2003.02.15

富良野線漫遊(美瑛−富良野)

綾小路さんは今度は一日散歩きっぷで富良野線の漫遊を思い立った。
せっかくだから根室本線の駅にも途中下車するかと時刻表をめくりプランニングに入った。
その結果、根室本線で滝川8時05分発の列車に乗車する事を決意したのである。
さーてその列車に乗車するには札幌は何時発だ?げっなんと6時06分。これじゃ地下鉄ないやんけ。
うーん・・・・・・。そのとき綾小路さんはある事を思い出した。
たしか半年ほど前に青春18きっぷで道東に行った時に白石駅まで歩いたことである。
だが駅までは5キロ程あった。しかもこんどは凍結した路面である。
そこで綾小路さんはいろいろな策を考えた。

やっぱてっとり早いのはタクシーか。しかし金かかるしなあ。
早朝に確実に車を確保しようとすると自宅に呼ぶしかない。結構かかるな。
綾小路さんはタクシーを使うとしたら適当な所まで歩き、少し疲れた所で乗車して安くあげたい。
次ぎに思い付いたのは漫画喫茶。
前日の夜に大通り付近かすすきのでラーメンでも食べ、漫画喫茶で夜明かしして札幌駅まで歩き6時06分発に乗車する計画。
4時間居るとして2000円弱。ほぼ徹夜状態にはなる。
次ぎに岩見沢の健康ランドで仮眠する計画。
これだと上幌向駅に6時54分で朝が少しは楽だ。
しかし週末だし込んでいれば嫌だな。値段は?2500円か。
さて、どうする。うーん。

とりあえずパーク&トレインを申し込んで駄目ならタクシーにするか。
綾小路さんは愛車を所有してるがスポーツカーで後輪駆動である。
これが雪道はからっきしだめなのである。早朝で路面凍結の恐れに二の足を踏んでいたのである。
しかしこの2〜3日はそう凍結しているとも思えず受話器を取った。
綾小路さんはパーク&トレインを申し込むのは初めてだった。白石駅は無料だが5台分しかない。どうだ?
結果、一日ならOKとの返事が。一日で充分ですよ。決定、それで行こ。

と言うわけで、前置きは長くなったが漫遊当日。
5時前に起床。5時半過ぎに愛車にて白石駅へ向かう。
約15分後、無事白石駅にご到着。ここで一日散歩きっぷを手に入れいざ漫遊へ。

白石駅 あたりはまだまだ真っ暗である。

6時14分発の下り函館本線で滝川に向かう。
この列車は3両編成なのであるが最後尾の1両は回送扱いである。
これでは後方で乗車しようとした人はあわてて前方に移動して乗車する羽目になる。
それなら事前に告知しろと前回は車掌に文句を言ったが変わっていなかった。
相変わらずお役所仕事のJRであった。

列車は江別、岩見沢を過ぎ1時間半経過したところで茶志内駅にて対抗列車を待つため5分間停車した。

茶志内駅

茶志内駅を発車した列車は定刻どおり8時00分に滝川駅に到着した。
ここで8時05分発の根室本線下り列車に乗換え、富良野を目指した。
しかし綾小路さんは30分後に芦別駅で一時下車したのである。
平成元年まで三井芦別鉄道が接続していた駅である。

芦別駅 写真右の作業車両が停車しているホームから三井芦別鉄道が発着していた。

8時46分発の上り列車に乗り込み一息つく。
1両編成にそこそこの人が乗り込んでいる。
通路を挟んだ前のシートに女子中生であろう3人が座っていた。
みんな揃ってほっぺたがあかいこと。まるで桃みたいであった。
もし綾小路さんの頬が赤くても酔っ払いにしか見てくれないであろう。
そんな事を考えていたらあっという間の10分で茂尻駅に到着。
小高い丘の上にコンクリート製の駅舎が建っていた。

茂尻駅

9時58分、綾小路さんは下り列車で再び富良野へと向かう。
野花南駅を過ぎ、やがて長いトンネルに入った。滝里トンネルだ。
根室本線は滝川駅から落合駅まではほぼ空知川沿いに敷設されている。
しかし平成3年に滝里ダムの完成により滝里町、滝里駅などは湖底に沈んだのである。
そこでこの間はトンネルで迂回する新線に切り替わった。
トンネルを出て辺りをうかがっているとあった。空知川を渡る小鉄橋の脇に旧線のレンガの橋台が。
しまったカメラが間に合わない。
もっと事前に調べていればよかった。(泣き!)

滝里駅駅名標 小樽交通博物館蔵 H14-9-19撮影

いよいよ富良野駅が近づいてきた。実は綾小路さんはそこで駅弁を買うつもりである。
時刻表の駅名の隣には記載されていないが富良野駅には駅弁があるのだ。JR北海道の社内誌には載っている。
やがて列車は富良野駅へ到着。まずは駅を探索。そして勇躍キオスクへ。
しかしない!前は駅弁の幟が立っていたはずだが。
キオスクのおばちゃんに聞いてみると駅弁販売は4月中旬から9月頃までとの事であった。
ああ無情!確かに前に見たのは9月5日ごろだった。呆然の綾小路さんであった。
しかたなくではないが駅のそば屋で天ぷらそばを食べる。
実は綾小路さんは旅と鉄道2002年春の号で駅そばの特集を見て以来、時間があれば満腹でない限りは駅そばを食べるようにしている。
もっともこの日は駅弁を買い込んで駅そばを食べるつもりでいたが。

富良野駅  (右)ホームには北海道の中央である記念碑とへそ踊りの人形が。

富良野駅そば 天ぷらそば ¥360

11時45分、上り列車で出発。
いよいよここからが富良野線の漫遊である。
駅を出た列車は根室本線の路線を左に見ながら旭川を目指した。
そして最初に下車した駅が上富良野駅。
いかにも昔の駅といった感じの木造の駅舎であった。

上富良野駅

12時25分、今度は下り列車で中富良野駅を目指す。
こんどはコンクリート造り?の駅舎が駅前通りの奥に建っていた。

中富良野駅 コンクリート造り?もっと良く見てくればよかった。

続いて13時18分発の上り列車で美瑛駅へ。
実は今回の富良野線漫遊は美瑛駅までである。
道央圏の一日散歩きっぷではここまでしか周遊出来ないのである。
まあよくよく考えてみて2040円で札幌から美瑛まで来れるのだから大したものである。
旭川−美瑛間の漫遊はまた別の機会にし、その分今回は美瑛−富良野間を満喫する事にした。
臨時のラベンダー畑駅こそ冬季間には停車しないので探索できないが、それ以外は探索可能なスケジュールとなった。
しかし今回の漫遊の最大の目的がこの美瑛駅を探索する事だったのである。

北海道官設鉄道十勝線のうち旭川−美瑛−下富良野(現富良野)間(現富良野線)は明治33年8月1日に全通した。
それに先立ち明治32年9月1日に旭川−美瑛間が開業していた。
当時の駅舎は53年後に取り壊され、昭和27年に現在の美瑛駅が建設された。
地元特産の美瑛石(白色の安山岩)が利用され、日本では珍しい石造りの駅舎が誕生したのである。

美瑛駅 写真は掲載していないがトイレも石造りであった。

14時05分、綾小路さんは再び下り列車で今度は鹿討駅へ。
鹿討とは物騒な、昔鹿を退治した歴史でもあるのか?
この手の名前では因美線に鷹狩駅があるのを思い出した。
短いホームとその隣に少しメルヘンチックな待合室があった。
しかしこの時、綾小路さんは気づかなかった。
この後もう一度列車で通りかかった時の驚愕の光景に。

鹿討駅

続いて14時54分発の上り列車で3たび旭川方面へ出発。
列車を下りたのは美馬牛駅。
こじんまりとした木造の駅舎であった。
どういういわれなのか?車寄せの中心にクリスマス飾りのようなリングが飾ってあった。

美馬牛駅

365歩のマーチ作戦快調!次々と折り返しの列車に乗車出来ている。
結局この後も最後まで折り返し列車に乗車し続けたのであった。
次に16時08分発の下り列車で富良野駅の一歩手前の学田駅へ。
ここには短いホームとホーム上に物置タイプの待合室があった。
徐々に夕暮れが近づきふらのスキー場のナイターの照明が浮かんできた。

学田駅 (左)駅一望 (中)待合室は物置 (右)写真奥の中央と右側にふらのスキー場のナイターが、左側の明かりは国道の照明。

17時00分、いよいよ富良野線では最後、上り列車で西中駅へ向かう。
富良野線は上りも下りも結構乗客が多い。
すべて1両編成かと思えばこの列車のように2両編成もたまにある。
そして列車が鹿討駅に到着したときに綾小路さんは驚愕の光景を目にしたのである。
列車が踏切内で停車したのであった。

短いホームのすぐ隣に踏切があるため、2両編成の後部車両はホームを跳び越して踏切内に停車せざるを得ないのである。
ワンマン運転でホームから外れるので後部車両からは下車出来ません。運転手の後から下車願います。とのアナウンスは何度も耳にしてはいたが。
またなぜかこの時、踏切の遮断機は開いていたのである。
とにかく綾小路さんは驚いた。こんな状況はいままで考えもしなかったのであった。
このあと西中駅に到着。ここでも同様の光景が見られた。

(左)鹿討駅に停車中の車内から 遮断機は開いている。(右)西中駅下車後すぐ。

西中駅 短いホームと小さな木造の待合室がある。

綾小路さんは17時25分発の富良野駅行きの列車に乗車して富良野線の漫遊を終えた。
しかし綾小路さんは貪欲である。
この後も途中下車しながら札幌へと帰ったのであった。

綾小路さんの漫遊は明日につづく。えっ。


綾小路さんが帰りに探索した駅

滝川駅 函館本線と根室本線の分岐駅。

峰延駅

光珠内駅



至 旭川 美瑛 美馬牛 上富良野 西中 (臨)ラベンダー畑 ※1


※1 中富良野 鹿討 学田 富良野 至 根室

滝川

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