2004.03.07

石北本線漫遊(新旭川−上川)   路線図を表示

 2004年も早や3月となった。 これから4月上旬までは青春18きっぷの利用期間でもある。 今回も1セット購入して、これであちこち漫遊してみようと思う。 しかし、ボチボチ行動範囲が限られてきた。 毎回、同じような行程になってしまう。 そこでちょっと贅沢、ポイントポイントで特急を利用して、移動する列車および時間帯を変えて見ようと考えた。 こうすると現地での漫遊の効率化も図れて、一石二鳥になる。 青春18きっぷの利用規定にも書いてあるように、青春18きっぷでは特急に乗車する事は出来ない。 特急券だけ買ってもだめである。 特急に乗車するには特急券と乗車券を別に購入しなければならない。 これなんとかなりませんかねえ、JRさん! まあ、そう言ってもしかたない。 それでも全て乗車券を買った上で特急券を利用するとかなり高くなる。 特に綾小路さんのように行ったり来たりする漫遊では倍増する。 やはり周遊タイプのきっぷが欠かせないのである。 そこで青春18きっぷと一般の乗車券&特急券を併用してみることにした。

 今回は石北本線の新旭川−上川間を漫遊することにした。 白石駅でパーク&トレイン、6時14分発の函館本線で旭川方面に向かう・・・。 おいおい、いつもと変わらないではないか。 いや、ここからが違っていたのである。 このまま各駅停車に乗車すると、旭川駅には9時14分着となる。 しかしタッチの差、石北本線の各駅停車は9時11分に発車してしまうのである。 そして次の各駅停車は12時40分発であった。 それではお話にならない。 そこで特急を利用することにしたのである。 8時34分に深川駅で下車すると、5分の乗換時間で札幌発・網走行きのオホーツク1号に乗車できるのであった。 この列車に乗車すると旭川駅に9時ちょうどに到着できる。 そして11分間の乗換時間で石北本線の各駅停車に乗車できるのであった。 もちろん札幌からオホーツク1号に乗車してもいいが、それでは4000円もかかってしまう。 それが深川−旭川間の利用では1220円で済むのである。 綾小路さんは深川駅でオホーツク1号に乗換え、旭川駅で下車した。 そして余裕で9時11分発の石北本線の列車に乗車した。 石北本線の起点は宗谷本線の新旭川駅であるが、列車は全て旭川駅に発着となっている。 列車は2駅目の新旭川駅を発車すると宗谷本線から分岐、いよいよ石北本線の区間に入った。 今日はこの後、いきなり上川駅まで行って折返す予定である。

 旭川駅では石北本線に乗換える際に駅弁を購入していた。 幕の内弁当にあたる旭岳べんとう¥890である。 実は”蝦夷鴨めし”という駅弁を雑誌かテレビで見ていて、購入しようと思っていた。 ところがホームの売り場では販売してなく、やむを得ずこれを購入した訳であった。 普段はあまり幕の内弁当は購入しないが、なかなかよかったね、これは。 鰊、鰊昆布巻、帆立、鳥の照焼、えびフリッターなどなど。 いろんなものが一度に味わえ、これぞ幕の内といった内容である。 ”蝦夷鴨めし”はまたのお楽しみにしよう。



 列車は9時36分に桜岡駅に停車した。 しかし、ここで下車することはできなかった。 特急に乗車してもなお、札幌から日帰りで新旭川−上川の全ての駅で下車する計画を立てられなかったのである。 まあ、昨年の石北本線漫遊(上川−遠軽)の際に下車していたので、今回の漫遊ではまっさきに探索候補から外れた訳でもあった。


 列車は9時48分ごろに伊香牛駅に停車した。 ここで上り特急の通過待ちがあり、停車時間は4分間だったが、その後なかなか発車しない。 運転手も列車を下りて、携帯電話でなにか話をしだした。 はやく発車してくれ、上川駅で折返しの列車が発車するまで12分しかないのだった。 いらいらいら・・・、遅い! 他の乗客もざわつきだした。 そしてしばらくすると何かの列車が通過していった。 えっ、時刻表には載っていないぞ。 このとき、綾小路さんがもっていた時刻表は、道内時刻表で昨年の10月号だった。 JR北海道のダイヤが改正したとも思われなかったので、そのまま使っていたのである。 列車は結局、14分ほど遅れて伊香牛駅を発車した。 ダイヤが改正されたのか、このときはまだ分かっていなかった。 本当に改正されたのであれば、古い時刻表(全国版の12月号でも確認はしていた。)で立てた、今日の予定も大幅に狂う可能性もある。 しかし、このあとどうしよう。 上川駅まで行って、折返しの列車が2、3分後に発車であれば忙しいし。 考えた末にここは予定変更して、安足間駅で下車する事にした。

 安足間駅には出入口の庇が屋根と分離された、少し個性的なデザインの待合室が建っていた。(左) ”ふるさとの駅”ではもっと大きな駅舎が描かれているが、すっかり変わったようだ。 列車交換駅で対抗式のホーム2面が跨線橋で結ばれている。(右)


 そして待合室内でダイヤの変更がなされた旨の貼り紙を発見した。 先ほど乗車した列車はやはり時刻が変更となっている。 そして折返しの列車もそれなりに時間変更となっているようだった。 あー、やはり上川駅まで行っておけばよかった。 10分ぐらいありそうな感じである。 返す返すも悔しい。 これでひと駅、探索駅が減ったが、しかたない。 その上川駅も石北本線漫遊(上川−遠軽)の際に下車したので、どうしても行きたいという訳ではなかった。 そしてダイヤが変更されたのは午前中はこの往復のみで、午後も2列車程度だった。 それも綾小路さんが乗車予定している列車ではなかった。 この後は、予定通りに運びそうなのでひと安心である。 やはり時刻表は最新のものを用意すべきだと、いい教訓にはなった。

 上川駅まで往復してきた列車が再び安足間駅にやってきた。 確かに10時45分から55分発に変更となっていた。 この列車に乗車して新旭川方面に戻る。 そして下車したのは将軍山駅であった。 明治23年の屯田兵入植にあたって、屯田兵生みの親と言われている永山武四郎が、アイヌの案内で当地の山に登って入植地を決めたという。 永山武四郎は軍人で第2代北海道庁長官を務め、後に第7師団長”将軍”にまでのぼりつめた人物である。 将軍山はこのエピソードに基づいて名付けられたのだろう。 この将軍山の近くに駅が設けられたので、将軍山駅となったわけである。 昭和62年4月1日に開駅といえば国鉄が廃止され、JRが発足した当日である。 しかし、さかのぼれば昭和35年5月に仮乗降場として開設されたようであった。 その仮乗降場の雰囲気ただよう、ホームに待合室のみの駅である。(左) 駅からは標高238.9mの将軍山が間近に見える。(右)


 待合室はブロック積みでやや大きめのものである。(左) 床はなく、土間となっている。(右) おお、珍しいものだ・・・ではなく、これも北海道では結構多く見られるスタイルである。


 将軍山駅から伊香牛駅までは徒歩2.1キロ、国道に出るまでの距離を含めると約3キロになる。 伊香牛駅で列車交換のため、15分間も停車するのが事前に分かっていたら、ここも歩かずに済んだかもしれない。 上川駅と桜岡駅も下車出来たろう。 今さら、後の祭りであった。 しかしよくよく考えると、旭川駅9時11分発の次の各駅停車は、3時間半も後だったから、上川駅はともかく桜岡駅まではどうだろう。
 将軍山駅から40分ほど歩いて、ようやく伊香牛駅に到着した。 駅にはログハウス調の待合室が建っている。(左) 昔は少しこじんまりとした駅舎だったようである。 先ほどのいきさつでも分かるように、列車交換駅となっていて、ホームは対抗式2面となっている。(右)


 伊香牛駅からはバスで愛別駅まで行く計画だった。 駅前通りの入口脇のバス停で待ち、発車時刻となった。 しかし、待てど暮らせど(ま、暮らしてはいませんが)バスが来ない。 綾小路さんにとって永遠とも思えた約10分後、ようやくバスがやってきた。 発車後すぐに橋を渡ると、石狩川の右岸沿いを走る事となった。 そして乗車10分、愛別橋停留所で下車した。 バス停は石狩川沿いの国道に設けられていたが、そこから愛別駅までは700mほどあった。 その愛別橋を渡ると、遥か先に愛別駅が見えた。 長い駅前通りの突き当たりにある愛別駅には、グリーンのラインが印象的なコンクリート造りの駅舎が建っていた。(左) そして、こんな立派な駅舎でも無人駅のようだ。 列車交換駅で、対抗式ホームは駅舎部分ではかぶっているが、ほぼ千鳥に配置されている。(右)


 愛別駅からは13時29分発の下り列車に乗車した。 徒歩にバスと列車以外での移動が続き、しかも将軍山駅で下車してから2時間半近くも経っていたので、かなり久々の気がした。 下車したのは2つ目の愛山駅である。 ローカル線の定番、片面ホームと待合室のみの駅である。(左) その待合室はホームから道路を挟んだ向かいに建てられている。(右) これもローカル線ではそう珍しいことでもないようである。


 14時15分、こんどは上り列車でひと駅、中愛別駅で下車した。 可愛らしい待合室の横には、いかにも駅前といった木がポツリと立っている。(左) ”ふるさとの駅”では1985年の写生として木造の駅舎が描かれている。 この木と同じ木かどうかは分からないが、駅前に木も立っていて、いい雰囲気だった。 ホームは対抗式で列車交換駅となっている。(右)



 中愛別駅からは14時33分発の下り列車に乗車して東雲駅に向かった。 安足間駅を過ぎると車窓からは建設中の高規格幹線道路である旭川・紋別自動車道が見えた。 ちょうど2年前にこの先の浮島ICから白滝ICが共用開始され、今年の3月27日には比布ICから愛別ICが開通したばかりである。 もっともこの日はまだ開通前であったが。


 綾小路さんは14時46分に東雲駅で下車した。 片面ホームにブロック積みの待合室と、将軍山駅と同じ構成をしていた。 もちろん待合室の床も土間である。 それもそのはずで、仮乗降駅としての開設日も同じ、JR発足と同時に開駅となった事など、まったく同じ歴史を持っている。


  ここで、本来は東雲駅から安足間駅まで、徒歩で移動する予定だった。 幸か不幸か、上川駅までは行けなかったが、安足間駅はすでに探索していた。 そこで近くにあるドライブインで上川ラーメンを食べる時間ができたのである。 今日は本当に迷った。 上川駅で下車時間をたっぷり取り、上川ラーメンを食べたかったが、列車運行時刻との兼ね合いで、結局は断念していたのである。 そのドライブインは車で通った際に何度も見かけていて、一度入った事があった。 詳しい位置までは分からなかったが、ドライブインの建っている国道は石北本線と並行していた。 そして先ほど列車の移動中に位置を確認していたのである。 結局は安足間駅までの中間付近まで行って、東雲駅まで戻ってくることになるが、食事時間は十分取れそうだった。
 ドライブインの名前は愛山渓ドライブインといい、入口前には看板が立っていた。(左) ジャンプの原田は上川町の出身で、上川町のラーメン屋には”原田ラーメン”なるメニューがあった。 今まで注文したことはなかったが、今日はチャレンジしてみるか。 まあ、チャレンジといっても盛付けをV字ジャンプのイメージとしたもので、基本的には上川ラーメンである。 そして一度入ったときに食べた、舞茸丼の量を減らした、小さな舞茸丼も注文した。(右) 舞茸は愛別町の名産であり、両町の境界付近にあるこのドライブインでは最強の組合わせだと綾小路さんは思った。 まずはラーメンから、うまい! 上川駅近くにある、行きつけの2軒のラーメン屋に勝るとも劣らない。 上川ラーメン、恐るべし! その行きつけの店は各々4回ずつぐらい行ったか。 それで行きつけと言うのはおこがましいが、札幌在住の綾小路さんが、上川でこれだけ食べるのは相当なものである。 舞茸大好きの綾小路さんであるので、舞茸丼にも満足ー。 次に来たとき、どの店にするか悩みそうである。


 東雲駅に戻り、16時09分発の上り列車に乗車、ここからは1時間の乗車で南永山駅で下車する予定である。 列車はその南永山駅のひとつ手前、東旭川駅にまさに到着しようとしていた。 その時、南永山駅への到着時刻が17時17分であるのに、まだ17時前であることに気が付いた。 しまった、ここで列車交換で数分間の停車となるみたいだ。 このあと北日の出駅から徒歩で移動して、東旭川駅から乗車予定をしていた。 ここで列車交換するなら、ここまで徒歩で来る計画を立てないで済んだかもしれない。 がっかり。 まあ、徒歩で北日の出駅から来る予定はいまさら変更できないが、その時は暗くなっているのでここで撮影することにした。

 東旭川駅も昔は立派な駅舎があったが、現在はプレハブの待合室に建替えられている。(左) そして対抗式ホームは完全に千鳥に配置されていて、今は雪に埋もれている対抗ホームの前面には引込線が敷かれている。(右) 貨物ホームでもあったような雰囲気がしないでもない。


 列車は東旭川駅を発車すると、4分で南永山駅に停車した。 もちろん南永山という地名は永山の南に位置するからである。 そしてその永山という地名は、前述した永山武四郎に由来するのは言うまでもないだろう。 ここにはホーム上に設置されているものとしては、かなり大きな待合室がある。(左) 近年に旭川市へのベッドタウン化したのか、昭和61(1986)年に開業した駅である。 ホームは片面、しかも旭川方面の端までは除雪されていなかった。(右)


 17時47分にまたまた下り列車に乗車、当麻駅で下車した。 このころには雪が降り出したが、駅舎を撮影するときにはまた止んだようだった。 コンクリート造りの立派な駅舎である。(左) 無人駅であるが、石北本線漫遊(上川−遠軽)時に下車した時は切符の販売はしていた。 今日はそれさえ開いていなかった。 休日で17時過ぎだからか、それとも切符販売を廃止したのかは分からない。 それにしてもこの区間は列車交換駅が多い。(右) 綾小路さんは石北本線もローカル線だと思っているが、さすがに本線である。 しかし各駅停車が3時間30分も間隔があくのではなあ。 その間に特急の運行はあるのでやはり、旭川から網走までの都市間輸送が使命であるのだろう。


 綾小路さんは18時34分発の上り列車に乗車して、北日の出駅で下車した。 片面ホームにブロック積みの待合室。 そうです、将軍山駅と東雲駅と同時開業。 ただし、ここの待合室の床は土間コンクリートが打ってあった。 他に愛山駅も同時開業だったが、あそこは何故か木造の待合室だった。


 ここ北日の出駅には1日に上りが6本、下りに至っては4本の列車しか停車しない。 実は綾小路さんが下車した列車は北日の出駅に停車する最終の上り列車だった。 この後は22時09分発の下り列車が停車するのみであった。 その列車を待つには長すぎるし、どのみち乗車してもその時間では札幌には帰れない。 という訳で徒歩である。 ここで上川方面にあたる桜岡駅に行こうかとも一瞬考えたが、東旭川駅までの2.1キロに比べて2.8キロと遠い。 北日の出駅で少し長居していたので、東旭川駅の発車まで40分、桜岡駅の発車までは34分しかない。 道路も暗いだろうし、ここは桜岡駅を断念して、東旭川駅を目指した。 そしてこの選択は正解だった。 やはり道路は暗く、雪もかなり降ってきた。

 なんとか急いで発車5分前には東旭川駅に到着した。 ここから19時35分発の、各駅停車では石北本線の上り最終列車に乗車した。 そして石北本線の起点駅である、新旭川駅で下車した。 起点駅が今日最後の探索駅になったのは奇妙な気がするが止むを得ない。 ここには古く立派な駅舎が建っている。(左) ホームは駅舎の脇に1面、島式ホームの2面と計3面ある。(右) しかし駅舎脇のホームは4番線で、島式ホームは2番線&3番線となっていて、何故か1番線がない。


 石北本線の新旭川−上川間はルベシベ線として建設が進められた。 まず、大正11(1922)年11月に新旭川−愛別間が開業した。 続いて大正12(1923)年11月には愛別−ルベシベ(現上川)間が開業した。 その後、石北西線として昭和4(1929)年に中越駅(廃止)までが開業となった。 昭和7(1932)年に中越−石北東線の白滝駅間が開業し、新旭川−遠軽間が全通して同時に遠軽−北見間の湧別線を編入、石北線と改称された。 そして昭和36(1961)年に網走線の北見−網走間を編入して石北本線と改称された。

 旭川駅まで運行する石北本線各駅停車の最終列車でやってきて、この後の最終の特急は新旭川駅には停車しない。 しかしここは宗谷本線との接続駅であった。 時刻表を見ると、一見して旭川駅までの列車はなかったが、まだ宗谷本線の列車があった。 綾小路さんは20時17分発の宗谷本線旭川行き列車に乗車、旭川駅で函館本線に乗換えて札幌に向かった。

トップ アイコン
トップ
アイコン
鉄道