2003.03.26
石北本線漫遊(上川−遠軽)
いや温泉はやっぱいいね。
生田原のノースキングに宿泊した綾小路さんは満足した。
しかしレストランの業者が変わっていたのだ。
前は生田原のきのこメニューが多かったが中華中心のメニューになっていた。
きのこの天ぷらを食べようと思っていた綾小路さんであったが天ぷらメニューはえびとかできのこはなかった。
しかたないので餅は餅屋。中華を食べたのだ。
たしかにうまかったが何か釈然としない綾小路さんであった。
今日は石北本線で新旭川まで行き、宗谷本線に乗換え。一気に天塩川温泉駅まで行く予定である。
ノースキングからは徒歩1分で生田原駅に到着する。
生田原駅 オホーツク文学館との併設駅
まずは生田原駅7時21分発の列車に乗車して遠軽駅に到着した。
石北本線はここ遠軽駅にて進行方向を変えて出発する事になる。
これは鉄道敷設の歴史に起因するものである。
もともとは網走線として網走−野付牛(現北見)間が開業していた。
そこへ湧別軽便線として野付牛から湧別方面に順次鉄道が敷設されて行った。
留辺蘂、下生田原(現安国)、遠軽までと順次敷設され大正5年にはその先の湧別まで敷設されたのである。
その後、昭和2年に遠軽−丸瀬布間が開業して石北本線は順次敷設されて行く事になる。
一方遠軽から湧別方面の鉄道はその後名寄本線に編入となり、やがて廃止となったのである。
構内には転車台も残っていた。のりば案内にも紋別、名寄方面の表示が残っていた。
遠軽駅 (上左)駅舎 (上右)転車台 (下左)駅名標 上り下りとも同方向だがかつて逆方向には”きたえんがる”の文字があった?
(下右)少し見ずらいが最下段には紋別、名寄方面の文字がある。
遠軽駅の探索は終了した。ここで朝食の予定であった。遠軽駅には駅弁と駅そばがあるはずだった。
しかし駅そばはまだ開店していないし、駅弁もない。キオスクを覗くがそれらしいのは見当たらない。
両方とも楽しもうかと思っていた欲張りな綾小路さんの落胆はかなり大きなものであった。
ああなんてついてない。これで3日連続で駅弁を食いっぱぐれてしまった事になった。
しかしここは明日に期待、名寄駅でのリベンジを堅く心に誓う綾小路さんであった。
それにしても腹減った。
空腹のまま8時23分発の列車で白滝駅へ向かった。
新栄野駅は通過、瀬戸瀬駅、丸瀬布駅と停車したが車内からでも写真を撮っておけばよかった。
続く下白滝駅、旧白滝駅はまたも通過した。
(左)下白滝駅 (中、右)旧白滝駅 全てH14-10-24撮影
列車はやがて白滝駅に到着した。
ここは特急が停車する駅となっている。しかし無人であった。
駅前にコンビニがあり、パンでも買おうという綾小路さんの小さな期待も裏切られたのである。
駅前には白滝村案内図があった。
遠軽方面から下白滝、旧白滝、白滝ときてさらに上白滝、奥白滝と白滝村内のJR駅が5つ載っている。
”白滝”の名前が5駅連続で付く珍しい区間であったがこのうち奥白滝駅は平成13年の6月に廃止されている。
また旧白滝駅は駅名に”旧”が付く珍名駅である。”新”や”上”、”下”などが付く駅は数あれど”旧”が付く他の駅を綾小路さんも知らない。
もともとは旧白滝地区から開拓が始まった。たぶんそのころは白滝と言う地名だったかもしれない。
その後現在の白滝地区、新白滝地区と開拓されもともとの白滝地区が旧白滝と変わったらしい。
白滝駅 (左)駅舎 (右)白滝村案内図(拡大) 左側の赤丸が上白滝駅、中央の赤丸が奥白滝駅の表示。
白滝駅からは10時57分発の列車で上川駅に向かった。
5〜6分経過した。快速列車だったため上白滝駅は通過となった。
上白滝駅 写真(右)はH14-10-24撮影
列車はさらに進行して奥白滝駅跡を通過した。
奥白滝駅跡 写真(右)はH14-10-24撮影
上白滝−上川間は長い。その間実に34キロである。
現在、時刻表を見ると上白滝駅の次は上川駅となっている。
かつて上白滝駅の隣に奥白滝駅が存在したのは前述した。
しかし他にも駅が存在したのである。この後に通過するので車内から追って見ようと思う。
奥白滝駅からはスノーシェッドを3本通過していよいよ全長4329mの石北トンネルへ。
トンネルを出るとすぐに上越駅跡を通過する。
昭和50年12月に廃止されたが現在は信号場となっている。
上越駅跡 写真(中、右)はH14-10-24撮影
尚も列車は進行し、国道を3度オーバーパスして次にアンダーパスした。
そして少し進行して中越駅跡を通過した。
中越駅は奥白滝駅と同じく平成13年の6月に廃止となった。
中越駅跡 写真(右)はH14-10-24撮影
この後スノーシェッドを1つ通過、さらに長いスノーシェッドを通過して天幕駅跡を通過した。
天幕駅の廃止も奥白滝駅、中越駅と同じく平成13年の6月であるが駅舎はすでに撤去されていた。
尚、”天幕駅跡”の告知板が建てられている。
天幕駅跡 (左)管理施設の向こう側に駅舎があった。 写真(中、右)はH14-10-24撮影
しかし廃止駅が4つ連続で並んでいるのは全国でここだけではないだろうか。
石北本線は西は新旭川から東は遠軽から順次敷設されてきた。
まずルベシベ線として新旭川−愛別間が大正11年11月4日に開業。
続いて愛別−ルベシベ(現上川)間が翌大正12年11月15日に開業した。
一方石北東線としては遠軽−丸瀬布間が昭和2年10月10日に開業した。
さらに昭和4年8月12日に丸瀬布−白滝間、同年11月20日には
すでに石北西線と改称されていた上川−中越間が開業した。
最後に中越−白滝間が昭和7年10月1日に開業し、
湧別線の遠軽−野付牛(現北見)間を編入して石北線と改称した。
その後に網走本線の北見−網走間も編入して石北本線と改称する事になった。
廃止駅が連続する区間は最後に鉄道が開通した北見峠越えの難所であり、
人があまり住んでない区間である事に起因する。
やがて列車は上川駅に到着した。
綾小路さんはここで下車した。次の列車は2時間半後である。
普段はこんなに時間が空くと途中下車はしないがある目的があった。
ラーメンを食べるためである。
上川は大雪山の湧水とかで水がきれいらしい。
そこで町起こしの一環で”ラーメン日本一”の会が結成されている。
綾小路さんは上川ラーメンが日本一だとはこれっぽっちも思っちゃいない。
しかし確かに綾小路さんが入った2軒のラーメン屋はうまいのである。
この日はあさひ食堂で”まぼろしの塩ラーメン”を食べた。
絶品です。
上川駅 (左)駅舎 (中)駅構内 (右)駅前にある”ラーメン日本一”の看板
14時03分、ようやく旭川行きの列車が発車となった。
綾小路さんはこの後に桜岡駅、当麻駅の探索を実行して石北本線を後にした。
(左)桜岡駅 (中、右)当麻駅
石北本線の基点は新旭川駅であるが列車は全て旭川駅まで連絡する。
しかし今回は両者の中間駅である旭川四条駅で乗り換える事とした。
宗谷本線の漫遊は明日からが本番であるが今日は他に蘭留駅、剣淵駅の探索を実行した。
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(左)旭川四条駅 (中)蘭留駅 (右)剣淵駅
本日の漫遊予定は終了した。
この後はいっきに天塩川温泉駅へ行く。そこの住民保養センターで宿泊するのである。
今日も温泉が、そして音威子府そばが待っているのである。
綾小路さんの漫遊は宗谷本線(名寄−音威子府)に続く!
至 新旭川 | ![]() |
上川 | ![]() |
天幕(廃止) | ![]() |
中越(廃止) | ![]() |
上越(廃止) | ![]() |
※1 |
※1 | ![]() |
奥白滝(廃止) | ![]() |
上白滝 | ![]() |
白滝 | ![]() |
旧白滝 | ![]() |
下白滝 | ![]() |
※2 |
※2 | ![]() |
丸瀬布 | ![]() |
瀬戸瀬 | ![]() |
新栄野 | ![]() |
遠軽 | ![]() |
至 網走 |
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