2015/11/19

紫禁城 九龍壁 清代乾隆帝 造営の謎をプロファイル(1)

プロファイル(2)もご覧ください。

歓迎光臨


 紫禁城HP(中国語)   The Palace Museum


先の王朝で作られた皇帝の磁器からインスピレーションを得て、新たに後の代の皇帝が作るものが実は多い。

まさに歴史の宝庫 中国ならではのこと。これらのならわしから、皇帝達の心理を探ることが、また可能です。

では、上の紫禁城のおおきな九龍の元型はなんでしょうか?


今回は、明代の皇帝達の遺品を覗きながら、この謎を解きましょう。

まずは、万暦帝の龍、次はその元型らしい永楽帝の幻の血龍です。キーワードは、どちらも数字の八です。

八はどうも卦(け)の八からきます。八卦。王の証でもあります。皇帝が占います。

また八卦の印は五爪龍と同様、皇帝以外使えません。

八卦紋

八角皿と八をモチーフの皿 左唐玄宗 中2つ宋徽宗 右趙もうふ墓

元末期王品 趙もうふ墓。 武勲をあげた武将に配られた。のちこの図柄が好まれ流行。芙蓉紋の元型。

九では、残念ながら、この謎は解けません。

そして幻の2代皇帝 建分帝も重要なヒントになります。


明 万暦帝の龍を愛した乾隆帝

建文帝は歴史から長く消されたエジプトの有名なツタンカーメン王の扱い。

建文の年号は、この明代万暦帝により復活。つながりがひとつ見えてきました。

しかし明代に建文帝の名誉回復はなされなかった。


八角八宝の鉢 キーワードの八がでます。八は皇帝の数。

明 万暦年製の八角深鉢 8辺に8宝。外は向かい合う龍と鳳凰。

お目出度い図柄ですね。


清 乾隆帝はこれをひどく気に入り身近に置いた。

それは乾隆帝のヒキで万暦銘(暦)が消された事から知れる。弘暦を避けます。

もし皆様が万暦年製のものをお探しなら、この銘消しから、まずお集めください。

乾隆帝の目に適(かな)ったものですから。


万暦年製を消したもの。乾隆帝のお気に入りですね。

これにも八つの大きな蓮


万暦年製の見本です。上はこれを削り取った。

万暦の磁器はどうやら大きく2グループに分かれる。1つは上に見る万暦帝存命中だろうか、出来の良いもの。

もう1つは、万暦帝没後、副葬品として多く焼かれた、あまり出来の良くないもの。


八角 八対の龍と鳳凰図 外にも八対の龍鳳凰図。おなじみですね。

下は初めて集めた当方のコレクションです。まだ物の見方が出来ていなかった。

ただ資料としても直に見たかったんです。随分すごいものではありますが。

更に悪いことには、万暦赤絵と呼ばれ、これら出来の悪いものを元型にして、のち大量にコピーされた粗悪品。

従来はこれら粗悪品、コピー品が多く伝わった。



赤い血を全身からふき出す

明三代皇帝 永楽帝 御製 藍彩噴血九龍皿

卩(せち)の文字を取った

四対 八龍が玉を奪い合う図 キーワードはこの八龍です。

 甥の建文帝(1378生まれ 在位1398-1402)をほおむり、国を簒奪(さんだつ)。

これを隠す。建文の4年間は消された。これを靖難の変という。


 明 建文帝の名誉回復をしたのが実は清代乾隆帝。これが2つ目のつながりです。

縁もゆかりもないと思える治世4年の建分帝。なぜそうまでしたのでしょう?

ざっくり言うと、この国を奪った、正統王位にならない二代永楽帝の二代をとる為。

二代皇帝では、大変マズイ事があったんですね。


それは国の簒奪、のっとり。詳しくは下の九龍壁 造営の謎(2)にあります。

これには乾隆帝の親である清朝二代皇帝、雍正帝が深く関わる。

雍正帝は雍正纂位(さんい)という、王位のっとりが付きまとう。

これが実にマズイ事だったのでしょう。二代つながりですね。


親の二代は替えられません。ならば運よく明代には建分帝が居たわけです。

これでまず永楽帝をうまく二代から外せました。つまり三代に替えました。

この時代の皇帝の悩みと思考方法が察せられる出来事です。


あわせて永楽帝の心の中を少し覗いてみましょう

 Let's profile his deep deep mind psycologically. 


まるで生きて、うごめいているような龍のレリーフ。血を吹くと本当に気味が悪い。


乾隆帝がこの永楽帝の龍を気に入った4つのポイント


その1 王権、王朝とは武力で勝ち得るもの 自身も旺としなかった

真ん中に玉、つまり国を得た旺自身の姿。これが四爪龍。また四対の龍が、玉を争う。

建文帝に自身は王朝を奪う伯父と素直に心情を吐露したともいえる。なかなかできません。


その2 建文帝も旺と認めなかった

だから国も奪うことができます。王と認めれば被葬者としての五爪龍がでます。

当然、恵帝は王墓に入れない。


その3 永楽帝の癒されぬ心 このことが乾隆帝の胸を更に深く打った

御製の文字から読み解く九龍の皿

乾隆帝の親、雍正帝も、同様。皇位継承には、血なまぐさい8弟追い落としがつきまとった。

雍正簒位(さんい)は、下の謎(2)にあります。


てん書体で詳しく見ると、どうも少し変なんです。御の字から右端のひざまずく人の字、卩(せち)が無い。

 この卩が書かれていないのが、本日のポイントです。



卩はせち、せつと読み異体字”犯”の旁(つくり)。つまり犯を強く連想させたのでしょう。

これが一般にいう 犯罪者心理です。

永楽御製は御製≒犯製の響きあり。これを永楽帝は嫌い、卩(せち)の文字を取った。


永楽は罪を犯し、これを作るーーこれでは誰でも嫌ですね。


とりあえず、この結論に至るのに足掛け1年掛かりました。

今回はどうしてもこの謎を解きたかった。私も皆様同様、永楽帝の大ファンなのです。


しばらくお話がそれます。

陶家末裔の使命。中国コレクターとの1つ目の約束。真実を伝えること。

今までの謎解きを思い出します。この13年のまずは成果。

ロス市警のコロンボ刑事の様に行く先々殺人現場です。

違うのは暗殺でお蔵入りになること。そして犯人は皆皇帝になりました。そして歴史を書かせます。正史です。


陶家のみ法で真実を伝えることが命じられ、許されます。

これは中国の歴史を知る上で実に重要な事柄です。

中国の磁器は他の書、絵画などの美術品、工芸品などの枠を超え、時に歴史書、皇帝の自分史になります。


唐 則天武后長男の不審死 五代皇帝暗殺 北宋 千載不決の議の皿 北宋皇帝暗殺 北宋滅亡の謎 


磁器はその美で後の皇帝を魅了し、また法を通して先の皇帝の本音を伝え、ついに歴史の真実も覗かせる。

恐ろしい事ばかり。知らなかったことばかり。結果知る、書の歴史は都合の良いことばかりだと。

なぜ?

皇帝の磁器はなぜこうも本音を語るのか。またなぜそれほど各王朝に愛され、こうして引き継がれるのか。

 500年 1000年 1500年後まで、歴史の真実をこうして伝える為なのか。

ならば真実を一体誰に伝えようとしているのだろう。

新たな王朝がこれから生まれるというのだろうか。新たな皇帝が生まれるのでしょうか。

陶家と皇帝。皇帝ひとりに伝え、王朝に伝わるべきもの。

さて、この本来の使命はなかなか難しい。



お時間のゆるす方は一度お調べ下さい。

御のもともとの成り立ちはこちらのサイトで確認 Check the letter "御” originally.

御の成り立ちが下にあります。

卩はこちらのwiktionaryをご参照ください。

永楽御製の確認

てんしょたい確認はこちらのサイトで、製御楽永と打ち込んで下さい。


その4 幻の噴血九龍皿

それは龍が湖面に浮かぶと、戦う九龍の全身から、血がふきだす皿。


この皿に水を張ってしばらくすると、九龍全部の体中、至る所から赤い血が筋を引きながら立ち上ってきます。

やがて皿は、赤い血に一面、染まります。龍の色が白いのは、この為でもありましょう。


まさに王品を見る醍醐味です。明にもすごい陶家が居た訳です。

陶家は皇帝の意を汲み、磁器を作ります。皇帝の要望もあるでしょう。

しかし実際、血を吹く龍は皇帝の求めだったのでしょうか。

御製本来の意味する事、つまり皇帝自身、それを意図して、手ずから作ったのでしょうか。


水を入れて、浮き上がる血潮を初めて見た時、永楽帝は、ひどく驚き、また大変喜んだ。

それは間違いありません。しかしこの仕掛けは場合によっては、命も危ない。


従来、この磁器はどの書物にも書かれず、口伝にも伝わりません。

そしてどうやら清朝乾隆帝は、この幻の磁器を知ったのでしょう。

またコレクターもそれを知っていたようだ。何も知らぬは我ばかりなり。

後日、私はしっかり驚かされることになった。


明ではあの壮大な鄭和の大航海さえものち隠された。

永楽帝の大偉業の1つですが。

ましてやこの皿のひとつやそこらは、どう伝わったのだろう。

宋代の石刻遺訓の如く、明代 新帝達にまず見せたのか。


そうならばおもしろい。更に乾隆帝が幼い皇子達にも、この皿を見せたなら話としては上出来です。

3つか4つの子でしたら、効果満点でしょう。恐ろしく気味が悪いから。

やがて成長しても、大きな九龍壁を見るたび、その記憶がフラッシュバックします。

その為にも壁をつくる必要があった。この考えは実に理にかなう。

王位を奪った者。奪われた者。

未だ深い心の傷が癒されない。

乾隆帝には親の姿がダブったのでしょう。


厚く盛られた龍の体。ビシビシと入る細かな割れ。実はここにトリックがありました。

皿に水を張ると、やがて、赤い血が筋を引いて立ち上ってきます。

2002年、初めて手にした王品。一度仕込むと2回位、人を驚かせます。

相当気味の悪いものです。


明代の宮中の秘 “噴血九龍皿”のネーミングは当方独自のものです。

金糸鉄線同様、大変見る人を驚かせます。

中の龍の体と頭は特に別パーツで作り、貼り付け。細かい手足は搾り出しで盛り上げ。

後、藍ゆうをグラウンド(地)に付ける。

このため、特に中央の龍の首の下からは、一番多くの血が流れる。

僅かに隙間があるということです。これも意図したことでしょう。

ご参考 その他の永楽御製 力強い龍 盛り上げの手法が特徴です。

卩(せち)が無い御製 ゆうは余り光らず厚め

今のところ、永楽御製の磁器は、上の皿とこの壷を確認している。

余談ながら本来鑑定のキモなるものは、他人に知らせず言わぬものです。

こうして写真をお見せするのも、実は良し悪しです。またすぐ復古が作られます。

今月初めて海外からのお客様に、中国の方がトップになりました。8回です。

少し気味が悪いですが。一般の方は来れませんから。2位は台湾。

歓迎光臨です。

2015/11/30 なぜか今週ロシアの方が海外トップで52件。うちモスクワ25件。

ロシアの検索に載ったのでしょう。ダウンロードが多く学芸員か富裕層でしょう。


ご参考 建文帝 建文3年の年製がある磁器

こちらも盛り上げの手法 大変珍しいものです。

1399年 わずか4歳で皇太子(1396-1402?)となった朱文けい(長男)の壷。 次男も読みが同じけい。

3爪龍から皇太子ですが、従来、父と雲南に逃げたとも、殺されたともいわれる。

この壷は副葬品。皇太子は死んだとなる。8月とある。

これらの磁器を手に取り、眺め、王朝の権力争いに思いを馳せる乾隆帝。

現代の私たちとは次元が違う。御製の磁器は鉛を呑むおもいがしてならない。