2004.09.25

のと鉄道漫遊(其の参)   路線図を表示

 のと鉄道漫遊も3日目となった。 初日はより道で北陸鉄道の漫遊となり、目玉は加賀一の宮駅舎であった。 2日目はいよいよ、のと鉄道の漫遊に突入した。 目玉は『オユ10』だったのではないだろうか。 そして3日目の今日は、のと鉄道を行きつ戻りつ、終点の蛸島まで行くことになるのである。 果たして何が綾小路さんを待っているのか。

 昨日は『綾小路さんはほとんどホテルで朝食をとらない。』と書いたばかりだったが、今日はいただきました。 でも、仕方ないだろう。 乗車した7時12分発の列車は、下り列車に限ると、羽根駅を発車する朝一番の列車だったのである。 宿で確認すると、6時30分過ぎにいただけることになったからである。 まあ、たまにはのんびりしようか。 国民宿舎『能登うしつ荘』の最寄り駅は『羽根駅』。 昨夜下車した際に、10分もあれば充分であることを確認していた。 ところがせっかちな綾小路さんは、結局は6時45分ぐらいには宿を出たのだろうか。 6時53分ごろには波根駅に到着していた。 そして羽根駅はのと鉄道の『スタンダード駅』だった。(左) これは10分もいらないかも、3分あれば充分か。 駅をくまなく撮影しても、カップヌードルはまだできてなかったりして? しかし、今日もこのタイプの駅舎をいやと言うほど見ることになるのである。 ここの待合室には何故か感謝状が掲げられていた。(右) どうやら国鉄時代のものだった。 何故、ここにあるのだろう。 というか、能登線廃止の際に、これらの感謝状は何処へ行くのだろうかと、綾小路さんは老婆心ながら思った。  


 本日最初の下車駅は、もちろん九里川尻駅。 昨夜遅くにやって来た駅である。 せっかく来たものの、今日も僅か6分間の滞在時間だった。 しかし見ての通り、片面ホームに待合室では6分間で充分。 ・・・本当は15分ほどはほしかったか。 駅は築堤の上にあり、和倉温泉側のホーム端の先は道路をオーバーパスしている。(左) 時間があれば、この道路の奥から駅を一望した写真が撮影できただろう。 ご存知、ブロックの袴に木造の待合室の向こうには、トンネルが見える。(右) このトンネルの番号を確認する時間もなかったのである。


 ここからひと駅下ると、昨日に能登線で最初に訪れた松波駅だった。 終点の蛸島駅はそこから数えると9駅目である。 最初にいきなりのロングランで松波駅まで行き、紆余曲折?を経て、せっかくそこに近い位置まで来たことになる。 さあ、ここでいよいよ蛸島入りか? しかし、綾小路さんはまだまだそこに行くつもりはなかった。 お楽しみはもうしばらくとっておこう。 そのほうが気分的にも盛り上がるのである。 ここで7時34分発の上り列車に乗車した。 下車したのは九里川尻駅から13駅目の前波駅だった。 下り列車に乗車していればとっくに蛸島駅に到着していたことになる。 その前波駅は・・・、もう何も言うまい。


 ここから次の列車がやってくるまでは1時間ほどある。 隣の古君駅までの路線距離は1.8キロだった。 ピンポン! 徒歩です、当然でーす。 前波駅はその名のとおり、海沿いの駅である。 駅前から200mほど歩くと海岸に至ったのである。 そこで奇妙な記念碑を発見した。(左) 『前田久吉(久吾?)の碑』と書かれている。 誰だろう? まあ、誰でもいいか。 その海岸線沿いに1キロ以上歩いただろうか。 そこから方向転換、山側に向かった。 そこで道路をオーバーパスする『能登線』の橋梁にたどりついた。(右) その橋梁はコンクリート造りだった。 能登線が廃止されてもしばらくは残るだろう。 『いつか廃線本に載る日が来るかもしれない』と考えながらの撮影となった。


 そこからほどなくして、古君駅に到着した。(左) まったく、のと鉄道は『物書き』泣かせの路線である。 もう、書くことがないぞ。 それでも『物書き』は書かねばならない、それが宿命。 今、綾小路さんが立っているのは線路の上ではない。 ここは何とか言った、お寺への参道になっていたのである。 覚えていないのは無理もない。 観光名所なら普通はホームに看板が出ているものなのである。 その看板もなかったしなあ。 でも綾小路さんは、観光名所案内板が立っていてもほとんど見ない。 写真だってめったに撮らないのだった。 ホームは見ての通り、端部を除いてかさ上げされている。 その、かさ上げされた部分の長さを必要とする編成の列車はすでに運行されていない。 そしてこの半年後には、どのような列車もやってくることはなくなるのだった。 お寺がある山側には、線路を通した際の土留め板が連なっていた。(右) これも廃線後に長く残るものなのかもしれない。 (こんなものでご勘弁を!)


 綾小路さんは9時21分発の下り列車に乗車した。 この列車でようやく『松波越え』を果たすことにする。 そして10時13分に鵜飼駅で下車した。 1日以上かかり、ようやく4駅進んだことになった。 ここで久々に待合室ではない駅舎に遭遇した。 見たところ駅舎らしくないが、やはり『緑地等管理中央センター』との共同施設となっていた。(左) 駅の所在はすでに珠洲市で、駅舎の中には『珠洲焼き』の簡易展示もしてあった。 ホームは相対式であるが、跨線橋はない。(右)


 ようやく進んで、終点の蛸島までは残り5駅となったが、御察しの通りでここから上り列車に乗車する。 ここからは10時31分発の列車で恋路駅まで移動した。 そこの片面ホーム上には変わった形の待合室があった。(左) 木材とシルバーメタリックの金属とのコラボレーションである。 見えている和倉温泉方のトンネルは『し』。 『いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ・・・』 いかん、ここまでしか知らない。 どのあたりか分かりまへんがな。 ホームを下り、国道に出ると駅を振返った。(右) 恋路駅は田んぼの奥の、築堤上にあったのだ。 ちなみにこの駅名から想像できると思うが、『恋路行き』切符が大人気になっているらしい。


 国道の反対側は海岸だった。 その名も『恋路海岸』。 この看板には、700年前に悲恋物語があったと書いてある。(左) どちらかというと海に浮かぶ小島の鳥居が気になったが、そちらの説明はなかった。 ちょっとした観光名所になっていて、砂浜の所々には風化されずに残された岩が顔を覗かせていた。(右) 他にも『幸せの鐘』なるものがあり、多くの観光客は鐘を鳴らしたり、記念写真を撮ったりと大忙しだった。


 恋路海岸なんて興味はなかったが、やって来たのには訳があった。 ここから徒歩で隣駅に行く『行きがけの駄賃』だったのである。 行き先は、路線距離ではわずか0.8キロ先の鵜島駅だった。 そして10分そこそこで到着した鵜島駅も田んぼの向こうの大きな築堤上にあった。(左) 階段を上ると、片面ホームに待合室、お馴染みの光景があった。(右) ちなみに見えている蛸島方のトンネルは『ひ』。


 さあ、次の列車がやって来るまで、まだ時間はたっぷりある。 じゃあ、路線距離でさらに1.1キロ先の南黒丸駅まで行くか。 徒歩続行! 南黒丸駅は入口部をやや迷ったが、またも田んぼの中に駅があった。(左) これで片面ホームに待合室の駅が僅か2キロの間に3駅もあったことになる。(右) ここには果たして何人の乗客がいるのだろう。 ちなみにこの待合室内には、中学のスポーツ大会の賞状が3枚貼ってあった。



 南黒丸駅ではすでに1時間が経っていた。 まだ、乗車予定の下り列車が来るまでは15分ぐらいあった。 そこに上り列車が先にやってきた。 これに乗車して、先ほど徒歩で行き、そのまま徒歩で去った、鵜島駅に行くことにした。 やはり列車で訪れた足跡を残したかったのである。 それにあと15分間も、ここで待つのも嫌だったし・・・。 鵜島駅で下車して、下り列車を待つ。 そして2駅先の松波駅で列車交換してやってきた、12時51分発の列車に乗車した。


 列車は南黒丸、鵜飼と停車して、未体験ゾーンに入った。 上戸駅の次の飯田駅を発車すると、すぐに『ん』トンネルに入る。 これは『いろは・・・』で数えて最期の48番目らしい。 しかしおかしい、『を』に『ん』を加えても46文字しかないのでは。 そうか、『ゐ』と『ゑ』を加えて48文字なのだろう。 ところが、能登線のトンネル合計は『49』あるらしかった。 何だ?、何なんだー!最期のひとつは? That’s『すず』。 あれっ、なるほどというか、これは拍子抜けした。 そしてすぐにそのトンネルが迫ったが、なんと暗くてぶれてしまった。 これはあとでもう一度チャレンジしよう。


 相変わらず未乗車区間では列車の先頭に立っている綾小路さんの目には、下車予定の珠洲駅が見えてきた。(左) 島式ホームに引込線が見える。 そして引込線の向こうには大きな車庫も見える。 ここは能登線の駅では、宇出津駅とならんで大きな駅である。 この先は正院と蛸島の小さな2駅を残すのみで、ここが能登半島最奥の車両基地ということになる。 列車を下りて、さあホームの撮影だ。 と、ここでタブレットを持った駅員が列車に近づいてきた。(右) 珠洲−蛸島の2区間は閉塞区間となっているようだった。



 駅舎はコンクリートの大きなもので、先ほどのくだりを見ると、有人駅であることが分かったであろう。 旅行センターに観光センターの看板もかかっている。 もちろん切符も販売していた。 それが幸いしたのである。 実は綾小路さん、昨日購入した、明日使用する予定の1日フリー切符を紛失していたのである。 それは昨日の時点で気づいていたが、どこで落としたか分からない。 たぶん駅弁をその後に購入したので、その時点で保管し損ねたのだろう。 紛失した切符¥1700は無駄になったが、ここでふたたび購入しなくては¥3000円近くかかってしまう。 そして、ここで買っておいて正解だった。 この後は1日フリー切符を買うチャンスはなかったのである。


 珠洲駅からは路線距離で1.3キロの飯田駅まで徒歩で戻る。 途中で寄道して、とある食堂で昼食を済ませた。 ちょっと期待はずれだったので掲載は差し控えよう。 やってきた飯田駅は小山と線路の築堤に挟まれた位置にあった。(左) コンクリートの小さな駅舎は、とっくに無人駅となったようだった。 階段を上ったホームは片面で、小山を切り通して設けられたようだった。(右) おそらくは国鉄時代から残されているであろう駅名標には、この駅が改称される前の『すすいいだ』の文字が記されていた。


 珠洲駅で下車したばかりで(この間の運行間隔は2時間)、次の下り列車はまだこない。 そこで、14時31分発の上り列車に乗車した。 下車したのは隣の上戸駅。 この付近で訪れてないのはもはやこの駅だけだった。 先ほど珠洲駅まで乗車した際に確認していたが、片面ホームに待合室の駅である。



 さあ、おまたせ。 いよいよ終点・蛸島への道が始まった。 綾小路さんは15時02分発の蛸島行き列車に乗車した。 次の飯田駅を発車すると『ん』トンネル、そしてすぐに『すず』トンネルが見えた。 こんどは成功!


 珠洲駅はすでに通過していた。 今、正院駅を発車したところである。 この後の駅は蛸島ただひとつ。 どこまで行っても、単線非電化の路線が続いていた。(左) ここまでに能登線の49のトンネルは、すべて通過していた。 この先にトンネルはない。 ここは切り通しで線路が敷設されている。(右) この切り通しを過ぎると、能登半島最奥の蛸島駅はすぐ間近となるはずである。


 切り通しを通過すると、遥か先に蛸島駅が見えた。 列車は緩やかなカーブを進んで、蛸島駅に到着間近となった。(左) 列車の先頭からは能登半島の最奥の線路と、車止めが見えた。 片面ホームの手前左側には、能登線で最終の61キロポストも見える。 そして15時14分に列車は蛸島駅に到着した。 列車を下りて、ホームの写真を撮ろうとしたが、2両の車両から降りてきた乗客が一斉に写真を取り出した。 やれやれ、列車が折り返してからにするか。 この列車は10分後に折り返すダイヤとなっていた。 おそらくはほとんどの乗客がこのまま折り返すだろう。 それにしても、廃線への狂想曲がすでに始まっていたのである。 発車間際になるとさすがにホームから人影が消えた。 ここでようやくシャッターチャンスが訪れた。 蛸島駅で発車を待つ、のと鉄道の車両である。(右) 折り返しは珠洲行きとなるようだった。


 列車は15時24分に蛸島駅を発車していった。 ホームはやけにシンとしていた。 なんと蛸島駅に残ったのは綾小路さんひとりだった。 どうせ珠洲止まりなら、残って撮影すればいいものを。 しかし、綾小路さんにとっては好都合だった。 まずは終点の車止めの裏側に回っての撮影としよう。 これが能登半島最深部の車止めだ。(左) この写真が撮りたかった。 10分で折り返していれば、この写真は撮れなかっただろう。 駅舎の撮影なんか二の次でよかった。 まあ、そうはいっても撮影しない訳にはいけない。 能登半島の最奥の駅舎はコンクリートの小さなものだった。(右) 売店が営業していたので、おそらく切符の委託もされているのだろう。


 蛸島駅から折り返しの列車に乗車しなかったため、隣の正院駅へは徒歩で行かざるを得なかった。 路線距離で2.0キロだったが、次の列車まで1時間あった。 たどりついた正院駅は蛸島駅と似たコンクリートの駅舎だった。(左) ただし、こちらは完全な無人駅だった。 ここから綾小路さんは結局、蛸島駅までもう一度行くことにした。 正院駅も片面ホームで、さして時間がかからなかったからである。 正院駅で乗車した下り列車は、16時26分に蛸島駅を折り返した。 そして再び列車は正院駅の片面ホームに到着する。(右) 先ほど、綾小路さんと入替わりで下車した乗客のグループが列車の写真を撮ろうと構えている。 確か蛸島駅でも見かけたグループだった。 彼らは穴水→(途中駅?)→蛸島→珠洲→正院のルートであろう。


 正院駅を発車してから1時間以上が経っていた。 例のグループもいつのまにか下車していた。 列車は17時32分に矢波駅に停車して、綾小路さんは下車した。 海岸線を走る道路の奥に、片面ホームの駅があった。(左) ホームには看板が掲げられていた。 それは、のと鉄道の看板だった。(右) 看板にはすでに廃止された、七尾線の穴水−輪島間の路線も描かれていた。 そして今、この看板の願いもむなしく、能登線も廃止の運命にある。 奥能登から鉄道が消えゆくのである。


 この漫遊が終われば、もう二度と能登線に乗車するチャンスはないだろう。 そのため、暗くなっていたが、もう一度下り列車に乗車した。 下車したのは隣の波並駅だった。 またもさびしい片面ホーム駅だった。(左) ここで綾小路さんは1時間も過すことになった。 暗くて分からないので、昼間に通過したときの写真を見ていただこう。(右) その名が示すように、ここも海沿いの駅だったようだ。


 このあと綾小路さんは19時14分発の上り列車に乗車した。 夜の能登線を見つめながら、宿泊先の和倉温泉駅を目指した。 明日は札幌への機上の人となるが、ぎりぎりまで多くの、のと鉄道の駅を訪れようではないか。 綾小路さんの漫遊はのと鉄道漫遊(其の四)に続く。


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