朝帰り
ヴィゴは、皿の乗ったテーブルの上を、指で2度叩いた。
食事を先に終えて、コーヒーを飲んでいたショーンは、その音に、カップから顔を上げた。
ヴィゴは、ショーンの視線が自分の顔に集まっているのを確認すると、唇を尖らせ、ショーンの目をのぞきこむようにした。
ヴィゴの手には、まだ、フォークが握られていた。
先には、ポテトが刺さっていた。
「なに?」
ショーンは、不満げな顔を隠そうともしない、ヴィゴに対していささか不躾な視線を返した。
フォークを握ったまま、テーブルに肘をつき、いかにも文句があるといわんばかりのヴィゴの態度を責めていた。
ヴィゴは、フォークを軽く回した。
ショーンが眉を顰めた。
人と飯を食う態度ではない。
わかっていた。だが、ヴィゴの不満を表現するには、これでもかなり生ぬるかった。
「なにって、なに?ショーン」
「は?ヴィゴに話があるんじゃないのか?いかにも文句をいいたそうな顔をしているじゃないか」
ショーンは、片手に午後からのスクリプトを握ったままで食事を続けるヴィゴのことは、我慢してくれるが、食べ物が刺さったままのフォークを弄ぶ姿を、きっちりと非難していた。
2人きりで、どちらかの家でやっているのなら、まぁ、なんとかショーンの許容範囲だ。
しかし、ここは、人がごった返す、撮影所だ。
ショーンは、みっともないことをしてくれるなという顔をしている。
こういった態度をショーンが嫌がるのを知っていながら、ヴィゴは、態度を改めなかった。
さらに行為をエスカレートさせて、皿の上の残り物を、フォークの先で弄んだ。
ショーンが、眉を顰める。
眉間の間に深い皺ができていた。
手が伸びて、フォークを握る手をつかまれる。
「やめろ。食わないなら、遊ぶんじゃない」
「食うんだよ。こうやって、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて、それから、食うんだ」
「ああ、もう。何を怒ってるんだ。みっともない真似はよせ。子供みたいだぞ?」
ショーンが小声でヴィゴを叱った。
ヴィゴは、大きく口を開けた。
ショーンが、眉を顰めたまま、首を傾げる。
ショーンの後ろを、スタントマンたちが、笑いながら通り過ぎていく。
ヴィゴがあまりに大きな口を開けて、ショーンと座っているからだ。
ショーンは、困った顔をして、ヴィゴの口を閉じようとした。
ヴィゴは、顔を振って、「あーん」と、言った。
ショーンは、ヴィゴの声に慌てたように周りを見回した。
幸い、周りに陣取っているスタッフたちは、俳優の我侭を、見て見ぬ振りをしてくれた。
「子供なら、食わせてくれるだろ?俺、あんたが残したゼリーが食いたい」
ショーンは、大袈裟にため息をつき、プラスチック容器に入ったゼリーをぐいっとヴィゴに押し付けた。
ヴィゴは、首を振って、口を開けつづける。
ショーンが呆れた顔をする。
「なに?なにやってんの?」
ホビット達と、これから食事をしようとしていたオーランドが走り寄ってきた。
大きな声に、ヴィゴ達へと周りの視線が矢のように集中した。
遠くで、イライジャがお気の毒にと、肩を竦めた。
他のメンバーも多かれ少なかれ、同じような表情をしている。
さすがに、ヴィゴも口を閉じた。
しかし、オーランドは、嬉しそうな顔で、ヴィゴを見つめていた。
ヴィゴは、気まずくなって、スクリプトに視線を落した。
ショーンが、オーランドに笑いかける。
オーランドは、ヴィゴの隣の椅子を引き、ずうずうしく座り込む。
「俺たちは、食事終わったぞ?」
ヴィゴは、オーランドを見ずに、話し掛けた。
「そうなの?なんか、大きく口を開いてたように見えたけど?」
オーランドは、構わず、自分の皿の上にのったサンドイッチを一つ摘んだ。
レゴラスの鬘は取っていたが、メイクを終えたすっかり優雅な顔をして、一口でサンドイッチを頬張ってしまいそうなほど、大きな口を開けていた。
ショーンが、何を考えているのか、くすくすと笑っている。
「ショーンに食べさせてもらおうとしてたんじゃないの?王様」
「なんで、そんなことしてもらう必要があるんだ?子供じゃあるまいし」
「そう?なんか、ゼリーを食べさせて貰おうとしてるように見えたんだけどな?見間違い?」
「見間違いだな。昼間っから、幻覚を見るほど疲れてるんじゃないか?」
オーランドは、ぽんぽんとヴィゴに言葉を返しながら、皿の上のサンドイッチを次々に片付けていった。
ショーンは、ヴィゴに睨まれ、笑いを堪えるようにしながら、コーヒーの続きを飲んでいた。
ヴィゴは、すっかり頭に入ったスクリプトを仕方なく眺めていた。
ヴィゴは、早くオーランドに立ち去って欲しかった。
まだ、自分の中に積もっている不満を、ショーンにぶつけ終わっていない。
このままでは、休憩時間が終わってしまう。
すると、必然的に、また仕事が始まり、それが終わると、待っていたはずの週末がやってくる。
「ヴィゴ、食べる?」
オーランドが、ヴィゴに向かってサンドイッチを差し出した。
ヴィゴの皿には、殆どのメニューが残されていた。チキンは僅かに切り取られただけだったし、サラダはかき混ぜられた痕跡だけが残っている。
パンは、もとが幾つあったのかわからないが、一つと、半分が、乗っかっていた。
「ちゃんと食べとかないと、後で腹がすくよ?」
オーランドは、ヴィゴの口元までサンドイッチを近づけた。
「お前に心配してもらわなくてもいい」
ヴィゴは、ぷいっと顔を背けた。
オーランドが笑いながら、ショーンに向かって手を伸ばす。
ショーンの手元に置かれていた、ゼリーの容器を取り上げる。
ショーンは、2人のやり取りを興味深そうに見ている。
「こっちなら、食べるの?」
「誰が、そんなの食べるって言った?」
ヴィゴは、思い切り顔を顰めた。立ち退きそうにないオーランドの様子に、自分が席を立とうとした。
ショーンに向かって目配せする。
しかし、ショーンは席を立たない。
ヴィゴを見上げ、少し困った顔をしている。
「ヴィゴ。ちゃんと、食べないと、ショーンも心配するよ?」
オーランドは、おせっかいにもゼリーの容器を開けると、スプーンにすくって、ヴィゴの口元まで運んできた。
あーんと、子供に言い聞かせるように、優しい声を出す。
ヴィゴは、眉の間に皺を寄せて、オーランドを見下ろした。
「食べさせてほしいんじゃないの?」
「…誰がそんなことを言った」
「さっき、ショーンにおねだりしてたじゃん」
オーランドは、ショーンに向かって、ねっ。と笑った。
ショーンは、曖昧な笑いを返している。
ヴィゴは、小さなプラスチックのスプーンまで食べてしまいそうな勢いで、オーランドの差し出すゼリーに噛み付いた。
実際少し、オーランドの指に前歯が当たった。
「ショーンになら、食わしてもらいたいが、オーリ、お前じゃ、結構だよ」
甘いグレープの味が、口の中に広がった。
「王様はえこひいきが激しいなぁ。ショーンがそんなことしてくれる訳ないじゃん。きゅっとくびれたウエストの可愛い子なら、まだしもさぁ。自分のこと、よっく思い出して、俺にしときな。俺なら、いつでもサービス満点」
オーランドは、ヴィゴの使ったスプーンのまま、続きのゼリーを口の中にかき込んでいた。
ゼリーが、つやつやした唇の中に消えていく。
ショーンは、やはり、くすくすと笑っていた。
ヴィゴの機嫌がどんどん悪くなっていっているのに気付いているはずなのに、腰を上げようとしなかった。
「なに?ショーンも食べたかった?あと、一口だけ残ってるけど、食べる?」
オーランドは、座ったまま楽しそうに自分を見つめるショーンに向かって、ほんの少しだけ、残ったゼリーをスプーンに載せて差し出した。
信じられないことに、ショーンが口を開けた。
オーランドが、なんの躊躇いもなく、ショーンの口の中へとスプーンを差し込む。
スプーンが短すぎるせいなのだろう。
指の先が、ショーンの唇の中へと消えた。
空になったスプーンを取り返したオーランドは、その部分を舐める。
手の先は、ゼリーの液で濡れていた。
そのせいだとは、わかった。
けれど、ヴィゴの機嫌を更に悪くするには、十分過ぎる行為だった。
「おいしい?」
「まぁまぁ」
オーランドと、ショーンは、ゼリーの味について、話し合っていた。
ヴィゴは、殆ど手をつけていない昼食のトレーを持って、席を離れた。
コーヒーを取りに行くためではない。
無言の抗議というやつが、ショーンに通じればいいと思っての、行動だった。
ヴィゴが、熱い太陽にやかれながら、テントの下へと戻ってみると、ショーンは、背中にイライジャを張り付かせて、2人で凭れかかるようにしあいながら、居眠りをしていた。
イライジャの寝つきがいいのは、有名だったが、ショーンがこんな風に眠り込んでいるのは、珍しかった。
腕を組み、少し前かがみになって、イライジャの方がショーンに多く体重をかけていた。
くっついた背中は、穏やかな呼吸を繰り返していて、しばらく前から、そうやって2人で眠り込んでいたことを示していた。
「ヴィゴ、少し静かにしててやってくれるか?二人とも、すっかり疲れてるみたいだから」
モニターを見ていた監督が、振り返って、小さな声でヴィゴに言った。
「こっちへ。ヴィゴには、ちょっと、この部分について意見が聞きたい」
モニターを指差し、厳しい顔をすると、続けて、ビジネスの話が始まる。
イライジャは、メイクの一部である泥汚れを顔につけたまま、ほんの少し、口を開けたままショーンにもたれかかっていた。
ショーンは、ボロミアの髪が、顔を覆ってしまうほど、顔を下へ向けていた。
暑いのだろ。イライジャの額や、ショーンの項に汗の玉が浮かんでいた。
「こいつら、汗かきながら寝てますよ」
「いいよ。メイクはあとで直せばすむ。2人を離したら起きてしまうだろう?2人のシーンまでは、もう少し、時間があるから、ゆっくりさせといてやってくれ。名前を呼ぶなよ。絶対に起きるからな」
寝つきがよく、寝起きもいい主役を指差し、監督は、優しげな顔をして笑った。
「そんなに疲れてる?」
「暑いからな。ヴィゴだって疲れてるだろう?」
「いや、監督、あんた程じゃないけどな」
ヴィゴは、モニターを止めたまま、待っている監督の横に、並んで立った。
画面上には、自分が走っていく姿が映っている。
走り方について、意見を聞かれた。
どういう解釈のもと、身を低くして走ったのか。
このシーンでその必要があるのか。
フィルムとして使用されるのかどうかわからない細部についても、この作品は、妥協を許されなかった。
アラゴルンとして息をしていないと、即、指摘を受ける。
撮り直しも容赦がない。
ヴィゴは、自分の中に、不必要な意識があったことを認めた。
早くシーンを撮り終えてしまいたいという気持ちが、焦りを身体に表現させた。
ショーンが、撮影が始まっても、ヴィゴの隣に現れなかった。
大抵、2人でたわいもない話をしながら、自分たちのシーンを待つのに、オーランドと仲良く撮影現場に現れたショーンは、そのままホビット達に攫らわれた。
トランプの相手をさせられていた。
ヴィゴが付け込む隙がなかった。
そして、ヴィゴのシーンが始まってしまった。
ヴィゴは、ショーンに、明日の約束が反故になった訳が聞きたかった。
明日、海に行くことをオーランドたちに誘われたのは、ヴィゴも同じだった。
しかし、ヴィゴは、ショーンとの約束を優先させ、丁重に誘いを断った。
特になにをするわけでもないが、週末にどちらかの家で過ごすことは、仕事熱心な2人にとって、楽しい時間の過ごし方だった。
先週は、ショーンに用事が入って、取りやめになった。
今週は、絶対にヴィゴの家に遊びに来るよう、月曜日から、言ってあった。
ショーンは、少し困った顔をして笑っていた。
だが、頷いていた。
木曜日になって、ショーンは、海に行く。と、言い出した。
オーランドたちに、誘われたから、海に行くと。
波に乗るわけでもないのに、ショーンが誘いに乗るのは、珍しかった。
そういえば、夜、電話をかけても、短く切られる。
ヴィゴのシーンは撮り直しに決まった。
次のシーンのため、丘の上で待機していた他の役者が呼び戻される。
「ヴィゴ、もう一回走るの?」
オーランドが草を踏みながら、飛び跳ねるように、ヴィゴに向かって近付いてきた。
そして、ショーンに寄りかかって眠っているイライジャを見つけると、そちらに方向を変える。
誰かが止める間もなかった。
テントの中に入り込むと、フロドの巻き毛をかき上げ、汗をかいている額を拭った。
イライジャは、髪に触られた時点で目を開けていた。
向こう側になにがあるのか、怖くなるような神様の住む空の色の目を開けて、驚いたように、オーランドを見つめていた。
「ショーンの背中はよく眠れた?」
「ああ?ああ。とっても」
「リジ、すごく、汗をかいてる」
「ほんとだ。ショーン、ショーンも、背中凄い汗だよ」
直ぐ側で交わされる会話に、うとうとと眠りから覚めかけているショーンをイライジャが揺さぶった。
イライジャより、余程寝起きの悪いショーンは、煩そうに緑の目をゆっくりと開けていった。
組んでいた腕の上下を入れ替え、もう一度、瞼を閉じそうになっている。
「ねぇって、背中。俺がもたれてたから、凄い汗。衣装に染み出してる。気持ち悪くない?」
「リジ、リジの背中もすっかりシャツが張り付いてる。2人とも着替えた方がよくない?」
オーランドは、イライジャのシャツを背中から引っ張った。
しっとりと濡れたシャツは、2人が余程ぐっすり眠っていたことを証明していた。
そのくせ、イライジャのテンションは、いつもと全く変わりがない。
「あーあ、せっかく寝てたのに」
ゆっくりとテントまで戻ったショーン・アスティンが、オーランドを睨みつけた。
「俺たちは、朝が早いんだから、少しでも眠れる時は、寝かしといてやれよ。触ったりしたら、一発で目を覚ますことなんて、わかってることだろ」
年の離れた兄弟のように、イライジャの面倒を見るアスティンは、撮影でもないのに、目を覚ましてしまった主役の身体を心配していた。
「大丈夫。なんか、すっかり眠り込んでたみたいで、頭がクリアーになった。それより、汗の方が気持ち悪いよ。ねぇ、ショーン。ショーン、起きなって。あんたも凄い汗をかいてる」
イライジャの手が、ショーンの首を撫でた。
ショーンが、寝ぼけてイライジャの手から逃げようとした。
椅子に腰掛けているから、大きく逃げると、椅子から落ちる。
傾いた体を、オーランドが支えた。
ふわりと不安な感じが身体を襲ったのだろう。
ショーンは、慌てたように目を開けて、オーランドの腕のなかにはまり込んでいる自分のことに、不思議そうな顔をした。
「おはよ。煩くしてごめん。でも、すごい汗をかいて寝てたから、起きた方がよくない?衣装まで、汗が染み出てるよ」
ショーンは、何度か瞬きをくり返し、こくこくと頷いたが、オーランドの言葉がわかって頷いているわけではなさそうだった。
未だ意識は眠りにある。
身体全体が、無防備だった。
「かっわいいなぁ。やっぱ、寝起きはこうじゃなきゃね。リジみたいに、まるで起きていたみたいな勢いでペラペラしゃべられちゃ、全然、可愛げない」
「オーリ?」
ショーンが、くぐもった声をだした。寝ぼけているような甘ったるさだった。
「悪かったな。ショーンと2人で、まるで天使のように眠り込んでたというのに、起こすやつがいたから悪魔が目覚めちゃうんだよ」
ショーンは、イライジャと、オーランドに挟み込まれて、弄り回され、首を傾げながら、徐々に目を覚ましていった。
頭がはっきりとしてくると、とりあえず、ショーンは、この暑さの中、オーランドの腕の中にだけはいたくなかった。
「オーリ、リジ。ちょっと、離れてくれ。暑い…」
目が覚めてしまえば、急に現実的になる緑の目の俳優に、オーランドとイライジャは、肩を竦めて、少し身体を離した。
「よく寝た。リジの背もたれになってるだけのつもりだったのに、いつのまにか眠ってしまった」
ショーンは、頭を回して、首のこりを解していた。
「疲れてる?明日、海、行けそう?」
すっかり波に乗るのが楽しくなっている、イライジャは、心配そうな目をして、ショーンの顔を覗き込んだ。
ショーンの上着を引っ張り、開いた胸元から、風を送るように、パタパタと手を動かした。
ショーンが、ふわりと優しく笑う。
「大丈夫。俺は、お前らが無茶しないように、監督してるだけのつもりだし、浜辺でゆっくり寝させてもらうから」
「えー?ショーンは、やらないつもりなの?すっごい面白いのに!」
オーランドが大きな声を出した。
「しても、水遊びくらいだな。浜辺にはビールを飲みに行くつもりだ」
そんな風じゃ、だめなのか?と、ショーンの表情が困っていた。
オーランドが派手にブーイングを始める。
ヴィゴは監督にせかされ、撮影場所に向かって走り出した。
テントでは、ショーンと、イライジャが、着替えのためにヴィゴとは反対方向へと歩き出した。
ヴィゴは、汗に濡れた背中に向かって、自分との約束を破ってまで、海でビールを飲まなければならない訳が聞きたかった。
南都華様が、20000を踏んでくださったリクもの。
藻豆です。
短く纏めることができそうになく、続き物に、決定。(笑)
申し訳ないです。
しばらくお付き合いください。