2004.02.15

北海道ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線漫遊(池田−陸別)   路線図を表示

 決死の覚悟で厳冬期のふるさと銀河線漫遊に挑んだ綾小路さんであったが、あまり寒くはなく、少し拍子抜けとなった。 実は着ぶくれ、ステテコ、長靴・・・さすがに長靴は考えた末に断念したが・・・、準備万端で挑んでいたのだ。 2日目になったが、朝から小雨である。 しばれの町、陸別は何処にいったのだろう。 先週にはしばれフェスティバルが行われたはず。 今は1年で1番寒い時期のはずだが。 余談だが、綾小路さんは人が多そうな先週はわざわざ見送って今週にやってきたのである。 そのしばれフェスティバルの中に“人間耐寒テスト”というイベントがある。 これは寒さがピークに達する夜間から朝にかけて、寝袋一つで過ごしてもらうというものらしい。 途中で逃げ出さず、無事に朝を迎えた人には、日本一の寒さを克服した証として、認定証が発行されるとか。 まあ我慢比べみたいなものか。 綾小路さんはもちろん参加しようという気はこれっぽっちもない。 まあ寒くないのはいいが、雨はいやだなあ。

 陸別駅は大きく姿を変えたようだが(左)、構内は昔のままのようである。(右) 給水塔や転車台こそ残ってないようだが、木造の跨線橋や車庫が健在なようだった。


 さあ、出発だ。 6時33分発の始発列車には綾小路さんと、もうひとりの乗客しか乗車していないようだ。 発車後すぐに国道242号線をオーバーパスする。 と、そこで列車が通過する隣にレンガ造りの橋台が見えた。 あー、しまった。 そういえば前回も見かけたのを思い出した。 すっかり忘れていたのだ。 しかし時すでに遅し。 次回、乗車する機会があるだろうか。 もしあれば絶対に撮影しなければ。

 列車は1駅目の薫別駅に停車した。 綾小路さんはここで下車するが、まさか運転手は誰もこんなところで下車するとは思ってなかったようだ。 無理もない。 駅前には人家は1軒もない、原野地帯なのである。 しかしこんな駅でもホームは除雪されている。 もっとも板切れのホームの中ほどからは除雪されてなく、端まで行けないのは残念だ。 駅名標があるのは雪が積もっているところだったので、なんとか根性でそこまで行って、撮影は出来た。(左) 待合室はホーム脇に置かれていなく、すこし離れた位置にあった。(右)


 それにしても凄い所だ。 駅から遠くに農家らしき建物は見えているが、人が住んでいるかどうかは分からない。 これぞ北海道!これぞ田舎! えすえーじーえーとか歌っている某芸人は北海道をばかにしているのか。 スターバックスはないだとー、ここにはなあーんにもない。 あるのは大自然だけだ。 例の歌は自分の故郷が大都会だと宣伝しているようにしか聞こえない。 本当に、ここに立っているとそう思えるのだ。 はあはあはあ、取り乱して失礼! しかし決して彼を批判している訳ではありません。 あしからず。

 7時26分、陸別駅からの2番列車がやってきた。 もうこの駅で乗降する客はしばらくいないと綾小路さんは思っていた。 しかし居たのだ、もう1人のばかが!(1人目はもちろん綾小路さんである。)
 そして列車は4つ目に塩幌駅に停車した。(左) 昨日は運良く、北見−陸別間の全駅を探索出来たが、今日はそううまくは運べない。 陸別−池田間の列車は1日に7往復、他に足寄−池田間の列車が1往復あるだけなのである。 そしてここで下車すると後の行程が立たず、断念する事となった。 ”ふるさとの駅”には待合室とトイレが載っているがすでに解体された模様。 他に自転車置き場のようなものが載っているが、駅名標の後ろに僅かに覗いているのがそれのようだ。(右)


 列車は次の西一線駅に停車して、綾小路さんはここで下車した。 待合室にトイレがあったが、どちらも凄い代物だ。 待合室には窓やドアはなく、吹雪けばあまり外とかわらないかも。 もっともここで長時間待って、乗車する客もいないのだろう。


 8時10分、ここで一旦陸別方面に逆戻りする。 次に向かったのは大誉地駅である。 ここには古い木造モルタル造りの駅舎が残されている。(左) 財産標が見当たらず建設年度は分からないが、いい雰囲気だ。 ちなみにホーム上にも小さな待合所がある。 待合所には昭和12年の財産標が付いているが、そんなに古くはなさそうに見えた。 元は列車交換駅だったようで島式ホームの駅舎側は廃止されている。 このスペースに線路が敷かれていて、列車が停車していたのは何年前なのだろうか。(右)


 8時59分発の列車で再び池田方面に進行。 といっても下車したのは隣の笹森駅である。 またまたホームのみの駅である。(左) 池田方面を伺うと保線小屋らしき建物が見えた。(右)


 そしてここからは今日一番のロングランである。 ま、ランでなくウォークであるが隣の上利別駅まで3.6キロある。 この厳冬期に3.6キロもの徒歩とは、かなり無謀な計画だったか。 大誉地駅で2時間待つか、それとも30分で切上げて笹森駅に行き、そこから徒歩で上利別駅まで行くかの選択だった。 ちなみにその列車は笹森駅は通過するので、ここから乗車することは出来ない。 もっともその列車が停車したとしても、ここで1時間30分、じっと列車が来るのを待つのもつらい選択ではある。

 いざ上利別駅へ、ここで取り出したるは傘であった。 いや雨や雪は降られても、もう慣れっこである。 傘は国道沿いを歩く時、車に泥水を引っ掛けられないように足元を守るためである。 国道沿いをしばらく歩いていると利別川に架かっている第4利別川橋を渡ることになった。 すると隣にふるさと銀河線の鉄道橋があるではないか。(左) さらに歩くと利別川は蛇行していて、こんどは第3利別川橋を渡ることになった。 ここでも隣には長い橋梁が架かっていた。(右) ラッキー、徒歩も悪くないなあ。 列車で通過するだけならこんな風景は撮れなかった。 欲をいえば列車が通過してほしいが、そんな列車があったら乗車していただろう。


 この時点では笹森駅からまだ1キロも歩いていない。 先はまだまだ長かった。 そして歩いているうちに少し油断した。 反対車線を走る車に少し引っ掛けられたのだった。 同じ車線の車は十分に気を付けていたが、反対車線を走る車までは注意が行き届かなかった。 くそー、バカヤロー。 しかし捨てる神あれば拾う神あり。(別に捨てられたわけではありませんが) 1台の車が通り過ぎ、そこで停車した。 見かねた親切な方がどうやら車に乗せてくれるらしい。 たすかったー、まだまだ2キロ以上はあった。 ふるさと銀河線の駅を撮影している事を話しながら、上利別駅の駅入口まで送ってもらえたのである。 ありがとう、謝謝、ダンケシェーン、スパシーバ、オブリガード、メルシー、サンキューベラマッチャ。

 駅前通りの奥に木造の駅舎、いいねえ!(左) 古きよき時代がここには残っている。 財産標によると駅舎は昭和10年11月の建築との事である。 落書きではないのだろうがこの絵はちょっと不満ではあるが・・・。(右)


  駅の裏には今でも材木工場があり、未だ営業しているようだ。(左) ふるさと銀河線が網走本線や池北線だった頃には、大量の木材がここから鉄道で搬出されていたのだろう。
さあ、車で送ってもらったおかげで、じっくり探索できた上利別駅を後にするときがやってきた。 10時46分発の池田方面への列車は999号だった。(右) 銀河鉄道999の作者である松本零士氏の協力により2002年の11月に登場したものである。 しかし哲郎、邪魔だ!


  乗車した999号はかなり混んでいた。 昨日からの特等席であった列車の先頭にも、すでに保線の点検員が占めていて陣取れない。 しかたないので列車の後方で愛冠駅を通過するのを待った。 ここから愛冠駅、足寄駅の2駅も残念ながら下車できないのだった。 愛冠駅が近づいたのは分かったが、待合室はホームの影に隠れてしまった。 あー、と思って体勢を立て直した時は時すでに遅く遥か遠くだった。(左) あーあ。 ここにはかわいらしい待合室に、駅前には愛の泉という水場が設けられている。(右:H15-7-5撮影)



 999号は10時59分に足寄駅に停車した。 しかし停車時間はなく、すぐ発車するので下車は叶わなかった。 残念ながら3つ目の取りこぼし駅である。 途中駅では最も大きな町の駅なので3分でも停車してくれれば撮影できたのだが。 また、駅弁でも販売していたら強引にでも下車する計画を立てていただろう。 ここは”あしょろ銀河ホール21”という施設との合築駅舎のようである。(写真:H15-7-5撮影) 2階に足寄町出身の松山千春のギャラリーがあるのはここである。


 列車は11時21分に勇足駅に停車した。 綾小路さんはここで下車した。 999号はすぐに発車するので急いでメーテルを撮らなければ! しかしまたしても哲郎が・・・、がっかり。(左) いや、あの列車が池田駅まで行った帰りにもう一度くらいはチャンスがあるはずだ。 どの列車だろう。 多分同じ快速列車だから・・・、時刻表を睨んで綾小路さんはだいたいの推測はできた。
 勇足駅はホーム1面であったが、元列車交換駅のようだった。 駅舎はコミュニティセンターとの合築駅舎である。 この建物の右端部分が勇足駅で、完全にコミュニティセンターのおまけといったところか。(右)



 勇足駅からは2.7キロ、いや遠回りになるので3キロ以上、北見方面の南本別駅までは徒歩で行くことになった。 駅前通りから国道に出て、しばらく歩いたところで何かの記念碑を発見した。 なになに、本別教育発祥の地らしい。 後ろに回ると明治32年9月に利別の農場の管理人が私財を投じて教育所を開いたとあった。 いやあ、歩けばほんとに何かにあたるもんだ。 おっと、ゆっくりしていられない。 急いで南本別駅に向かわねば。


 風が強くて結構難儀だったが、ようやく南本別駅に到着した。 ホームに待合室のみの駅である。 ここは国道から離れていて、製糖工場の裏にある。 この工場に勤める社員向けに設けられたみたいだが、この駅を利用する人はそうはいないようだ。


 南本別駅からは12時29分発の列車に乗車して、さらに北見方面の仙美里駅に到着した。 駅舎はごらんの通り、いや決して勇足駅の使い回しではありません。(左) 元列車交換駅というところまでうりふたつだ。 駅舎内は熱帯植物園のようであったかい。(右) ここらでゆっくり休憩をしたかったが時間がなかった。 5分後のバスに乗車しなければ予定をこなせないのだ。


 バスで池田方面に10分余り、本別駅前に到着した。 ここで駅前に食堂を発見した。 何々、ラーメンに定食、十勝名物の豚丼もある。 よーし、探索後に時間があればここで昼食とするか。 その本別駅は勇足駅と仙美里駅の親分みたいな駅だ。(左) ステラプラザという合築駅舎で簡易郵便局やAコープなどが併設されている。 構内は広く、途中駅では陸別駅に次ぐ規模の駅である。 駅舎は新しいものだが、古い跨線橋やホームの上屋は健在でうれしくなってくる。(右) そしてもちろんごらんのように、列車交換駅となっている。


 ここで食堂にと思っていたが、時計を見ると次の列車まであと1時間しかなかった。 ここから乗車するのであればまったく問題無いが、実は2.5キロ先の岡女堂駅から乗車する予定だった。 そこで泣く泣く諦める事になったのである。 岡女堂駅も裏に回ってホームに出るため、実際はもっと距離があり時間もかかるのである。 しかたないのでコンビニで買ったおにぎりを食べながら岡女堂駅を目指した。
 30分で国道脇の岡女堂駅の正面に到着した。(左) ホームに上屋のみの駅である。 しかしここまで来たがホームには直接行けない。 ここは神戸に本社を置く関西豆菓子の老舗、岡女堂の工場内に駅が設けられている。 もちろん同社が工場の勤務者用に建設したものである。 ホームを前にしながら迂回して、国道の裏側にある工場入口から入らなくてはならない。(右) 探索が終了して列車が来るまで結局は18分あった。 10分間で料理が出てきたとして、8分間で食べれば間に合っていたか。


 ふるさと銀河線の漫遊もいよいよ大詰め。 14時32分発の列車で高島駅に向かった。 そこにも木造の古い駅舎が残されているのだ。 そして20分余りの乗車で高島駅に到着した。 ここで駅舎の撮影前にやるべき事があった。 999号の撮影である。 先ほど勇足駅で綾小路さんを降ろした999号は、池田駅を通り越して帯広駅まで往復して、やってくるはずである。 そしてこの高島駅で池田行きの列車と交換するようであった。 綾小路さんが乗車してきた列車が高島駅にて、3分間の交換列車待ちとなるようだ。 ここは跨線橋はないので線路を渡って、駅舎側のホームに停車する999号を待つことにした。 乗車してきた列車の乗客もカメラを構えて降りてきたようだ。 もう間違いない。 999号がやってくるのだ。 しばらくすると、果たして999号はやってきた。 ああ、メーテル・・・。(左)
実はこの999号は2両ある。 この車両のメーテルは白い髪なので999ホワイト号らしいが、黄色の髪のイエロー号も存在する。 あった、ありました。昨年車で行った岡女堂駅にて撮影した写真が。(右:H15-9-21撮影) 尚、イエロー&ホワイト号の名称にするか、それともゴールド&シルバー号の名称にするか、関係者と松本零士氏との協議の結果、イエロー&ホワイト号に決定したらしい。


 999号が高島駅を発車した後、ふるさと銀河線で最後の名駅舎を撮影した。(左) 昔はこういった駅舎が多かったのだろう。 それがどんどん取り壊されて、大きな駅はきれいな駅舎に、小さな駅は簡易な駅舎に建替えられていった。 時代の流れとはいえ寂しいものである。 ふるさと銀河線が廃止ともなればこの駅舎も取り壊されるのだろうか? ちなみに昭和17年との建物財産標が貼ってあった。


 当然昔は貨物も扱っていたようで、この引込み線の左には貨物ホームが埋もれている。(左) 対抗ホームにはボロイが、大きな待合室が建っている。(右) ふるさと銀河線ではこの規模の待合室を持たない駅は数多い。 ちなみにこの待合室前は雪かきがなされていなく、ここで列車待ちは出来ないようである。


 さて、高島駅からはバスで池田駅との中間駅である様舞駅に向かった。 高島駅付近から池田駅まで国道は利別川の右岸を通っているが、ふるさと銀河線は左岸を通っている。 そして様舞駅は車の通行が極めて少ない道道の脇に設置されている。(左) ホームに待合室の駅である。 しかし財産標によるとこの建物は詰所となっていた。(右) 元々は列車待ちの乗客のために作られたものではなさそうだ。 しかしこの待合室があって大いに助かった。 ここで1時間の列車待ちとなったが、風が吹いて冷えてきたのだ。 中に入っていても寒さは募る。 ふるえながら列車が来るのを待ったが、もし待合室がなかったら凍えていただろう。


 ようやく16時43分発の北見方面行きの列車がやってきた。 この列車で綾小路さんは池田駅を目前にしてまたも逆行する。 最後の途中駅である大森駅へ向かうためである。 そこは確か待合室もなく、ホームのみの駅だったなあ。 まあ、滞在時間は30分間だから何とかなるか。 そう思いながら暗くなりかけた大森駅で下車した。(左) 撮影対象も限られていて、駅の裏手にも行ってみた。(右) なにしろ動きを止めると寒さがしみてくる。 ここでとうとう予備のリチウム電池が切れかかった。 ここで電池交換だ、やることがあると寒さもまぎれるのでちょうどよかった。 後はニッケル水素電池に交換すれば、残りの駅は池田駅のみなので十分だった。 ここまでもつとはやはり、リチウム電池は強力だった。 値段が高いのが玉にきずだが・・・。


 綾小路さんは大森駅を17時16分発の列車で池田駅に向かった。 先ほど長時間に渡って滞在した様舞駅を通過すると、いよいよ池田駅を目指すだけとなった。 すでに辺りは暗いが、ここから綾小路さんは先頭の指定席に陣取り、線路を追った。 池田駅に到着間近になると、前方の左手から右手方向に向かって光の列が流れていった。 なにか鉄道みたいだなあと思ったら、JR根室本線を走る札幌行きのスーパー十勝だった。 発車時間をもう少し遅らせてくれれば、この列車に接続出来たのに。 ちほく高原鉄道は冷遇されているのだろうか。 しかしこの光景が分かっていればカメラを構えていたがもう後の祭りである。 綾小路さんが乗車している列車は、そのスーパー十勝がやって来た左手にカーブして、JR根室本線に合流した。 そして少しの間、根室本線と並走して池田駅に到着した。

駅舎から跨線橋を渡った滝川方面の端に、ふるさと銀河線のホームはあった。 しかし列車が到着したのは跨線橋の入口に近い位置で、綾小路さんはわざわざ端までやってきてホームを撮影した。(左) さらに、ふるさと銀河線専用の駅名標も撮影した。(右)


 そして気が付けばふるさと銀河線の車庫が目の前にあった。(左) 何度かこのホームに来たはずだがいままで気がつかなかったようだ。 ふるさと銀河線が到着したホームの反対側のホームには、6分後に発車する札幌方面への列車が待っていたが、綾小路さんは目もくれない。 何と言ってもここでは改札を出て駅弁を入手しなくては・・・ もとい、この2日間漫遊してきたふるさと銀河線の起点駅を撮影しなくては。(右) 池田駅も北見駅同様にJRの駅である。 改札もJRの社員が代行、自動券売機が置いてあるだけであった。 ふるさと銀河線では訓子府、置戸、陸別、本別(足寄は下車してないので不明)のみ駅員が配置されているようだった。 それも土日は営業しておらず、結局、綾小路さんはふるさと銀河線の駅員を見ることなく全線を走破した。


 札幌方面行きの列車に乗車して、池田駅前のレストラン米倉で購入した駅弁を味わう。 昔は駅売りをしていたようであるが現在は駅前の店に出向くか、電話で予約すれば改札まで持ってきてくれるそうである。 購入したのは十勝ワイン漬ステーキ弁当1050円である。 綾小路さんお気に入りの駅弁でお酒も進む。


 そして今回はもうひとつ。 いつもステーキ弁当を買うので買いそびれていた親子弁当¥630も購入してみた。 なんでも明治38年より発売されている、ロングラン駅弁であるらしい。 ふるさと銀河線が網走線として開業する前からの駅弁だと思うとひとしおだ。 お酒も飲んでいるし、一度に2つも食べきれないので帰宅してから頂いたが、こちらもなかなかの味であった。 他に弁当ではないがバナナ饅頭なる名物も販売している。


 さあ後は札幌に帰るだけ。 厳冬期のふるさと銀河線を漫遊した綾小路さんは満足したが、今後はどうなるのだろう。 けっして未来は明るくない。 綾小路さんも今回は微力ながら協力したつもりである。 しかしこの魅力的なふるさと銀河線に来年も乗車したいものである。 いや10年後、20年後にも・・・。

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