SHOW DON'T TELL
正確には、“Show、Don't tell”つまり、言葉で言うのでなく、態度で見せてくれということでしょう。
裁判用語が多いのですが、本当の裁判でなく、日常誰かに裁かれる場面を、比喩にしているのだと思います。
わたしにはなんとなく、死後の審判とか最後の審判と言うような、へヴィーなものをちょっと連想してしまいますが、たぶんそこまで深刻ではないでしょう。
人との信頼とか信用の判定は裁判のようなもので、そこでは言ったことより行ったことのほうが重要だ、と言う感じでしょうか。
THE CAMERA EYEという、RUSHのウェブ・マガジンの記事のよると、この曲は「神がいると言う証明を見せてくれ、聖書や教会で語
るのではなく」と言う意味にも、読み取れるそうです。
CHAIN LIGHTNING
この曲に関しては、RUSH FAQで、Neil自身が解説していました。sun dogとは、「幻日」という、日没の太陽のそばに小さな虹色の光点が現われる、美しい自然現象なのだそうです。冬の晴れた空に出ることがあるらしいですが、日本ではあまり聞いたことがありません。緯度の高い地方のほうが、出やすいのかもしれませんね。
夜の湖で、Selenaさんと一緒に流星雨を見たことも、反映されているらしいです。でも、この曲の主題そのものは感情の伝達とか、流行、ファッションの伝わり方、のような感じを受けました。
“another pair of eye”──湖で夜、流星雨を共に見たSerenaさんを思うと、この曲には別の切なさが伴います。
Web上でこのsun dogの写真を見つけました。(出典は、Counterpartsだったかな。。)まさにsun dogs fire on the horizonというイメージです。
Sun dog
THE PASS
この曲もFAQに解説がのっていました。Mystic Rhythmsにも記述がありましたが、テーマは「自殺について」です。Neilは自殺について、非常に気にかけていたけれど、それを曲にする際には、「人生そんなに捨てたもんじゃないよ」というような、いかにもありそうな台詞や陳腐な言いまわしや安易な激励は避けたかった。自殺は崇高な行為ではない、ということを言いたかった、というようなことを言って
いました。
自殺については、文化的宗教的な背景が国によって違いますから一概には言えませんが、一般的に言って、キリスト教ではタブーです。神から与えられた命を勝手に断つことは、許しがたい罪だとの考え方があります。でも東洋的な考えでは、さほどタブーではなく、お釈迦様にしても飢えた虎の子を養うために自らの身を投じたり、(これも広い意味では自殺ではないかと思う)日本では切腹は名誉ある
こと、というか、生き恥をさらすより腹を切って死を選んだ方が潔い、という考え方が昔は一般的で、戦争中の特攻隊なども自らの命を投げ出して敵艦に飛びこんだりしていた(これも広い意味では自殺だと思う)わけで、それこそNeilの嫌う「死を選ぶことは崇高な行為だ」というような考え方があったりするわけです。
今は、そういうサムライ的な価値観で命を断つ人はそう多くないでしょうが、生きる気力をなくして、絶望にかられて、目的を失って、「こんな現実からおさらばしたい」という、逃避的な理由で死を選ぶ人は、あいも変わらず多いような気がします。生きることはつらいことも付きまとう。それくらいなら、いっそ──なのですが、それは結局悲劇でしかないわけです。
「闇に迷う時も、夢見るものたちは星を頼りに舵を取る。溝(どん底)に嵌りこんでしまった時、夢見るものたちは通りすぎる車を見る(新しいチャンスを探す)」──だから、戻って来い──断崖の淵から。やや間接的ではありますが、そんな明確なメッセージを感じます。
この曲について、興味深い投稿を見つけたので、再考察してみました。(2005年1月27日up)
Analyzing "The Pass"
WAR PAINT
タイトルはインディアンの「戦いの化粧」ですね。戦士たちがいくさの前に、
気持ちを鼓舞させるために顔に模様を描く。現代女性たちの化粧も、男性たちのおしゃれも、
『戦化粧』なのでしょうか。彼らは鏡の前で、そのでき映えを点検し、満足するのでしょうか。「鏡はいつも嘘をつく」つまり、現実を見ないで、幻想のみを膨らませる、と言うことかもしれません。
でも、戦い化粧で染め上げて、いったい何を戦うのでしょうか。
※「ガレージの中のChager」の「Chager」は、車の名前でした。シボレー・チャージャーというアメリカ車だそうです。(ALEXさん、情報ありがとうございました)
SCARS
悲しみだけでなく、歓びも感情に傷跡を残す、と言うのは最初意外な感じを受けましたが、
歓びの記憶というのも、思い出すと切なさと痛みを伴ったりすること、あります。Sweet painでしょうか。
その時に感じた思いは記憶の中に傷として刻まれ、何かの拍子に生々しく思い出す、そんな感覚かもしれません。これも、Neilが様々な土地を旅し、いろいろな経験をして、感じた思いなのでしょう。
セレンゲティは、ケニアにある広大な国立公園で、多くの野生動物たちが生息しています。また、アフリカには多くの飢えた人々がいますし、ずっと一貫して流れるアフリカン・ビートとともに、異国の地を思い起こさせます。それだけが主題のすべてではないとは、思いますが。
PRESTO
タイトルは音楽用語で「速く」。手品の掛け声にも、“Hey、Presto pass”と言うのがあるそうですが、結局どう言う意味なのでしょう。詞の中に、この単語は出てきません。
HossyさんのHPにこの曲の訳がのっていましたが、「恋人と喧嘩をしてしまった男が後悔している」というイメージは、「まさに!」という感じでした。
「光より熱気を強く発散している」ということは、「理性より感情に流されやすい」ととることが
できますし、「水の中の夢」というのも、ユング心理学の分析でいくと、水は無意識(から湧き上がってくる感情)の象徴ですから、「感情の海に圧倒されている」というイメージになります。(自分の手にあまることを始めてしまった、というイメージにも取れますが)うーん、なるほど。一晩で気が変わるのも、カッカしやすいのも、感情が勝ちすぎているから、(だから恋人ともけんかするわけだし)
せっかちに生き過ぎているから、というわけなのでしょうか。だから、Presto!と。逆説的に言えば、もう少しゆったりしたい、という感じなのかもしれません。
「もし魔法の杖を一振りできたら‥‥‥‥」みなさんは、何を望みますか? 私だったらやっぱり、
"I would make everybody alright" ── 両方のフレーズをくっつけたみたいですけど。もちろん、自分も含めて、です。
SUPERCONDUCTOR
芸能界、エンターテイメントの世界を的確に、多少皮肉を込めて描写したものでしょう。
芸能人は観客やファンを操るスーパーコンダクターですが、実のところ本当のスーパーコンダクターは誰なのでしょうか。彼ら彼女ら自身も、スーパーコンダクターに操られているだけの存在なのかもしれません。
(ちなみに、「僕らは違う」か、「僕らもある程度は、そうなのかもしれない」か、どちらでしょう‥‥そんなことも思いました)
ANAGRAM (FOR MONGO)
この曲を英単語と並列させて訳したのには、わけがあります。ご存知の方も多いでしょうが、
この曲のタイトルは「アナグラム」──つまり、つづりかえ遊びです。
歌詞の中で、本当の意味でのアナグラムは、"night"と"thing"、"Rome"と"more"、"miracles"と"claimers"くらいですが、
結局歌詞全体が、言葉遊びです。それぞれのセンテンスで、表記した一番長い単語の中に、それぞれ別の単語のスペルが
含まれています。"darkness"のスペルの中に"snake"が含まれているように。(それゆえ歌詞も、「darknessからsnakeが現われる」と、
なっているのです。読んだまんまの意味ですね)
個人的に笑ったのが、"image"は、eyelessつまりI-less game (imageのiを取り去って並べ替えると、gameになる)と、
「彼と彼女が家にいる〜」というくだり。たしかにhouseの綴りからheやsheを取り出せるけれど、homeの中にはmeしかないですから。
(あれ、でも、"he"はある・・)
でも、歌詞自体の意味はあるのでしょうか。なんだか、なさそうでありそうで、一見ものすごく抽象的で難解な感じが
してしまうのですが。 ウェブ・マガジン「THE CAMERA EYE」のジョークページに、この曲の歌詞がサタニズムに通じると誤解される話がのっていましたが、
まあ、たしかに「蛇が暗闇から現われる」だの、「エデンはもう必要ない」、「獣に最上の一撃を」、「聖者は罪に落ちる」なんて表現は、
誤解を招くと言えば招くかも。向こうでは、あくまで一部の人たちの間でですが、ロックをサタニズムと結びつけやすい傾向があるので、
一般的に見れば、「考えすぎ」になるのでしょう。RUSHはRule Under Satan's Handの頭文字を取った、なんてデマも聞いたことがあります。
Stryperみたいなクリスチャン・バンドではないにせよ、あまり宗教心は感じないにせよ、私には、彼らは悪魔主義とは最も遠いバンドのような気がするのですが。
RED TIDE
前の曲は遊びですが、これはシリアスです。この曲もRUSH FAQ、Mystic Rhythmsともに解説がありました。
環境破壊とエイズがテーマになっています。エイズはこのアルバムが出て1、2年後に著名人たちの感染が次々と表面化し、大きな波紋を
広げますが、(QUEENのFreddie Mercuryが亡くなったのも、この頃でした)エイズも環境破壊と連動して、新しい文明病のような印象だったのでしょうか。
地球温暖化、オゾンホール、酸性雨、森林伐採と、様々な問題が深刻化してきた頃でした。(今はもっと、でしょう)自然を破壊し、地球をこれだけ荒廃させたのは私たちの文明だ。今なら間に合う。このままでは永い冬の夜のような、
暗く希望のない時代(もしくは破滅)が来る、と。
Mystic Rhythmsに記述がありましたが、『パーティーは予期せぬ客によって〜』と言うくだりは、聖書からの引用だそうです。
『ソドムとゴモラが滅ぼされた時、人々はその直前まで何も知らずに食べたり娶ったりしていた。同じく人の子が来る時にも、
(再臨の折には)人々は何も知らずに食べたり娶ったりしているであろう。だが突然、パーティーは予期せぬ客(神の使い)によって、
終焉を迎えるのだ』と言うような意味のことが、聖書にあるそうです。つまり、この一句は終焉を暗示していると言えるのかもしれません。
そうなってしまう前に、何とかすべきだと言うことですね。
HAND OVER FIST
ジャンケンポン、と訳すのは、なんとなく抵抗があったのです。なんだかミニモニみたいで、軽くなっちゃいそうで。内容は、
けっこうシリアスなのですが。本来、hand over fistというのは、「たぐる」とか『濡れ手で粟』というような意味らしいのですが、
でもそうしてしまうと、後の歌詞に繋がらないような気がするし、これはどう見てもジャンケンなので、思い切ってこの訳を使いました。
ただ、「手に手を重ねる」というニュアンスも、あるような気がします。(まともに言って、"Lay Your Hands On Me"だと、
Bon Joviになっちゃうけど)
Neilはどこで知ったのか(日本公演ではないと思う。中国旅行中かな(って、中国にもジャンケンはあるのだろうか?)
ジャンケンに禅の思想を感じ取り、三すくみの関係──オールマイティはなく、状況によって勝ち負けが変わるということに、興味を
引かれたらしいです。
AVAILABLE LIGHT
これはNeilが世界のあちらこちらを旅し、感じた思い、もしくは「なぜ旅に出るのか」と言った思いを表現した詞なのだそうです。
Available Lightとは、写真用語で、「自然光」のことなのだそうです。人工的なライトを当てず、その場の光だけで撮影することを
言うそうです。「あるがままの姿を見る」という感じだと思います。
アルバムについて
三枚目のライヴアルバム『A SHOW OF HANDS』を経て、レコード会社もMercuryからAtlanticに移籍し、ルパート・ハインを
プロデューサーに迎えて製作された、いわゆる第四期最初のアルバムです。
初めて聞いた感想は、『地味!』でした。なんと言ってもその前が、思いっきりポップでシンセきらきらの
『HOLD YOUR FIRE』でしたから、この落差は凄かった。
でも、聞いているうちに、その穏やかさや優しさが伝わってきて、心地よく感じるようになりました。全体的に、落ち着く気分になれる
アルバムです。
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