2003.04.08

北信越・北陸漫遊(富山港線・氷見線・城端線)

やはり健康ランドは朝早く目が覚める。まあ寝るのも早いからか。
そこでテレビの天気予報を見ていたら今日は終日雨だという。
まずい、たしか今日は徒歩がかなりあったような。
まだ降ってなさそうだから早めに出発するか。
という訳で6時30分の予定が6時00分に繰り上った。
まあ起きてたら雨は関係なく早めに出発するとは思うけど。
ここは健康ランドには珍しく駅に近かった。
5分程で城川原駅に到着した。

城川原駅

ここで6時39分発の岩瀬浜駅行き列車に乗車した。
岩瀬浜駅に到着した時点で富山港線は完乗となった。
今日はローカル盲腸線のオンパレードである。

岩瀬浜駅

富山港線は私鉄の富岩鉄道として大正13年7月23日に富山口−岩瀬港(現岩瀬浜)間が開業した。
富山まで開業しなかったのは現在の高山本線の富山駅乗り入れルートが決定していなかったためという。
決定後の昭和2年12月25日に富山−富山口が開業し全線開業となった。
その後、一旦は現在の富山地方鉄道に統合後に国有化され、富山港線と改称した。

岩瀬浜駅からは徒歩で探索を行う。
この富山港線は8.0キロの間に10駅あるので駅間の距離が短く徒歩での探索が容易である。
ただし雨が降ってきたら辛いので急ぎ足。
競輪場前駅、東岩瀬駅、大広田駅、蓮町駅と探索を実行し予定終了。
ここでパラパラと小雨が降ってきた。すべり込みセーフであった。

(左)競輪場前駅 (中)東岩瀬駅 (右)東岩瀬駅の富山寄りには対抗ホームの一部が残っていた。

(左)大広田駅 (右)蓮町駅

ここで7時39分発の富山行き列車に乗車した。
この列車は通勤、通学列車らしくサラリーマン、OL、男女高校生等で3両の列車が満員となった。
富山駅に到着した時に雨は降っていなかった。

富山駅

富山駅ではおまたせ、”ますのすし”である。
もう昨日からあちこちの広告が目に付いている。
しかしホームには立山そばの駅そばがあった。
まだ今回の漫遊でそばを食べていなかったのでいただく事にした。

富山駅そば(立山そば) 天ぷらそば ¥350

綾小路さんは富山駅8時35分発の列車に乗車し、いよいよ”ますのすし”の出番となった。
そばを食べたばかりだと言うのに、と言うよりは”ますのすし”を食べるのに先にそばを食べたの表現が正しい。
まあその”ますのすし”であるが食べづらい。
ミニナイフで切って食べなければならず、ごはんが笹の葉にくっついてはがれにくいのである。
悪戦苦闘の末に完食。味がいいのは言うまでもないがもう少し何とか成らないかなと思う綾小路さんであった。

富山駅弁 ますのすし ¥1100

列車は20分後には高岡駅に到着した。
今日はこれから氷見線、城端線を漫遊して高岡泊りの予定である。
時間があったので重い荷物はコインロッカーに預けて身軽になった。
駅前には宿泊予定のホテルも目に付いた。今日も近くて楽だ。
さらに夕食の目星もつけた。豚カツ屋があった。今日はここにするか。

高岡駅

さて高岡駅からまずは氷見線である。10時12分発の列車に乗車してまずは雨晴駅を目指した。
これからまず雨晴駅迄行き一旦引き返して能町、伏木、越中国分のどれかひとつよさそうな駅を探索。その後終点の氷見まで行く計画である。
そのため駅に到着する度に駅舎を観察する。まず能町、瓦屋根の駅である。いいじゃない。ここにしよう。
しかし次ぎの伏木駅、これもやや大きいが瓦屋根でよさそう。うーん、こっちもいいな。
続いて越中国分駅、ホームに古い木造瓦屋根の待合室。しぶい、どれも甲乙付けがたい。
どうする?あやこう?(あやのこうじの略:ちなみに某消費者金融のCMフレーズ)
綾小路さんは町でミニスカートの女性に目が釘付けになるように瓦屋根の駅舎に心を奪われる。
とりあえず雨晴駅で探索を終えてから考える事にした。
越中国分駅を発車したら右手にはすぐに雨晴海岸が見えた。
列車は高岡駅から20分で雨晴駅に到着した。

雨晴駅 (右)高岡方面、雨晴海岸を望む

雨晴駅も木造瓦屋根の趣のある駅舎であった。
大正元年に完成というからこの区間の開業年である。
氷見線は私鉄の中越鉄道伏木線として明治33年12月29日に高岡−伏木間が開業した事に始まる。
それから氷見への延長工事はなかなか実現しなかったが軽便鉄道として明治45年4月4日にようやく島尾までが開業した。
ついで大正元年9月19日に氷見までが開業した。
その後に国有化され氷見線と改称、伏木−氷見間の軌間改良もなされた。
明治45年が大正元年であるからおそらく仮の駅舎で開業して開業後に駅舎が完成したのだろう。

そして先の件。うーん。悩むこと10時間、ではなかった。
そんなに考えたら日が暮れる。第一それなら全て探索可能である。
悩むこと10分、結論が出ました。氷見駅で1列車待つのをやめる事にした。
折返しに乗車すれば3駅とも探索可能となるのであった。
しかしそれでは氷見駅の滞在がわずか8分しか確保できないのである。
折角なので氷見駅で少しゆっくりして駅前探検でもしようかと考えていたのだがそちらはあきらめ代わりに3駅の探索をする事にしたのである。
まずは能町駅を探索、次いで終点氷見駅を探索した。

(左)能町駅 (中、右)氷見駅

氷見駅に到着した時には先ほどから霧雨だった雨が本格化しだした。
ここから12時02分発の折返し列車に乗車して伏木駅、次いで越中国分駅にて下車した。

(左)伏木駅 (中、右)越中国分駅

14時前に綾小路さんは高岡駅に帰ってきた。
帰えってきたぞ!帰えってきたぞ!あやこうじ(あやのこうじの略:某特撮ヒーローの主題歌であるのは言うまでもない)
ごほん、さてここからは高岡駅を挟むもうひとつの盲腸線である城端線に乗車する。
14時13分発の列車で一気に終点の城端駅に行く事にした。
高岡駅に戻ってきた頃には雨も止み晴れ間も見えていた。
列車が発車すると降ったり止んだりと忙しくなってきた。
今度も城端駅付近を駅前探検、そして隣駅の越中山田駅まで徒歩で行こうと考えていた。
しかし城端駅近くになると雨脚が強くなり、徒歩で移動なんかしたらびしょ濡れになりそうなのでまたも断念した。

城端駅

城端線も中越鉄道によって敷設された。
まず明治30年5月4日に黒田(仮駅:現在は廃止)−福野間が開業した。
同年8月18日には福光まで、同じく10月31日には城端までが開業した。
高岡−黒田間はというと当初高岡駅の場所が決まっていなかったため工事は後回しとされた。
この区間は翌、明治31年1月2日に開業し、全線開通となったのである。
ちなみに北陸線の高岡駅開業は同年の11月1日である。
城端線は氷見線と共に富山県では屈指の歴史を持つ路線なのである。
その後国有化され中越線と改称、次いで城端線と改称された。
この城端駅は明治30年建築、これだとおそらく開業時。または明治31年建築の説も有ると言う。
いづれにせよ100年以上の歴史がある事になる。

城端駅でも8分ぽっきりの滞在しかしない代わりに他の2駅の探索を実行する事にした。
15時16分に列車が折り返したとたんにまた晴れてきた。おかしい。綾小路さん、今日は雨男か?
この後に油田駅、福野駅を探索し高岡駅に戻った。

(左、中)油田駅 (中)ここにも対抗ホームが (右)福野駅


高岡駅に戻ったがまだ時間があった。
ここで北陸本線で倶利伽羅駅まで往復した。
明日は通過するが時間がとれず下車する事が出来ないからである。
このころにはまた雨が本格化していた。

倶利伽羅駅

みたび高岡駅に戻った綾小路さんはここでホテルにチェックイン。
昼間にチェックしていた豚カツ屋に出かけた。
何とこれがメチャうま、驚いたね。

大満足の綾小路さんの漫遊は北信越・北陸漫遊(北陸本線・七尾線・越美北線)に続く!


氷見 島尾 雨晴 東岩瀬 競輪場前 岩瀬浜
伏木 越中国分 大広田 蓮町
能町 越中中川 富山口 城川原
至 米原 倶利伽羅 高岡 富山 至 直江津
福野 油田 至 岐阜
福光 城端

トップ アイコン
トップ
アイコン
鉄道