Chapter 17 : Telescope Peak
1999年10月26日、27日付で、Death Valley国立公演からBrutusさんに書かれた2通の手紙で、この章はほとんど終わり。短いです。
最初の手紙には、ここへ来るまでの、起伏に富んだ森の中の道をツーリングするのは、気持ちが良かったこと。観光センターに着いて
明日Telescope Peak(展望台、と言う感じか?)に行ってみたいと問い合わせた所、かわいいレンジャーさんが、3000フィート登るのに
だいたい3時間、下りが1時間、そこまで行くのにバイクで1時間くらい、かかる、と教えてくれたこと。標高8000フィートから11000フィートまで登るのは、結構大変だが、
やってみよう。上手く行った暁には、明日のディナーでデザートを二つ頼もう、などと書かれています。その後、今日通ってきた道について
地理的な説明がされていますが、ここはちょっと省略。
「なぜ僕はこの場所が(死の谷)がこれほど好きなのか、自分でも不思議に思うよ。(中略)
スコッティ・ジャンクションからスコッティ・キャッスルへの道を初めて通った時、素敵なステッカーを買うついでに、地元のレンジャーに
このあたりの、だんだん侵食されて腐っていく堆積物のことを聞いた。それがなんと言う名前だったか、ここ一時間くらい考えていたのだけれど、どうしても思い出せなかったから。
それからグレイプヴァイン・キャニオンへと下り、この谷間に来たんだ。微笑がこみ上げてくるのを感じながら、僕は見た。ごつごつして、入り組んだ
丘陵地帯や、砂山、塩田などを。その光景が、とても気に入った。なぜだかは、わからないけれど。(中略) 僕はいつか、正式な本のために取っておこうと思う。
(「ブルータスへの手紙」と言う、海賊盤じゃないよ――君が出すつもりだと、聞いたけれど)」
そして、騒々しい音を撒き散らすバイカーの一団がいて、そのうち二人は、T-シャツ姿でドレスコードのあるレストランに入ろうとして
断られ、怒って立ち去っていったことが書かれています。
「最近、旅を重ねるにつれて、そこで働いたり遊んだりしている人たちを見るにつけ、人間性に対する僕の全体的な評価は、下がって行く一方だと気づいた。
深遠なことだよ。僕はいつも理想主義者で、人々の「向上の可能性」や、ほとんどの人々が基本的に持っている善き心というものを、を信じている。
だから、この変化は意味深いと思うんだ。くだらない柄のTシャツは着るもんじゃない。僕はメッセージつき以外のTシャツやスウェットは、絶対に着たことがなかったからね。
(中略)本能的に好きだと思える人たちにも、たしかに出会ったよ、偶然ね、それに僕がよく知っている、「腹心の友」たる価値ある人たちも、たしかにいると思う。
でも、それは数えるほどしかいない。ほとんどの人たちは、僕らにとって興ざめな存在でしかない――そう思えてしまいそうだよ。
君もそうじゃないかい? 君はいつも、僕よりずっと寛容(耐えられる)だったけれどね。
それが、ぴったりの言葉かもしれないね。僕はいまだ、多くのことに耐えている、と言う感じだ。たぶん、これまで以上に。でもそれは、僕が見たことを(わかったこと)
受け入れたとか、感嘆したとか、楽しんでいる、と言う意味じゃないんだ。ただ、我慢して許容しているだけだよ。」
翌日、27日の手紙は、Death Valleyの景観をプリントしたステッカーを同封しています。
「それは65マイルもの、今までになくひどい道を乗っていくことから始まった。きれいに舗装されたステート・ハイウェイから、道幅の狭い
ごつごつした道へ、それから平坦な砂利道、最後の数マイルは、でこぼこした、恐ろしいほど切り立った砂利道だった。ちょうどハンター・マウンテン・ロードのように
砂やら砂利やら、岩や轍、険しい崖に落ちそうな、危険なカーブだらけだった。(「車高の高い4WD専用、と標識に書いてあったよ
――ハッ!)
それからやっと、標高8000フィートの登山道にたどり着いたんだ。ここから頂上まで、7マイルを徒歩で登らなければならない。標高順に広がっている、木々のなかを。
最初はセージ、次はビャクシン、それからピニョン松、マウンテン・マホガニー(大型のセコイアやポンデローサマツもあった)、9000フィートあたりではリンバー松
になり、ついに標高10000フィートでは古いブリスルコーン・マツに変わっていった。
頂上そのものは、ほとんど何もない。ほんの少し草が生えているだけの、剥き出しの岩場だ。(僕がそこについた時には、寝転がるのにちょうど気持ちよかったけれど)
でもそこからの眺めは、もちろん、驚くほど素晴らしいものだった。谷間全体がはるか眼下に広がり、バッド・ウォーターの白い河川敷や、
小さな緑の点のように見えるファーネイス・クリークのオアシス、そして西の彼方には、茶色にうねる山々に囲まれたパナミント・バレーが広がり、その一方の終端にはいくつも砂山、
横切って伸びるハイウェイは、僕の想像の目にしか見えないが、はるか彼方まで続いているのだろう。
でも今は、疲れたし、あちこちが痛い。降りるのは、登るのと同じくらい大変だった。少なくとも、呼吸をするのは楽だ、という違いしかないだろう。
歩きながら、痛む場所を数え上げてみた。首、肩、背中、腰、臀部、太腿、膝腱、膝、脹脛、くるぶし、そして特に、足だ。(うわぁ!)でも
ともかくヘリコプターで救助されることなしに、歩きとおすことはできたよ。
(中略)
身体同様、頭も疲れてしまったから(僕は歩きながら、ずっと考えていたんだ)LAでのために(ハッ!)、黙ることにするよ。それに僕の健康過ぎるこの身体に
無理を積み重ねてしまったし。もうトレーニングは十分だと思うんだ。どう?
(LAでは)話せる機会がきっとあると思うから、その時のために、いくつかまだ話を取ってあるんだ。今日考えていたんだが、最近手紙ばかり書いているのは、たぶん
高級めの場所に泊まっているせいだろう。そういうところのレストランの照明は薄暗いんだ。本を読むのには良くない、でも君の僕の心情を書きなぐるには
別に大丈夫なんだよ!
これだけ言っておこう。僕の夕食は、コーンとかにのチャウダー、プチフィレ肉とチキン、それに海老に、ふさわしいソースとサルサをかけたサウス・ウェスタングリル、
Benziger Cabernetを一杯、インデアン・リヴァーの桃とアイスクリーム、コーヒー、コニャック、それに水をたくさん。さあ、もう自由にしてあげるよ。
相棒、君と話すのを、君の「近況報告」を聞くのを楽しみにしているよ。
デス・バレーより。ゴーストライダーはここで今、洗濯をしている。(もっとなにか、マシなことはないかい?) それでは、さらば。
Buenos Noches
G.R
最後に、こう締めくくられています。
「そして、わかってさえいたら・・
頂上の見晴台に立っていた時、死の谷は、僕の眼前にあった。だが、死の谷は僕の後ろにも、過ぎ去っていたのだ。今は再び、僕の地平から大きなチャンスが
上ってこようとしていた」
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