第五章 「 再会 」
第四節 【呪生賢者】



 グラムズが耐え難い頭痛に頭を抱えて膝を折った時、オルデリスは短い舌打ちをして紺碧の呪石が埋め込まれた呪術杖を振る。そこに刻まれた『眠りの霧』の合成呪文が開放され、何処からとも無く湧き出た白い濃霧が形の定まらない生き物のようにグラムズを包み込んだ。

「まったく、余計な精気ばかり使わせおって。軽い宝珠の拒絶反応か…やはりこ奴も長くは持たぬか…。」

身体を包む呪術甲殻が不気味な霧の進入を拒絶して、魔力同士が衝突する輝きを呼ぶ。しかし、苦悶に身動きさえとれないグラムズを取り囲む濃霧は蠢きながら僅かずつだが確実にその力を強め、ついにはその抵抗を突き破る。魔術による深い睡眠状態に陥ったグラムズが冷たい石の床に崩れ落ちた。

冷たい目で観察を続けるオルデリスは支えようともしない。同じく宝珠を与えたイルミアに比べて、著しく同調を欠くグラムズは本来発揮するはずの魔力を発現できないでいた。強化が発現しているのは運動能力のみ。このため、彼に魔術をかける為に使う精気は少なくて済んだが、宝珠による呪術改造が完全には成功していないことも意味していた。まして、予期せず拒絶反応の発作に襲われる欠陥があるのでは闘士としてさえ使い物にならない。オルデリスは、可能ならすぐにでも彼から宝珠を摘出し、違う被検体に与えたかった。この世界に九つしか存在しない貴重な宝珠の一つを使って、役に立たない存在を生み出してしまったことが腹立たしい。

以前、宝珠を埋め込んだ生体から、再び宝珠を取り出そうと幾度か試したこともある。けれど結果はいずれも失敗。あまりにも複雑に生体と融合した宝珠は取り出すどころか強力な呪術甲殻のような障壁を作って触れることさえ叶わない。結局、融合した生体が拒絶反応で活動を停止したあと、自然と分離してもとの宝珠に戻るまで待つより他に手立てはなかった。例え天位を持つ賢者のオルデリスにしても解読することの出来ない宝珠の仕組み。それは、デュト・ウルムで見慣れた魔術呪文の符号体系とはまったく異なる言語の体系によって支配されているものだった。

「…先生…セルベルト先生?」

グラムズが深い眠りに落ちたことで召喚魔獣のアプラサは消滅し、眠りの呪縛から解き放たれたリアンナが目覚めたらしい。

「目が覚めたようだね、カルトライト君。気分はどうかね、だいぶ怪我を負っているようだから少し治癒魔術を施してあげよう。」

振り向きながら不気味な容姿の薄い唇を吊り上げる。本人は笑顔を演じているつもりらしいが、冷たく醒めた目と奇怪に歪む唇を見てそうだと感じる者はいないだろう。リアンナにしても、一瞬その優美な身体を強張らせて怯えた瞳を見せる。

「わたし…助けられたのですね?」

全身に蘇りつつある痛みと、手足に感じる拘束具に気づいたリアンナが恐る恐る尋ねる。まさか、よく知るフェンレード学院の担任の教師が暗殺者やライエルの一味だとは思うべくもない。絶望の淵に追い詰められていた彼女の気持ちは、目の前の希望に縋りつき不安を押し殺そうとしていた。

「君が心配することは何もない。安心してわたしの治癒を受け静養することだ。」

冷たいしわがれ声が空虚な石造りの部屋に響く。そこは目覚める前にリアンナが連れ込まれた場所と変わっていない。大の字に引き伸ばされた身体は拘束されたまま。薄暗い闇が支配する不穏な空気の臭いが不安を膨らませてゆく。

「…先生、ほどいて下さい。」

じっと彼女の身体を見つめる冷酷な目を意識したリアンナは恥ずかしさに身をよじる。知らず、美しい藍色の瞳に涙が滲み、声までがか細く震えていた。

「残念だが、今はその枷を外す訳にはいかないのだよ。治療の際、君が無意識にでも暴れ出すと取り返しがつかない恐れがある。理解できないかも知れないが、今回の治癒魔術は非常に難しく、かつ繊細な技量を要求するものなのだよ。」

暗がりに浮かぶオルデリスに向かって見開かれた瞳が揺れる。シングフェイ神格象位を持つセルベルト先生とはいえ、治療師の認可を受けなければ本格的な治療は許されていないはず。認可を受けた者はそれ以外の職業に就くこともまた許されていないから、治療師であるはずはなかった。

「そんなに酷い傷ではありません、先生お願いですほどいて下さい。治療の時には必要かも知れませんが、せめて治療師も居ない今だけなら…」

教え子の痛切な哀願を聞いても、オルデリスの骸のような顔は横にゆっくりと振られ、頷くことはなかった。

「…困った子だ、君は自分の立場を理解していないのではないかね。わたし以外に、これから行う高度な治療を施せる者など何処にもおらん。」

先生だと信じていた男が、自ら治療を施すと宣言する言葉を気か遠くなる思いで聞く。教団国家憲章で定められし法を教師たる者が破るというのだろうか。どうか聞き違いであればいいと痛切に願う気持ちが叫び声に変わる。

「でも、先生は治療師ではありませんっ!」

リアンナの感情的な声に、しかしオルデリスは眉一つ動かすこともない。

「確かにわしは治療師の認可など、取るに足らないものは受けておらん。しかしながら、君は幸運なのだよ、稀代の呪生賢者としてあるこのわしに施術してもらえるのだからな。」

彼女が知るセルベルト先生は治療師でもなければ、まして賢者などではありえない。博識で曖昧な事を許さず冷徹ですらあったが、あくまでも教学院の一教師。それが突然自らを賢者などと言い出す事自体が、正気を疑わせる。呪生魔道は詠唱者のように半分呪術で改造された者を研究する学問で、平常の人間の治療を追及する生体魔道とは違う。例えその言葉が真実なのだとしても、彼女の治療には何ら関係のない呪生賢者はいったい何の施術を施すというのだろう。

「先生…いったい何を…」

 戸惑いがリアンナの瞳を細め、募り来る不安が言葉をとぎらせる。信じたくない絶望の闇が再びゆっくりと彼女の身体にまとわりついてくる。

 「君がセルベルト先生だと思い込んでいた者は、バーンライト・オルデリスという呪生賢者だったということだ。耳にしたことぐらいはあると思うが、違法な人体実験で故国を追われた『月の隠者』とういうのが、この我のことなのだ。」

 何気なさを装いながらも得意げに名乗るオルデリスに、アンナは言葉を失う。つい、二三日前まで教師と教え子の立場で普通に接していた人間が、実は世界を震撼させた犯罪者だったと本人の口から聞いても、そう簡単に納得できるはずもない。

 「そんな…信じられません、先生は間違いなくセルベルト先生です! どうして、そんな馬鹿なことをおっしゃるのですか!」

 感情に身をもがかせる程に、華奢な手首と足首を締め付ける枷の硬さを思い知らされる。目の前の人物が本当のセルベルト先生なら、これほど非道な仕打ちを教え子に与えるものなのだろうか。確かに陰湿な性向で学院生から嫌われてはいたが、彼は一度も生徒に体罰を与えたことはなかった。

 姿形だけなら、上手に真似ることが出来るダヤグ神格の呪文もある。セルベルト先生の姿であっても、別な何者かが魔術で姿を変えているのかも知れない。もっとも、変身の呪文では元の大きさや体重まで変える事は出来ないから、似たような体格でなければ外見だけで露見することも多かった。何より、まったくの別人が扮しているだけだから身近に接している者なら見破ることも難しくない。リアンナの感覚は目の前の男が、セルベルト先生でない部分を見つけ出すことが出来ずにいた…。

 「疑うことは学問の出発点として重要なものだが、厳然たる真実に変わりはない。君はわしをセルベルト先生としてしか知らないが、わしにとってみればセルベルトであったことがかりそめの姿なのだ。いずれ君も真実に遠からず気づくだろうが、それは余計な遠回りだったと後悔することを意味するのだよ。」

 リアンナでさえ、悪名高いオルデリスの名は知っている。生命の魔神シングフェイを拝する呪生魔道と生体魔道の聖地、オルアス聖国でさえあまりの残忍さに魔術位の剥奪と追放を受けた狂気の賢者。彼はその事件が露呈するまで、数百人に昇る罪の無い人々を無理に改造し、完治不可能なほどの変形や破壊を繰り返し与え続けて死に至らしめていた。被害者達は老若男女を問わず、中には五歳に満たない幼子まで含まれる。事件の全容が解明された時オルアス聖国は彼に死を持って罪を償う断罪を下したが、すでに追放を受けていたオルデリスは巧妙に身を隠し追っ手に捕らえられることはなかった。

言葉を失ったリアンナと、冷たい視線で彼女の優美な身体を検分するかのようなオリデリスの間を沈黙が支配する。先生だと信じていた男は、違法な人体改造を続ける殺戮者だったのだと納得するしかない。一度、希望に輝きかけた藍色の瞳がふたたび絶望の淀みに色褪せてゆく。セルベルト先生を名乗ったこの男が自分の身体と引き換えにクオンを殺害しようとしている暗殺者の黒幕だったのだ。最近頻繁に王都を震撼させる貴族の惨殺と学院生の蒸発事件も彼の仕業だったのだと思い当たる。それはオルアス聖国で彼が続けていた酸鼻な人体改造をこの王都エルラダルで行っていることを意味していた。

「…お願いです、助けてください。」

痛みに苛まされ続けながらも柔らかく息づく身体と同じく、声まで止めようもなく震えだす。不審に怯えきった瞳は、それでも気丈にオルデリスに向けられていた。

「これほどに秀逸な肉体を破壊はせん。おまえは強大な魔力を纏った魔術師以上の魔術師になれるのだ。光栄に思いこそすれ、怖がることはなにもないぞ。」

奇妙に甲高い笑い声とともに、優しく語りかけようとする捩れた唇が不気味だった。彼がリアンナを改造しようとしていることは疑いようもない。オルアス聖国で同じく改造を受けた被害者の末路はどれほどに悲惨なものだったろう。逃れる術を持たないリアンナの脳裏に人の形すら留めなくなった自分の姿が浮かび上がる。

「い、嫌あぁっ!!」

一瞬、恐怖に塗りつぶされた意識が絶叫を放つ。少女の甘酸っぱい香りを振りまきながら豊かな金髪を波打たせて、手足も千切れんばかりにのたうつ。その白く艶やかな肌は上気し、全身に汗と傷口に血を滲ませていた。

「いかん、それ以上身体を痛めつけるでない!! 静かにせんと、そこに居る男のように眠ってもらわねばならん!」

不気味なほどに落ち着いていたオルデリスが慌てて声を荒げる。呪術杖の一振りで眠らせるのも簡単だったが、これ以上自らの精気を浪費するのも惜しかった。目の前に居る極上の実験体の改造に向けられるべき精気はいくらあっても足りない。

彼でさえ意外だったことに、少女は動きを止めた。それは声を聞いてと言うより、なんとか意思の力で自分を押さえ込んだかのよう。艶やかな唇から荒い息を溢れさせながらも、懸命にオルデリスを睨みつけている瞳に浮かぶのは涙だけではなかった。

「…お願いです、クオンだけは助けてください。わたしはどうなっても構いません。でも…彼だけは殺さないで…。彼にライエル様に逆らうつもりはありません。わたしのせいで王子に誤解されているだけなのです。だから罪も無い彼、…クオンをどうか助けてください、お願いです…。」

脳裏に愛しいクオンの笑顔が蘇る。彼は出会った時からいつも命がけで誰かを助けようとしていた。真摯な漆黒の瞳が映し出すのは愛すべき人々の平穏。それが父親にまで裏切られた彼女が唯一縋りつくことが出来た優しさだった。

治療院で抱きついた時に感じた彼の思ったより逞しい身体。包み込むような囁き…。今までで彼女がたったひとり、本気で愛することが出来た人…。もう別れなければならない時なのだと分かっていた。彼が治療院の病室で彼女を選ばなかった時から定められていた事。でも…彼を先に死なせることには耐えられない。たとえ、もう逢うことが出来ないのだとしても彼には幸せになっていて欲しい。自分が愛した彼だからこそ、自分の過ちで傷つけることだけは許せなかった。

(…クオン。せめて…わたしの分まで生きて、あなたの記憶の中にだけわたしの一番素敵だった時の面影を抱き続けて欲しいの…。もう、わたし助からないかも知れないから…せめてあなたに伝えたかった…。あなたの優しさだけがわたしの唯一の希望だった、だからどうしてもあなただけは失いたくなかったの…ごめんね、言うこと聞かなくて…。最後にもう一度だけ、会いたかった…でも、さようなら。今の姿、あなたに見せるのは恥ずかしいから…最後に別れたときのわたしの姿を忘れないでいてね。そして、どうか優しいままのあなたであって…わたしの最後のお願いだから…。)

人にも劣る残虐なオルデリスへの哀願を続けなければならない自分に耐えながら、リアンナの瞳に別離の涙が溢れた。それは儚げだったが、自分を捨ててまで愛しい人を守り抜こうとする痛切なまでの思慕に満ち、かけがえもなく美しい滴りの輝きだった。

「お前の腕では、そう簡単にクオンを殺せはせん…。」

グラムズの前で、オルデリスは精気をだいぶ失って疲れた体を簡素な椅子にあずけている。一流の賢者とも呼ばれるが、貴族趣味とは無縁で興味のないところには一切お金を使わない。狂気に犯されているとはいえ、ある意味純粋な探求者なのかも知れなかった。

気が触れんばかりに哀願を続けたリアンナに辟易したオルデリスは、『眠りの霧』の合成呪文を使って彼女を眠らせ治癒魔術を施した。彼女の精気ばかりは自然治癒に任せるしかない。生体魔道師と同じシングフェイ神格だが、呪生導師の彼は効率よく相手に精気を分け与えることに慣れていなかった。いくら研究を急いているとはいえ、自分の貴重な精気を過度に与えることは彼自身の身も危険にさらすことを意味する。『影』の命を命に代えても果たすべき彼であれば、こんなところで危険を冒す訳にもいかない。

それにも関わらずオルデリスは、眠らせたグラムズにも治癒魔術を施してさらに精気を消耗せねばならなかった。悪態をつきながらも、精神に作用し安定効果を発揮する『紅蓮の呪石』を使った魔術でグラムズの意識を落ち着かせる。宝珠がどの様な作用で実験体に拒絶反応を起こさせるのかは良く分からない。その初期段階においての兆候が精神異常で現れることから、精神をある程度落ち着かせているだけだった。恐らく拒絶反応は着実に進行し、この方法が効果を成さなくなる段階にまで進むだろう。いまだ、根本的な治療の糸口さえ掴めないもどかしさに、いっそ目の前の男を魔術で生きながら腐らせてしまおうかとも思う。

グラムズが目覚めてから、オルデリスはリアンナに懇願されたクオンについて問い質した。実験体以外の事に興味をもつ意外さに驚きを隠せないグラムズが簡潔に応える。ルーエンからの依頼で、実験体提供の代償として同じ教学院のクオン・ファーラントという学院生を殺害することになっているという。それに対するオルデリスの返答に、さしものグラムズもわが耳を疑う様子を見せる。

「宝珠さえ与えられた魔闘士であるこのわたしが、名もない学院生ごときを殺せないとおっしゃるのですか!?」

侮蔑に激昂するというよりは、常識外れの意外さに驚いているのだろう。象位神格を持つ魔術師が地位神格も持たない魔術師の卵を殺害するのは児戯にも等しい。ましてグラムズはただの魔術師ですらない。宝珠によって魔力を高められた特別な存在だった。オルデリスは全てを知りながら、あえて彼にクオンを殺せないと伝えた。

「お前は知らないだろうが、クオンもまた改造を受けた呪術生命体なのだ。」

物憂げな様子さえ見せながら静かに語るオルデリスにグラムズは不審を露わにする。

「!?…わたしとイルミア様以外に成功例はなかったのでは…?」

彼ら以外に宝珠を埋め込まれて人の形を留めた者の名を、聞いたことがないのは当然だろう。『影』の偉業達成の為に必要不可欠な宝珠は大切に保管され『影』の同意なしには、いかなオルデリスでも勝手に持ち出すことは叶わない。それ故に、使われた者の名はすぐに『隠滅導師軍』内部に広がる。それは強大な魔力を有する、新しい指揮官が生まれたかも知れないことを意味するからだった。

「…成功例ではない。彼はわしが『宝珠』を手にする以前に研究していた実験体なのだ。クオンに埋め込まれているのは…いや、彼の身体そのものが環境精気を吸収する呪石のようなものだ。」

再び驚きに目を見張るグラムズを軽蔑の眼差して見つめながら、語り続ける。呪生魔道のなんたるかも知らぬ愚妹な輩に、高度な技を説明するのは面倒以外のなにものでもないが、彼がクオンを殺害する以上は理解させなければならない。ただの人間だと思って油断すればグラムズとしても生きて帰れる保障はなかった。

「わしは昔から、究極の呪術生命体を創りあげんとしていた。わが明主と出会う以前からだ。違法な人体実験を重ねながら、常に夢見ていたのは人間を使わぬ真の呪術生命体。改造ではなく、呪術のみによって生み出される人間のような存在…。お前には理解できんだろうが、この素晴らしき夢が叶うのなら、わしは命さえ惜しいとは思わん。考えても見たまえ、改造はそれを受ける人体に制限されてしまうが、それを使わずに生み出せるのなら、姿形、能力、全ては創造者たるこのわしの思うがままだ。どれほどに強く美しく、意のままに操れる人間を生み出せることか…。」

オルデリスは自らの夢に陶酔した表情を見せる。何時の間にか椅子から立ち上がり枯れ木のような両手を広げて天を仰いでいた。彼にとっては壮大なる夢も、実験の犠牲になった者に思いを馳せるグラムズにとっては異なるようで苦虫を噛み潰したような表情を向けている。

「…かつて、わしは機会を得て最良の実験体を見つけた。かのガルニスが、先皇帝であり兄でもあったセルディンを殺害し、イゼフィア魔道帝国を簒奪した時の事。わしは皇帝セルディンの妻にしてデイオクル共和国元老院長の娘リリアの遺体を手にすることが出来たのだ。そう、その時彼女は身ごもっていた…もし、ガルニスが簒奪しなければ帝国の皇子となっていた胎児をな。わしは死すべき定めのその子に何度も、何度も呪術改造を施した。胎盤より流れ込む母の血の変わりに魔力の血を流し込み、環境精気を集める呪石で創りあげた寄生生物を子宮にもぐり込ませ、何年もの歳月をかけて殺さぬよう改造を続けていった。そしてやっと人の形をなして生まれたのが、そう…お前が殺害を引き受けたクオンという青年なのだよ。」

生命への冒涜に等しいオルデリスの言葉に、グラムズは蒼白の面差しで沈黙する。非道な『月の隠者』とは知り、自らも改造を受けた身ではあったが、その行いは彼の理性の範疇を超えていた。

「しかし、クオンは失敗作だった。魔術より生まれ、魔力の血を巡らせて成長さえするほどの呪術生命体ながら…魔術を使うことが出来なかったのだ。理想的に強大なる魔力を内に秘め、如何なる危害も魔素による自己再生で復活せしめる身体ながら、自らの魔力による精気の消耗で消滅を免れない故に魔術を拒絶したのだ。それも、意図的ではない。彼の体が自己保存の為に自らの力を封印しておる…。」

オルデリスはさもいとおしげに記憶を辿っていた。もし、クオンが魔術を使えていたなら彼はわが子のように可愛がって育てたのかも知れない。

「わしは結局、かつての隠れ家を追っ手に見つけられた時、クオンの記憶を消してその家と共に捨てた。残念な事にわしの魔道技術の結晶である彼を、抹殺する時間はなかった。やむを得ずそうする以外、わしが逃げおおせる可能性は低すぎたのだ。いかなる偶然か、わしは身分を偽ってこのメルカ王国にやってきて再び彼と出会うことになった。数奇な巡り合わせだが、思えばわしも彼の親と言うことになるのやも知れぬ…。」

感慨深げな思いつきにクオンを殺させることへの躊躇いを感じた。もう、とおの昔に忘れたはずの感情が自分の内にあったのかと驚く。あの日…、オルアス聖国で愛しいリエルが彼の憎むダリアスの元に走った時から完全に失われたものの筈だった。不気味な嘲笑に薄い唇が歪む。それは自分をあざける笑い。非道冷酷の行いを繰り返し今更それ以前の自分に戻れることなどあるはずもない。

「よいか、グラムズ。クオンを殺すのなら、彼の強大な呪術甲殻を貫き、彼の心臓に擬態する環境精気を集める合成呪石を丸ごと攻撃魔術で吹き飛ばすのだ。そうすれば、精気を失った肉体は時を経ずして崩壊する。なにせクオンの身体は魔力の塊。わずかな精気の供給源を立たれれば魔力は互いの持つ精気を喰らい合い自滅してゆくのだ。」

気が狂ったのかと今更に思わせる高笑いをオルデリスがあげる。クオンの身体を彼自身の魔力が破壊するというなら、オルデリスは自らの狂気によって破壊されつつあるのかも知れなかった。