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Who is Mumia Abu-Jamal?

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ムミア・アブ・ジャマルは誰?

ムミア・アブ・ジャマルは、1981年に白人警察官殺しの容疑で、死刑宣告をされている黒人運動家。しかしながら、その死刑宣告は非常に疑わしいものがある。
ムミアは1954年4月24日にアメリカ東部の街のフィラデルフィアに生まれる。
若い頃から人種差別反対運動に参加し、15歳でブラック・パンサー(黒人の政治的、社会的平等を求める政治団体の一つ。)に入党。その後、ラジオの仕事などを通して反政府的な言動を起こしていた。
その内容は、人種に関わらず、平等に教育を受け、就職できる権利であるといった日本では当たり前のことなどである。
彼の活躍は、"Voice of the voiceless"「声なき人達の代弁者」として支持を集め、彼が事件に巻き込まれた当時には、フィラデルフィア黒人ジャーナリスト協会の会長をも務めていた。
14歳でGeorge Wallaceの大統領選挙キャンペーンに抗議をして投獄されたのを始めとして、彼のジャーナリズム運動の中で、警察や州知事を辛辣に批判、彼はしだいに要注意人物として当局にマークされることになる。
彼の仕事先であったラジオ局は、ムミアの言動に対し、ついに解雇を宣告。彼は家族を養うため、タクシードライバーなども勤めている。

ムミア事件

1981年の事件についてはムミア事件を参照してください。

現在のムミア

現在彼は、18年もの間刑務所の死刑囚監房に拘禁されたままである。
しかし、彼は監房での生活の中で40を越える欧米の新聞社に評論を掲載し、「Live from Death Row」という本を95年に発表。
彼をサポートしようという団体や有名人も多く、その中の一つが彼のためにコンサートを開いた、Rage Against The Machineだ。
ムミアは再審請求をしているが、2001年12月18日にペンシルベニア東地区連邦地方裁判所が再審請求を却下。しかし同時に審議過程に疑問が残るとして、量刑を見直す陪審員審判を開くように検察に命じ、もし審判を開かない場合は、死刑を終身刑に減刑するように命じている。


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