴキゲンに。
甥っこ1号が食べた『海ぶどうそば』は、海ぶどうの盛りが半端でなく、そして意外にも出汁との相性が良くて驚いた。
午後は今回のメインとも言うべき『ちゅら海水族館』へ。私以外は皆初めて。
でも大丈夫、水族館は大好きだし、何度行っても楽しい。
…でも、ここで魚を見ると、やっぱりダイビングしたかったな〜と未練たらしく思ってしまう。
古民家カフェなんてダイビングで来た時にはまず行けないから、これはこれで良かったと思ったばかりなんだけど。
今日はちゃんと帰り道でコンビニに寄って、夕食を仕入れてホテルへ。
早めに着いたので、夕食前に母とプールで一泳ぎ。
明日は夕方の飛行機で帰るので、それまでの短い間にどこへ行く?と姉と手持ちのガイドブックを見るが、詳しい情報が無くて「またショボいかも…」と、決めかねる。
ロビーにPCがあるので、ネットで調べようと降りてみたら、フランス人の老夫婦が2台のPCを独占して話していて、しばらく待ってても見向きもしてくれない。
(君たちの居間かい!?と思ったが、彼らにしてみれば大変な時に来てしまったと不安で情報をかき集めていたのかも、と後で思い至った。ごめんね。)
仕方無いのでフロントのお兄さんに聞いたら、すぐ別のPCで検索してプリントまでしてくれた。
…でも、この近くの観光地なのに、お兄さん知らないらしい。……期待薄。
結局時間も無くて、そこは候補から外したが、鍾乳洞、ちょっと行きたかったな。
朝風呂の後、今朝は洋食バイキングへ。
すごい食べちゃうんですけど……太って帰ったらどうしよう?
さんざん考えた末に、すぐ近所にある『ブセナ海中公園』の海中展望台へ。
展望台までの道はちょっとした公園になっていて、可愛らしい花が咲き、小鳥が歌って、なかなかのどか。
砂浜でちょっと遊ぶ、せっかく沖縄だもの。記念撮影も。
時間があったらグラスボートも乗りたいな、と思っていたけど、橋の上から高波に揉まれるボートを見て思い留まった。すごい事になってる、客は全員ゲロゲロじゃないのか!?
今日も風が強くて、海の上に張り出した橋を歩くと吹き飛ばされそう。そしてやっぱり、寒いっ!東京でもこんな寒い思いは滅多にしないよ。
展望塔は、螺旋階段を3mばかり降りて、丸窓から海の中の魚を眺める、というだけの単純なものだけど、餌付けしてるせいもあって魚はいっぱい。種類も色々。
ソウシハギなんかもいたが、皆に人気は意外やブダイ(色綺麗だもんね)。ハリセンボンもいっぱい。そして丸窓の枠に乗ったイソギンチャクには、クマノミが棲み着いていた。
壁には魚の写真付き解説が貼り出されていて、あーでもないこーでもないと結構長居してしまった。
ああやっぱりダイビング(以下自粛)
意外に時間を食ったので、とにかくまっすぐ那覇へ戻って空港に荷物を預け、レンタカーを返してから『ゆいレール』で国際通りへ。
国際通りを冷やかしながら市場へ入り、昼食は公設市場の二階で沖縄料理。
以前から、市場で買った魚を二階で料理してもらえると聞いて、やってみたいと思っていたんだが、時間が押してしまってそんな余裕は無く、慌ただしく沖縄料理を注文して、わしわしと食べた。
ちょっと忙しかったけど、かなり沖縄料理らしきものをリーズナブルに食べられたので、良かったんじゃないかな?
焦った割に、飛行機は1時間以上遅れて出発。
行き程ではなかったが機内は空席が目立ち、離陸前に窓際の空席に移動して外を眺めた。
停電のニュースも聞いていたのでドキドキしたが、東京の夜景は明るくて、何事も無いように見えた。
電車も動いてた、良かった。
でも、明日からちょっと面倒な生活が待っている、かもしれない。
先日、生地や和装小物を山盛りもらったR太の家へ、また行って来た。
引っ越し日が近付いて来ていて、前回すごい状態だったし、そろそろ本当〜に切羽詰まっていそうだったので、今度こそ本気で荷造りのお手伝いに。
地震はまだ続いていて落ち着かないし、湘南ライナーは止まったきりだし、でもわりと普通に生活している、大丈夫。
玄米平気だというので(近頃我が家は玄米オンリー)、簡単にオニギリ弁当を作って持って行く。
茅ヶ崎発のバスの車窓から、開店前のスーパーの前に伸びる行列を何度も見て仰天した。
確かにトイレットペーパーも牛乳もラーメンも棚は空っぽだけど、正直数日無くてもどって事無いモノばかり。こんな騒ぎになっているとは……(汗)。
バスの中でも、携帯の地震警報が鳴る。
数軒のスーパー、ガソリンスタンド(こちらはやや深刻かな?)で、長蛇の列を眺めて、何やら今更ながらに焦りを覚える。
いかんいかん、乱されちゃダメだ。
なーんて言ってて、本当に手に入れられなくなったら後悔するんでようね。
R太の家に入ると、覚悟してたよりはずっと片付いていてビックリ。そう告げると鼻の穴を膨らまして「頑張ったもん!」…本当に頑張ったね。
引っ越しの荷造りと同時に亡くなったお母様の遺品整理もする形(しかも遺品が異様に大量)なので、それは大変だと思う。
今回はまず、裁縫道具の分別を仰せつかった。
立派な木の引き出し式裁縫箱の他に、中型プラケース二つにミシンの引き出しになんだか分からない引き出しにもぎっしり詰まってる、糸、針、テープ類、ゴム、etc.etc…。
幸いと言うか、糸や布、針は劣化するので、棄てる物は選別し易かった、が、保存状態が良い物でもやたらと数が多くて、かなり無駄な捨て方もしてしまった、かも。
そして、綺麗に残ってる糸なんかを、またいくつか持ち帰らせていただいた。
他にも、裏地やシフォンなんかを数枚。ちゃんと使うのか?私。
裁縫箱をやっつけてランチタイム。
昨日スーパーで、諦めてた卵が手に入ったので、卵焼きも持って来られて嬉しい。(こんな文章を書く日が来ようとは!)
積み上がった荷物の隙間でオニギリ食べるのは、なんだかピクニック気分で楽しい。
午後も引き続き片付けたが、後から後から出るわ出るわ、お母様の浸け込んだ梅シロップだの、ミカンの皮の増毛剤だの、ドカンと大瓶入りの水物の数々。和装の髪飾り。何だか分からない金属製の器具もろもろ………。小銭の山も出て来た。本当にワンダーランドだ(笑)。
そして、やっぱり地震。この環境で揺れられると、マジ怖い!
思わずベランダへ出てやり過ごした。
R太はもう、着物は転居先に持って行って、後からゆっくり選別する事にしたらしい。
足踏み式ミシンも愛着があるが、場所を取るので悩んでいるとか。
途中、リサイクル屋だかアンティーク屋さんが来たり、あちこち電話したり、本人曰く「思考停止」になるのも無理はない忙しさ。
こりゃ大変だわ、という思いを新たにしつつ、薄暗くなって辞去した。
実家がリフォーム中で、出た廃材と一緒にゴミがあったら棄ててくれる、と言うので、これ幸いと溜まった粗大ゴミを捨ててもらう事にした。
ダイビングのメッシュバッグに壊れたプリンタとスキャナ、BC(浮力調整用ジャケット)を詰め込んで、これまたダイビング用に買ったキャリーカートに括り付けて引きずり、もう一方の手には割れた全身鏡をグルグル巻きにしたのを抱えて、電車乗り継いで行く。(ダイビングやってて良かった…笑)
地震の関係でエスカレーターはあちこち止まっているが、幸い、と言うか、さすがにエレベーターは動いていて助かった。上り坂はちょっときつかったけど。
実はこれでもまだ棄てたい物が残っていて、つくづく溜め込んだモノだなぁと自分に呆れる。この機会に棄てさせてもらう事にして、また持って来よう。
で、せっかく少し物が減った仕事場ではあるが、実家から先日発掘された伯母の着物とか、ビーズ材料とかを持って来ようとしたら、またダイビングバッグに一杯になってしまった(笑)。
工事の関係でラインを抜いたら、また電話がかけられなくなった、掛かって来る方は問題無い、というので、見てみる。
前回引っかかったのと同じ、節約アダプタだかが回線途中に付いていて、それが停止状態。針穴状のリセットボタンに安全ピンを刺して(旧iMacを思い出す…)完了。
数日後、また同じ状態で電話が掛けられないと連絡があり、リセットの説明をしたが回復しないと言う。もう回線外さなきゃいいのに。
大荷物引きずったまま、実家と仕事場の途中にあるバレエスクールへ行った。
「どうしたのそれ!?」と聞かれたので「家出」と答えた(笑)。
市の無料乳ガン検診に行って来た。
少し前に期限ギリギリ(こればっか…)で予約を取ったんだが、地震騒ぎで通常通りできるのか、ちょっと心配。
念のため、と思って電話してみたら、「12時のご予約ですね〜、大丈夫ですよ」。
え!?メモには2時と書いてある……!!!
記入ミス!?時計を見ると11時。大慌てで支度して、ネットで地図検索、家を飛び出した。
初めて行く病院は、幸い駅のすぐ側で、迷う事も無く到着したが、飛び込んでみたら婦人科だけ別の入り口で、病院内で右往左往してしまった。
今日はお天気が良くて、汗かきながら受付へ。
やれやれ、と思いながら初診の書類に記入してたら、「11時半からの方来ません」「キャンセルね」の声。地震で避難したか!?
ネット上では、首都圏在住の東電社員の家族が関西に避難している、なんて話も流れている。政府発表なんて誰も本気で信じてない、けれど、逃げ出す程の事なのかは判断できない。いつまで続くんだ、こんな状態。
待つ事も無く、まずは触診。
若い女性の医師で、ちょっと嬉しい。やっぱり婦人科は女性だと気が楽。
検査自体あまりにアッサリしてたので、こんなんでいいんかい!?と、ちと不安にもなった、でも問題は無さそうと言ってもらえて一安心。
以前から気になっていた、右脇の下が腫れる(なんと2003年からだよ!)事を相談してみたら、軽く触って「ああ、多分フクニュウですね」フクニュウ???
副乳。人間の乳は二つだが、元々は複数あった乳腺が、退化し損ねて残っているケースがある。
…2003年の検査で、あの若造の医師が言った「リンパじゃないみたい…」と、いうのは当たっていたワケだ。(副乳が本当なら、だけど)
そして、数年前さんざん調べた時には全然かすりもしなかった『副乳』という言葉、今検索してみると『脇のしこり』等ですぐヒットする。最近言い出された事なのか?
ただし、痛みに関しては『妊娠中』『授乳中』が殆どで、どちらでもないんだけど、私…。
ちなみに副乳の保持者、女性の約5%だそうです。
続いてマンモグラフィ。
小柄な女性技士さんが、でかい私にぶら下がるようにして(笑)セッティングしてくれた。
最初受けた時は驚愕したが、見慣れてしまったのか、潰された乳を見ても動揺もせず(元に戻るのは分かったし)痛みもさほど感じなかった。
やれやれ、取りあえず、終了。
結果が出るのは一月後。聞きに来ようかと思ったけど、郵送にしてもらった。
病院を出ると、まだ1時前。今日は本当にいい天気で、駅前でランチでもして行こうか、軽く散歩でもしようか、と考えたが、放射能が怖い(と、いうのはどこまで本気か分からないけど、どうもそんな気分になれないのよ)ので、まっすぐ帰る事にした。
米も牛乳もトイレットペーパーも、通常通りとは言えないまでも、戻って来ている。ガソリンスタンドの行列も無くなった。計画停電も、なんだかあまり聞かなくなった。
ありがたい事ではあるけれど、大丈夫なのか?ちゃんと被災地に物が回っているんだろうか?