2003.04.07

北信越・北陸漫遊(北陸本線・大糸線)

ホテルは本当に駅前だった。
いつもこうだと楽だが。
窓から柏崎駅がバッチリ見える。
ここで1枚撮影。パシャ。
さあ昨日までの北信越、JR東日本の漫遊に変わり今日からは北陸、JR西日本の漫遊となる。

柏崎駅

駅前だからと5分かからないとタカをくくったのが失敗だった。
柏崎駅7時00分発の新潟行きの列車に乗車して一息ついた。
しかし何かしっくり来ない。
本当に目指す青海川駅が新潟方面か自信がなかったのである。
発車1分前、確認のため時刻表を出した。
げっ、違う反対だ。
あわてて列車を降りて改札の駅員に確認した。
すると青海川方面は跨線橋を渡った向こう側の列車だと言う。
綾小路さんあわてて走り出す。
ぜー、ぜー、息が切れ苦しい。しかし間に合った。
日ごろの運動不足を痛感した綾小路さんであった。

柏崎駅と青海川駅の位置関係を認識していなかった。
しかも柏崎駅は信越本線と越後線の分岐駅であり、信越本線自体もどちらが上りか下りか分りづらい位置関係にあると思う。
そして同じ7時00分発の列車が2本あった。
このような理由が重なりあやうく予定が狂う所であった。

列車は8分で青海川駅に到着した。
青海川駅は”一説によると海にもっとも近い駅”と綾小路さんがお気に入りの某ホームページに載っていた。
確かに近い。しかし日本一とは大げさなと思ったが駅の待合室にその貼り紙が掲げられていた。
綾小路さんは多分日本一が10以上横並びで存在すると理解した。

青海川駅

綾小路さんは次の7時34分発の列車に乗車して直江津駅を目指した。
青海川駅を出て海側を眺めているとトンネルに入る直前に別のトンネルの入り口が見えた。
しかし鉄道のものかははっきり断定できない。
その時、北陸本線や羽越本線とかの日本海側の路線は電化や複線化された時に路線変更になった区間が多いのを思い出した。
トンネルを出て振り返るとあった、先ほどのトンネルとは違うトンネルが見えた。
今度のは間違いなく鉄道旧線のトンネルだ。レンガ造りである。
さらに旧路線が続き短いガーダー橋を通過していた。そこから100mぐらいで笠島駅に到着した。

列車は30分後に直江津駅に到着した。
今日から学校が始まったらしく学生でごった返していた。
ここからが北陸本線でJR西日本の乗車となる。
直江津駅では8時15分発の列車が待っていた。
特急の列車らしい事は分った、JR西日本は各駅停車でもこんな車両を使っているのかと思った。
同じ西日本でも中国地方を全線制覇していた綾小路さんの記憶にはなかった。
3日後に耳にはさんだ話では寝台列車のベットを除いたものだとの事であった。

直江津駅を発車した列車はトンネルと駅が交互に登場してくる区間に入ったようだ。
そして名立駅を発車した列車はひときわ長いトンネルに入っていった。
頚城トンネル、全長11353mを誇る。
列車はこのトンネル内で停車した。そこは筒石駅であった。
筒石駅も北陸本線が複線化された時に頸城トンネル内に設置されたそうである。
綾小路さんはここで下車した。
トンネル内の駅と言えばつい最近行ったような・・・。
しかし今度のは上下線ともである。上り線で筒石駅ホームに降り立ったが斜め向こうに下り線ホームが見えた。
出口との看板に従って進み階段を登ると通路に出た。さらに進むと下り線ホームへの階段があった。
綾小路さんは折角だから地上に駅舎があるのかそれともただ入口があるだけなのか確かめたくてさらに通路を進んだ。
曲がり門があったのであの先だなと思い曲がって仰天した。長い階段が待っていたのである。
今いる通路からホームへの階段と合わせて290段、しかし今度は登らなくてはならなかった。
待てよ、この駅でそんなに時間あったっけ?ここで綾小路さんは時間を確認した。
あと10分あった。ダッシュすれば少しは時間がありそうだった。
それにしても今日はよく走る日である。
階段の上には駅舎があった。しかも有人である。山間部の崖上の雰囲気がした。
多分あと100mぐらい歩けば日本海の断崖の上に居るに違いないと思ったがもう時間がなかった。
しかしこんな山間部の駅にも乗客が居たのである。綾小路さん驚いた。

筒石駅 (左)駅舎 (中)駅舎からホームへの階段、駅舎から望む。 (右)上り線ホームから下り線ホームを望む。

筒石駅からは一旦名立駅に戻った。
この辺りは平地部分が少ないのかホームの確保が困難みたいだ。
ホームが道路を横切っているのはひょっとして他にあったかもしれないが、河川を横切っているのはまったく記憶になかった。
これでもホームの端には上り、下りともトンネルの入口が迫っているのである。

時間があったので待合室内部を見てみると古い写真が掲げられていた。
旧駅舎や旧ホームだ。給水塔もあった。
出札係の駅員に聞いたところ現駅舎の北の方に建っていたが現在は何も残ってないそうだ。
しかし路線跡はサイクリングロードとなっていてトンネルも残っているとの事である。
今日は時間がなく行けないがいつか探索してみたいものである。

名立駅 (左)駅舎 (中)ホームは道路の上に設置 (右)同じく河川の上に設置、奥に見えるのは頚城トンネル入口


名立駅では9時58分発の上り列車に乗車した。
こんどは頚城トンネルを通過して30分後に青海駅で下車した。

青海駅

青海駅の次に着いた処はひと駅戻った糸魚川駅である。
ここから大糸線に乗車するのである。
駅構内にはレンガ造りの大きな車庫もありここが鉄道の重要拠点である事が伺われた。
入口部の最上部には ”工 ”のマークが刻まれていた。

糸魚川駅

富山まで敷設されていた北陸線であったが富山−直江津間は富直線として着工した。
この区間はまず明治41年11月16日に富山−魚津間が開業した事に始まる。
続いて魚津−泊間が開業となった。
一方、直江津側からも工事は始められていて明治44年7月1日に直江津−名立間が開業した。
その後、泊−青海間と名立−糸魚川間も開業した。
大正2年4月1日に青海−糸魚川間が開業して米原−直江津間が全通、北陸本線と改称した。

今日は朝から何も食べていなかったのでここで駅弁を購入した。
当初は列車に乗り込んで出発してから食べようと思っていた。
しかし出発までまだ時間があるが混んできそうだった。
しかたない。満員になると駅弁も広げ辛くなるので混んでくる前に食べる事にした。

糸魚川駅弁 糸魚川のお弁当 ¥900

列車は11時32分にほぼ満員の乗客を乗せて糸魚川駅を出発した。
今回は時間の都合で南小谷駅までの往復とした。
この大糸線は糸魚川−南小谷間と南小谷−松本間で性格が異なると言う。
前者がJR西日本管轄で非電化区間であり、後者はJR東日本管轄で電化区間となっている。
また車窓風景も南小谷−松本間は北アルプス連山や白馬三山などの雄大な景色や高原の湖といった区間を走るという。
一方、糸魚川−南小谷間は姫川沿いに線路が敷設されており深い谷あいを進む風光明媚な路線との事である。

列車は糸魚川駅から約1時間、交換列車待ちもなく南小谷駅まで走りきった。
もちろん綾小路さんは川に面する区間が多い列車右側から車窓風景を楽しんだ。

南小谷駅 (右)列車交換風景、ではなく上り下りともここ南小谷駅で折返す。ちなみに左側に停車しているのは特急スーパーあずさ8号。4時間後には新宿着である。

今日は糸魚川−南小谷間の乗車だったがやはりいつかは南小谷−松本間も乗車したいものである。
特に穂高駅。社殿造りの駅舎が建替えとならないうちに行かなければ。
急げ綾小路さん!

南小谷駅に到着した列車は20分後の12時47分、折返しで糸魚川駅へと出発した。
綾小路さんは途中、小滝駅と平岩駅に途中下車した。

(左)小滝駅 (右)平岩駅

大糸線は私鉄の信濃鉄道として大正5年7月5日に松本−信濃大町間が全線開業となった。
その後、国鉄が大糸南線として信濃大町から北進、順次敷設されてきた。
南小谷−中土間は昭和10年11月29日に開業して大糸南線の信濃大町−中土間が開業となった。
一方、糸魚川からは大糸北線としてまず根知−糸魚川間が昭和9年11月14日に開業した。
翌昭和10年12月24日には小滝−根知間も開業した。
その後、昭和12年に信濃鉄道が国有化され大糸南線は松本−中土間となった。
残すところは中土−小滝間である。
この区間は戦争や災害で工事が長引き、全てのトンネル・鉄橋が完成したのは昭和18年の事であった。
しかし戦争の激化で工事は中断、資材供用で完成していた線路、鉄橋は解体されたのである。
戦後工事が再開されたのは昭和27年で昭和32年8月15日にようやく開業、松本−糸魚川間が全通し大糸線と改称した。

綾小路さんは15時前には糸魚川駅に戻ってきた。
ここからは再び北陸本線である。
15時22分発の列車に乗車、日本海まで迫る崖をトンネルで通過する。
ここでは市振駅と親不知駅に途中下車した。

(左)市振駅 (右)親不知駅


17時14分、綾小路さんは魚津駅で下車した。
ここで富山地方鉄道に乗り換える。
富山地方鉄道の駅名は新魚津駅となっている。
下車前にその新魚津駅が線路の向こう側にあるのが見えた。
しかしそこに至る踏切や跨線橋が見当たらない。
迂回するのだったらまずいな。乗換え時間が20分しかない。
乗り遅れたら暗くなる。これから行く駅はぜひ明るいうちに撮影したかった。
駅員に聞いて驚いた。何と地下道で行くとの事であった。
そして行って見てまた驚く事になった。
この駅の入口へは地下道から階段で上がる事でしか行けないのである。
ターミナル駅の地下改札口付近からバスの乗り場に出るような感じである。
バスの場合は地上部は道路だからひょいと行く事は出来る。
しかし鉄道は線路もあるし駅の近くは柵があり進入禁止である。
地下道がなかった時代はどうなっていたのだろうか?

新魚津駅 (左)駅舎 写真は帰りに撮影 (右)駅名標

ホームに出て駅名標を撮影したが綾小路さんはニヤリとした。
その下には名物駅弁の看板が掲げられていた。
すでに富山県下に入っていたのである。
綾小路さんは”峠の釜飯”と”ますのすし”だけは絶対に食べるぞと堅く心に誓っていたのであった。

新魚津駅から乗車約10分、綾小路さんはある無人駅で下車した。
西魚津駅である。
駅舎は昭和11年に富山地方鉄道開業時に建築されたそうだ。
いいねえ、何とも味のある駅舎である。
この外にも富山地方鉄道には好駅舎が多いとの事であるが残念ながら西魚津駅に来るのでやっとだった。

西魚津駅

ここで綾小路さんは魚津駅まで引き返した。
北陸本線で富山駅まで行き富山港線に乗車した。
そして城川原駅で下車して健康ランドに行ったのである。

綾小路さんの漫遊は北信越・北陸漫遊(富山港線・氷見線・城端線)に続く!


岩瀬浜
城川原 西魚津
米原 富山 新魚津
魚津
※1
岐阜


※1 市振 親不知 青海 糸魚川 筒石 ※2
中土 平岩 小滝 根知
南小谷 信濃大町 松本


※2 名立 直江津 青海川 柏崎 新潟
至 高崎 宮内

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