ブラ豆劇場 ─10─
イタケ兵たちと、にこにこと談笑していたショーンは、カットの声がかかると、表情が変わった。
それでも、まだ、その場所に留まっている間は、口元に笑いを残していたが、モニターを確認していた監督からオーケーの声が掛かり、わずかながら、セットの変更が始まると、本当に表情が消えてしまった。
次の撮りには参加しないショーンは、現場から離れた。
俯き加減に歩いてくるショーンの顔は、不機嫌だと言っていい。
「どうした?チームが負けたのか?」
ブラッドは、重たく椅子に腰掛けるショーンに声をかけた。
「…ちがう」
ショーンは、ブラッドの顔を見ないままに短く答えた。
手で目の上を覆った。
珍しいショーンの態度に、ブラッドは眉を寄せた。
「じゃぁ、なんで、そんなに不機嫌な顔をしてるんだ?」
ショーンは目の上の覆いを取らない。
「…疲れてるんだ」
ショーンは、口の中で呟くように言葉を発した。
疲れているというのは、便利な言葉だ。
それ以上、相手に詮索のチャンスを与えず、おまけに口も閉じさせる。
ブラッドは、ショーンが相当不機嫌だということを理解した。
「そうか」
ブラッドは、小さく肩を竦めた。
ショーンの拒絶を感じ取った。
仕方なく、ブラッドは、誰も呼びに来ていないというのに、現場に向かって歩き出した。
「なぁ、ブラッド」
自分のシーンが近づいたショーンが、現場に入っていた。
同じ画面に映り込むブラッドに近づいてきた。
だが、ブラッドは、これからのシーンを思って、かなり精神を集中させていた。
今は、誰とも話をしたくなかった。
「なぁ、おい、無視するな。おいってば、ブラッド」
次の撮りは、天幕をくぐってアキレスが顔を出すといういシーンだった。
とりわけ難しい動作は要求されていない。
だが、監督から、「印象的に」という注文がなされていた。
つまり、アキレスが顔を出したということで、そこに座る諸国の王、全員を振り返らせなければならなかった。
ただ、天幕をくぐるわけにはいかない。
ブラッドの頭の中には、まず、右から撮って来る予定になっていたカメラの位置があった。
「おい、ブラッド」
「なんだ。ショーン」
ブラッドは、剣呑な目でショーンを睨みつけた。
これから、何回、アキレスとして、天幕をくぐるのかわからないが、とにかくそこにいるのは、アキレスでなければならなかった。
簡単な日常の動作そのもので、その人だと思わせるのが、一番難しい。
このシーン、ブラッドにセリフはなかったが、かなりな長台詞で話し合いを行っている他の王たちから、カメラがブラッドまで流れる予定だった。
「今度は、ブラッドの機嫌が悪いのか?」
ショーンは、さっきの自分の態度を反省しているのか、機嫌を伺うような目でブラッドを見た。
謝ろうとしているのかもしれない。
たしかにあれは、八つ当たりと言ってもいい態度だった。
意識がショーンへと逸れそうになり、ブラッドは、自分を立て直した。
「迷惑だ。ショーン」
かわいそうだと思わないわけではなかったが、ブラッドは、きっぱりと言った。
「用なら、後にしてくれ。もうすぐ、カメラが回る。あんたも自分の場所に座っていろ」
ショーンは、親指と、曲げた人差し指で、唇を摘むような動作をして、すこし躊躇った後、ブラッドから離れた。
肩が落ちていた。
言い過ぎたかと、ブラッドは思った。
だが、その後の演技に全く影響のないところが、ショーンの凄いところだ。
「で、結局、何に怒ってたんだ」
思ったより、簡単に撮影が終らず、もう、ショーンと話したのなど、半日も前になった頃、ブラッドは、やっとショーンの隣に立っていた。
ショーンは、一気に口を開けっぴろげにする笑いで、ブラッドを迎え入れた。
緑の目が、面白そうにブラッドを睨みつける。
「ほんと、撮影中のブラッドは恐いな」
「邪魔するショーンが悪い。仕方がないんだ。俺はショーンほど切り替えが上手くない」
ブラッドは、苦笑を浮かべた。
「そうか?でも、ブラッドは大スターだ」
ショーンは、にやりと笑ってブラッドをからかう。
ブラッドは、口元に笑いを浮かべたまま、眉を上げて聞いた。
「その大スターに八つ当たりしてたのは誰だ?」
「身体の調子が悪かったんだ」
ショーンは、口を曲げて、ブラッドを睨んだ。
「飲みすぎか?」
「違う。本当に疲れてた。ブラッドが気を利かせて、ひとりにしてくれたおかげで、すこし眠れて、元気になった」
「そりゃ、よかった」
ブラッドは、嘘だとわかるショーンの言い分を受け入れた。
ショーンが纏っていた空気はそういう類のものではなかった。
もっと攻撃的だった。
だが、もともと、ブラッドは、何故、ショーンが不機嫌だったのか、問いただすつもりはなかった。
ショーンが何かを求めるのならば、できる努力を放棄するつもりはなかったが、だが、ブラッドは、それだけしかしないつもりだった。
お互いいい大人なのだ。
「…ありがとうな」
ショーンは、顔をくしゃくしゃにして、ブラッドに笑いかけた。
ブラッドは、その顔の威力にため息が出そうだった。
もう、随分前になるのかもしれないが、ブラッドの中の時間では、つい先ほど、冷たい拒絶顔を見せられたばかりだった。
「…べつに」
精一杯の気力で、短い返答を返したブラッドを、ショーンが叱った。
「ブラッド。そういうときは、別に大したことはしてない。とか、なんとか、言うんだ。別にだけじゃ。何を言いたいのかわからない」
緑の目が、にこやかにブラッドを見ていた。
「はい。はい。ショーン。わかった。それより、ショーン。本当に二日酔いじゃないなら、今晩も飲みにいくか?」
クールでいたかったが、結局のところ、ブラッドは、ショーンと一緒にいるための努力を放棄できずにいた。
「お前、俺のこと太らす気だろう」
ショーンは、笑ったままだった。
「…大丈夫だろう?周りにすごいのばっかり揃ってるんだ。ショーンなんて細い細い」
ブラッドは、上から下まで、何度もショーンを眺め、にやりと笑った。
腹の辺りを手で隠そうとしたショーンは、悔しそうな顔をして、ブラッドを睨んだ。
「ジムにも一緒に行くっていうんなら、付き合ってもいい」
「…ほう、付き合ってもいいねぇ…」
「付き合って欲しいなら、付き合って欲しいと言え、ブラッド」
「わかった。これから、ちゃんとジムに付き合ってやるから、その後は、俺のために上手いビールを飲みに行こう」
ショーンが大変機嫌のいい顔で頷いた。
それは、とてもブラッドを満足させた。
END