2003.06.01

北東北漫遊(津軽線)

いよいよ北東北漫遊も最終日となった。
今日は津軽線で三厩駅まで乗車するのが大目標である。
それといつもは通過するだけの青森駅で下車して青函航路の八甲田丸の見学である。
これだけなら朝もゆっくりできたがそこはよくばりな綾小路さんであった。
せっかくなので奥羽本線の青森近郊の駅も探索する事にした。


そういう訳で今日も早起き、朝の6時過ぎに出発した。
昨日からの続きで天気はあまりよくなさそうである。
そして健康ランドから15分、新青森駅に到着した。

新青森駅を6時49分発の上り列車でまずはお隣の津軽新城駅で下車した。(左)
木造で味のある駅舎である。しかし東北は雪のせいか瓦屋根の駅舎はほとんどなかった。
これも多雪地帯である北陸は結構多かったけどなあ。
次に津軽新城駅からみっつ目の浪岡駅で下車した。(右)

ここで一旦下り列車に乗車して大釈迦駅で下車した。(左)
駅構内を探索しているとある下り列車が交換列車待ちで停車した。(右)
日本海1号、昨日の17時47分に大阪駅を発車して延々14時間以上かけてようやくここまで来たようだ。
ここからさらに3時間半で函館駅まで行く事になっている。

ここで再び上り列車に乗車、北常盤駅で下車した。(左)
コミュニティプラザ”ぽっぽら”との複合施設となっている。
これが何と2001年の12月に改築されたらしい。
うーん、遅かったか。古い駅舎の時に来たかった。
そしてそこからさらに上り列車で撫牛子駅に下車した。(右)

時間はまだ9時半前であった。
ここから大舘駅の手前、白沢駅か陣場駅あたりに行きたいところではある。
しかしこの後しばらくは特急がまばらに運行しているだけでどうにも予定が組めなかった。
少し早いがやむなく青森駅に行く事にした。それでもこの駅であと30分は待たなければならない。

10時01分、ようやく時間となり青森行き下り列車に乗車した。
そして40分後には青森駅に到着した。

青森駅 (左)駅舎 (右)青森駅最奥の車止め、陸奥湾はすぐそこ

これから八甲田丸に行くがその前に腹ごしらえをしなければ。
そこで綾小路さんは過去を振り返った。
5年程前に青森に来た時は駅前に有名な朝市があった。
そしてこれまた有名な市場食堂という店があり綾小路さんもそこで”うに丼”を食べた。
ところが昨年に行った時にはその市場がもぬけの空状態だったのである。
また市場食堂で楽しむつもりだったのにがっかりしたものだ。
しかしその後に朝市そのものが"アウガ”というビルの中に移動しているとの観光案内を発見した。
今回その”アウガ”に行き市場食堂があればそこで食事する事にした。

”アウガ”は青森駅改札口から徒歩3分もかからない位置にあった。(左)
ビルに行き全館案内図を見ると新鮮市場が地下にあった。これだ。
まずエスカレーターを降りたところにすし屋があった。
客が全然いなく高いのかなと思ったら鮭親子丼900円とすし屋にしてはリーズナブルなメニューもあった。
しかしここは市場食堂を探さねば。
中に進むと朝市そのものがビルの地下にあった。(右)

地下にしては広い。ここで探すのは大変だと思ったがフロア案内図があった。
そこで探してみるとありました、市場食堂。
あと最近のテレビで放送されていた丸青食堂と合わせて3軒の食堂があった。(実際にはもう一軒あった)
まずは丸青食堂からのぞいて見た。客が数人いた。しかしテレビで見た賑わいはなかった。
そして市場食堂、しかしここには客が全然いなかった。
最近は人気がないのかと驚いたがせっかく来たのだから意を決して入って見る事にした。
そしていざ暖簾をくぐろうという時にある案内が目についた。
”本日終了”、えっまだ11時過ぎなんだけど。
そうか朝市だからかなり早い時間からやっているのだ。
(後で時間を見ると午後3時まで営業、この日はネタ切れと思われる)
失敗、これで綾小路さんは気が抜けてしまった。
市場食堂そのものがなければ先ほどのすし屋か丸青食堂に行っただろう。
しかし気が抜けここで食事をする気も失せてしまったのである。
”アウガ”を出てラーメンにでもするかと入った店も失敗。
青森でも有名な陸奥湾産(たぶん)のホタテラーメンを食べたがスープの味はいまひとつだったのである。

ともかく空腹だけは満たされ、いざ八甲田丸へ。
青森駅から徒歩で5分、まず線路が敷設されている連絡橋に到着した。(左)
しかし鉄道車両をそのまま連絡線に積載するという発想はすごい。
綾小路さんはこの青函連絡船に乗船した経験はない。
しかし丸亀育ちなので地域柄、宇高連絡線には何度も乗船した経験があった。
その時は乗船、下船と2度の乗換えに時間がかかったものだがそういうものだと思っていた。
まさか青函連絡船では列車を船に積んでいるとは知らなかったのである。
次に八甲田丸の真横に行き全景を眺めた。(右)

船の煙突には”JNR”の文字が書かれていた。(左)
国鉄からJRに移行後、”JNR”はすべて”JR”に改装されたとの事であった。
しかし展示が決まり歴史が長かった国鉄時代のものに戻されたのであろう。
そして流れていたお約束のメロディー。たしか龍飛岬でも流れていたはず。
おっと昼食やら最奥の車止めの探索までしていたので時間が少なくなった。
中が博物館になっているので見学を予定していたが残り40分たらず。
受付嬢に40分ぐらいで見学出来ますかと聞いたところ”それなりに回れば”との返事だった。
せっかくなので入場したがだめだ、全然足りない。
途中からは早足で移動、そして車載甲板に行き着いた。(右)
ここもじっくり撮影したかったがそうもいかなかった。残念。
うーん、これは2時間でも足りないな。
”I’ll be back”、黒のサングラスをかけたつもりで公開されたばかりの映画の第一作の名セリフを叫んだ。

さーて時間だ、そろそろ札幌に帰るか。
おいおい待て綾小路さん!津軽線はどうした。
そうだった。これから津軽線で三厩駅まで行かねば!
その事こそ今回の漫遊で岩泉線乗車と並ぶ最大の目的だった。


ホームの南端から10mぐらい先に津軽線の0キロポストを発見した。
前に来たときは駅員に聞いたが分らなかったのである。
この0キロポストは駅員でも知らない事が多い。
中にはどこにあるかだけではなくどういう物であるかも知らない人もいる。
この事なんかは鉄道ファンのほうがかなり詳しい。
今回は3度目にしてようやく発見となった。

13時00分、まずは蟹田行き列車に乗車した。
青森駅を発車した列車は油川駅(左)次いで津軽宮田駅(右)に停車した。
このあたりはまだ周辺は住宅地のようである。

奥内駅(左)、左堰駅(右)付近では早くも農村風景が広がった。

後潟駅(左)、中沢駅(右)、陸奥湾沿いを走っているはずだがほとんど海は見えない。

蓬田駅(左)、郷沢駅(右:H14-9-2撮影)、いまだ単調な風景が続いた。



瀬辺地駅(右)を過ぎると右手には陸奥湾が広がった。
残念ながら今日は雨で霞んで見えないが下北半島と夏泊半島が見えるはずである。
前者が後者と比べものにならないぐらい大きいがここからでは後者もほとんど変わらない大きさに見えた記憶がある。



陸奥湾が見えたと思ったのもつかの間、列車はすぐに蟹田駅に到着した。
ここを通過する海峡線は複雑である。
起点は中小国駅で終点が木古内駅となっている。
しかし全ての列車(それも特急列車のみ)が青森駅−函館駅間で運行されている。
途中、起点駅である中小国駅を列車はすべて通過、停車するのはここ蟹田駅なのである。
そして中小国駅から先はJR北海道管轄となる。
当然その先の津軽今別駅、竜飛海底駅は青森県内ながらJR北海道の駅なのである。



20分後の14時00分、三厩行きの列車は発車した。
ここからが綾小路さんにとって未体験ゾーンである。
海峡線が開通して以降、青森駅から三厩駅まで直通の列車は激減、季節列車を除けば1日1往復である。
列車は中小国駅(右)に停車したがほとんど停車時間もなくすぐに発車した。

列車はそこから新小国信号場を通過した。(左)
ここで海峡線と分岐していくようである。
分岐した津軽線は単線、非電化である。
一方、海峡線は新幹線も通行可能な高架の上を通過して津軽線と分岐して行った。(右)


海峡線と分岐する前後には大平(おおだい)駅(左)に停車した列車はこのあと山間部を通過していく。
この区間は県道とも離れて敷設されている。
そして山間部を抜けると次の津軽二股駅に停車した。(右)
ホームだけの駅であるが道の駅が隣にあり待合室として使用できるようである。
しかしここは冬季間は閉鎖される施設である。


新小国信号場で海峡線は津軽線と分岐した。
これは先ほどの山間部を津軽線と別ルートで通過しているためである。
何しろ新幹線も通行可能な施設としているのであった。
大掛かりな工事となりトンネル掘削技術も進歩した現在では津軽線沿線を拡張するより現ルートで新設したほうが経済的だったのであろう。
5キロほどのトンネルを通過して再び津軽二股駅の隣に線路が敷設されている。
そしてそこに駅が新設されたのである。(右)
しかし隣ながら津軽今別駅という別の駅となった。
フードの付いた階段を上ったその津軽今別駅には1日に上下2本ずつの列車しか停車しない。
ここから再び津軽線と海峡線は分かれて行く事になる。

列車はそのあと大川平駅(左)、今別駅(右)に停車した。



津軽浜名駅(右)を過ぎて右手に津軽海峡が見えた。
しかし天気が悪く恨めしい。
晴れていれば北海道の白神岬付近が見えたかもしれない。

そこからしばらくして終点の三厩駅に到着した。
とうとう津軽半島の最深部の駅にやってきた事になった。
(海峡線の竜飛海底駅は終着駅でないので最深部という感じがしない、また正式にも駅ではなく緊急避難用の施設であるとの事である。)


三厩駅
 (上、左)駅舎
 (上、右)津軽線終点の線路
 (左)きらきらみちのく号と一般の列車のツーショット

津軽線は1951(昭和26)年12月5日に青森−蟹田間が開業。
1958(昭和33)年10月21日に蟹田−三厩間が開業して全線開通した。

折返しの列車を待っているとタクシーの運ちゃんどうしの会話が聞こえる。
しかし綾小路さんにとってまるで外国語であった。津軽弁は分からない。


折返しは快速”きらきらみちのく号”に乗車していったん青森駅まで戻る事にした。
実はこの列車に乗車出来る(金、土、日の運行で計算に入れてなかった)とは思っていなかったのである。
乗車してきた列車の折返しでは北海道方面への列車は蟹田駅を発車したあとに到着していたのであった。
蟹田駅で下車すれば2時間は早く帰れたようである。
とにかく列車は15時21分に発車した。
金曜日とはいえ車両はガラ空き、快適なものであった。
蟹田−瀬辺地間で今度は下北半島が見えた。(右)

一旦、青森駅に戻った綾小路さんは当然のごとくここで駅弁を購入した。
思えば昨日は食べていないので2日ぶりである。
ビールにお酒も抜かりなく購入、列車を待った。
そして17時22分発の白鳥15号に乗車して発車後すぐに宴会は始まった。

青森駅弁 津軽海峡弁当 ¥1020 伯養軒 青森支店

白鳥15号は暮れかかった西日を浴びながら津軽半島を北上する。
しばらくして新小国信号場を通過すると今度は津軽線が三厩方面に分岐して行った。
このあと白鳥15号は青函トンネルに入り北東北を後にした。


三厩 津軽浜名 今別 札幌
大川平 津軽二股 大平 木古内
蓬田 郷沢 瀬辺地 蟹田 中小国 津軽今別
中沢 後潟 左堰 奥内 津軽宮田 油川
北常盤 浪岡 大釈迦 津軽新城 新青森 青森
撫牛子 福島 八戸

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