第五章 「 再会 」
第一節 【幻視】



 もう、だいぶ高くなった眩しい朝日が廊下の窓から差し込むフェンレード魔術教学院の教室の入り口にクオンは立っていた。学院の中庭でライエルと衝突してから二日しか経っていないのに、ずいぶんと長い間学院に来ていないような感覚を覚える。見栄えのしない古ぼけた校舎、掃除の行き届いていない廊下、何事もなく不遜な態度で行過ぎる学院生たち。二日前の登校時の記憶と寸分違わぬ様子だが、クオンにとってそれはもう退屈な日常ではない。危なっかしいバランスの上に築かれた儚げな平穏。この静かな日常の目に見えない影で、何か巨大で恐ろしい出来事が進行しつつあった。それが何か、分からない焦燥に講堂に続くドアを開ける手が止まる。

イノームの治療院で治癒魔術を施された時に見た幻覚…魔神シングフェイはこの地を汚す『影』と戦えと彼に伝えた。この学院の中庭に秘められた結界の天秤樹のもとで奇妙に輝く文字は『マリフィエクス』の恐怖を忘れるなという女神の警告。そして、未来ともつかぬ夢の中で魔術を使える自分はいったい何者と戦おうとしていたのだろう。もし『影』と『マリフィエクス』が同じものを示す言葉なら…今、まさに世界がその恐怖に包まれようとしていることを一連の不思議な出来事が伝えようとしていたのかも知れない。

 確かに幻覚のなかで魔神シングフェイは彼に『影』を消して欲しいと願っていた。それがいかなる敵なのか知るすべもないが、初等魔術さえ使えない自分が世界をも蹂躙せしめる程の邪悪な存在に太刀打ちできるとは考えられない。いかにも希少な従神盟約の印を受ける奇跡に浴してもそれを使いこなすことが出来ないのなら…何も無かったのと同じこと。

幻覚に現れてくれた魔神を冒涜するつもりはなかったが、何故に魔術を高度に使える者でなくまともに魔術すら使えない自分に期待を寄せるのかが理解できなかった。普通に魔術を使う貴族と戦うのにさえ死を覚悟して望まなければいけない程なのに…。

 「なぜ…。」

 内面の苦悩に我を忘れて、クオンの口から思わず呟きが漏れる。それは見知らぬ敵に怯える恐怖ではなく、何かに動かされつつある自分の目的を見出せない焦燥。魔力があっても魔術が使えないために魔術師にはなれない自分が何者になれるのかという疑問。本当は魔神の信託や女神の警告が彼を苦しめるのではなく、何者になれるのかを彼自身が答えられない苛立ちがクオンを悩ませていた。

 「なぜ? なぜと言うなら、どうしてお前は扉の前に立ち尽くしているのかと訊きたいね。他の学院生の邪魔だよ。」

 突然の聴き慣れた声にクオンが振り向く。手入れなど一切考えていないようなクシャクシャの赤毛に愛嬌のあるそばかすが印象的な青年が笑顔で立っていた。彼の名はロムント・アームカルス。下級貴族の三男でクオンがこの学院で唯一級友と呼べる存在。新しく転入して来たクオンに対して親の地位など何も聞かず普通に接してくれた稀な級友の一人。

特に親切な態度をとる訳ではないが、冷たくもなかった。

 「やぁ、ロムント。君の声音はどう考えてもライエルのようには聞こえないよ。」

 露骨に見破られたかという表情を見せ、ロムントは額に手を当てて吹き抜けの天井を見上げる。彼がライエルの口調を真似てクオンを驚かそうとしたのは明白だったが、それは驚くほどに似ていなかった。

 「無事に戻って来てくれて良かったよ、ほんとに。このあいだのライエルとの騒ぎで殺されたんじゃないかと心配してたんだ。」

 とても真剣に心配していた様子には見えない態度でクオンの肩を力任せに叩く。

 「…で、リアンナはどうした?」

 何時に無く真剣な眼差しがクオンの漆黒の瞳を覗き込む。彼女やクオンを心配しているというより、無責任な好奇心の輝きが灰色の目を満たしている。女がらみの話になるといつもこうだとクオンはため息をつく。

 「おまえの興味は…やっぱりそれか。」

 「それかってなんだよ。俺はお前とリアンナがライエルにどんな仕打ちを受けたのか知りたくて…いや、心配しているんだ。友人としてな。」

 あまりにもあからさまなロムントの態度にクオンは思わず噴出す。興味の方向性が決して健全とはいえないが、確かに彼はある意味純粋に興味本位で物事を訊く。人の感情を気遣うなんてことは夢にも思っていないのだろう。仕入れた情報を悪巧みに使おうとするライエルとは違い自分の楽しみのだけに費やして忘れてしまう所が憎めなかった。

 「おい、笑い事じゃないんだ。俺は本気でだな…」

 「わ、分かったよ、ロムント。ちゃんと話すから、中に入ろう。」

 御高くとまった貴族の学院生達が、講堂のドアの前を塞いで立ち話しする彼らを嫌悪の目つきで通り過ぎてゆくのに嫌気がさしたクオンがドアを開けた。

 「…ちゃんと、話せよ。」

 「ああ。」

 念を押すロムントに返事を返しながら、イノームの治療院に居るはずのリアンナを思う。いかに王子ライエルといえど、この世界のすべての国が同意した教団国家憲章で保護された治療院の中にまでは手をだせないはず。憲章を踏みにじり教団国家より離反したイゼフィア魔道帝国なら知らず、そこと交戦状態にあるメルカ王国としては憲章を擁護すべき立場にある。まして一国の王子なればなおさらだ。偶然にもリアンナは一番安全な場所に身を置いた事になる。

 病室を訪ねた時、クオンの安全の為にライエルの元に戻ると言い出したリアンナを説得し続けた記憶が蘇る。豊かな金髪に縁取られた薄い純白の寝間着姿の彼女を抱きしめながら、自分の為にリアンナが犠牲になったら自分は決して自分を許せなくなると伝えた。彼女は泣きじゃくりながら頷き、ライエルの元には帰らないとなんとか約束してくれた。帰りぎわの彼女の縋るような瞳が頭を離れない。学園一と歌われる美少女があんなにも深く自分を愛してくれていると感じることはクオンに今までに無い勇気を持たせた。ライエルに彼女を絶対に渡しはしない。どんな過酷な戦いが待ち受けようと命に代えても守り通したいと根拠の無い高揚感に包まれていた。

 出来るなら…彼女の望み通りに彼女を愛してあげたい。嫌いなわけではない、身分も容姿も心情もクオンにはもったいなさ過ぎるほどに出来た少女。本来なら高値の花であり続けるはずの女性。その本人から疑いようも無く告白されてもその気持ちに答えられない訳…。考えるべくもなく、それがこの学院の結界の中で出会った美しくも不思議な少女の為だと分かっていた。心で会話し、夢の中でフェリスと呼ばれていた人。名も告げぬままに別れ、結界の中で姿を消してしまった。…何故か彼女ならクオンが出会った不思議な出来事をすべて説明してくれそうな気がする。今、この地に迫る邪悪なる者の『影』の事についてさえ答えてくれるだろう。疑問符の中に苦悩するクオンの心の中で彼女の輝きだけが救いのような気がした。

 「おい、クオン。顔が赤いぞ…さてはお前、リアンナと何かあったんだなっ。」

 講堂の自席に向かう途中でロムントが問い詰める。

 「…どうしてそうなるんだよ? お前の頭の中にはそれしかないのか。」

 少し当たっているような気もしたクオンは動揺を隠しながら茶化す。なぜかリアンナの告白は誰にも言いたくなかった。彼女があれだけ大切に想っている気持ちを踏みにじる訳にはいかない。

 「あやしいなぁ…。俺の勘じゃ、ぜったいお前らの間に何かあったって。でなきゃ彼女を物にしようとしていたライエルがあんな派手な喧嘩を吹っかけないと思うんだよなぁ。」

 ロムントがリアンナとライエルの関係を知っているとなるとその噂はかなり広まっているに違いない。彼女がこれから学院に戻ったとき、ライエルだけでなくその悪意ある噂とも戦わねばならないのだと気づいて愕然とした。

 「いったい…リアンナとライエルにどんな関係があるんだ?」

 さりげなく尋ねるはずが、気づけは真剣な眼差しで問い詰めるような態度になったらしい。ロムントが驚いた表情を浮かべてたじろぐ。

 「え? お前が知らないはずないんだけどなぁ…。ちょっと前から有名だぜ。ライエルがリアンナの両親を買収して彼女を自分の情婦にしたって噂。」

 思わず怒りに手をきつく握り締める。人の口に戸は立てられないと分かっていても、ライエルが全ての元凶だとしても、リアンナの気持ちを考えると抑え切れない怒りの感情が心の底から湧き上がって来る。ふと…視線を講堂の窓の外に向け、気持ちを落ち着かせようとした。この場で悪意のないロムント相手に怒りを爆発させたところでリアンナが救われることは無いのだと自分に繰り返し言い聞かせる。この怒りはライエルにぶつけるべきものだ…。

 「!!」

 窓の外に視線を向けていたクオンの視界の片隅に目にするはずのないものが映ったような気がした。

 顔色を変えて突然講堂の外に走り出したクオンの後ろからロムントの声が追う。

 「お、おい。どうしたんだぁ?!」

 「ごめん、ちょっと!」

 狐につままれたような表情のロムントを振り向きもせず、クオンはすれ違う学院生と数人ぶつかりながら講堂を出て、学院の回廊を走り抜け…講堂の窓の外に見えた場所まで突き進んでゆく。懸命に駆ける彼の脳裏には、窓の外視界の隅に映った黒髪の少女の姿しかなかった。何故かフェンレード学院生の制服を身に付けてはいたが、間違えるはずはない。その姿は…確かに結界の中で出会った、あの不思議な少女のものだった。

 荒い息を弾ませてクオンは校舎の外、講堂の窓の外に見えた場所に立っていた。緑の柴と観賞用植物に埋もれ、石造りの校舎と反対側の高い塀に挟まれた空間。始業間際のこの時間には学院生の人影も見えない。奇妙に静まり返った緑の葉を揺らす穏やかな風を頬に感じながら辺りを見渡す。講堂の窓からは見えなかった先に向かって少女は進んでいたように見えた。今、クオンがたどり着いた場所からならその先が一望できる。

講堂の窓が連なる校舎と学院と外の市街地を隔てる高い石の塀がその角まで続く。歩いてさえ三分もかからないだろう距離。当然のように、そこに彼が懸命に求める少女の面影は見えない。左側に続く蔦に覆われかけた塀には市街に抜け出す出口はなく、右側の校舎に入る通用口が二ヵ所あるだけ。

普通に考えてそのいずれかに入っていったに違いない。不思議な結界に自らの意思で自由に出入りできるらしい不思議な少女のことだから、はたしてこの考えが当たっているかどうか…。この場所から姿が見えない以上、クオンにはその二つの入り口の先を探すことしか思いつかなかった。息を整える間もあればこそ、近くの入り口に向かって走り出す。

 手前の入り口は、五学年と六学年院生の講堂を仕切る通路に続き、学院の中庭を横断して裏手の教務棟へと続く。そこに優美な歩調で歩いているはずの少女の姿は見えず、さらにその先の入り口、用務員用の倉庫へと続く狭い通路にも人影らしきものを見つけ出すことは叶わなかった。

間違いなく視界の片隅に映ったと感じた少女の面影はどこにもない。クオンが全力で駆けて来るまでの短い間にそれほど遠くへと少女は歩みを進められるものだろうか。彼が見かけた様子ではとくに慌てているふうでもなくごく普通に歩いていた様子だった。どう考えてみても姿を見つけられないはずはない。

教務棟へと続く通路が校舎の回廊と交差する二ヶ所の角、手前側と奥側の角の先も見に行く。校舎の中、その少女が歩いて行けそうな場所をすべて駆けの回って見たがクオンがその姿を再び捉えることは叶わなかった。

 もしかしたら錯覚だったのかも知れない…会いたいと強く願うあまりの幻覚に過ぎなかったのではないか。校舎の中を手当たり次第に探しまわって徒労に終わったクオンの頭の中に疑念が浮かぶ。感情は間違いなく見えたのだと信じたがっていたが、一向に彼女を見つけ出せない現実は変えられない。講義の始まりを告げる鐘の音が静まった校舎のなかに響き渡る頃、クオンは自分の講堂へ続く回廊を力なく進んでいた。

 治療院で見た夢の中で「あなたの未来で会いましょう。」と伝えられた言葉だけが今のクオンにとって唯一の望みだが、それさえ『夢』でしかない。講堂の窓から見えた姿が幻覚にすぎないものなのだとしたら、その夢の中の言葉もクオン願いが見せた本当の夢に過ぎないものなのかも知れなかった。あの結界の中での出会いでさえ、クオンは確かに現実だと感じてはいたがライエル達の魔術攻撃で死に追い詰められた状況でとれほど自分が冷静だったのかは分からない。あの場所での体験そのものが重症の状態にあった彼の追い詰められた意識が見せた幻覚ではないと断言する自信はなかった。

 回廊の窓から彼女と初めて出会った結界のある中庭が見える。ふと、その音の無い結界で彼を優しく包んだ『麗しき声』が蘇る。目を閉じれば、まるで目の前に彼女が存在するかのよう。そのリアルな存在感がけっして幻覚などではなかったことをクオンに確信させる。彼女がその時、彼に語りかけた心の声は言葉だけでなく彼女の世界に対する慈しみに満ちた想いや知性に溢れた純粋な意思までも伝えていた。言葉だけでは決して伝わることのないだろう存在の波長までも感じ取っていたことに気づく。特殊な能力がなくとも長い間を共に過ごせは自然と伝わること。それが、あの瞬間には瞬時に伝わっていた。

まだ名前さえ知らない少女なのに、まるで幼馴染でもあるかのように親しい感情に捕らわれる。彼女は具体的な事を何一つ伝えようとはしなかったが、クオンは何故か言葉にしないだけで彼女が彼の望む『答え』を知っていると感じていた。そして、必要以上に彼女を求めてしまう感情が自分の内にあることにも気づいている。

どうしてもリアンナの想いに答えられなかった訳…。何者とも知れない謎めいた少女に寄せるべきではない想いとは知りつつ、会えない時間の分だけその満たされない想いが大きくなって来るようだ。本当は彼女が知っているはずの『答え』など知ることが出来ないままでもいいとさえ思える。ただ、もう一度あの少女に会って彼女の存在を感じとりたかった。あの時にであった優しい想いにふれられれば、あてのない焦燥に焼かれ続ける苦悩を忘れることが出来るような気がする。

今はまだ会うことができなくとも、これから会う可能性が僅かでもあるのならそれを信じ続けるしかない。ただ、もし再び出会えたとしても彼女は果たしてクオンを彼が感じるように受け入れてくれるのだろうか。魔術さえまともに使えない男を高貴な魔道貴族の身分を感じさせたその少女が果たして相手にするものなのか。彼女の内に身分を鼻にかけるような高慢さを微塵も感じ取りはしなかったが、この魔道貴族の社会にあって身分を越えた思慕は決して許されない事のように感じる。

目の前に現れた少女が決して手の届かない存在だったとしたら、自分は彼女への想いと決して触れることの許されない拒絶との狭間に耐えることができるのだろうか。会うことさえ出来ない少女への想いは不安と焦燥に交じり合いクオンの胸を締めつける。全てが曖昧なまま考えるだけ無駄なことなのに、それを簡単に頭の中から払いのけられるほど少女への想いが浅くないことを思い知らされるだけだった。

 「君は確か…ファーラント君だったね。」

 クオンが始業開始の鐘を過ぎてから講堂のドアを開けたとき、席に付いた学院生達の視線が一斉に振り向いた。壇上で腕組みする五十代ぐらいの痩せこけた男性が講師を示す銀の飾り模様が入った深い緑色のトーガを纏った姿で冷たい一瞥を与える。クオン達の六学年を担当する担任のエルロス・セルベルト先生。

 「…はい。」

 セルベルト先生は、まるで骸骨に皮膚を貼り付けただけのような奇怪な容姿に、暗く怪しげな灰色の鋭い眼光でクオンを見据えた。彼はその不気味な容姿を別としても学院生達の人気がすこぶる低い。神経質なまでに細かい事に拘る性格と学院生の悪い点だけを決して忘れずにいつも口にすることで、大概の学院生は彼と二人っきりになることを懸命に避けている。

さらに魔道貴族主義の典型的思想を持ち合わせ、魔力を持たない存在は人間と認められないと公言して憚らない。クオンが先生として好きになれない理由もそこにある。感情が態度に表れているのかどうか、セルベルト先生も魔術を使えないクオンを半端な存在として快く思っていない様子だった。

「君がどうして遅れたのか理由はあえて問わないが、講義を受ける態度に問題があるのではないかね。ライエル君のように優秀な成績を修めているのなら特に注意する程でもないが、君は魔術さえ使いこなせない落ちこぼれなのだよ。卒業まであと一年ぐらいしか残されていないというのに、君は講義に遅刻するほどの努力しか払っていないわけだ。優秀なる魔道貴族を幾人も輩出してきたこの名誉あるフェンレード魔術教学院の名は、君が魔術も使えないままで卒業してしまったら半端な魔道貴族を卒業させた学院として後世まで嘲笑されるということを理解していないのではないのかね。君一人の為にこの学院生全員が不名誉な気持ちで母校の名を口にせねばならない屈辱の責任を君一人で果たせるのかね。」

問いかけではない疑問を次々と浴びせ、クオンがこの学院にどれほど相応しくないかを力説するセルベルト先生に怒りを覚える。病気でやむなく魔術が使えない事を知りながらもそれを非難する無神経さが堪えがたい。もちろんこの場で無謀な反論を口にするほど非常識ではなかったから俯いてじっと感情を押し殺す。

良い引き合いに出されたライエルが鼻高々で自分の席に付いている事に気づく。取り巻き達もにたにたと嫌らしい視線をクオンに送っている。不思議な事に、真っ先に非難の視線を向けるはずのライエルは無表情に正面を向いていた。気づくと彼の右腕は包帯が巻かれ肩から吊り下げられている。数日前の中庭で突き飛ばした時に負った怪我なのだろうか。緑の芝生に覆われた中庭の地面では転がっただけで怪我をするとは考えにくい。あのあとでライエルに何かがあったと考える方が妥当だろう。学院中の噂に精通するロムントならなにか噂を知っているかもしれない。あとで聞きだしてみようと密かに考えた。

「わたしは君をこの学院に編入させようという時から反対している。今でも君にこの学院を退学して欲しいと思ってはいるが、何故かここの学院長と魔鏡導師院の神殿神官はそう考えないらしい。君は彼らの温情でなんとかこの学院の生徒としているに過ぎない。わたしの意見を聴いてもなお彼らの気が変わらない以上、やむなく従うが、君がそのような立場にあって努力なしには決して卒業など許されないのだということを心に命じておくことだ。」

返答のないクオンに向けてセルベルトは当然のごとく言い放つと、手を振って彼に席に着くよう促した。大切な講義の時間を不出来な生徒にこれ以上無駄にされたくないという焦りの様子がありありと見てとれる。ライエルの取り巻き達のわざとらしい失笑の中、クオンは憮然と自分の席に付く。セルベルトが何事もなかったように退屈な朝礼の続きを淡々と語り始めた。興味深深だったり、不快な表情だったりをクオンとセルベルトに向けていた生徒達も退屈な表情に戻り、顔だけは壇上の方向へ向かう。

魔術が使えない事に対する非難には慣れていた。使えない限りそれはずっと浴びせられ続けるだろう。魔術がこのまま使えなければ退学させられるのはほぼ確実に思える。諦めの感情が広がってゆく。自分から望んでこの学院に来た訳ではない。使えなくとも魔術を学ばなければならないと無理やり彼を編入させたのは養父のダリアス。魔術が全てを支配するこの世界にあって何を成すにも魔術の知識は役に立つと嫌がるクオンを説得した。養父自身も魔力を持たない領民上がりだったから、必要以上に魔術社会での壁の大きさを感じていたのかも知れない。