Ghost Rider (Part 6)





Chapter 8 : Letters To Brutus

「サンタフェにて、リアムとアレックス、そして僕がキッチンのテーブルで飲みながら話をしていた ある夕方、電話が鳴った。僕はその日の午後、ずっとブルータスの弁護士と連絡をとろうとしていた ところだったので、アレックスが電話を取り、僕に手渡した時には、ブルームフィールド氏(訳注: たぶんBrutusさんの弁護士さん)が何か良い知らせを持ってきてくれたのだろうかと思っていた。 しかし、受話器から聞こえてきた声は、紛れもなくブルータス本人の、聞きなれた挨拶だった。
『やあ! 調子はどうだぁ!?』
 驚きと喜び、そして感動に舌がもつれるのを感じながら、僕は彼の話を聞いた後、どう言う風に 過ごしているかとか(驚くほど良い具合だ)、彼の法的立場(まだはっきりしない)、何か自分が してやれることはないか(もうちょっと本を送ってくれ)というようなことを尋ねた。彼は紛れも なく昔のままの変わらぬブルータスだ。快活で楽天的で(少なくとも、電話で話している数分間は そうだった)、そしてただ彼と話していること、彼の声を聞いているだけで、僕は気分が晴れ、 そして彼をより身近に感じることができた。
 サンタフェで、雨の降る朝、アレックスとリアムに別れを告げて、漠然と西への道に乗り出して から三日間は、暗く、寂しい日々だった。先へ進むために、気分を引き立ててくれる唯一のことと いえば、この旅をブルータスの視点で見ることだけだった。恐ろしい状況に置かれながらも、彼は、 僕の目を通して見るより、ずっと明るい見方ができるようだ。(少なくとも、僕のやり方よりは。 彼は認めないだろうが)
 サンタフェで、電話で話した時、ブルータスはこんなようなことを言っていた。『僕のためにも、 君は旅を続けてくれ』僕は、そうすると答えた。だが、もしブルータスが僕を通して疑似体験を したいというのが本当なら、僕もまた、同じことが言えると思う。日々の旅を、僕が考えたこと、 見たこと、感じたこと、書こうと思ったことを、すべて彼に捧げよう。これからは、僕の物語を ブルータスに送ろう。西への道中、僕が思ったことを、ホテルの部屋でマカラムを飲みながら、 それともバーで、レストランのテーブルで、ブルータスへの手紙として書こう。僕の人生はすべて、 ブルータスへの手紙となるのだ」


というわけで、この章はタイトルどおり、ブルータスさんへの何通もの手紙で占められています。 この章だけでなく、今後もブルータスさんへの手紙はどっさり出てきますが、それ以外でも、Neilは この獄中の友へ向けて、自分自身を報告する、という形で、本を綴っていったわけですね。

そして手紙ですが、最初のはCaliforniaのDeath Valleyから、98年11月13日付で出されています。 『君がいなくて寂しいよ』と言うニュアンスの書き出しからあとは、Santa Feを出発してから、 Death Valleyに来るまでの数日の行程が、かなり詳しく述べられています。初日は、Albuquerque、 Phenix、Tucsonと通り、メーターがいかれたので、Phenixに引き返して修理してもらい、翌日は Cololado方面に向けて移動、Santa Feからここまでずっと天気が悪く、気が滅入っていましたが、 翌日からは天気も回復。そしてそこから、あちこち立ち寄りながらCaliforniaまで到達した、そこまで の道程が報告されています。これが1通目。

 カリフォルニアにいる時、RushのフォトグラファーであるAndrew MacNaughtonから連絡があり、 LAのオフィスに来てくれるように要請されます。AndrewはもともとTorontoに住んでいましたが、 最近ロスに移住したのでした。Neilは、LAの喧騒はあまり好きではないと感じますが、とりあえず これからメキシコに行く予定なので、そのための保険手続きなどをしなければならないので、 その手続きも兼ねて、LAに行くことにします。
 AndrewはNeilと一緒に行って手続きをしてくれた後、 自分のLAでの仲間たち(著名人もかなりいる)のところに連れて行き、数日間、賑やかに過ごします。 その仲間内の一人に、Dave Foleyというコメディアンがいましたが、この人は若いカナダ人女性 Gabrielleさんを同伴していて、ある晩、Dave、Gabrielle、Andrew、そしてNeilの四人で食事に 行くのですが、その時Gabrielleさんに『素敵な人』と言われ、Andrewにそのことをからかわれ、 Neilはおおいに照れます。今までそんなことを言われたことなど、ない。これもきっと、自分が まとっている『悲劇の装い』のせいにちがいない、と思うのです。
 結局LAには1週間滞在し、予想よりはるかに楽しい時間を過ごします。しかし滞在最後の日に、 散歩をしていて、Jacklineさんのと同じBMWのコンパーチブルを見かけ、さらに張ってあった ドリュー・バリモアのポスターがすこしSelenaさんに似ていた、と思わず涙ぐみます。
 そして翌日から、メキシコへ向けて、また旅は続きます。

 2通目のBrutusさんにへの手紙には、LAを出てから南下し、国境を超えてメキシコに入国 (特に問題なく入国できた)、Mexico Cityに向けて南下中の行程が、書かれています。今まで かなりの距離を走ってきたので、バイクにあちこちガタが来ており、Cityまで行ったら、本格的に 整備に出さなければならない、と書かれてもいます。そして翌日、Loretoから簡単な手紙(メキシコは 温かくて物価が安いと、祖父に絵葉書を出したことや、感謝祭のことなど)を付け加えて、終了。

 Loretoで手紙を投函しに行った後、町を歩いていたら、若者に声をかけられ、『若い女性が たくさんいるメキシカン・パーティに行かないか?』と言われます。断ると、今度はマリファナの たぐいを勧められ、これも断ります。『ごめんよ、僕は内気な性分で』と、その人をやんわり無視し、 穏便に別れて、ホテルに帰ります。そして泳いだり、ハンモックで読書をしたりして過ごし、夕方 レストランに食事に行きます。なかなか料理が出てこないので、その間に元ツーリング仲間のGayさんへの 手紙を6ページも書き上げ、その続きをホテルのバーで書いていたら、酔っ払った(英語圏からの) 観光客夫婦の奥さんの方に、声をかけられます。
以下、引用。

「あなたって、本当に静かね! あたしはずっと、見てたのよ!」
「あなた、休暇中なのね、そうでしょう? あなた、人様と係わり合いになりたくないって感じね。 そんなに真剣に、何を読んでるの?」
僕はただ顔を赤らめて、マーク・トゥエインについてぶつぶつつぶやきながら、足元に視線を落としていた。 彼女はおかまいなしに続けている。
「あなたって、人のことには関心がないんでしょう。あたし、ずっと見ていたわよ」
僕は赤くなり、再び口の中でつぶやくだけだった。
「あなたって、本当に人目を引かずにはいられないような紳士ね!」(僕が?)
「あなたのことを、優しい巨人って呼ぶわ」(何?)
「あなたは私の、優しい巨人よ(ジェントル・ジャイアント)!」(僕がかい?)
「ほんとうよ、あなたはそうなのよ――あなたと、主人はね!」
そして意味ありげに見上げ、酔っ払った笑いを響かせながら、言った。
  「ねえ、良かったら24時間だけ、その役をやってみない?」
 僕はますます顔を赤らめ、もごもごとつぶやくのが精一杯だった。夫のほうはバーテンダーに 身振りで、僕にコニャックのお代わりを彼のおごりで持って来るように言った。僕は彼にお礼を言い、 細君の方にもすばやく頷いてから、外に出てそこに腰を落ち着け、書いた。
「彼女にすっかり引っ掻き回されてしまった――認めよう」


 その後、再び南下して、La Pazへ。ここのホテルに着いて最初にやったことは、ボーイに チップをやろうとして、財布を――パスポートやら小切手、クレジットカードごと、エレベータ・ シャフトの中に落としてしまったこと。ホテルの従業員2人が30分奮闘して、やっと財布を救出。 その後、フェリーの予約に行きますが、前日しか予約を受け付けていないということで、ホテルに 戻ろうとします。その途中、カトリック教会の前を通りかかると、吸い込まれるように中に入って しまいます。

「カトリック教会は、セレーナを連想させる。宗教的な意味ではなく、パリのセクレクール教会に 行った時の、彼女を思い出すので。ラッシュの一番最近のヨーロッパツアー終盤、1993年 (訳注:92年では?)のロール・ザ・ボーンズツアーで、ジャッキーとセレーナ、それにデブは パリで数日間、僕と過ごすために会いに来た。一緒に休暇を1日過ごした後、セレーナは僕と一緒に、 ドライバーであるピーター(若い頃、ロンドンで一緒に過ごした友人だ)の運転でアムステルダムの ショウに同行し、またパリに戻ってきて、数日間、その美しい街を散策して楽しんだ。セレーナが パリを訪れたのはこの時が初めてで、彼女は強い感銘を受けていた。
 ある日、僕ら四人は、モンマルトル広場の、壮大な白い屋根のようなセクレクール寺院の高い階段 を上った。両親に似て、セレーナも決して宗教に染まったことはなかったが、精神性については 理解していたし、15歳という年齢もあいまって、セレーナは突然、完全に、尼たちが静かに 唱和する声、厳然とした静寂さ、香料やキャンドル――そういう教会内部の祈祷に満ちた雰囲気に、 魅入られてしまったのだった。彼女自身も一本、奉納のキャンドルを求め、思いつく限り唯一の カソリック教徒である従兄弟ショーンのために、それを灯そうと決意したようだった。
 教会の内部を静かに歩き回り、屋根に沿って登り、そこから見えるパリの町並みに感嘆して、 セレーナの目は大きく見開かれ、その場所、壮麗なスケール、静寂、壮大さや優雅さ――教会とは まさにその効果を狙って設計されたものだが、宗教はしばしば堕落しがちになってしまう―― そういったものががかもし出す精神の高揚に満たされていたようだった。
 その日以来、セレーナは教会がかもし出す魔力に、消えることのない感銘を受けていた。そして 彼女が逝ってしまった今、僕はメキシコのカトリック教会を訪れることで、娘とつながっていられる、 かつての彼女を、そしてパリでの楽しい思い出に浸ることができる。

 パリからの帰路も、思い出深いものだった。デブはトロントに飛行機で帰ったが、ジャッキーと セレーナ、そして僕はピーターの運転でイギリスのサザンプトンまで行き、そこからクイーン エリザベス2世号で、ニューヨークまで5日間の航海をしたのだった。正直に言えば彼女たちは、 時にちょっと退屈したこともあったようだったが、僕は航海が好きだった。プライベートデッキ付きの キャビンで読書をし、ガラスの引き戸を開けて海を眺め、寒く霧の出る午後、人気のない甲板を うろつき、カードゲームを一緒にし、そして素晴らしい食事とドリンク、毎晩ディナー時の正装―― これは、セレーナの大好きな時間だった。娘はいつも、ドレスアップすることが好きだったから。
 そんな思い出を持てて、本当に良かった――でもそれは、まだ僕を苛むものでもある。メキシコ 教会の礼拝席に座り、僕は涙を流しながら、そう言うことすべてを思っていた。一歩前に進み、 一歩後ろに下がる。」


 翌日、Cabo San Lucasへフェリーで移動して一泊。ここは海沿いのリゾートで、その風景や たたずまいをメモに書きとめた後、義兄Stevenに連絡します。 StevenさんはJackieさんの兄で、 同じく義兄のKeithさん(湖畔の家の管理をやってくれている人でもある)ともども、お互い10代の 頃からの親しい友人でもありました。20代のはじめ頃には、NeilはStevenさん、Keithさんそして もう一人Wayneさんという友人と共同生活をしていたそうですが、その後、Jackieさんと一緒に 住むために、そこを出ることになります。
 彼らの妹と同棲していることを二人が知ったらと、Neilは少し懸念したそうですが、Stevenさんも Keithさんも理解を示してくれ、その後もずっと親しい関係を続け、Selenaさん亡き後、Jackieさんが 病いに倒れた時には、Stevenさんは、救急医療士である奥さんShellyさんともども、献身的な看病を してくれていました。
 そのStevensさんが12月に、奥さんと一緒にBelizeに行くというので、Neilは現地で彼らに落ち合う ことを約束、確認します。そしてフェリーでまたLa Pazに戻り、数日後、Brutusさんに、 また手紙を書きます。

 12月5日付の手紙では、La PazからCaboへ渡り、また戻ってきた行程が、翌日Cuernavacaで 書かれた手紙には、途中二日分の日記をまるまる引用して、自分のたどっている行程を、何を見、 何を感じたかを目に見えるように、つづられています。そしてBelizeでStevenさんに会うこと、 いつもは昼間だけ走っていたけれど、初めて夜に走ってしまったこと、そしてMexico Cityまで 到達し、明日はディーラーにバイクを預ける予定であることなどを、かなり長くつづっています。

 メキシコシティに到着してから、ベリーズで義兄夫妻に会うまで数日の間があったので、 パレンケの遺跡に足を伸ばし、その後StevenとShellyに会います。彼らは「AlexとLiamと別れてから、 1ヶ月ぶりに会う『僕を良く知る人』」であり、Neilは慰められます。Stevenさんたちはジープで 移動し、Neilはバイクで伴走。荷物はみんなジープに積んでもらったので、身軽です。
 Belizeのホテルで、Brutusさんにまた手紙を書きます。その中で、Mexico CityからBelizeまでの 道中、Palenque遺跡のこと、Belize滞在のこと、そしてStevenさんとカラコルのマヤ遺跡を登ろうと して、悪天候と悪路のため、バイクをクラッシュさせておしゃかにしてしまったこと、それゆえ、 そのバイクをメキシコシティのディーラーに預けて、自分は飛行機で帰る予定であることなどを 長文につづっています。

 NeilはStevenさんとともにクリスマス過ぎまでBelizeに滞在し、その翌日別れて、壊れたバイクを Mexico Cityのディーラーに預け、ホテルにチェックインして、翌日の飛行機で帰る予定でしたが、 急遽夜中の便がとれ、トロント経由でモントリオールへ、そして湖畔の家に帰りついたのでした。

「我が家だ。外にはどのくらい雪が積もっているのだろうと思い、家の中の部屋を思い浮かべ、 どんな感じなのだろうと思っていた。いたるところにあるジャッキーとセレーナの写真のことを考え、 今は何か見え方が違ってくるだろうか、と考えていた。僕は思い出のすべてを振りかえり、今再び 間近に直面した時、どう感じられるだろうか、考えていた。
 4ヶ月と1週間の間、ここを離れ、46289キロ、30748マイルの道のりを旅してきた。あらゆる意味に おいて、長い旅だった。僕は変わっただろうか? 僕は、そもそも『癒された』だろうか?

 僕の心の一部分では、再び家にいるということに、浮き立つ気分を感じている。しかし、そこには たしかに疑いの影も存在している。もう一度家に帰るということはどんな気分か、それに対して、 僕は何がしかの『ホームシック幻想』を持っていたようだ。だが現実の生活体験が、はたして 「よい」物なのかどうか、はっきりとは確信が持てない。以前『旅行すること』に対する幻想に ついて、以前言ったことを思い、そして僕は思った。それはまた、『家にいること』に対する幻想に も言えることだと。いつものように、実際に感じてみるまでは、どんな風に感じるかなど、予想は つかないものなのだ。
  僕の冒険絵巻は、この時点では、まだまだ先に進んでみなければならない、やってみようと努め、 亡霊の影と向き合う力を捜し求めなければならないと感じている。毎日、毎晩、この癒しの道を。 まだ、『何かがやってくるだろう』と言う感じを信じたい。」




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