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唐代 鈞窯のすべて
2006 8/7 更新

期 洛陽 武則天 (684年-694年) 神州きん窯銘

激しい愛と憎しみ 武后のテーマでしょう

84年から690年まで の孤寡が特徴 神州期のポイントです 素晴しい型入れの技術ですがみな おどろおどろしい
690年から周旺となり、は旺が見られます

高宗 乾陵墓  李賢墓 李賢墓 僧 セツカイギ
は孤寡、口舌(けんか)病臨 法は口舌 病臨 災至  福星 牢失 孤寡(未亡人) 死 進宝  はHは旺、進宝 横は官鬼(悪企み)、官、害、苦 下は災至、公事(裁判)官鬼
683年高宗死亡 
害 苦 公事を伴わない病臨(本当の病気)が特徴です つまり自然死です


なんとも嫌な感じがしてきます 
ケンカが多かったことが分かります 

孤寡があるのは実権が武后にあった証拠でしょう 
施主は帝です、作らせたのは孤寡の武后となります
大きくゆがんでいます

右の壷は割れが入り もうひとつは焼けすぎて赤が飛んでいます
意図したことか

684年12月から翌2月まで中宗皇帝になるが、すぐ牢に入れられ韋后は島流しになります
また大きな割れのある青磁の壷があります
 縦に大きくびしっと、1本15cmくらいわざと割を入れてあります 裏からも見えます  
なぜこういう壷を作るのでしょうか 

愛息李賢を失った悲痛となります 

貫入は悲しみの
表現手段と言う事が分かります 従来こんな視点では磁器が語られていません
690年から武后は武則天 周旺となり、は旺が見られます

694年僧、セツカイギ墓と見られる大壷はまだこの銘ですがなぜか銘は左から書き始め、法を破った48cmの高さが特徴です 
とこれもスゴイです

上が(高さ)が旺、すなわち武則天がどっかり座り、胴が官つまりセツカイギと見ると、恨みはすごかったとなります 

すでに法から彼女は旺です いずれ690年以降の壷でしょう
銘は684年洛陽を神都と改名したからでしょう 
684年9月次男李賢クーデター、流刑獄死 のち韋后達のはかりごとと判明

               この銘は長く続きません それはあまりに嫌な出来事が多かったからでしょう

緑ユウの燭台を10あまり見ます

 2つ程がから凶でなく残り8つは悲惨な最期を暗示しています
つまり政略の官鬼(はかりごと)に会い、 災至(災難を蒙り)
 公事(裁判に掛けられ)、離郷(島流し)され病臨(獄死の暗示)死絶つまり根絶やしになるなどです
 旺にとり、また本人にとっても害であり苦であるわけです 
その不幸さ加減は我々の想像を絶します


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