2004.09.24

のと鉄道漫遊(其の弐)   路線図を表示

 一夜明けて、今日はいよいよ、のと鉄道に乗車である。 そのうち、穴水から先の『能登線』は文字通り、一生に一度きりの乗車となるだろう。 しかし、よくぞここまで来れたものだ。 廃止の情報を耳にして4ヶ月余り、この年大当たりの台風の難も逃れてくれた。 有給休暇も首尾よく取れたし。 さあ、行こうか。 目標はすべての駅での撮影だ。 そのために今日は出発を5時24分発の始発列車に早めたのだった。

 綾小路さんはホテルに宿泊しても、ホテルではほとんど朝食をとらない。 それは朝食つきのホテルでも同様である。 だいたい、朝食のいただける時間は早くても7時ぐらいからで、その時間にはすでにチェックアウトしていることがほとんどである。 今日ももちろん、始発列車に乗車するので、チェックアウトは5時過ぎだった。 その時間では朝食を食べられるはずもなかった。 もちろん、ANA『スカイホリデー金沢』の金沢都ホテル宿泊にも朝食は付いていた。 そこでチェックイン時に丁重に辞退したのであるが、なんと朝食のサンドイッチを作ってくれると言う。 おお、なんと行き届いたサービスではないか。 こんなサービスを受けたのは初めてのことだった。 しかも朝は早すぎるし、ツアーでの宿泊である。 うれしいねえ。 そのサンドイッチを列車が発車してすぐにいただいた。 ケースはやや大きめで、どんなサンドイッチが入っているのかと過大な期待を抱くものだった。(左) 中身は適量のサンドイッチだったが、味はなかなか。 缶コーヒーにお手拭、ナプキンも付いているのがさすが一流ホテル。 もし、また金沢に宿泊することがあれば、金沢都ホテルに宿泊して、朝食をぜひ食べて見たいと思わせるものだった。



 列車は金沢駅から北陸本線を走り、津幡駅からはJR七尾線の七尾駅まで至る直通列車だった。 すでに北陸本線から分岐して、七尾線を走っていた。
 『夜明け間近か、北の海は波も荒くー・・・。』 いや、JR七尾線では海は見えないのだった。 この歌はやはり、のと鉄道の沿線沿いがふさわしいのだろうか。 しかし、そのころには夜明でなくなる、うーん。 『・・・夏から秋への能登半島。』 これはちょうど今の時期で歌にぴったりだろうか。
 列車は夜が明け始めた6時半前に能登部駅で停車した。 ここでタイミングよく、列車交換で5分ほど停車するようだった。 夜明け前の暗がりの中で撮影してもうまく撮影できなかっただろう。


 列車は6時46分に七尾駅に到着した。 2003年の4月にも撮影したが、あの時はJR七尾線の駅舎として撮影したのだった。 そのときは切符も『青春18きっぷ』だった。 せっかくなので、のと鉄道起点駅としての撮影を行うことにした。(左) 実際には和倉温泉までの路線はJRと共同運用区間であり、のと鉄道の路線は和倉温泉−蛸島間となっているようである。 また、ここでは駅弁と明後日の切符を購入した。 今日・明日の切符は後で説明することにして、今しがた購入した切符を紹介しよう。 切符は『のと1日のんびりきっぷ』で、のと鉄道の列車が全線1日乗り放題である。 土・日・祝日限定の切符であるが、値段は1700円と安い。 のと鉄道の全線89.0キロの駅を今日・明日の2日では周りきれないため、明後日の午前中に使用するものである。 駅弁と切符を購入して大急ぎで、のと鉄道の改札に向かった。 のと鉄道の列車は駅舎脇の切欠ホームから発着する。(右) この写真は先ほど駅舎を撮影するために、一旦改札を出る前に写したJRとの乗換え口である。 この時、のと鉄道の車両はすでに入線していたのである。 ちなみに右側の大きな円形の物体は、能登半島での祭りに使用される山車の車輪と思われるが、説明文を読まなかったので真偽は分からない。



 今回の漫遊は『ド田舎クーポン』を利用する。 これは、のと鉄道のフリー乗車券(連続する2日間)と宿泊券(1泊2食)がついたお得な切符である。 宿泊は穴水町、能都町、内浦町、珠洲市の宿から選べるみたいである。 宿により『駅長さんコース』(¥12000)と、『助役さんコース』(¥9000)があり、綾小路さんは『助役さんコース』を選択した。 事前に電話で予約したが、振込み手数料と切符の郵送料を加えると¥9920とはなったのだが・・・。


 のと鉄道の片面ホームで待つのは『NT105』だった。(左) 『NT』は『Noto Train』の省略形だろうか? もちろんディーゼルカーで、のと鉄道は全線が単線非電化の路線である。 そして、これがレールバスだった。 翌日に撮った運転台の下を見ると、クラッチが付いているのが見えた。(右)
 『NT105』は7時08分に七尾駅を発車した。 JRとの重複区間の和倉温泉駅を過ぎると、ここからは未体験ゾーンに突入した。 そして、穴水から先の能登線は綾小路さんは一生に一度の乗車になるのだった。


 のと鉄道の単独駅となる最初の駅は田鶴浜駅だった。(左) 相対式ホームに跨線橋が見える。 今回の漫遊は2日半に及ぶが、のと鉄道全37駅中のできる限りの駅で下車、または乗車しようと考えていた。 今日の出発を始発に変更して、能登鹿島駅を撮影できることになり、唯一車窓から撮影しなくてはならない駅となっていた。 ここにやってくる秘策も練っていたが、結局は叶わずに取りこぼすことになった。 発車してすぐに撮影した写真には、偶然にもキロポストが写っていた。(右) 今、気が付いたのであるが、キロポストには『63』の数字が記されている。 のと鉄道の起点・和倉温泉駅からすでに63キロ来たはずもない。 これは、のと鉄道が国鉄からJRに渡って存続した時代から、撤去・変更されずに残されたものと思われる。 当時の七尾線は津幡−輪島間の路線であり、起点の津幡駅からの路線距離として建てられたものであろう。


 その次の駅には、のと鉄道の『七尾線』のなかでも、ぜひ押さえておきたい駅舎があった。 当初は明後日の予定だった笠師保駅だが、始発に乗車変更したことで、ここで撮影することにした。 到着前に列車の先頭からは片面ホームと、手前側には切欠きのホーム跡が見えた。(左) いったい、このホームにはいつごろまで列車が発着していたのだろう。 そんなことも考えてしまう。 駅舎は昭和3年10月に建築されたものらしく、木造でグッドルッキング。(右) しかし、これでも無人駅だった。


 笠師保駅での滞在時間は24分間だったが、片面ホームの小駅に時間はそうかかるものではなかった。 そこで七尾駅で購入した駅弁を食べることにした。 朝市弁当¥900。 幕の内弁当のようだが、ばい貝・ふぐの粕糠漬・たにし・舳倉島天然わかめ・いいだこ・甘えびに茎わかめと掛紙に書かれている。 はてそうだったかなと今になって思う。 『いいだこ』を食べなかったのは覚えているが・・・。 強烈な主張がないのが幕の内弁当の悪い面だろうか。 また、『急行列車のデッキにはくず物入れがあります。』の注記が書かれている。 すでに急行列車は全国から消えつつあり、通年運行の列車は札幌−青森間の寝台急行『はまなす』など、長距離運行の夜行列車しか思い浮かばない。 夏休みの数日に『リバイバル能登路』という臨時列車は運行していたようではあるが・・・。


 笠師保駅からは7時49分発の列車に乗車した。 ここで当初予定していた計画のベースに戻った。 綾小路さんは次の能登中島駅をやりすごすと、西岸駅で下車した。 昭和7年8月建築だという木造駅舎は駅前広場がほとんどない窮屈な位置に建っていた。(左) ここも笠師保駅同様に無人駅だった。 ホームは相対式で、結構な長さであった。(右) かつては何両もの編成の列車が停車していたのだろう。


 尚もホームを散策していると、駅舎側のホームに上り列車が入ってきた。 あれっ、見たことのないカラーリングの車両が後部に連結されている。 どうやら団体専用列車らしい。(左) 黒くカラーリングされた車両は、今までに見たことがなかった。 といっても今回初めて、のと鉄道に乗車したのである。 しかし今日から3日に渡った、のと鉄道の漫遊で、車両を延べ何台見たことだろうか。 100台ぐらいはいっているだろう。 そこでこの車両を目にしたのはこの時だけだった。 車体には大きく『NOT・EXPRESS』ともペイントされ、しゃれっ気たっぷりである。 そして駅名標によると、西岸駅の所在は中島町となっている。(右) ところが、中島町は2004年10月1日に七尾市・田鶴浜町・能登島町と合併して、新『七尾市』となることが決定している。 あと1週間先のことである。 できればこの所在が七尾市に変わった時にもう一度来たいものだ。 穴水までの七尾線は存続するので、チャンスはまだある。 ちなみに先ほどの笠師保駅、能登中島駅と3駅が中島町に所在している。


 西岸駅での滞在を終えると、8時33分発の下り列車に乗車した。 途中、能登鹿島駅をやり過ごすと、8時45分には穴水駅に到着した。 ここで何故か、車両の付替えが行われた。 後部車両を切離し、前部に車両を増結するのである。 なんで、そんな”ややこしい”ことをするのかな。 そのため、列車の先頭から線路や通過する駅を眺めたい綾小路さんは、いったん列車を下車して先頭に増結される車両の入口で待った。 列車は8時52分発で少し撮影時間があったが、ここで待っていないと先頭の『指定席』?を奪われてしまう恐れがある。 しかし、無情! 増結車両の扉が開く前に、いままで綾小路さんが乗車していた車両からの乗客が、いっせいに増結車両に乗り込んできだした。 早くあけてくれー。 幸い、列車の扉が開いたときに『指定席』には乗客はいなかった。 後部車両からなだれ込んできた乗客は、ほとんどボックスシートに座っていて、シートに空きはない。 しかし、はなからシートに座る気のなかった綾小路さんには関係なかった。 カメラを構えた何人かは、まだホームで撮影していた。 しめしめ・・・。 ところが、ここで思わぬ障害が入った。 『列車の先頭にいると、運転の邪魔になるので先頭に立たないで下さい。』との旨が書かれたボードを、乗車してきた運転手が掲げたのである。 がくっ。 やむなく、1歩2歩下がって控えめに撮影せざるを得ない。 こんなことならホームの撮影をしとくんだったか。 まあ、穴水駅は明後日に時間をたっぷりと取ってある。


 さあ、列車は穴水までの『七尾線』ではなく、すでに廃止予定の『能登線』を走っている。 ここからが一生に一度の漫遊となる。 列車は穴水駅を発車すると、すぐに見所をむかえる。 七尾線で廃止された、穴水−輪島間の路線跡との分岐点である。 綾小路さんはここで思わず身を乗り出してしまった。 このようすは明後日の乗車時に詳しく述べようと思う。 そして、すぐにトンネルに入った。 能登線の穴水−蛸島間には全部で49のトンネルがあり、穴水側から『いろは』順にひらがながふってある。 このトンネルが最初の『い』トンネルだった。(左) そこからひと駅をやりすごすと、比良駅が迫ってきた。(右) 『能登線』の最期の雄姿を納めようと、カメラを構えている人の姿が映っている。 廃線への狂想曲が、すでに始まっているようである。 この列車にも列車の前部にビデオカメラを置き、路線風景を撮影している人も乗車していた。


 列車が穴水駅を発車してから、1時間以上が経過していた。 そして10時03分に松波駅に停車した。 思わぬロングランとなったが、綾小路さんはまずはここで下車した。 途中で下車しても後発の列車がないからであった。 駅は小山の麓に設けられ、道路から見れば築堤の上にコンクリートの駅舎が建てられている。(左) 駅社内には内浦町の観光物産案内所があり、のと鉄道の駅員はいないものの、案内所が委託を受けているようである。 ホームは島式で時刻表を見ると、ここで列車交換も行われているようである。(右) ちなみにホームへは線路横断して至る。


 次に10時40分発の上り列車に乗車した。 20分程乗車して、穴水−蛸島間では珠洲駅に次ぐ規模を誇る、宇出津駅で下車した。 駅舎はコンクリート造りかと思いきや、ブロック積みのような感じもする。(左) これはよく見なかったなあ。 ようやく駅員配置の駅であり、売店や旅行センターも同居している。 ホームは島式1面であるが、引込線や車庫も配置されている。(右) ホームの後には、のと鉄道のマークが入った建物が写っている。 宇出津には、のと鉄道の本社もあるようなので、ここでも社内業務が行われているのだろう。



 宇出津駅からは徒歩で藤並駅まで移動する。 路線距離では2.7キロ穴水よりの駅である。 駅前から少し歩いて海沿いにでると、『世界一の縄文土器』を発見した。 これは高さ4.5m、重さ約5tで世界一大きい縄文土器らしい。 町おこしの一環として能都町が製作して、ギネスブックにも載っているとか。


 さらに海沿いをしばらく歩いて、最期に30mぐらいの小山に登ると、藤並駅に到着した。(左) 片面ホームに待合室の駅である。 綾小路さんはここからこのタイプの駅を何度訪れたことだろう。 のと鉄道のスタンダード駅である。 ここには車で来たのか、撮影者がもう1人いた。 君のような人が鉄道で来れば、能登線は廃止にならなかったかもしれないのに。 そう思ったがもう廃止は決定だ、言ってもしかたない。 駅から少し歩くと富山湾が見えた。(右) 駅は山間部の様相を呈しているが、1歩出れば海岸沿いに至る。 のと鉄道の魅力のひとつだろうか。


 藤並駅からは12時14分発の下り列車に乗車し、九十九湾小木(つくもわんおぎ)駅で下車した。 ここには駅舎らしくないが、時計台までついた立派な駅舎が建っていた。(左) 駅舎らしくないのは、『九十九湾サイトハウス』との共同施設であるからだろう。 そして『九十九湾サイトハウス』とは、結局は観光物産案内所らしい。 ここには『内浦町観光協会の営業です。』との張り紙がしてあり、観光協会の女性社員がホームに出てきていた。 そのホームは島式で築堤上に設置されている。(右)


 撮影が終了したあたりで、運悪く雨が降ってきた。 ここで12時56分発の上り列車でひと駅、縄文真脇駅で下車した。 ここも築堤上に設けられた、片面ホームに待合室の駅である。(左) ここの駅名の由来となった『真脇遺跡』とは、4000年に及んだ長期定住型遺跡として、昭和57年に発掘が行われたらしい。 地図を見ると遺跡は駅の海側だったが、山側の公園は遺跡公園として整備が進められている。(右) なんと縄文気分が味わえる温泉もあるらしい。 ここも能都町に位置する駅。 どうやら先ほどの『世界一の縄文土器』は真脇遺跡の出土品を意識したもののようである。



 ここで雨脚が強くなってきた。 しかし、綾小路さんは隣駅まで徒歩で移動する予定にしていた。 廃止予定でなければおとなしく、例の小さな待合室で列車を待っていたかもしれない。 しかし、隣の小浦駅に立寄るのは一生に一度きりのチャンスだった。 ここは予定通り、小浦駅に向け歩を進めた。 ところが、やはり大変だった。 途中の道路は工事中のようだったがなんとか通過できそうだ。 そして20m程度の坂を登ると道路脇は断崖であり、展望台となっていた。 ここから崖下に見えたのが『千畳敷』だった。 いったい、日本に何箇所の『千畳敷』があるのだろうか。


 まだまだ道路工事区間は続いていた。 もう小浦駅は近いはずだったが、駅への入口部が分からなかった。 工事現場の作業員に聞いてみても分からないという。 彼らは地元の人でもないし、鉄道で現場まで来ないので分からないことが多い。 でもなあ、もう何ヶ月も来ているんだろ。 その中で駅の位置も知らないなんて、鉄道に興味がない人はこんなものなのか。 そして小さな売店の’おかあちゃん’に聞いて、ようやく駅を見つけた。(左) もうこの辺りは同じような駅ばかりだった。(右)


 縄文真脇駅から小浦駅までの路線距離は1.4キロ、次の羽根駅まではさらに1.7キロだった。 当初は羽根駅まで足を伸ばす計画だったが、ここまでに時間がかかり過ぎていた。 そこで波根駅まで歩くのは諦めたのである。 それは、本日宿泊する国民宿舎の最寄り駅が羽根駅で、ここで無理する必要もなかったからである。 ここで14時33分発の下り列車に乗車、白丸駅で下車した。 下車した白丸駅は片面ホームに待合室だった。(左) もう見飽きただろうが、このタイプの駅はまだまだ存在するのである。 その中で出来れば特長のある写真を撮影したい。 ここでは近くの跨線橋からの撮影を試みた。(右)


 白丸駅ではわずか13分間の滞在で、14時55分発の上り列車に乗車した。 この列車の乗車時間はなんと44分間にもなる。 列車本数が少ないので、こういった計画になるのである。 でも、白丸駅は13分間でも充分だったから、まあいいか。 そして下車したのは甲(かぶと)駅だった。 こんどは間違いなくブロック積みの駅舎である。(左) この駅舎が建てられた昭和34年4月には駅員がいたのだろうが、いつの間にか無人駅となったようである。 ホームは島式で、駅舎から奥側には引込線も敷かれている。 さらには駅舎の脇には線路が積まれ、ここにもかつては線路が敷かれていたのだろう。(右)



 その引込線の上に展示されているのが、『オユ10 2565』である。 『オユ10』は昭和32年から14年間に渡り、合計72両が製造された郵便客車を代表する形式らしい。 北海道から九州までの全国各地で、郵便物を車内で仕分けしながら走っていたとか。 鉄道郵便が廃止された昭和61年を最後に全車が引退し、現在では国内に2両のみしか保存されておらず、これはそのうちの1両で貴重な遺産だろう。 (この車両は能登線廃止の前に能登中島駅に移転された。)


 甲駅では40分以上にわたる滞在となった。 ようやく16時23分発の下り列車で鵜川駅まで移動した。 ブロック積み駅舎は甲駅と同タイプである。(左) しいて言えば、駅舎が道路から1m程度上がった位置に建っていることが違うくらいだろうか。 おっと、ここは窓口業務が行われているらしい。 ただし平日でも9時10分から12時10分までらしい。 駅構内も甲駅に良く似ていた。(右) 島式ホームに引込線、もちろん『オユ10』はあるはずもないが、代わりにブロック積みの鉄道官舎らしき建物が建っていた。


 鵜川駅から七見駅までは徒歩で移動する。 路線距離で1.2キロだったが、これまた大変だった。 せっかく霧雨までになっていた空模様が、ここで激しい降りとなった。 それにちょっとした坂が輪をかけた。 それでもほとんど直線だったため、足元が濡れたものの20分弱で到着した。 そこはまたも片面ホームに待合室の駅であった。(左) しかし他の同様な駅とは異なる、ログハウス調の待合室があった。(右) ホームもコンクリートパネルを組み合わせたもので、比較的新しい駅なのかもしれない。


 七見駅からは17時35分発の上り列車に乗車した。 乗車12分で下車したのは沖波駅である。 ホームから坂を下ると、やや大振りな待合室がある。(左) 秋分の日を過ぎると、日が落ちるのが早い。 ホームの写真は日中に通過した時の写真を見ていただこう。(右) ちなみにこのホームからは富山湾が見える。 駅は山間にあるようだが、1歩足を進めると海沿いに至るのである。 沖『波』駅と名付けられた由縁である。



 ここから綾小路さんは下り列車で九里川尻駅まで至った。 しかし暗闇で、満足な写真は撮れず。 明日また行くことにして、上り列車に乗車して羽根駅で下車した。 『ド田舎クーポン』での今日の宿は、国民宿舎『能登うしつ荘』である。 綾小路さんの漫遊はのと鉄道漫遊(其の参)に続く。


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