道の途中 4
週末は、とても天気が良かった。
このところ雨の降る日がなく、道端に生えている草木は、多少元気がなかった。
だから、もしかしたら、雨が降ったほうが、いい天気だと、言えたかもしれない。
人間も、連日の暑さに多少疲れてきていた。
庭で水浴びする子供の側で、休日の父親がぐったりとチェアーに座り込んでいた。
オーランドは、ドアベルを鳴らし、うきうきとドアが開かれるのを待った。
茹だりそうな暑さの中、この家から半径50メートルで、こんなにも楽しそうなのは、子供のほかにはオーランドくらいだろう。
ドアは、待たされることなく開かれた。
顔を出す、恋人。
いつもとおりのTシャツに、ジーパン。おまけに、Tシャツの首が伸びている。
比べてオーランドは、ホテルのロビーでお茶が飲めるほどおしゃれに決めていた。
「早かったな」
「迷惑だった?」
「別に」
ショーンは、オーランドの格好にすこし目を大きくしたものの、ドアを大きく開けると、中へ入るよう促した。
今までにも、遊びに来たことがある小さな。レンタルハウス。
撮影現場から遠いホテル住まいに疲れたショーンが要求した物件だ。
ホテルの契約もそのままなので、寝に帰るためだけだと、本当にこじんまりしている。
オーランドは、先に立とうとするショーンに、花束を差し出した。
「…?」
ショーンは、眉の間に縦皺を寄せて、奇妙なものでも見るように、バラの花束とオーランドの顔を見比べだ。
「俺に…か?」
頷いたオーランドを、ショーンは、鼻で笑う。
「花束?」
「どうして?嫌だった?」
「よく考えてみろ。どうして俺の家に、花瓶があると思うんだ」
ショーンは、オーランドから花束を受け取ったものの、キッチンのテーブルに放り出した。
素っ気ない態度に、オーランドは、ショーンの機嫌を損ねてしまったか、と、慌てた。
「ごめん。俺が買いたかったから」
「マニュアルにあるデートなら、俺も死ぬほどしたぞ。花束だけじゃなく、どうせなら、チョコレートの箱もプレゼントしろよ」
ショーンは、大きくあくびをして、ソファーに座り込んだ。
オーランドは、デートというには程遠いショーンの態度に、頬を膨らませた。
ショーンは、客をもてなそうという態度でもなく、これでは、べろべろに飲んで、仲間たちと転がり込んだ時と変わらない。
「花束。スイート。それから?俺の歓心を買うために、オーリは、何をプレゼントしてくれるんだ?」
「もう!何でそんなに気の抜けた態度なんだよ。今日はずっと約束してた週末なんだよ。俺なんか、どきどきして眠れなかった位なのに!」
オーランドは、腕を組んでショーンを見下ろした。
ショーンは、子供のわがままを許すような顔で、ソファーの上で腕を広げた。おいでと呼びかける声の優しさに、オーランドは、飛び込むように腕の中へと身を躍らせた。
「ショーン!やっと、ショーンと二人きりだ」
オーランドは、ショーンの太腿に乗り上げ、背中を抱き締めると、顔じゅうにキスを降らせた。
ショーンは、笑いながらキスを受け止めた。
「オーリ、暑いから程ほどでやめてくれな」
「また、そういう冷めたことを」
「だって、本当に暑いだろ?この部屋はクーラーが付けてないから、抱き合ってなんかいたら、二人とも汗まみれだ」
ショーンは、もう、額に汗を滲ませていた。
「今まで何処にいたの?」
「寝室だよ。あそこだけは、クーラーを付けたんだ」
「寝室?」
「そう、行きたい?まだ、ちょっと早いんじゃないかと思うけど?」
ショーンは、人の悪い顔をしてオーランドの目をのぞきこんだ。
挑発している。
オーランドは、恋人の歓心を買って、そこへの通行許可書を貰うため、持ってきたプレゼントを残らずソファーにぶちまけた。
「雑誌。本。酒。煙草。どうかな?気に入ってくれたのがあった?」
ショーンは、口笛を吹き、まずは、本を手に取った。
「これ、俺も買っておいてやったよ」
そこにあるのか、キッチンのテーブルに積まれた書類の山を見、それから、オーランドをにやにやと笑った。
アリスの絵本だ。
散々馬鹿にされたから、ショーンのためにサッカーの雑誌を買うため、寄った本屋で買ってみた。
やはり一番に反応した。楽しい時間が持てるのなら、笑われることぐらい些細なことだ。
「後で、読んでやろうか?ハンプティ・ダンプティがいないことがよっくわかるように」
本を開いて仕掛けを試すショーンが、わざとらしく、お茶会のシーンのページを開いた。
立体的になる仕掛けのある絵本は、おかしな帽子を被ったウサギがカップをアリスに差し出している。
ショーンは、その腕を動かし、「どうぞ」と、言った。
そういえば、お茶の一杯だって、用意してもらっていない。
あまりにリラックスしたショーンの態度に、オーランドは、顔がにやけるのを感じた。
「ショーンが買ったのは、ヴィゴにプレゼントしなよ。最高の悪戯をしてくれたいい記念だ」
鬘を見つけた翌日のヴィゴは、悪戯で最悪の籤を引いたオーランドを、いかにも小馬鹿にしたような態度を取っていたが、それは、見せ掛けに過ぎなかった。
この週末までの間、ごめんなという一言は聞けずじまいだったが、さり気なくフォローされ続けてきたのが、オーランドには良くわかる。
撮影でオーランドが空回りし始めると、ヴィゴはさり気なく助言を与えてくれていた。
いつものことではあるが、いつもより、より細かく、わかりやすく。
あまりの特別扱いに、何か裏があるんじゃないかと思ったくらいだった。
「アリスちゃん、お茶くらいいれてくれないかな?」
全てのページの仕掛けで遊んでいるショーンの頬にキスをして、オーランドは、ショーンの膝から降りた。ショーンの首筋にもだが、オーランドも汗をかき始めていた。
「ねぇ、本当に、暑いんだけど」
ショーンは、ソファーから立ち上がると、奥の部屋を顎で示した。
「プレゼントを全部持って、あっちの部屋へ入っていてくれ。お茶じゃなくて、ビールでいいか?」
「…いいけど…いいの?」
小さなこの家は、リビング兼ダイニングであるこのスペースを除くと、あとはベットルームしかない。
オーランドは、躊躇いがちにショーンをうかがった。
ショーンは、平然と笑っている。
「どうぞ。お客様を招くような部屋じゃないけどな、恋人なら平気だろ」
どこまで本気なのか、ショーンは、キッチンの中へ入り、冷蔵庫からビールを取り出し始めた。
オーランドは、しばらく迷ったが、ソファーに広がったプレゼントをかき集め、ショーンが示したドアの前に立った。
酔っ払ってここになだれ込んだ時も、この中へは入れてもらえなかった。
どきどきした。
完全なプライベートスペースへの侵入をショーンは、許している。
オーランドは、そっとドアを開けた。
ベッドと書き物机、テレビ、それから、クローゼット。
部屋の中は散らかっている。
雑誌が何冊も床に転がっていたし、脱ぎ散らかした洋服も山になっていた。
ビールの缶が、ベッドの足元に数缶。
枕もとには、灰皿。勿論、吸殻が入っている。
くしゃくしゃになったシーツのなかに、見慣れたスクリプトのコピーが何枚か埋もれていた。
いかにもプライベートスペースだ。
こんなでは、そう簡単に人を入れることもできない。
「あんまり汚いから、怖気付いたか?」
オーランドの真後ろに立ったショーンが、冷たいビールの缶をオーランドの首筋に押し付けた。
オーランドがビックリして身をかがめると、大笑いして自分の分の缶を開けた。
オーランドは、冷たくなった首筋を手で庇いながら、ショーンの悪戯に顔を顰めた。
「ここなら、まだ涼しいだろ?」
ショーンは、全く気にせず、自分だけベッドに腰掛けた。
オーランドがどきまぎしていることなど、意に介していないようだ。
ビールを傾けるショーンを見下ろし、オーランドは唇を尖らした。
「ショーン、いつ掃除したのさ」
「いつかな?ここんとこ忙しかったし、掃除しにきてくれる恋人もいないし?」
オーランドは、自分の胸を指差し、俺?と、首をかしげた。
ショーンが頷く。
「俺が、ショーンの部屋の掃除をするの?」
「得意か?」
「まさか!」
オーランドは、真剣に首を振った。
「俺の部屋だって同じ。ここより酷い有様かもしんない」
「なら、問題ないな」
問題は解決したとばかりに、ショーンは、足で雑誌を押しのけた。
すばらしく大雑把な様子に、オーランドは多少呆れた。
撮影所では、ショーンは、かなりきちんとしている方だ。
渡された資料を無くすことはないし、持ち物だって整理してある。
ショーンは、オーランドを手招き、ビールの缶を手渡した。
隣に腰掛けるよう促す。
「いいの?」
「ここ以外のどこに腰掛けるって?」
オーランドは、小さな書き物机を見た。
「あんなところに座る気か?」
ショーンは、珍しいものでもみたような顔をした。
「ここでは、嫌か?」
ショーンは、オーランドのために、シーツの皺を伸ばした。
もっとも、オーランドが腰掛けるための最小限の部分だけだが。
「ショーンが良いって言ってくれるなら、喜んで」
オーランドは、弾むようにショーンの隣に腰掛けた。
そのおかげで、ビールがシーツに零れた。
「土産をみせろよ」
ショーンは、オーランドの持っていた雑誌に手を伸ばした。
「土産じゃなくて、プレゼント」
「はいはい。じゃ、プレゼントをみせてくれ」
オーランドは、ショーンのために用意したサッカーの雑誌を彼に手渡した。
ショーンは、表紙を見て、嬉しそうに頷く。
「すごいな。発売日より一日はやい」
「まだ、買ってないでしょ?小さな書店だったんだけど、そこなら一日早く手に入るって聞いたんだ」
「すごいな」
ショーンは、返事を返したが、オーランドの話を聞いておらず、雑誌をめくって目を落していた。
すごいのも、オーランドではなく、サッカーの選手のことだ。
時々、頷くようにしながら、次々とページをめくっていく。
「すごいな」
まただ。嬉しそうな顔をして、記事に読み入っている。
オーランドは、渡されたビールを飲んで、ショーンの気が済むのを待った。
この雑誌を渡したら、こうなることは予想済みだった。
でも、ケーキよりなにより、喜ぶだろうこともわかりきっていたから、プレゼントのリストから外せなかった。紙をめくる音が続く。
やっと、ショーンが顔を上げた。
「こんな素敵なプレゼントがもらえるなんて、前払いした甲斐があったな」
ショーンは、この一週間、ホビットやスタッフを掻き分け、ショーンに付きまといつづけたオーランドに、仕方のなさそうな顔をして、キスだけは許してくれていた。
それか、前払いだといいたいのだろう。
オーランドは、小さく咳払いした。
焦りすぎていたことは認めている。
でも、思いもかけず好意を受け入れてもらえたのだ。舞い上がらない方がおかしい。
ショーンは、もう一度雑誌に目を戻しかけ、オーランドがつまらなそうにしていることに気付いたようだった。
オーランドの持つ、もう一冊の本を取り上げる。
「読んでやるって約束だもんな」
わざわざ、オーランドの膝の上で、アリスの絵本を広げた。
最初のページは、アリスがウサギを追って、穴の中に落ちるシーンだ。
ショーンは、子供にでも聞かせるように、はっきりとした穏やかな声で、アリスの絵本を読み始めた。
セリフの部分は、裏声まで使う。
「木の下にテーブルがセットされた。そして…」
問題のマッド・ティパーティの部分をくすくす笑いながら読む。
「どう?オーリ、チャシャ猫は、木の上にいただけで、お茶会には参加しなかっただろ?」
オーランドは、読みつづけようとするショーンから、本を取り上げた。
「もういいよ。わかった。ショーンが意地悪だってことがよくわかった」
ショーンは、本をわざわざ取り返そうとはしなかった。
仕掛けでは充分遊んだようだし、もう、オーランドを苛めるのにも満足しているのだろう。
ショーンは、いかにも心外だという顔でオーランドに笑いかけた。
「嫌いになったか?」
このセリフをさらりと言うところが、にくらいしいのだ。
「雑誌の方が気になるんだろ?気が済むまで読んで良いよ」
オーランドは、ショーンに太刀打ちできない自分を諦めながら、アリスの本を書き物机の上に置いた。
ショーンは、だらしなくも、ベッドに腹ばいになり、雑誌をめくり始めた。
「油断しすぎなんじゃない?」
オーランドは、手持ち無沙汰もあって、ショーンの背中に仰向けに倒れこんだ。
「重っ!」
オーランドに押しつぶされて、ショーンが小さくうめく。
クーラーの利いた部屋は涼しかったが、ジャケットまで着たオーランドの服は、こんなベッドに横たわっているのに、全くふさわしくなかった。
「ねぇ、上着を脱いでもいいかなぁ」
ショーンは、雑誌をめくりつつ、勝手にどうぞとクローゼットを指差した。
オーランドは、スーツか、そうでなければ、本当にカジュアルな服しか掛かっていないクローゼットを開け、ハンガーに自分の服をかけた。
「ねぇ、タンクトップになってもいい?」
ジャケットを脱いでも、まだ、首の伸びたTシャツなどという、ラフすぎる格好のショーンとつりあいが取れず、オーランドは、一応お伺いを立てた。
記事に夢中のショーンは、うんうんと、聞いていないことが丸わかりの返事を返している。
オーランドは、勝手にさせてもらうことにして、ドレスシャツを脱いだ。
これで、皮のパンツと、タンクトップだ。まぁ、この部屋に似合う格好になったといえなくもない。
オーランドは、ショーンの寝転ぶベッドに戻り、隣に同じように寝転んだ。
ショーンは、オーランドの顔を見ることもなしに、雑誌の文字を追っている。
恋人候補がこんなに近くにいるというのに、警戒心という言葉すら知らないようだ。
「真剣だね」
「悪いな」
誠実な言葉ってのは、時にむなしいものだ。
仕方なしに、オーランドは、名前もわからないサッカー選手の写真を眺めた。
「ねぇ、ショーン、サッカーの起源って知ってる?」
「動物の膀胱を使っていたって奴か?」
「違う。戦で大将の首を取って、それをボール代わりにしたのが最初って奴」
「…おかしなことを知ってるな」
「この間、テレビで見たんだよ」
「ふーん」
ショーンの意識が素早く雑誌に戻った。
切り替えの早さは、ショーンの特技の一つだ。でも、こんな時に披露されるのはちょっと淋しい。
「ねぇ、ショーン。あと、どのくらいかかる?」
オーランドは、ごろりと転がり、また、ショーンの背中に頭を乗せた。
「あと?うん。この記事だけ…」
ショーンはやっと雑誌から顔を上げた。
「つまらないか?」
「ショーンが構ってくれないからね」
「構うって?」
「お話したり、キスしたり」
ショーンは、肩越しに振り返り、オーランドを見て驚いた顔をした。
「お前?いつの間にそんな格好になったんだ?」
「ちゃんと許可を貰ったよ?」
「そう…か。悪かった。夢中になりすぎてたな」
「今日は、溜まったつけを払ってくれるんでしょ?」
オーランドは、ショーンの隣に身を横たえた。
ショーンは、笑いながら、オーランドの髪を撫でた。
「前払いした分は、差し引いてもいいか?」
額から黒髪を払うと、そこにキスをした。
「そんなけちなことを言わないでよ」
オーランドはショーンの首に腕を回して、顔を寄せた。
笑っている唇に、息を吹きかける。
「キスしてよ」
ショーンは、唇を軽く開いて顔を重ねた。
今までで、一番情熱的なキスだ。
面倒くさそうでもなく、義務的でもない。
「ちゃんとできるんじゃん」
オーランドのセリフに、ショーンは、眉を寄せた。
オーランドは、出来た皺に舌を這わせた。
「出し惜しみばっかりするからさ、ショーンは、キスが下手なのかと思ってた」
「このガキが」
ショーンは、オーランドの唇を摘んで口を閉じさせた。
「大体、週末まで待てと言っただろ?それを、もの欲しそうな顔して、人の周りをうろうろしやがって」
「だって、本当に欲しいんだもん!」
長い指の拘束から逃げ出して、オーランドは、文句を言った。
「キスだけなんて、どんなにせつなかったか」
「無理だろうが。10時に撮影所から上がって、翌朝は、5時入りだぞ?そんなんで、どうしようってんだ」
「同伴出勤すればいいだろ?」
「…したくねぇ…新婚か?俺たちは」
ショーンは、頭を抱え込んで、ベッドの中に蹲った。
顔を上げようとしないショーンにオーランドは覆い被さった。髪の匂いをかぐ。
こういう部分の清潔好きは、裏表がないようだ。シャンプーのいい匂いがした。
「恥かしいの…かな?」
「当たり前だろ。そういうことをやりたがるお前のことが恥かしい」
「えー?」
オーランドは、ショーンの肩を揺さぶった。
「できたての恋人だよ。当然じゃん。仲良く手を繋いで出勤しようよ」
「…お前の当然は、頭が痛くなる」
ショーンは、額に思いっきり皺を寄せて、顔を上げた。
「なぁ、ルールを決めないか?人に気付かれるようなことはしないとか、相手の嫌がることはしないとか」
「浮気しないとか?」
「…それは、俺に対するあてつけか?」
「うん。しそうなんだもん。ショーンって」
ショーンは、もう一度、シーツに倒れこんだ。
「よくそれで、俺のことが好きになったな」
くぐもった声が、シーツの中から聞こえる。
「ほんとうにね。なんでこんなに好きになっちゃったかな?」
オーランドは、伸ばされたままのショーンの手を取り、指の一本、一本を口に含んだ。
ショーンの指が、オーランドの口の中で動き回る。
舐められるだけでは、足りないのか、自分から、オーランドの上顎を撫で、歯の裏を擽っていく。
「してみてもいいって思ってくれてる?」
「なに?セックス?」
「そう。それは、もうダメってラインよりこっち?それとも越えちゃってるのかな?」
「お前にとっては?」
「全然こっち側」
「俺にとっても、こっち側だよ」
ショーンは、オーランドの頭を抱き寄せ、舌を使って、指よりももっと気持ちのいい愛撫を施した。