2003.03.23
根室本線漫遊(池田−釧路)
ふいー、ショバの空気はうまいぜ。
いや何、刑務所に入っていた訳ではない、念のため。
こう見えても綾小路さんは善人である。自称、狼の皮をかぶった羊。
実は頚部神経の腫瘍を摘出する手術で10日ほど入院していたのであった。
抜糸して退院したのが19日だったかな。
綾小路さんの記憶が確かであればの話ではある。
入院中に米軍他のイラク攻撃が始まり、春の青春18きっぷの期限は半減した。
急がねば!
この眉間に輝く三日月が・・・、違った。
この首についたキスマークが・・・、だとよかったが。
ええいこの首に刻まれた手術跡が綾小路さんを旅に誘っている。(傷は関係ないか)
と言う訳で退院後の漫遊第一弾、道東&道北の鉄道の旅に出かけた綾小路さんであった。
札幌から石勝線経由で新得まで行き、そこから根室本線で釧路、根室までを漫遊。
釧路に戻り釧網本線で網走へ、そこから石北本線で新旭川までを漫遊。
そして宗谷本線で最北の稚内まで漫遊する計画である。
もちろん青春18きっぷを使用しての旅であるのは言うまでもない。
出発は札幌駅、6時52分発の千歳線でまずは南千歳駅を目指した。
列車は白石駅を過ぎると函館本線から分岐して千歳方面へと向かった。
函館本線分岐
綾小路さんは途中、恵み野駅で一時下車して首尾よく南千歳駅へと到着した。
ここから新夕張駅までは別料金でスーパーとかち1号に乗車した。
なにしろ列車の乗り継ぎがうまく行かないのである。
ここで各駅停車のみにこだわり大幅に時間をロスするよりは別料金でも先に進むほうが得策であった。
尚、白石6時14分発の函館本線に乗車し、滝川から根室本線に乗換えできれば各駅停車のみで可能な計画である。
南千歳駅 橋上駅。 (右)は石勝線0キロポスト。JR北海道で設置されているのは珍しい。
南千歳駅は8時28分に出発。列車は以外に空いていた。
ここで南千歳駅で購入の駅弁を朝食とした。
南千歳駅弁 北の駅弁 ¥1000
スーパーとかち1号は南千歳駅から30分ほどで新夕張駅に到着した。
新夕張から新得までは各駅停車の運行がなく特例で18きっぷのみで特急の自由席に乗車可能である。
しかし同一の列車には乗車出来ないそうだ。
必ず前後で列車を乗換えなければ全区間の運賃、特急料金を支払わねばならないとの事である。
貧乏な綾小路さんはしかたなく下車して1時間以上の列車待ちとなった。
新夕張駅 (右)駅前にある駅名標。石勝線開通前の夕張線時代には紅葉山駅と言う名前だった。
綾小路さんは納得のいかない1時間を過ごして10時05分発のスーパーおおぞら3号に乗車した。
こんどは結構混んでいた。乗換えたためだ。くそー。
スーパーおおぞら3号は約1時間後、新得駅に到着した。
綾小路さんはかねてから一度は食べて見たかった新得駅そばを昼食とした。
新得駅
新得駅そば 天ぷらそば ¥350
あわただしく新得駅を探索し、駅そばを賞味、11時26分発の根室本線で帯広駅に向かった。
今回も探索出来なかったがここから幕別までの区間の探索がさっぱり進んでいない。
後日談になるが18きっぷの余りで新得−帯広間の全探索を実行する予定でいたが風邪をひいてしまい断念。
また残ってしまった区間である。
列車は1時間程で帯広駅に到着した。
帯広駅
帯広駅ではまだ食べた事がないヒレカツ弁当を買おうと思ったが売れ筋ではないので置いてないとの事であった。
どうも予約しないと手に入らないみたいだ。ちなみに売れ筋はご存知のぶた丼。加熱式のものだ。
まあここで別のを買うのも癪だし、先ほどそばを食べたばかりなので見送った。
そして12時38分発の釧路行き列車に乗車した。
途中、池田駅で2両の内1両を切り離すために9分間停車した。
池田駅
列車は13時20分に再び釧路へ向け出発した。
浦幌駅を過ぎてしばらくすると常豊信号場が見えてきた。
ここは信号場なのにホームと駅名標が設置されている。
常豊信号場 (左)駅舎や待合室ではなく管理棟 (中)対抗式ホーム2面が見える。(右)ホームには駅名標も設置されている。 H14-9-27撮影
列車は上厚内駅に到着して交換列車待ちで5分間停車した。
ここの駅舎はしぶい。古くていつ取り壊されても不思議ではない。
他に根室本線では門静駅、糸魚沢駅なども古い。
上厚内駅
上厚内駅を発車した列車は音別駅で再び5分間ほど停車した。
音別駅
そして帯広駅から2時間半、列車はようやく白糠駅に到着した。
綾小路さんはここで下車し、駅を探索する事にした。
ここはかつては白糠線の接続駅であった。
白糠線は昭和39年10月7日に白糠−上茶路間が開業、昭和47年9月8日には上茶路−北進間が開業した。
当初は足寄までの延長計画もあったらしいが開業当時から収支が厳しく、昭和58年10月22日に廃止となった。
白糠駅 (右)線路の終端から北進駅まで白糠線が走っていた。
白糠駅からは15時50分発の上り列車に乗車した。古瀬駅へと向かうためである。
無人の林の中に対抗ホームが2面。1番ホームの脇には管理棟があるが2番ホームとは100m程離れている。
1日に1番ホームには上下各3本の列車が停車するが、2番ホームには対抗列車待ちをする下り列車1本のみが停車する。
古瀬駅 (左)1番ホームの端から撮影、2番ホームは遥か先に。(中)建物は施錠されており待合室ではないようだ。(右)1日に1本しか停車しない2番ホームに列車がやって来た。
古瀬駅を後にした綾小路さんは16時41分発の下り列車に乗車して庶路駅に到着した。
ここは対抗式ホームでホームが2面あったが1面は柵で立ち入り禁止になり線路は撤去済みであった。
根室本線の池田−釧路間は北海道官設鉄道釧路線として釧路側から敷設されていった。
まず明治34年7月20日に釧路(当時は浜釧路)−白糠間が開業した。(浜釧路−釧路間は後に廃止)
明治36年の3月1日に白糠−音別間が開業。12月25日には音別−浦幌間が開業した。
続いて明治37年の8月12日に浦幌−豊頃間が開業。12月15日の豊頃−利別間開業に伴い池田−釧路間が開通した。
この区間の中でも屈指の歴史を持つ庶路駅である。
庶路駅
17時19分、綾小路さんは今日最後の探索駅である西庶路駅へと向かった。
西庶路駅
西庶路駅の探索を終えた綾小路さんは釧路駅に向かいこの日はカプセルホテルに宿泊した。
綾小路さんの漫遊は根室本線(釧路−根室)に続く!
今回の漫遊で探索できなかった駅
(左)十弗駅 (中)十弗駅ホームの看板 十弗と10ドル(弗)をもじっている (右)豊頃駅 全てH14-9-28撮影
(左)新吉野駅 (中)浦幌駅 (右)尺別駅 全てH14-9-28撮影
(左)厚内駅 (右)直別駅 以上H15-1-12撮影
至 北見 |
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至 滝川 | ![]() |
池田 | ![]() |
十弗 | ![]() |
豊頃 | ![]() |
新吉野 | ![]() |
※1 |
※1 | ![]() |
浦幌 | ![]() |
上厚内 | ![]() |
厚内 | ![]() |
直別 | ![]() |
尺別 | ![]() |
※2 |
※2 | ![]() |
音別 | ![]() |
古瀬 | ![]() |
白糠 | ![]() |
西庶路 | ![]() |
庶路 | ![]() |
※3 |
至 網走 |
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※3 | ![]() |
大楽毛 | ![]() |
新大楽毛 | ![]() |
新富士 | ![]() |
釧路 | ![]() |
至 根室 |
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