2003.04.06
北信越・北陸漫遊(信越本線・飯山線)
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井野駅
井野駅からは6時19分発の予定だったが5時53分発の列車に乗車出来た。
いいねさすが首都圏。列車本数が多い。
まあよく考えれば札幌近郊も結構あるか。
乗車ひと駅で高崎駅に到着した。
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高崎駅 (左)東口 (右)やっぱりありました。だるま神社の中のあるじ
朝食に駅そばか駅弁をと思っていたが出発までに駅弁が購入出来た。
ここで有名なのはやはり”だるま弁当”である。
しかし綾小路さんは食欲を掻き立てられずにパス。
”岩魚寿司”は8時頃にならないと入荷しないそうだった。残念。
”上州朝がゆ”が¥350と安くて朝しか置いてないのでチャンスとも思った。
しかし先の入院で病院のおかゆが味気がなかったのに参っていたのでこれもパス。
一般向けだから病院食とは違うと思うが・・・。
そこで選んだのが”上州舞茸弁当”である。昨日食べ損ねた影響もあったかも。
列車に乗り込み早速いただく。
あれっ、出発前に全部食べちゃった。
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高崎駅弁 上州舞茸弁当 ¥1000
綾小路さんが高崎駅で乗車したのはもちろん信越本線である。信越本線と言えば・・・
ぱんぱかぱーん、ぱんぱんぱん、ぱんぱかぱーん。今週のハイライト。
(おいおいおっさん、えーかげんにせんかい!)
と言いたいところだがあまりに遅すぎた。
アプト式列車はおろか横軽こと横川−軽井沢間も廃止後にバス転換され早5年。
綾小路さんは約20年前から5年程前まで東京に在住していた。
そのころに鉄道ファンであったなら何度でもチャンスはあったろうに。今となっては後の祭りである。
ただし碓氷第3橋梁他の廃線遺構は今回は探索出来ないがいずれはと思っている。
列車は6時58分に発車してしばらくは上越線や上越、長野新幹線と並走しやがて分岐、西進した。
10分強で安中駅に到着し、綾小路さんはここで下車した。
ホームに降り立ち圧倒されたものがあった。
駅の裏山に建ち並ぶ物々しい工場群である。
これは東邦亜鉛の精錬所である。安中運輸という貨物専用線も引かれていた。
小名浜から水戸線、両毛線を経由して原料が運ばれてくるらしい。
廃止され久しい住友別子鉱山鉄道の星越駅跡もたしかこのような配置であった。
ホームに目をやると2番ホームのレールは撤去されていた。
信越本線が高崎−新潟間の大動脈だった頃には列車がバンバン通過していたのか。
上越線の開通、上越新幹線の開通、長野新幹線の開通、もちろん車社会の到来と徐々に役割が薄れてきてのものであろう。
しかし枕木を撤去した陥没がはっきり分り、そんなに昔の事ではない様でもあった。
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安中駅 (左)駅舎 (中)駅の裏山には亜鉛の精錬所が林立する。 (右)2番ホームのレールは撤去されていた。
列車を待っていると強風に吹かれ続けた。
しかも冷たくて寒くなってきた。これが上州名物の空っ風なのか?
綾小路さんはようやくやってきた列車に乗車して横川駅に到着した。
長野新幹線が開通して高崎から新潟まで運行していた信越本線はここ横川と軽井沢間で分断された。
そして軽井沢−篠ノ井間は第3セクター”しなの鉄道”に移管された。
先日の八戸新幹線の開業に伴い盛岡−八戸間が第3セクター”青い森鉄道”および”IGRいわて銀河鉄道”に移管されたのはまだいい。
線路は上野から青森までつながっているのだから。
どうもJRは新幹線と引き換えに赤字が見込まれる路線を切り捨てているようである。
横川駅前には横川−軽井沢間で活躍した機関車の動輪が展示されていた。
しかしアプト式機関車のものではない様だ。
アプトレールが側溝の蓋に利用されているのが雑誌等によく紹介されていたが、これはすぐに分った。
そして横川駅と言えば駅弁の”おぎのや”である。
綾小路さんも”峠の釜飯”だけは一度は食べてみたくて購入した。
駅の隣と言うより、もとは駅構内であった軽井沢寄りの場所には鉄道記念館があった。
しかし朝早いのでオープンしてないのと時間がないので見学は断念した。
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(左)横川駅 右の建物が”おぎのや”、奥の灯篭から左にアプトレール蓋の側溝が渡っている。 (中)アプトレール
(右)軽井沢方面、正面には駅構内跡地を利用して鉄道記念館が建っている。この先が難関の碓氷峠越えだった。
信越本線は当初、太平洋側と日本海側とを連絡させる国策により着工された。
上野−高崎間はすでに日本鉄道(私鉄)によって開業していて当初の路線は高崎−直江津間で直江津線と呼ばれた。
まず明治18年10月15日に高崎−横川間が開業した。
直江津側からはまず明治19年8月15日に直江津−関山間が開業した。
その後長野、上田と延長して軽井沢まで開業したのは明治21年12月1日の事である。
そして残った区間が難所、碓氷峠越えを擁する軽井沢−横川間である。
この区間は明治26年4月1日にアプト式鉄道(機関車の歯車と第三のレールであるラックレールを噛ませて峠を上り下りする方式)で開業し、高崎−直江津間が全通した。
明治28年に信越線と改称され、明治40年には直江津−新潟間を開業していた私鉄の北越鉄道を国有化して信越線に編入した。
しかし開業から104年、長野オリンピック開催を契機とした長野新幹線開業前日の平成9年9月30日限りで横川−軽井沢間は廃止。
翌日軽井沢−篠ノ井間は第3セクター”しなの鉄道”に移管され全長327.1キロに及ぶ大幹線は分断された。
さて横川駅から軽井沢駅まではJRバスの代行である。
軽井沢からは第3セクターに移管なのでこの難所に鉄道を走らせるメリットはないとの判断であろう。
バスはさすがの難所であり右へ左へカーブしながら碓氷峠を越えていった。
ようやく軽井沢駅に着いた時はあたり一面の銀世界であった。
新幹線との共通駅なので立派な駅が建っていたがすぐ隣には旧軽井沢駅舎記念館があった。
残念ながらこちらも時間がなく見学は出来なかった。
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(左)軽井沢駅 (中)横川方面、レールは雪に埋もれ列車の運行はない、しばらく行くと分断されているのだろう。 (右)旧軽井沢駅
軽井沢駅からは9時57分発の”しなの鉄道”に乗車して小諸駅に向かった。
JRだったら18きっぷで乗車出来、先程のバス代もこの鉄道の料金も掛からないのに、いらぬ出費に思える。
綾小路さんはまだ早いが”峠の釜飯”を食べる事にした。
その昔、横川−軽井沢間は碓氷峠越えに備え列車は強力な機関車に接続するために停車時間が長かったと言う。
この時間を利用して我先に乗客が殺到したとの話である。
釜飯の容器は益子焼きの土釜との事であった。
駅弁を食べ終え、空でもずっしりと重い。
これは捨てられないなと綾小路さんは以後の旅行に重い荷物を背負い込む羽目になった。
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横川駅弁 峠の釜めし ¥900
列車は30分後に小諸駅に到着した。
JR小海線との分岐点であるため降りて見たかったのである。
改札を出て駅の看板を見ると”しなの鉄道”の文字しか見当たらない。
これはおそらく”JR小海線の小諸駅”は”しなの鉄道”に委託しているのであろう。
東北本線がIGRいわて銀河鉄道に移管された区間の好摩駅はJR花輪線の基点駅でもある。
その時に駅員に聞いた話ではこの駅はIGRいわて銀河鉄道の駅となりJR業務は委託されるとの事であった。
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小諸駅 (左)駅舎 (中)しなの鉄道駅名標 (右)JR小海線駅名標
11時00分、残りの区間を乗車するため列車に乗り込んだ。
上田駅を過ぎるといつの間にか雪はなかった。
50分の乗車で篠ノ井駅に到着した。
篠ノ井駅はJR駅の様である。
こちらはJR篠ノ井線の通過駅となっていて関西方面から長野駅への大動脈となっているからであろう。
”長野新幹線がやってきてかつて駅舎があった位置を走っている。そのために橋上駅に転換した。”
綾小路さんの見立てでは以上の通りである。しかし篠ノ井駅はその長野新幹線の停車駅ではなく新幹線は通過して行くのみである。
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篠ノ井駅
綾小路さんはこの後長野方面に行く予定であるが一旦松本方面に向かった。
それは姨捨駅を探索したかったからである。
篠ノ井駅を12時16分に発車した列車は姨捨駅付近で一旦停止してバックしだした。
えっ、スイッチバック駅?と思ったらそこは信号場らしく交換列車待ちとなった。
そして交換列車が過ぎて列車は再び松本方面に向かって発車した。
しばらく走りまたも停車してバックしだした。
”またかよ”と思ったら今度は本当に姥捨駅に到着であった。
姥捨駅がスイッチバック駅とは綾小路さんは知らなかったのである。
姥捨駅からの善光寺平の眺望は日本の三大鉄道風景のひとつであるらしい。
ホームの看板には”夜景が特にすばらしく・・・”とあったが綾小路さんが夜まで待てるはずはなかった。
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姨捨駅 (左)駅舎 (中)手前が松本方面、右側の長野方面から来た列車は一旦この地点の後方で停車、バックで左側の姨捨駅に入る。
(右)姨捨駅ホームからの善光寺平の眺望
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長野駅
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豊野駅
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戸狩野沢温泉駅
満員で長野駅を出発した列車だったがぽつりぽつりと人が下車していき結構空いてきた。
右手におだやかな千曲川とその向こう側の山々を見ながらのんびりとローカル列車は走る。
さすがに新潟県に入ると徐々に雪景色となってきた。
千曲川は信濃川と名前を変えやがて日本海に注ぐ。
しかし列車はそこまで行かない。越後川口駅で終点となる。
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十日町駅
飯山線は私鉄の飯山鉄道により大正10年10月20日に豊野−飯山間が開業した。
その後に桑名川、西大滝、森宮野原、森宮野原越後外丸(現津南)、越後田沢までと順次開業していった。
昭和4年9月1日には十日町までが開業して飯山鉄道の豊野−十日町間が全通した。
一方その間に、国鉄十日町線として昭和2年11月15日に越後川ロ−十日町間が全通していた。
昭和19年6月1日に飯山鉄道全線が国有化され飯山線と改称された。
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越後川口駅
越後川口駅からは上越線、信越本線を乗継ぎ柏崎駅で下車した。
今日は駅前のビジネスホテルに宿泊である。
夕食は長野駅で購入していた”きじ焼丼”とした。
一時廃止されていたものの復刻版である。
しかし箱を見てがっかり、”鳥肉をきじ焼き風に料理しました。”と記載されていた。
確かにうまかったがそれならもっと鶏肉の量があってもいいんでない?
そぼろの量はあったが焼いた鶏肉はわずか2切れだった。
やはり容器代か?抹茶茶碗用に特別注文したとある。
また上蓋は善光寺の偉い上人の写しで部屋の壁掛けにどうぞとあった。
うーん。失敗した。こんなのまたしても捨てられない。
こんな事になるとは。綾小路さんは1日に2組も重い陶器を抱える羽目になった。
まだまだ旅程は半ば前である。
もう明日から釜飯は買わないぞと堅く心に誓う綾小路さんであった。
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長野駅弁 きじ焼き丼 ¥1000
綾小路さんの漫遊は北信越・北陸漫遊(北陸本線・大糸線)に続く!
至 米原 | ![]() |
直江津 | ![]() |
柏崎 | ![]() |
新潟 | ||||
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長野 | ![]() |
豊野 | ![]() |
関山 | 宮内 | |||||
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姨捨 | ![]() |
篠ノ井 | 飯山 | 津南 | 十日町 | ![]() |
越後川口 | |||
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塩尻 | 上田 | 戸狩野沢温泉 | 森宮野原 | 越後田沢 | 井野 | |||||
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小諸 | 桑名川 | ![]() |
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