朝帰り 2
海は、太陽の光を反射して、眩しいくらいだった。
強いと、いうには頼りないが、適度に風もあり、初めて間もないサーファーには、困らない程度の波がある。
ヴィゴは、来るつもりではなかったビーチで、海水で顔に張り付いた髪をかき上げた。
ショーンは、宣言とおり、パラソルの下で、ビーチチェアーに横になっている。
時折、頭を起こして、波間から大きな声で名前を呼ぶ仲間たちに手を振る。
サングラスをかけた目は、ヴィゴを見ない。
不自然でない程度に、視線の先が、白い砂へと逸れていく。
今日、砂浜へ足を踏み入れた時も、ショーンは、一人ではなかった。
板と、たっぷりとビールの入ったクーラーボックスを肩にかけたオーランドが横に張り付いていた。
「よく、連れてきた!」
「海で会うのは初めてだ。ショーン、ほんとは泳げないんだろう?」
先に、海に入っていたイライジャ達が、金色の頭を見つけて、わらわらと駆け寄る。
みんなショーンの出現を喜んでいた。
「逃げ出されるかと思って、朝から迎えにいっちゃった」
オーランドが、胸を張った。
「でかした!」
仲間達が、濡れた手でオーランドの身体を叩いて褒め称える。
ついでに、砂でオーランドの身体を汚す。
すっかりいい気分のオーランドは、そんなことを気にしない。
どうせ、海に入れば取れてしまう。
「そしたらさぁ、ショーン、キッチンのテーブルに海水パンツをだして、すっかり行く気でがんばってるじゃん。クーラーボックスも満杯だし、今まで誘ったの断られてきたのは、何だったの?って感じ」
ショーンが照れた笑いを浮かべた。
オーランドから、クーラーボックスを受け取り、眩しそうな目が、パラソルの位置を探した。
ヴィゴは、ゆっくりと仲間達に近付いていた。
ショーンの目と視線があった。
ショーンは、砂を踏むヴィゴに気づき、すこし困った顔をした。
すぐさま、なんでもない顔をしてにやりと笑った。
上出来な俳優の顔だった。
「よう、浜辺に昼寝に来たって?」
「ヴィゴも来たんだ」
「予定が空いたんでね」
さらりと、嫌味を織り交ぜて、ヴィゴは、仲間達に加わった。
ショーンは、ヴィゴの言葉に、僅かに顔を顰める。
手を引いて、パラソルの位置を教えるイライジャに従いながら、小さくヴィゴを盗み見る。
ヴィゴを不機嫌にしていっているという自覚はあるようだった。
当然だ。昨日の晩、電話をしたら、挨拶と同時に、眠いと、切られた。
週末の約束を反故にされた上で、そこまで避けられる理由が、ヴィゴにはわからない。
上に着ていたTシャツを脱ぎ捨てたオーランドが海に向かって走り出した。
板を頭の上に乗せて、転げるように走っていく。
「見ててよぉー。ショーン!」
ばしゃばしゃと水しぶきを上げて、海に飛び込んでいく。
「怪我するなよ!」
ショーンは、大きな声で叫び返すと、早速ビールを取り出してくれたイライジャに苦笑しながら、ビーチチェアーに腰を下ろした。
ヴィゴは、ぽたぽたと身体から落ちる水滴を振り払いながら、ショーンに向かって近づいていった。
ショーンは悠然と構えながら、全身でヴィゴの存在を警戒していた。
まるで、間合いを計る敵同士みたいだ。
ヴィゴには、ついこの間まで仲の良かったショーンから、こんなに拒絶されるわけがわからなかった。
ヴィゴが一歩足を進めるごとに、ショーンの笑顔が深くなり、しかし、椅子に下ろした尻は浮き上がりそうになっていた。
海水パンツの裾から見える足は、決してリラックスしている人間の筋肉の動き方ではなかった。
サングラスを外そうともしない。
さっきまで、その腹の上に、軽いと言い切るには苦しい愛くるし顔をしたホビットが跨っていた。
子供でないのだから、そんなことをするのは、おかしいはずなのに、2人はまるで仲のいい親子のように、向かい合って親密に話し合っていた。
2人は、とてもリラックスしていた。
ショーンの飲むビールをイライジャも飲み、何がおかしいのか、お互いの身体を軽く叩き合いながら、くすくすと笑った。
時々、笑い転げたイライジャが、ぺったりと、ショーンの体の上に倒れ込んだ。
ヴィゴは、イライジャが立ち去るまで、辛抱強く待ち、イライジャが立ち去った後も、他に近付く人間がいないことをしばらく観察した。
海に来て間がない仲間達は、波に乗るのが忙しく、まだショーンの下へ近付こうとはしなかった。
ヴィゴは、逃げ出されないよう、ゆっくりとショーンに近付いた。
浜辺の砂が、もう熱を持ち始めていた。
「海に入らないのか?」
ヴィゴが尋ねると、
「もう、ビールを勧められてね」
ショーンは、ビールの缶を振った。
ヴィゴのためにも取り出そうと、身を屈めて、クーラーボックスの中を探る。
「それより、煙草の方が欲しい」
ショーンは、一塊になっているかばんの中から、煙草を探し出し、ヴィゴに向かって放った。
ヴィゴは、受け取り一本を口にくわえた。
ライターを寄越すよう、ジェスチャーで伝える。
ショーンが、また、投げて寄越した。
ヴィゴは、火をつけ、ショーンにもっと近付いた。
煙草のパッケージから、一本取り出し、ショーンの口にくわえさせる。
ライターを請求するショーンに、顔を近づけ、自分の火を移すようアピールした。
ショーンが、顔を寄せ、煙草の先が触れる。
息を吸い込み、火が移る。
ため息のような煙を吐き出し、ショーンが椅子に向かって倒れ込んだ。
「なぁ、ヴィゴ。何をそんなに怒ってるんだ?」
「怒らせているという自覚はある?」
「…ある…かなぁ」
ショーンが、やっとサングラスを外した。
緑の目が、居心地悪そうに、ヴィゴの顔をさ迷いあるいた。
「あんたの顔見てれば、怒ってるのは一目瞭然だ。俺は、誘いを断ったし、俺が怒られてるんだと思っても、全然不思議じゃないだろう?」
「その他に、思い当たる節はない?」
ほかに?ヴィゴの言葉に、ショーンの眉が寄った。
とうとう居住まいを正して、ヴィゴの顔を覗き込んだ。
殆ど減っていない煙草が、皿の上でもみ消された。
「他にも怒らせるような真似をしたか?」
「まぁね。自覚はないだろうと思ったけどね」
ヴィゴは、ショーンの手を引き、椅子から立ち上がらせた。
「ちょっと話がしたいんだ。あいつらが、走り込んでくると困るから、場所を変える。いい?」
ヴィゴは海に向かって、顎をしゃくると、威圧するように、力をこめて緑の目を見下ろした。
金色の頭は、太陽の光を受けて、きらきらと輝いていた。
表情が、強張っていた。
ショーンは、ヴィゴと2人になることを嫌がっていた。
ヴィゴは、腕を掴む力を強くした。
濡れているヴィゴの掌に、ショーンの温かい体温が心地よかった。
しぶしぶ、ショーンが立ち上がる。
太陽が容赦なくショーンの肌を焼いていく。
ヴィゴは、仲間達から見えない岩場の陰までショーンの腕を離さなかった。
「話ってなんだ?」
明らかにショーンは、この場から逃げ出したそうだった。
ビーチサンダルが、足元の石を小さく蹴っていた。
ヴィゴは、そうされる悲しみと苛立ちで、押さえ込んでいた感情が急激に溢れ出すのを止めることが出来なかった。
岩に押し付けるように、ショーンを抱きすくめ、驚いている唇に唇を押し付けた。
ショーンが身体の間で、腕を突っ張る。
決して唇を開こうとしない。
ヴィゴは、唇に噛み付いた。
歯の間に、薄い粘膜を挟み込み、強くなりすぎないように引っ張った。
怪我をするのが怖いのか、ショーンの抵抗が止んだ。
確かに、これで、暴れれば、唇が切れるのは必至だった。
切れたら、腫れ上がるだろう。
カメラの前で、何をしたんだと、怒鳴られることになるだろう。
ヴィゴは、唇を歯で挟んだまま、にやりと至近距離の怯えた目を笑った。
ショーンが、思い切り眉を寄せる。
「ヴィゴ。止めてくれ」
唇を引っ張られたままなので、ショーンは、おかしな発音だった。
ヴィゴは、唇の甘噛みを止めなかった。
ショーンの目が、ヴィゴの歯を真剣に見つめていた。
こんなにも真剣に見つめられるのは、半月ぶりくらいだった。
それまでは、蜜月かと思うほど、二人仲良く、一緒に過ごした。
撮影中、撮影の後の眠い食事。役柄について話し合っているうちに、面倒になって一緒のベッドで眠ったりもした。
朝起きると、また、話し合いの続行だ。
週末にどちらかの家にいるのは、当然のことだった。
先週の約束を反故にされたあたりから、ショーンは、距離を取り始めた。
急に入った、あの予定は、なんだったのだろうか。
撮影後に家に寄ることがなくなり、電話の時間が短くなった。
撮影現場で、ヴィゴだけと寄り添っていることがなくなった。
「ヴィゴ、痛い」
歯の位置を変えながら、ヴィゴは、優しくショーンの唇を噛んでいった。
柔らかな痛みが、ショーンを襲っているはずだった。
緊張に身体を固くしていなければ、ちょうど痛みだと感じない程度の、甘い刺激。
腕の中に抱き込んだ体が、固く強張っていることを、ヴィゴは残念に感じた。
リラックスしてくれれば、気持ちよく感じさせてやれるのに。
「離してくれ。もう、嫌だ」
ショーンの口からは、泣き言が、次々に零れ出てきていた。
ヴィゴを怒らせないように、緩くヴィゴの身体を抱きしめ、しかし、海パンの生地を掴んで、身体を離して欲しいと訴えていた。
「ヴィゴ…頼むから」
引っ張っている唇の間から、唾液が零れ落ちて、ヴィゴは、それを啜り上げると、ショーンを解放してやった。
ショーンは、信じられないというような顔をして、ヴィゴのことを見つめていた。
驚きのあまり、緑色の目が見開かれていた。
ヴィゴは、噛み付いていた唇は離したが、ショーンを抱きこむ腕は緩めなかった。
濡れた身体をショーンのTシャツに押し付け、真っ直ぐな足に、自分の足を絡みつかせた。
「こうされると、思ったから、逃げ出した?」
「え?え?ヴィゴ?」
ショーンは、わけがわからないという表情を変えなかった。
「演技?さすがに上手いな。だけど、正直に言えばいい。俺に言い寄られるのなんて、迷惑だから、側によって欲しくなかったって」
ヴィゴは、もがく身体を強く抱きしめた。
腕が岩に擦れていた。
ショーンの背中が岩に当たらなければいいと思った。
「誰が?え?ヴィゴが俺に言い寄るって?え?何で?」
ショーンは、しらを切りとおした。
全く訳が分からないという態度を崩さず、悪い冗談を聞いたような顔をして、本気では抵抗をしなかった。
強固に突き放されない代わりに、この拒絶は、ヴィゴに付け入る隙を与えなかった。
ぐいぐいと身体を押し付けてくるヴィゴの状態に、気付かないはずはないのに、笑う顔を止めなかった。
過ぎた冗談だという態度は、ショーンにとって、縋りつく唯一の砦のようだった。
へらへらと、薄っぺらな笑いを顔に貼り付けて、ヴィゴの腕の中でもがいた。
引き離そうとしている手には、かなり本気の力が入っているのに、それは掴み上げる力だけで、強くヴィゴを突き放しはしなかった。
目が、海しかない彼方に向かってさ迷っていた。
怖がっていた。
ショーンは、自分で築いた砦の中に潜り込んで、顔を一つだそうとしない。
ショーンが反撃しようとすらしないものだから、ヴィゴは、持久戦に出るしかなかった。
このまま一気に攻め落とすということができない。
ヴィゴはショーンが出てくるのを待てないわけではなかった。
砦の中から、誘い出す手立てがないわけでもない。
そのくらいには、人生の苦難を味わって来ている。
だたし、きっちりと、ショーンに教え込んでおきたいことがあった。
身体を使って、ショーンを岩に押し付け、両手で顔を挟んだ。
ショーンは、うっすらと汗をかいていた。
冷たい汗だった。
ヴィゴは、優しく頬を撫でた。
「ショーン」
何度も瞬きを繰り返す、緑の目に視線を合わせる。
逃げ出してしまうのを、辛抱強く追いつづける。
「ショーン、俺を見て」
「ヴィゴ、冗談は…」
「ショーン、今は、冗談にしてやってもいい。でも、一つだけ、ちゃんと言っておきたいことがある」
ヴィゴは、殊更、優しい口調でショーンに話し掛けた。
ショーンが縋りつくような、ヴィゴにとっては堪らない目をして、視線を合わせてきた。
ショーンの目が、許して欲しいと、解放して欲しいと、願っていた。
ショーンは、ヴィゴが何をしたいかも、何を言いたいかも、正確にわかっていた。
目がそういっていた。
わからない振りをしていたいだけだ。
自分がどうして、ヴィゴとの間に距離を置いたのかも、急に予定をいれて、二人きりになるのを避けたかも知っている。
それを嫌悪すべきなのかどうか、真正面から考えることを怠惰にも放棄している。
ヴィゴは、森の色をした緑の目に吸い込まれるように、顔を重ねた。
柔らかい唇を吸う。
上の唇も、下の唇も、同じように、挟み込んで、何度も何度も、愛撫してやる。
歯を食いしばっているショーンに、この先どんな快楽が待ち構えているのか、レクチャーするために、ゆっくり、徐々に深く、顔を重ねて、唇の内側にまで、舌を這わせていく。
ショーンの真っ白な歯を一本、一本丁寧に舌先で、なぞる。
「ショーン」
ショーンは、全く歯を開こうとはしない。
頑なに、歯を噛み締めている。
喉がごくりと音を立てる。
緊張に鼻息が荒くなっている。
ヴィゴは、鼻の頭をぺろりと舐めて、ショーンを解放してやった。
「ショーン。教えておいてやる。あんたがしていることは、ただの逃げだ。今のままだと、もっと、混乱を引き起こすだろう。オーリは、あんたに構ってもらえるようになって、浮かれている。リジは、すっかりあんたに甘えている。俺から逃げ出すのは、自由だが、他人を巻き込むのは止めといたほうがいい。あんたに、責任がとれるならいいが、あんたはそんなことできやしない性質なんだから」
ショーンは、どんな自覚があるのか、目を伏せた。
ヴィゴは言葉の意味をどの程度、どうやって理解したのか、頭を振って白状させたい気分になったが、とうとう、腕も広げてショーンのことを解放した。
付き合いの深さから、この英国人が、追い詰められることを、かなり苦手としているのは、わかっていた。
仕事では、あんなにも粘り強さを発揮するのに、人間関係を維持する努力はどこに捨ててきたようだ。
自分が磨り減る前に、何もかも放棄する。
あまり追い詰め過ぎると、反撃もせず、逃げ出してしまう。
その逃げっぷりは、見ているほうが呆れるほどだ。
いつかの女にしたような態度で逃げられたら、さすがのヴィゴでもめげそうだった。
今、追い詰めてしまわなくとも、ヴィゴには、待つための時間もあったし、余裕もあった。
2人は、毎日顔を合わせなければならない撮影現場で暮らしいるのだ。
今は、ショーンに一つだけ、わかってもらえればよかった。
ショーンが、考え無しな態度で、自分たちの間に、他人を介入させてこなければ、それだけで、いい。
ショーンを呼ぶ、声が、岩場の向こうで聞こえた。
俳優というのは、こんなにも大きな声がでるのだと証明するような大声が、ヴィゴとショーンの名前を繰り返す。
「ショーン、返事をしてやれ」
ビーチに来ていた全員の声で名前を呼ばれて、ヴィゴはショーンの腕を引いた。
岩場に張り付いているショーンを引き剥がし、恥かしげもなく大声で叫びつづける仲間の下へと足を進める。
ショーンは、項垂れたまま付いてきた。
仕方なく、ヴィゴが返事を返す。
歓声があがる。
岩場を回りこむと、ふくれっ面をしたオーランドが待ち構えていた。
手には、板を持ったままだ。
ずぶ濡れで、膝下は砂まみれだった。
「なんだよ。王様。ショーンを独り占めはずるいだろ?それに、俺と一緒に海に入る約束ずっと前にしてくれたじゃん。今、果たせよ。今すぐ。すっかり身体が乾くくらい休んだんだ。いいだろ?」
オーランドは、濡れた手で、ヴィゴの腕を引く。
ショーンは、複雑な表情で、離れていくヴィゴを見ていた。
ほっとしている。だが、それだけでもない。
「ショーン。こっち。早くおいでよ。一緒に音楽を聞こうよ」
イライジャの声に、ショーンが振り返ってしまったので、それ以上、ヴィゴはショーンの表情を観察することが出来なかった。
だが、イライジャの隣に腰掛けたショーンは、もう、ヴィゴから目を反らさなかった。
海に入る姿を目で追っていた。
ヴィゴは、ショーンの目が自分を見つめるようになって、とりあえず、満足した。
これから、ゆっくり追い詰めてやる。
波を足で踏みながら、ヴィゴは、緑の目を見返した。
ゆっくりは、私が嫌…かな?(笑)
できれば早く出来上がって欲しい。
頑張ってくれ。ヴィゴ!
でも、もう少しかかりそうかな?(笑)